2015年12月31日

思い出の異色の西部劇「大砂塵」

最後は女性同士の決闘

映画『大砂塵』を最初に観たのはいつだったろうか。

原題はジョニー・ギター(Johnny Guitar)だったが、普通の西部劇とは一風変わった雰囲気の西部劇であった。

題名のジョニー・ギターとは、放浪する主人公(スターリング・ヘイドン)の名前だが、彼はギターを抱えているそう呼ばれる。

彼と関わる二人の女性がこの映画の実質的な主人公であるが、いくつかの事件事象が重なって女性同士の熾烈な決闘シーンとへ繋がっていく。

当時こうした映画で、女性が銃を手にして争うシーンは始めて観たという感じであった。

個性的な女優が出演していたし、ペギー・リーが歌った主題歌『ジャニー・ギター』も世界的なヒットとなっている。

だから映画より先に「ジャニー・ギター 」という曲名の方が先に耳に入ってきた。

その後も1950年代の映画音楽が、いろいろとアレンジされて演奏されていたからである。

リバイバルで子供の時見たこの映画は、確かに西部が舞台の映画ではあったが、男女の愛憎が絡むストーリー展開は子ども心にはよく理解できず、なんとなく未消化な部分が残ってしまった映画という感じであった。



まだ鉄道も通っていない鉱山の町に流れ者のジョニー・ギターが現われ、昔の恋人だった酒場の主人ヴィエンナ(ジョーン・クロフォード)の元に身を寄せることになる。

ヴィエンナはこの町に鉄道を通そうとする野心を持っていたが、大地主や町の住民はそれに反対していた。

しかも彼女と無法者のダンシング・キッド一味との関係もあって町の人々から彼女は嫌われていた。

ダンシング・キッドに恋心を寄せていた大地主エマ(マーセデス・マッケンブリッジ)は町長たちをたきつけてヴィエンナを町から追放しようと画策し、両者の争いは一触即発の状態にあった。

ダンシング・キッド一味が銀行を襲撃したとき偶然その場に居合わせたヴィエンナとジョニー・ギターは、町の住民に彼らの仲間と疑われてしまい暴徒と化した人々にヴィエンナの酒場は破壊されてしまう。

そして、彼らには宿命的な悲しい結末が最後に訪れることになる。




Johnny Guitar √ Peggy Lee √ Lyrics

 







The Spotnicks - Johnny Guitar











ジャニー・ギター (ロス・インディオス・タバハラス)

 











denden 











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posted by モモちゃん at 15:53| 備忘録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月28日

従順で頼りになるロボット犬が戦場に現れる

ロボットがすべて代行してくれる未来

ロボット技術が年々凄い勢いで進歩している。

四足ロボットや二足歩行ロボットも確実にその成果を上げている。

それはより自然な動きであり、人間や動物に似たスムーズな動きに近づきつつある。

しなやかに力強く動き続けて疲れず、休まず従順にプログラム通り働くロボットこそ未来の本物の技術である。

これにAI(人工知能)が載ったら怠惰な人間はいらなくなるのかも知れない。

何をやらせても人間以上の働きをこなすのであれば、いろいろな条件を出す人間のプロなどはいらなくなる。

いや、すべての人間に代わって仕事を代行してくれるわけだから、最終的には人間を怠惰な生き物にしてしまうことになるのかもしれない。

人間に代わって勝手に生産活動をコントロールしてくれて、老人の介護だけでなく最終には遺言どおりに墓も丁寧に掘ってくれるだろうし、面倒な政治や戦争も代行しててきぱき処理してくれるようになるだろう。

そしていつの日か両者の立場が逆転してしまっていて、人間がロボットのペットのような存在になってしまうのかもしれない。

いやはや、それだと未来そのものが悪夢になってしまいそうだ。




Introducing Spot

 








HappyHolidays

 






MIT cheetah robot lands the running jump

 






Boston Dynamics All Prototypes

 









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posted by モモちゃん at 11:29| 歴史的瞬間 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月26日

タブレットのバッテリーは消耗品って知ってた!?

手元でバッテリー交換出来ますか?

最近はノートパソコンもタブレットも薄型が流行っている。

持ち運びに利便性があるということだろうけど、そのためにデザインとかの面で削ぎ落とされた部分は当然あるはずである。

その一つがバッテリー内臓の仕様である。

多くのタブレットPCは消耗品であるバッテリー交換をユーザーの手では出来ない仕様になっている。

これはいただけない。

バッテリー交換が簡単に出来ないということは、バッテリーが消耗して機能しなくなったら本体を新しく買い換えなくてはならないであろう。

いちいち修理に出すとしても工賃負担は避けられない。

バッテリーが4,5年十分にもつのであればユーザーも納得するであろうが、わずか1,2年で消耗ということになればどうであろうか?

