2016年01月30日

たかが「へ」、されどここは「へ」なんです

何故か「へ」が出ないのです!?

30年ほど以前にワープロ(OASYS)を操作する際には、日本語入力に「親指シフトキー」を使っていました。

それは日本語入力には最適だったからです。

通常のキーボードを使うよりは、日本語入力に特化したこの専用キーボードはとても便利で使いやすいものでした。

最初は通常のキーボードでもブラインドタッチに挑戦してみたのですが、思ったほど素早く使いこなせなかったのです。

文書作成もそのうちパソコンに移行しましたが、ここでもやはり「親指シフトキー」の利便さには及びませんでした。

その後もパソコン入力でも通常キーボードの配列を変換ソフトを使って変更してどうにか日本語入力を行っていたのですが、いつの間にか通常のローマ字変換の入力にもどってしまっていました。

「親指シフトキー」のある専用キーボードとは、日本語キーボードではやはり使い勝手が違っていたからです。

今回、パソコン専用の親指シフトキーボード(富士通 親指シフトキーボード KB611)を入手しましたので、再度この日本語入力に特化したボードを活用することにしました。


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このキーボードを正常に使うにはこれに合ったドライバをパソコンにセットしなくてはなりません。

ネットで調べていたら「親指の友」というフリーソフトが、このKB611のドライバになるということでしたので早速インストールしてみました。

ドライバをインストールして再起動すると、日本語入力がシフトキーでうまくかな文字入力できます。

これはいいぞと思っていたところが、あれれ、「へ」がおかしいぞ!?

「へ」の入力のはずが、何故か画面上には「¥」が表示されてしまいます。

何度やっても「へ」が「¥」になります。

「へ」がどうしても出ないのです。

おかしい?「へ」だけが何度やっても入力できない。

そこでパソコンを再起動してみました。

おっ、今度は正しく「へ」が「へ」と正常に表示されます。

うまくいったと思った瞬間、今度は確定実行キーがまったく働きません。

かな文字がうまく入力できてもこれでは文章の確定操作ができません。

どうやら組み込んだドライバに不具合があるようです。



これはまずいということで再度KB611キーボードのドライバを検索したところ、今度は富士通の製品サイトに専用ドライバがあることがわかりました。

もとより富士通製には富士通製のドライバがベストだろうということで、さっそくダウンロードしてパソコンにインストールしました。



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何のことはありません。

最初からこの富士通の専用ドライバを使えばよかったのです。

さらに言えば、富士通の親指シフトキーボードを完全に作動させるにはOASYSまたはjapanistという富士通の日本語変換ソフトが必要なのですが、いまのところ使い慣れた別の日本語変換ソフトを使っています。

というわけで富士通の日本語変換ソフトを新たに使うかどうか、いまだに決めかねているところです。
















denden 














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ラベル:日本語入力
posted by モモちゃん at 12:39| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月27日

キリシタン王国計画に真田幸村の旧臣が挑んだ

いま削除しておきたいキリスト教文化遺産群とは何か?

学校では教えられない九州歴史発見シリーズ
いまさら歴史認識がどうした?

島原の大乱「第二次キリシタン王国建設計画」の核心に迫る

最強のカルト武装集団
(傭兵部隊)を真田の旧臣が練兵した



東洋医学史研究会
宇田明男



●天草四郎の掲げたキリシタン王国建設計画とコンフリア

天草島原のキリシタン信徒による当時の宗教的コンフラリア組織は上下関係が厳しく守られ、その過程において実質的には村々を結ぶ軍事的ネットワークを徐々に形成していたといっても過言ではなかった。

もとよりコンフラリア組織そのものには相互扶助という宗教的兄弟愛が根底にあったが、常に強固な集団的連携が要求されるものであった。

それがコンフラリア内の最も重要視されていた掟であり、そこがキリシタン信徒の間で共有される一種の宗教的イニシエーション【initiation:通過儀礼】でもあった。

 (注)コンフラリアの掟:「拷問や侮辱などあらゆる苦難に耐え、強固な信仰を示せば救済される」(ジェロニモ・ロドリゲス作成「組ないしコンフラリアに関する覚書」より引用)

コンフラリア組織が行う練兵の中心には、常に組織の組親である土着した武士集団が指導的立場に居たことになる。

少なくともこの背景には戦闘経験のあった当時の小西や有馬の旧家臣や浪人らが深く関わっており、組織的な戦闘能力を意識した上で当初よりある種の軍事的目論みを指向していたことは否定できないであろう。

しかも彼らの間にはキリシタン信徒特有の厳しい掟の基に、次第に大きな共同体形成の意識が高まっていった。

それが彼らが目指していた「キリシタン王国建設」であったのだ。


九州におけるhata「キリシタン王国建設」の野望は、かって豊後のキリシタン大名であった大友宗麟が最初に計画したものであり、第一次のそれは宗麟の死によって挫折してしまってはいたが、その後もその理念だけはキリシタン信徒に代々受け継がれてきていた。

天草や島原にあっては古くからキリシタン文化に触れてきた特異な風土性はもとより、キリシタンである小西や有馬の旧家臣との融合は新たに強固なキリシタン王国建設へと変貌していった。

キリシタンのコンフラリヤを核としたこの地の傭兵組織はそこから発生していった。

もとはといえば村落単位での広がり方を見せていたものであった。

当時の身分制度が定まる以前、秀吉の刀狩りが実施される以前は農耕に従事する百姓であっても実質戦闘要員として戦に参加した。

戦場では兵として駆り出されてもいたから、領民の中にも実戦経験のある者も少なからずいたことになる。

当然そこにはコンフラリヤ内の自衛的武装組織という仲間意識もあったであろう。

練兵を兼ねた連携組織が領内の村々に確実に構築されていったことで、土着の武士集団はそこから何らかの野望を抱くことで、キリシタン王国そのものが一段と現実味を帯びてきていたはずである。

彼らは、武力で為政者に対抗できると考えていた。

そうした目論見の中心にあったのが、このキリシタンの強固な傭兵組織の存在である。

宗教的連帯と軍事的組織の形成は、この時代にあっては当然のこととして信徒らに受け入れられていた。

キリシタンである彼らは常に時の為政者に監視され、迫害される立場に置かれていた。

いつ彼らに過酷な宗教的弾圧が加えられるか分からない逼迫した状況下に置かれてもいた。

為政者による宗教的迫害が続けば、領民の不満が高まりいずれ何らかの騒擾状態が発生するであろうことは当然予想されたわけである。

皮肉にも為政者による禁教や迫害が、これらの地域のコンフラリヤの連携と結束とを後押ししていった。

それを裏で利用しながら、領内での反乱を画策する勢力が存在していたとしても何ら不思議ではあるまい。

しかも彼らは短期間に事を構えたわけではなかった。

じっくりと長い年数を掛けて幾度もそうした綿密な談合をコンフラリヤ内で重ねていきながら、用意周到のうちに大規模な反乱計画を企てていたといえるだろう。

すべては偶発ではなく、以前よりきな臭い火種がくすぶっていただけのことである。

まさにここにきて、長崎代官村山等安や千々石ミゲルがもっとも恐れた最悪の事態がついに出来してしまったというべきなのかもしれない。


反乱の首謀者であった益田甚兵衛・四郎(天草四郎時貞)親子や彼らと連携する島原の浪人集団は、こうしたキリシタンへの迫害への反感をうまく利用して多くの領民を言葉巧みに彼らのコンフラリヤ組織へと誘い込んでいった。

益田甚兵衛は息子の四郎を早くに長崎に留学させていたし、そこではもっぱらキリシタンとしての教義を身に付けさせていた。

キリシタン弾圧、禁教の時代であっても彼らは時を窺い、したたかに策を練っていた。

その手始めとして、農民階層のキリシタン信徒を彼らの方へと引き寄せていくあらゆる情報操作の手立てが用意されていった。

そこには始めから用意された彼らの戦略そのものが存在していたというべきである。

しかもその戦略自体には巧妙に信徒を惹き付ける南蛮の手法(手品・演出・預言)が取り入れられ、各地ではコンフラリヤ組織を通じて巧みに喧伝されていった。

そこに若い天草四郎を彼らの盟主として仰ぐという流れが、浪人集団を中心にして次第に作られてもいった。

是が非でもキリシタン信徒を一つにする奇策として、何らかの奇跡そのものがこのとき必要であった。

当然、若輩の天草四郎さえもここでは彼らに操られていたとみるべきであろう。

言い換えれば、天草四郎に信徒らが望むようなカリスマ性を持たせていく以前に、すでにそうした反乱計画そのものが用意されていたということになる。

当初より天草四郎本人に大きな野望があったわけではなく、彼の才知に目を付けた浪人集団が巧みに演出して宗教的カリスマ性を創り出していったということである。

密かに騒擾を画策する側からみれば、領民が苛政によって苦しめられ追い詰められるほどに、彼らにとってはより好都合な状況が出てくることになる。

領民の練兵は日々怠り無く、さらに必要な武器弾薬の秘匿も領内各地で計画通り進められてきていた。(練兵の実態については後述する)

そうしたいくつもの作戦行動が練られていたと云うことであって、後はそれに小さな火種さえあれば事足りる情況下にあったということだ。

そしてついには一つの騒乱が引き金となって、領内にたちまち反乱の炎が吹き上がった。

勃発と同時に反乱軍の中心勢力である浪人集団(組親)によって迫害されていた領内のキリシタン信徒が巧妙に誘い込まれ、各地で組織的に次々と加担させられていったのである。