リチウムポリマーバッテリーの充電出来る回数はそれほど多くはない。

バッテリーの使い方として最善の方法は、80%まで充電して40%まで使うのが理想だとされる。

通常100%まで充電しているバッテリーの充電可能回数は300〜500回しかないのに対し、70%までの充電のバッテリーがっ継続して維持されると1,200〜2,000回も充電できる状態になるといわれる。


そうした使い方であればバッテリーの耐用寿命は格段に長くなり、場合によっては4倍にも長くなるという。

であるとしてもユーザーから見れば、バッテリーの管理をそこまで徹底するのは面倒でしかない。

だから消耗品と分かっているバッテリーが密閉されているタブレットは購入したくない。

ipadも同様である。

当方が最初に購入したタブレットPCと呼ばれるものは富士通のFMV-T4010Dであった。

その仕様は次のようなものであった。

■型番 FMV-T4010D
■CPU PentiumM 1.6GHz
■メモリ 512MB
■HDD 60GB
■ドライブ CD-ROM (CD読込み用)
■LAN 有線 Gigabit Ethernet
■液晶 12.1TFT液晶 / タッチパネル
■OS Windows XP Tablet PC Edition
■サイズ/重量
29.3(W)×24.4(D)×3.5〜3.7(H)mm  約1.95kg

さすがに重量は軽いとはいえないし、形状もスリムとはいえない。

ただペンによるタッチパネルが使えて、液晶画面が回転して折りたためるという利便性があるのが特徴であった。

タブレットPCとしてはいささか中途半端な感じであった。



今後新たにタブレットPCを購入するのであれば、バッテリーがはっきりと消耗品として認識された製品に限られる。

たとえば下記のような機種が最適だと考えている。

デルが国内向けに発売しているWindows 8.1タブレットの Venue 11 proは10.8インチ1920 x 1080フルHD、プロセッサは Atom から " Haswell " Core i3 / i5 まで、重量 772g (Atom搭載時)。

このデルのタブレットPCシリーズは、以前からバッテリーの交換が可能ということで注目していた製品である。


◆基本スペック◆
メーカー/製品名:Dell VENUE 11 pro 7130 Core i5 4300Y
CPU:Corei5 4300Y 1.6GHz(2コア4スレッドTB時2.3GHz)
メモリ:DDR3 4GB
HDD:SSD 128GB
Webcam:2.0MPフロント / 8MPバック
搭載ドライブ:無し
ディスプレイ:10.8型液晶 Full HD(1920x1080)
無線LAN:Intel Dual Band Wireless-AC 7260 802.11 ac/a/b/g/n + Bluetooth4.0
コアラベル:Windows 8.1 Pro











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2015年12月23日

「はがきデザインキット」は無料なのに何故凄い

無料でも超優れもの

郵便局の郵便年賀サービスに「はがきデザインキット」という無料アプリがあるが、これは使いこなすととても便利である。

年賀郵便だけでなく、一年中、季節ごとの各種はがき印刷にはすべて対応できるので使い勝手がいい。

ここ何年かはこのアプリを専ら使っているのだが、毎年バージョンアップしてきてより高機能になってきている。

まず起動するとこんな感じ。




capture-20151223-092557



















使用方法の動画案内もすぐに呼び出せる。





capture-20151223-092944



















入力作業はパネルをクリックして選択するだけ。

フリーハンドでの簡単な作画もできる。

編集画面に貼り付ける素材やキャラクターが用意されているし、自前の画像も自由に呼び出して使える。


一度貼り付けた文字列や画像は自在に縮小、拡大が出来るので編集画面上でそれらの配置が柔軟に調整して作業が進められる。





capture-20151223-093156



















取り込んだフレームや素材だけでも簡単に年賀はがきのカラー印刷ができる。

これが無料とは、ちょっと驚きである。

郵便年賀JP http://yubin-nenga.jp/design_kit/






























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タグ:年賀状
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2015年12月22日

生まれた時から始まる宇宙旅行のご案内

無限の宇宙を旅し続ける太陽?

太陽系では太陽の周りを地球などの惑星がほぼ一定の周期で公転しています。

同様に太陽系も銀河系宇宙の中を公転しています。

だから太陽もその惑星も常に宇宙空間の定位置に留まってはいないことになります。

これはとてもスケールの大きな宇宙空間の話です。

太陽と同様に太陽系全体も同じ位置に留まることなく、さらに広大な銀河系宇宙の中で公転し移動し続けていることになります。

銀河系の大きさは、直径が10万光年、その厚さが最大で1万5千光年ほどあると半世紀前小学生のとき本で読みました。

この情報が今でも正しいものなのかどうかは知りませんが、とにかくこのような巨大な空間が存在していることだけは確かです。

銀河系の中心部分には銀河系宇宙の重心があって、核恒星系と呼ばれる恒星、もしくは巨大なブラックホールがあるといわれています。

この重心部分には巨大な質量があって、その重力で周りの恒星を引き寄せ、さらには太陽も公転軌道を描いて回転移動していることになります。

重力と引力の関係は、いまだに物理学の世界では解明されていない部分が多いとされています。

いわゆる未知の領域というわけです。

銀河系の太陽の公転周期は2億年〜2億5000万年ということですので、この間地球も間接的に太陽の引力の働きのもとで、留まることなくその周りにまとわり付きながら宇宙空間を移動し続けていることになります。

太陽系の惑星が公転しながら、太陽と共に銀河系宇宙を移動しているダイナミックな動画を紹介します。

しっかりしたイメージが湧いてくると思います。



The helical model - our solar system is a vortex

 













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2015年12月15日

九州にキリシタン大名が何故多いのか

売国奴でもキリシタン大名は偉かった?

教科書では教えられない九州歴史発見シリーズ
いまさら歴史認識がどうした?

忘れ去られた400年前の日本人拉致被害
抹消された長崎イエズス会占領統治下の悲劇

歴史観を力いっぱい捻じ曲げてみませんか


東洋医学史研究会
宇田明男



・戦国九州のキリシタン大名と歴史認識問題
いま再評価されるキリシタン大名の輝かしい業績
キリシタン大名の果たした輝かしい歴史的功績とは一体何か ?




この戦国時代にあって、奴隷貿易を止めさせようとした人間が何人かいた。


その筆頭が豊臣秀吉である。


西洋歴史観の視点からは、秀吉のバテレン追放令はいかにも悪法のように見られがちだが本当にそうであったのであろうか。


地下人から一代にして天下人までに這い上がった秀吉は、こうした南蛮人による奴隷貿易を許さなかった。


秀吉が海外との奴隷取引を嫌ったのは、もちろん農民層の人口減少を懸念したこともあったが、それ以上にそうした過酷な差配が自分のうかがい知らぬところで勝手に行われていることが許せなかった。


そこにはポルトガルなど海外から渡来者に対して、日本全域をほぼ掌握しつつある秀吉には日本の覇者、日本国の王という対外的プライドが働いていたともいえるかもしれない。


当初、秀吉は宣教師によるキリスト教の布教活動に対して寛大さを示していたが、九州に進攻して彼の考えは一変した。


抵抗していた島津は天正15年5月8日に降伏し、6月7日に秀吉は箱崎(博多)に無事凱旋したが、九州各地を転戦するうちに、夥しい寺社が焼かれて破壊されている状況を実際に眼にするとともに、奴隷取引の実態もすでに秀吉の耳には入ってきていた。


寺社の破却はキリシタン大名の高山右近が高槻や明石で行っている異教徒弾圧と同じものであり、九州遠征でもキリシタン勢力に追われた仏教徒らが次々と秀吉に救済を求めてきていた。


キリシタンを保護したという戦国のキリシタン大名を取り上げると、それはいかにも彼らが善政を敷いたかのように聞こえがちであるが実際はそうではない。


キリシタンを特別に保護するということは、他方で仏教や神道の異教徒を武力で弾圧排除する事を意味する。



戦国大名が南蛮との交易を有利に推し進めるには、それを仲介する宣教師らの要求を飲まなくてはならない。



そうでなくては重要な戦略物資である火薬や鉛玉が思うように手に入らないのだ。


まさしく、宗教界においても生存を掛けた熾烈な駆け引きがそこにはあったということになる。


戦国九州のキリシタン大名の大村純忠は領民を強制的にキリスト教に改宗させたり領内の寺社仏閣をすべて破壊した。


領主の差配に従わない者は殺傷されるのは当たり前の時代であった。


大村の兵は寺院を破却するキリシタン信徒らを護衛するとともに抵抗する仏僧はすべて追放、もしくはその場で殺害していった。



さらには領内一円でキリシタンに改宗しない者は異教徒として弾圧され、そのまま奴隷として海外に売られていった。


当時はキリシタン信徒の獲得に応じて弾薬や鉄砲も南蛮から供給されたのである。


熾烈な戦国の世にあっては、弱小な田舎大名でさえ最新兵器である鉄砲に群がった。



背に腹は代えられないのだ。当然そこにはキリシタン大名が続々と登場していった。


大村純忠はキリシタンを優遇する過程で、領内の長崎の土地(現:長崎港周辺部)と茂木(現:長崎市茂木町)をイエズス会に寄進までしていたのである。



一部ではこれが美談のように持て囃されるのであるが、実はこれにはこれで公に出来ない裏があった。


当時の大村領の長崎周辺は小さな漁村が点在する土地であったが、隣接する肥前の竜造寺隆信に狙われ度々軍事的侵略の危機に晒されていた土地であった。


だが、その一方で、長崎は南蛮の大型船が入れる天然の良港であることから、渡来してきた南蛮人はこの土地を当初より高く評価していた。



大村純忠はそのことを宣教師からも聞いていた。


大村純忠はその長崎に軍事的障壁をイエズス会に作らせることを考え、日本巡察使アレッサンドロ・ヴァリニャーノに直接寄進を持ちかけたのであった。



これは大村純忠のしたたかな戦略でもあったが、実はこれには表には出せない裏の事情が隠されていた。



それは村純忠と南蛮側との間でこじれていた債務処理としての苦肉の策でもあったのだ。


表向きの名目は、長崎の土地をイエズス会への寄進するということであったが、これは大村が戦費としてイエズス会から銀100貫目(3000両=約9億円相当)の戦費を借りたときの担保として設定されたものであって、結果的には領地の一部を占有されてしまったのである。


もとよりこの銀100貫目という額は弱小大名が後々工面して返済できる金額ではなかったはずで、この辺りはイエズス会側の巧妙な計略でしかない。



肥前の竜造寺に攻め込まれた時、大村はイエズス会から多額の軍事物資を支援されていたのである。



大村はその危急存亡の折、イエズス会には大いに助けられていたのだ。


最終的には大村純忠は1580年にイエズス会との間に次のような4項目からなる契約を交わしてしまった。(寄進状は(天正8年4月27日付。)