キリシタン信徒のコンフラリヤが最大限に活用された瞬間でもあった。

こうした流自体が、すべて最初から巧妙に仕組まれていた。



●日本最強の鉄砲軍団の登場とその背景

反乱勢の中心勢力は、それと分かる戦慣れした武士たちが頭として名を連ねている。

反乱勢に実戦経験豊富な浪人集団がいたことや戦闘員が鉄砲の扱いに手馴れていたことは確かであるが、それにしても何故にこれほどまでに彼らは圧倒的戦力を保持していたのであろうか。

まずその軍勢の規模を考えただけでも不思議ではあるまいか。

しかもこの後に続く城攻めの緒戦だけでなく、海岸沿いの廃城に篭って3ヶ月以上も激しい戦闘を続けられる弾薬の備蓄量そのものを考えたとき、それが半端ではないことが容易に理解できるはずである。

何故に貧農集団に大量の鉄砲弾薬が用意できたのか。

さらに反乱勢は目敏く藩内の武器倉も襲撃し500丁の鉄砲弾薬を強奪していた。

何故に弱小大名の武器倉に大量の鉄砲があったのか。

反乱勢側の戦闘員の多くは鉄砲射撃に習熟しており、城塞から狙いを外さずに驚くべき正確さで敵兵を次々と狙撃していった。

圧倒的な鉄砲射撃の戦法はどこから来たのか。

そして一体、誰がこのような戦闘力の高い武装集団をどこでどのように練兵してきていたのか。

これこそ島原・天草の乱の大きな謎ともいえるだろうが、これらの装備の多くはイエズス会が日本を離れるときに残していった遺産ともいうべき戦略物資であり、数千丁の鉄砲弾薬などの大量の軍事物資が以前より各地に秘匿温存されていたのである。

これらは隠蔽しがたい事実であるが、歴史認識の問題もあって現代でももっともタブー視される部分でもある。

というのはその背後に忌まわしい戦国の奴隷貿易が隠されているからに他ならない。

奴隷取引には触れられたくないというわけである。


鉄砲には当然弾薬が必要であって、それこそ鉄砲だけでは使い物にはならない。

弾薬も鉛玉も海外からの輸入に頼らざるを得なかった。

篭城した原城自体が火薬の生成に関連した施設を有していたわけで、もとより反乱勢はその火薬生成技術にも精通する者たちがいた。

一体これはどういうことであろうか。

それまでも天草や島原の土地では早くにキリスト教の布教が始まったこともあって、宣教師やポルトガルの商船が頻繁に島原の口之津や天草の港に渡来してきていた。

この地は総じて肥沃ではなかったが、大村や有馬の大名は南蛮との交易によって莫大な物品輸入税を手にして財政が潤った時期があった。

こうしたこともあって、領内では過剰なほどの軍事投資が行われていた。

当然そこではキリシタン勢力による奴隷を対価にした取引も行われており、その結果として皮肉な展開であるがそうした海外交易によって領内での鉄砲の普及も急速に進んでいった。


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しかも領内では新兵器である鉄砲の製造も独自に進められていた。

海外から火薬の原料である硝石と鉛さえ入手できれば、他の硫黄などの原料は近くの雲仙岳周辺からそれこそ無尽蔵に確保できたことから武器としての鉄砲はこの地では身近にあったことになる。

港近くの硝石の集積地(原城周辺)では火薬の生成作業も行われており、早い時期から領内に実質的な火薬供給の拠点も持っていた。

まさにこの土地特有の地政学的背景として、少なからずそうした最新の鉄砲と軍事物資の弾薬の生成蓄積がされていたのである。

また一方では有馬氏の転封の際に改宗して異教徒となった主君に従わず、地元にそのまま浪人として残ったキリシタンの旧家臣団も各地にそのまま点在していた。

戦国時代を生き残った彼らの中には、反乱軍の森宗意軒のように当時の西洋に留学した者もいて南蛮の兵法や軍制にも広く通じていた。


森宗意軒は天草島原の乱の指導者の一人であるが、かって小西行長に仕え貨物船の宰領になったおり、その船が洋上で難波した。

その際偶然にも南蛮船に助けられたが、そのままオランダに渡航して西欧の外科療治を学んだという経歴を持つ武士であった。

帰国後は高野山のふもとに隠棲していたが、大坂の乱で真田幸村に従って徳川方と戦った。

その後は九州の天草に落ちのび、森宗意軒と名乗るようになったという伝説的人物でもある。

彼によって、反乱時には奇しくも西洋式の戦法と真田の巧みな戦法とが原城での戦いで実践されたことになる。

それは、限られた戦闘員で最大限の戦力を発揮するという戦法であって、籠城とはいえ最後までよく大軍に耐えた戦い振りをみせつけた。

浪人集団が最後までそうした戦闘の指揮を執ったのだ。

この地は九州の僻地ではあったが、逸早く海外との交易が開け逸早く南蛮キリスト教諸国に目を向けていたことも認識しておかなくてはならない。

この土地の土豪や農民らは、村落で連携しながら慣例として日頃から田畑を荒らすイノシシや猿、鹿などの害獣を巧みに鉄砲で討ち獲っていた。

その際などは田畑を害獣から守るという名目で、領内の農民には藩からも鉄砲が貸し出されていたというから驚きである。

それこそ村々には鉄砲を扱い慣れた射撃名人がぞろぞろいたわけである。

しかも集団での鉄砲連射にも腕を磨いていた。


そうした領民らを旧家臣団が支援する形で組織的に活動していたのであるが、その規模と機動力のある戦闘能力から見れば彼らは鉄砲を装備した当時日本最強の武装集団の様相を呈していたといえる状況にあったことになる。

これについて作家司馬遼太郎がその著書で触れている。

司馬遼太郎「街道をゆく十七」朝日新聞社・より引用――「なにしろ島原という土地は戦国の強豪有馬氏の旧領だけに、百姓でも鉄砲をよくする者が多かった。なかでも三会村(みえむら)の猟師で懸針(さげばり)金作という射撃の名手も籠城していた。さらにいえば鉄砲鍛冶の数も多く、また火薬や火縄をつくることに多くの者が長じていた。その点、戦闘力からいって、江戸期の他の農民一揆とはくらべものにならない。」――引用終わり)

天草島原の反乱勢の農民や領民が、その戦闘力について自らそうした認識を持っていたかどうかは分からないが、彼らの背後にいる浪人らの狙いはそこにあったといえるだろう。

当時もこの事実はほとんど外部には知られていなかったであろうし、現代でも九州地方に日本でも最強の鉄砲集団が存在していたという歴史的評価を下す学者もまず皆無である。

興味深いことは、反乱勢そのものが国人衆や土豪、地侍たちの結合した集団ということで、これは従来の紀州の根来衆や雑賀衆といった鉄砲集団と似ている部分があるわけで、特に集団による鉄砲を駆使した戦闘法を得意とする点ではまったく同じであった。

そこに宗教的コンフラリア組織が大いに機能したのである。

そうした連携はコンフラリアの掟を厳守する特定の徒門集団が核となって組織化されていたわけで、そこにも行動形態としての類似点があることになる。

しかもこの地では宣教師による宣教事業として、当初よりキリシタン信徒による傭兵軍団の組織化が練られていたのも事実であるから、十分に下地は造られていたということにはなろう。

これは近代に見られるヨーロッパの軍隊組織に近いものか、あるいは傭兵団組織の原型ともいえるものであって、当時の日本でも特異な武装形態であったであろう。

たとえ身近に大量の鉄砲弾薬があったとしても、それを縦横に駆使して戦うだけの技量を持った戦闘員が揃っていなければ、こうした組織化された反乱行動までには繋がらなかったはずである。

もとより反乱を主導した鉄砲軍団そのものがこの地において短時日に形成されていたとはどうしても思えないわけで、そうした用意周到な反乱計画そのものが綿密に練られていたことは想像に難くないところである。

こうして第二次キリシタン王国建設の火ぶたは切られたのである。

彼らのうちに組織的な戦闘体勢が備わっていなければ、これだけの規模の反乱を企てることも、広範囲に連携した一斉蜂起も出来なかったことは確かであろう。

そのもう一つの重要な核となったものが、この領国にはかってより大量の鉄砲と火薬そのものの備蓄があったことである。

この地の「火種」とはまさしくこれである。





削除されなければこの稿続く









参考資料:
「近代資本主義の成立と 奴隷貿易―――― A 教皇文書と新大陸での実態の吟味 カトリック教会は奴隷貿易を容認したのではないのか」 西山俊彦 2003 カトリック社会問題研究所 『福音と社会』 211
「近代資本主義の成立と奴隷貿易―――― B 教皇文書と新大陸での実態の吟味(2) キリスト教化は奴隷化の方便ではなかったか」 西山 俊彦著 2004 カトリック社会問題研究所 『福音と社会』 第 212 号
読売新聞:2004年8月7日〜9月18日号・「九州こだわり歴史考・棄教の果て」
「歴史研究」 新人物往来社 ・特集:島原の乱の謎 第322号 1988年
「完訳フロイス日本史」(中公文庫) ルイス フロイス (著) 松田 毅一 (翻訳) 川崎 桃太 (翻訳) 全12巻
 1 織田信長篇T「将軍義輝の最期および自由都市堺」(中公文庫,2000年