 1.イエズス会に長崎・茂木を永久に無償贈与する。
2.パードレ(司祭)が選んだ者に死刑を含む裁判権を与える。(治外法権)
3.入港する船舶の入港税、停泊税を永久に与える。
4.ただし、ポルトガル船などこの港に入港する船からの物品輸入税は予に留保する。



末尾には純忠・喜前父子の洗礼名「ドン・バルトロメウ」と「ドン・サンチョ」の連署がある。 (画像は長崎寄進状・ローマのイエズス会文書館所蔵)


同様に、キリシタン大名有馬晴信も領地の"浦上"(現:長崎市浦上)をイエズス会に寄進していた。


こうしたキリシタン大名による領地の寄進は、南蛮貿易による巨額の負債を相殺した結果でしかなかった。





もちろん交渉の主導権は債権者であるイエズス会側がしっかりと握っていただけでなく、結果として長崎の土地を相手に譲り渡したことになる。



これは従来日本でもよく行われていた、特定の寺社に土地を寄付するという習慣とはまったく異なった契約内容のものである。


事実これ以降、長崎の地はイエズス会知行所となり政教の実権はイエズス会のものとなった。



これが日本史上、始めて外国勢力にその国土が譲渡され占有された記念すべき事例である。


結局のところ、こうした経緯はイエズス会側の巧妙な戦略的手法であって、まんまと長崎の地を領有されてしまったのであった。



こうした事態を招いてしまったキリシタン大名の行為を現代では革新的かつ歴史的功績として再評価するというわけである。



まったくもって噴飯ものであろう。


その結果どういうことになったのかというと、南蛮人等はたちまち長崎から異教徒らのカミ、ホトケの類は悪魔として追い出し、布教の障害となるすべての寺社を破壊するなどその弾圧は横暴を極めた。


それと同時に長崎と平戸では奴隷売買の取引も盛んに行われる事態となったが、これを押し止めるような力のある主権者はもはや長崎にはおらず住民らはどうすることもできなかった。


長崎の地の先住の領民は、ここで南蛮人による占領統治下に置かれたのである。



当地のポルトガル商人は強引に日本人の人妻を奪い妾とし児童を拐して奴隷にするなどして、多数の領民が死を選び自決するという悲惨な事件も発生した。


妻子を奪われた領民は悲憤とともに死をもって抵抗を示す以外に蛮行に抗議する手立てがなかったのである。


かって日本の領土が南蛮ポルトガルに占有されていたとは驚きであって、とてもではないがいまどきの歴史教科書などには絶対に書けないところである。



これが当時の長崎領の治外法権の実態であり、ポルトガル商人らはそれこそ占有した土地で何をしようと勝手次第であった。



これらは現在の西洋史観では一切なかったことにしなくては、評価する上でのつじつまが合わなくなってくる。



だからこそここではお抱え研究者による禊ともいうべきイベントによって、キリシタン大名らの歴史上の再評価サミット開催が是が非でも必要になってくるわけである。





(注:)(日本経済新聞記事より引用)キリシタン大名の功績語る 九州の研究者がサミット :2012/6/3
「九州各地のキリシタン大名の研究者らを集めた「キリシタン大名サミット」が2日、長崎県南島原市で開かれ、各大名の果たした歴史的役割について議論した。戦国時代に同県の島原半島を治め、天正遣欧少年使節の派遣などキリシタン文化の発展に貢献した有馬晴信の没後400年を記念し、同市が主催した。議論では「キリスト教を受け入れて貿易や政治を有利に運び、戦乱の世を生き抜いた」などと各大名を評価。同市は「大名の偉業を情報発信し、キリスト教関連遺跡の世界文化遺産登録につなげたい」としている。〔共同〕」(引用終わり)


(注:)記事引用:開始
「宗麟を全国にPR 大分市が提案事業募集 最大100万円を補助
宗麟の知名度を全国区に―。大分市ゆかりの戦国大名大友宗麟をPRしようと、
市は市内で活動する団体からの提案事業を募集している。1事業につき最大10
0万円を補助する。
 ことし3月に完成したJR大分駅府内中央口側の広場には宗麟像を中心としたモニュメントができ、南蛮文化を街づくりに生かす機運が高まっている。市は「宗麟の名を全国に広める面白いアイデアがあればぜひ応募して」と呼び掛けている。
 有識者やまちおこしグループの関係者らでつくる「大友宗麟プロモーション検討委員会」は2012年度、宗麟を市の顔として発信するための報告書を市に提出。民間活動に対する行政支援も盛り込まれており、市は13年度から提案事業への補助を始めた。
 募集する事業の内容は史実に基づき、宗麟について分かりやすく身近に感じさせるもの。これまでに「おおいた大友宗麟たかもん・いろはカルタ」や市中心部での武者行列などに補助金を交付した。市観光課は「駅前広場を利用し、宗麟にちなんだ祭りを10月に計画している。一緒に盛り上げてくれるイベント案があれば応募してほしい」としている。
 補助額は人件費や食料費を除いた必要経費の5分の4以内。選考委員会で採択事業を決める。希望者は申請書(市のホームページでダウンロード可能)を29日までに同課(TEL097・537・5717)に提出する。
※この記事は、5月12日大分合同新聞朝刊12ページに掲載されています。 」引用終わり
https://www.oita-press.co.jp/1010000000/2015/05/12/212041423







同じくキリシタン大名大友宗麟はイエズス会の宣教師に煽動されて、永禄4年(1561年)に宇佐八幡宮を焼き払い、天正9年(1581年)には豊前彦山の三千坊といわれる多数の坊舎を焼き払って仏教徒を追い出した。


宗麟は領内の寺社にさえ鉄砲を撃ち掛け破壊した。


天正6年(1578年)に宗麟はキリシタンに改宗していたが、それにともなう家臣の集団改宗が進められて領内の信者数も1万人を超える勢いであった。


同年大友宗麟は、キリシタン大名として九州における第一次キリシタン王国建設計画として戦端を開いたが、その野望は薩摩の島津との耳川の戦いで大敗し打ち砕かれた。



キリシタン王国建設には大きなロマンがあるとして、現代でも一部では持て囃されているのであるが、その後第二次キリシタン王国建設の機運は島原の乱として半世紀後に再び復活するのである。



九州戦国史ではキリスト教伝来とともに戦闘は激化し、新兵器の鉄砲が戦場で縦横に駆使されるようになっていった。



何故なら鉄砲弾薬そのものは、常にキリスト教を信仰するキリシタン側に優先的に供給されていたからである。



当然九州ではキリシタン大名が次第に版図を広げ勢力を拡大していった。


天正10年(1582年)当時の九州北部のキリスト教信徒数は、大友宗麟の治める豊後で1万2千人、大村純忠・有馬晴信が支配する大村で7万人、天草島原は2万人、長崎に1万5千人ほどであった。


これ以降も猛烈な勢いで九州各地でキリシタン宗徒は増えていったわけで、旧来の仏教徒らは逆に弾圧され排斥されていった。



こうした勢いに、仏教徒は命からがら逃げ惑うばかりであった。



まさにこのとき秀吉の九州遠征が始まった。


それまでにもキリシタン大名高山右近の領内でも同じように仏僧らからの訴えがあっても秀吉はまったく感知しなかったのであるが(ルイス・フロイス「日本史」4の第10章)、それに比べると九州の状況は看過できないほどに深刻な状況に陥っていた。


そうしたなかで側近中の側近であった侍医の施薬院全宗は、キリシタン大名による領内上げての奴隷取引や宣教活動の拡大に対して相当な危機感をもって秀吉にキリシタン対策を度々進言していた。
(注)施薬院全宗:戦国時代の名医として知られる。幼くして父を失い比叡山薬樹院の住持となる。信長の叡山攻め後に還俗して名医曲直瀬道三の門に入り、中国医学を学ぶ。秀吉の筆頭侍医となる。



この辺りの事情は「九州御動座記」に詳しく記されている。


「今度伴天連(宣教師)等能き時分と思候(おもひさう らひ)て、種々様々の寶(たから)物を山と積(つみ)、いよいよ一宗繁昌の計賂をめぐらし、すでに後戸(五島)、平戸、長崎などにて、南蛮航付きごとに完備して、その国の国主を傾け、諸宗を我邪宗に引き入れ、それのみならず日本人を数百、男女によらず黒舟へ買いとり、手足に鉄の鎖をつけ、舟底へ追いいれ、地獄の荷責にもすぐれ、そのうえ牛馬を買いとり、生きながら皮をはぎ、坊主も弟子も手ずからこれを食い、親子兄弟も礼儀なく、ただ今生より畜生道の有様、目前のようにあい聞こえ候。
見るを見まねにその近所の日本人、いずれもその姿を学び、子を売り妻女を売り候由、つくづく聞きし召し及ばれ、右の一宗、もし御許容あらばたちまち日本は外道の法になるべきこと、案のうちなるべく候。
しからば仏法も王法もあい捨てるべきことを歎き思しめされ、かたじけなくも大慈大悲の思慮をめぐらされて候て、すべて伴天連の坊主本朝追い払いの由お仰せいだされ候」



少なくともこの時点で、南蛮人による日本人奴隷の取引と海外移送を止めさせるだけの強権を保持している人物が日本にいるとすれば、この豊臣秀吉以外にはいなかったのは事実である。










この稿削除されなければ続く











参考文献
「完訳フロイス日本史」(中公文庫) ルイス フロイス (著) 松田 毅一 (翻訳) 川崎 桃太 (翻訳) 全12巻
 1 織田信長篇T「将軍義輝の最期および自由都市堺」(中公文庫,2000年1月)
 2 織田信長編U「信長とフロイス」(中公文庫,2000年2月)
 3 織田信長篇V「安土城と本能寺の変」(中公文庫,2000年3月)
 4 豊臣秀吉篇T「秀吉の天下統一と高山右近の追放」(中公文庫,2000年4月)
5 豊臣秀吉篇U「暴君秀吉の野望」(中公文庫,2000年5月)
 6 大友宗麟篇T「ザビエルの来日と初期の布教活動」(中公文庫,2000年6月)
 7 大友宗麟篇U「宗麟の改宗と島津侵攻」(中公文庫,2000年7月)
 8 大友宗麟篇V「宗麟の死と嫡子吉統の背教」(中公文庫,2000年8月)
 9 大村純忠・有馬晴信篇T「島原・五島・天草・長崎布教の苦難」(中公文庫,2000年9月)
10 大村純忠・有馬晴信篇U「大村・竜造寺の戦いと有馬晴信の改宗」(中公文庫,2000年10月)
11 大村純忠・有馬晴信篇V「黒田官兵衛の改宗と少年使節の帰国」(中公文庫,2000年11月)
12 大村純忠・有馬晴信篇W「キリシタン弾圧と信仰の決意」(中公文庫,2000年12月)
「織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで」 (中公新書) 谷口 克広 (著) 2001
「信長の戦争 『信長公記』に見る戦国軍事学」 (講談社学術文庫) 藤本 正行 (著) 2003
「信長と十字架」立花京子著 集英社新書,2004年
「近代資本主義の成立と 奴隷貿易―――― A 教皇文書と新大陸での実態の吟味 カトリック教会は奴隷貿易を容認したのではないのか」 西山俊彦 2003 カトリック社会問題研究所 『福音と社会』 211
「近代資本主義の成立と奴隷貿易―――― B 教皇文書と新大陸での実態の吟味(2) キリスト教化は奴隷化の方便ではなかったか」 西山 俊彦著 2004 カトリック社会問題研究所 『福音と社会』 第 212 号
「イエズス会による対日軍事力行使をめぐる諸問題」 高橋裕史 2006
「日本及び中国におけるイエズス会の布教方策 −ヴァリニャーノの「適応主義」をめぐって− 55 アジア・キリスト教・多元性」 現代キリスト教思想研究会 第3 号 2005 狹間芳樹著
「野蛮から秩序へ -インディアス問題とサラマンカ学派-」 松森奈津子著 名古屋大学出版会 2009
「キリシタン時代の文化と諸相」 高瀬弘一郎著 八木書店 2001
「GHQ焚書図書開封」西尾 幹二 (著)  徳間書店 2008
「近代資本主義の成立と奴隷貿易」カトリック社会問題研究所「福音と社会」2003年 10月31日 210号 掲載 第1回 課題のありか カトリック教会は双方に深くかかわって来たのではないのか-西山俊彦
12月31日 211号 第2回 カトリック教会は奴隷貿易を容認したのではないか−教皇文書と新大陸での実態の吟味(1)−西山俊彦
2004年 2月28日 212号 第3回 キリスト教化は奴隷化の方便ではなかったか−教皇文書と新大陸での実態の吟味(2)−西山俊彦
4月30日 213号 第4回 黒人奴隷貿易が産業革命を惹き起こし、先進諸国の隆盛(と途上諸国の衰退)を もたらしたのではないのか-西山俊彦
「十字架とダビデの星―隠れユダヤ教徒の500年」 (NHKブックス) 小岸 昭 (著) 1999
「キリシタン時代の貿易と外交」 高瀬弘一郎著 八木書店 2002
「ヨーロッパ≪普遍≫文明の世界制覇 鉄砲と十字架 」中川洋一郎著 学文社 2003
「 日本切支丹宗門史」レオン・パジェス著  クリセル神父校閲 吉田小五郎訳 岩波文庫 昭和13年
「雑兵達の戦場−中世の傭兵と奴隷狩り」(藤木久志著 朝日選書 2005
「飢餓と戦争の戦国を行く」(藤木久志著 朝日選書 2005
「キリシタンの世紀」 高瀬弘一郎 岩波書店 1993
岩生成一「十七世紀バタビヤ移住日本人の奴隷取引」(『東方学論集』v.1 1954年)





















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2015年12月11日

今後も巡航ミサイルが注目され続ける理由

ヒットラーの遺産、巡航ミサイルのいま


科学には確かに真理追究のロマンがある。 

今朝スウェーデンのストックホルムでのノーベル賞の授賞式の映像が映し出されていた。

まさしく科学の平和利用ということである。

20世紀初頭ドイツの科学者の中には宇宙に向けてロケットを打ち上げる夢をもって地道な研究を続けていた学者グループがあった。

これに目を付けたナチス・ ドイツは、新兵器に転用できる科学技術として彼らのロケット研究を高く評価した。

そしてそこから瞬く間に無人爆撃機、さらにはV2号ロケットへと改良していった。

ヒットラーの期待に応えて、完成したV2号ロケットは次々と英国のロンドン市内に打ち込まれ市民を震え上がらせた。

V2号ロケット攻撃で数千人の犠牲者が出たのだ。

このロケットには画期的な姿勢制御装置(ジャイロ)がすでに搭載されていた。

ドイツ敗戦時、連合国側のアメリカとソ連の軍隊はこのV2号ロケット施設を競って接収した。

戦勝国側はナチスドイツ軍の脅威的な新兵器技術をすべて接収したのである。

ここでは工場設備はもとより、開発や製造に従事した科学者や技術者6千人を拘束しそれぞれの国に移送したとされる。

大戦後判明したことであるが、当時のドイツの科学技術水準は他国を大きく引き離していたわけで、皮肉にもその後の米ソの宇宙競争を支えたものは、まさにヒットラーの遺産ともいうべきこれらの軍事先端科学技術であった。

ヒットラーの遺産はいまや強大な軍事システムとして存続し続けている。


アジア太平洋地域で戦争があるとすれば、開戦と同時に最先端兵器の巡航ミサイルが最初に飛び交うことになる。

GPSによってコントロールされる巡航ミサイルは、50メートルほどの低空で飛行し適格に標的をピンポイント攻撃することが可能である。

コンピューター画面の地形図に標的の座標ポイントをクリックするだけで事足りるわけである。

すでに中国も「北斗 (衛星測位システム)」を3年前に実用化し、巡航ミサイルシステムもアジア太平洋地域に配備している。(2012)




衝撃映像「潜水艦がシリア沖から初めての巡航ミサイル攻撃」 Russian Caspian Sea fleet launches cruise missiles against ISIS sites in Syria

  







シリア空爆、米艦船から発射される巡航ミサイル US, Arab allies launch air strikes on IS jihadists in Syria

 








中国の長距離巡航ミサイルの第一波攻撃で日本は壊滅する

 













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    タグ:シリア空爆
    posted by モモちゃん at 09:32| 歴史的瞬間 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2015年12月10日

    破天荒な作家野坂昭如氏が残してくれたもの

    野坂昭如氏と大島渚氏との殴り合いがよかった

    一世を風靡した直木賞作家野坂昭如氏が亡くなった。

    テレビやマスコミを賑わせたその破天荒な言動は、どこかユーモアがあって面白い人だと以前から思っていた。

    世間にも名の知れた文化人なのに暴力沙汰も度々登場したりして、意外とパワフルな作家なんだということで型破りなイメージがとても強かった。

    昭和という激動の時代を力いっぱい生きて、さらに脳梗塞のリハビリで回復した後も執筆に励んでいたと聞いてあらためて凄い人なんだと感心してしまった。

    1990年に東京プリンスホテルで開かれた大島監督と小山明子夫妻の結婚30周年を祝うパーティーで、予定より何時間も待たされ酔って怒った野坂昭如氏が壇上で祝辞を述べた後に大島監督に右フックを食らわせた。

    動画として残されている野坂昭如氏と大島渚氏との一瞬の殴り合いは、本物の文化人らしい交流が垣間見られたようで実にいい。

    「殴ったことを誇っているわけじゃない。ほんとうにわるかった。しかし殴る相手がいたことをうれしく思う」と、事件後に週刊誌に野坂昭如氏の詫びとも思える文章が掲載されていた。





    野坂昭如&大島渚流「緊張と緩和」

     






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    野坂昭如の自己弁護小説 『火垂るの墓』 「昭如」と「清太」の違い Grave of the fireflies - Akiyuki Nosaka .









    火垂るの墓 「映画批評家 ロジャー・イーバート インタビュー映像」 (1999年)

     













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      タグ:火垂るの墓
      posted by モモちゃん at 16:06| 歴史的瞬間 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

      2015年12月09日

      技術大国を謳歌した時代、凋落した時代

      「永遠のゼロ」と日本人が知らない「アクタン・ゼロ(英: Akutan Zero)」とは?


      シャープ液晶売却 サムスンも
      2015年12月9日(水)
      <シャープ>液晶事業売却先、サムスン浮上
      経営再建中のシャープの液晶事業の売却先として、韓国・サムスン電子が新たに浮上していることが8日分かった。


      歴史教科書では教えられない「あくたん・ぜろ」とは、一体何のことか?

      1942年7月11日、先の第二次世界大戦中、アラスカ準州アリューシャン列島のアクタン島に不時着した三菱零式艦上戦闘機二一型(製造番号4593)をほとんど無傷のままアメリカ軍は回収することに成功した。

      これが大戦中アメリカ軍が鹵獲した初めてのゼロ戦となったのである。

      それまで太平洋上で優位に立っていた日本軍のゼロ戦について、米軍は必死に情報を探索し続けていただけにゼロ戦本体はまさに最高の収穫物であった。

      勢力圏外の領域で最高の軍事機密を秘めたゼロ戦を不時着させたのであれば、それを確認した友軍機パイロットは当然焼却してしまうのが帝国軍人としての適切な対処法であったであろう。

      このときの不時着したゼロ戦の存在を日本軍側は何と考えていたのか。
      何故ゼロ戦の機密を秘守しなかたのか?


      ゼロ戦は回収された後、機体は解体修理されアメリカ軍テストパイロットによって飛行実験が繰り返された。

      それによってゼロ戦の優れた飛行性能と弱点とが徹底的に分析された。

      アメリカ軍は当時強敵であった大日本帝国海軍の主力戦闘機であったゼロ戦の機密のすべてを掌握し、対抗するための戦術を徹底して研究することができたのである。

      戦後史でもこのアクタン・ゼロについて、「アメリカにとってもっとも価値あるといってよい鹵獲物であり、おそらく太平洋戦争における最高の鹵獲物の一つ」と言われている。

      ゼロ戦の機密がアメリカ軍に渡った結果、すべての戦局が日本には不利となった。

      その後、このゼロ戦1機によって多大な戦略的被害を日本はこうむったわけである。

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      これに似たいまだに状況が続いている。

      日本のハイテク技術が海外に多くの失業技術者を介して漏れ出ている事実である。

      不況と共に解雇された日本企業の熟練技術者は、海外企業にスカウトされ続々と海外に流れ続けているということである。

      この結果大方のハイテク技術はまたたく間に国際的な競争力を失ってしまった。

      日本企業は従来からこうした技術者を優遇しないし、必然的にこうした流れが生まれる素地があるといえる。


      日本企業に勢いがあって、世界に誇る独自のハイテク技術として脚光を浴びているとき世間では可笑しな風潮が蔓延していた。

      「プロジェクトX」という番組があって、日本企業の技術開発の現場がやたらと露呈されたのである。

      企業は己の成功に奢って、それこそ自慢げにハイテク技術の開発過程を競うように美談さながらの口調で詳細に解説したのである。

      私などはこれを見て、「こいつら馬鹿じゃないの」と思っていた。

      自らシビアなハイテク技術の開発現場を晒す馬鹿がいるのに驚き半分、自慢げに手の内をひけらかす様子には本当に呆れ返ってしまった。

      この辺りの日本企業の経営感覚が何とも不可解である。

      欧米人にはない、日本人特有の奢り、高ぶりが齎す大らかさとでもいうのであろうか。



      その結果はどうか。

      当時ハイテク技術を謳歌して、「プロジェクトX」で穂とめいていた日本企業の現在の状況はどうなったか。

      そして日本の華々しかった産業の米とまで持て囃されていた半導体の業界はどうなったのか。

      我が世の春を謳歌しくさったハイテク企業の株価はどう推移していったのか。


      「アクタン・ゼロ」というか、まさしくスカタン・ゼロというところであろう。













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        2015年12月08日

        カリン酒をつくるなら今でしょ

        喉にいい、カリンを酒に漬けました



        例年通り今年もカリン酒を作ることにしました。

        知り合いの92歳のおばあさんに聞いて、カリン酒がとても喉によいということだったので11月に山までカリンを採りに行ってきました。





        RIMG1961 

















        1月近く置いておいたのですが、すこし黄色くなってきたのでいよいよカリンを漬けることにしました。

        カリンの香りはとてもよいです。
        ただしその実は硬く、今回も漬け込む前に切り分けたのですがその硬いこと硬いこと。

        最初は果物ナイフを使おうとしたのですが、歯が立たず出刃包丁で切り割りました。

        カボチャよりも硬いわけで、これだととても女性の手には負えない硬さだと思いました。

        カリンの実は、割と重いので色づく前に地面に落ちてしまいます。

        これが頭を直撃したら大変です。




        RIMG1962 
















        普通のミカンと大きさを比較したところです。

        表面は油っぽくてぬるぬるした不思議な感触があります。

        ちょうど表面にワセリンを塗ったような感じです。

        手に持っても表面がすべるので、注意しないと取り落としてしまいます。






        RIMG1963 














        カリンの木の高さは4,5メートルあります。

        木の真下にいて、そこへカリンの実が頭に落ちればやはり危険だと思います。

        カリンの木をゆさゆさ揺するとぼとっと落下してきます。


        色づくとすっかり黄色になります。





        RIMG1967 















        カリンの木は観賞用に植えられていることが多く、今回のようにカリン酒などにして食用に使うことは当地では余りありません。

        果実が活用されることもなく果実は土に還っていくのがほとんどです。

        これまで市販されているのを見たことがありません。

        本当にもったいないことです。






        RIMG1964 















        ということで、カリン酒の仕込が完了しました。

        ホワイトリカー、あるいはブランデーとそれに氷砂糖を入れておきます。

        1年も経過すればとてもまろやかな味に仕上がります。


        ただカリンの種子には梅の実同様に毒性のあるアミグダリンが含まれています。


        未熟な果実の場合は、そのままでは食用には向きませんので注意が必要です。





        参考:ウィキペディアの記述


        特徴
        原産は中国東部で、日本への伝来時期は不明。花期は3月〜5月頃で、5枚の花弁からなる白やピンク色の花を咲かせる。葉は互生し倒卵形ないし楕円状卵形、長さ3〜8cm、先は尖り基部は円く、縁に細鋸歯がある。

        未熟な実は表面に褐色の綿状の毛が密生する。成熟した果実は楕円形をしており黄色で大型、トリテルペン化合物による芳しい香りがする。10〜11月に収穫される。実には果糖、ビタミンC、リンゴ酸、クエン酸、タンニン、アミグダリンなどを含む。適湿地でよく育ち、耐寒性がある。


        花・果実とも楽しめ、さらに新緑・紅葉が非常に美しいため家庭果樹として最適である。語呂合わせで「金は貸すが借りない」の縁起を担ぎ庭の表にカリンを植え、裏にカシノキ を植えると商売繁盛に良いとも言われる。


        薬用

        果実は生薬名を和木瓜。
        古くから民間療法でのどの炎症を抑える、咳止め、利尿に利用。
        種子に含まれるアミグダリン が加水分解した成分ベンズアルデヒド が、咳止効果[要出典 ](ただし、アミグダリンは加水分解により猛毒のシアン化水素 も発生するため、国立健康・栄養研究所 などが注意を呼びかけている 。)




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          posted by モモちゃん at 19:31| 現場を見る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする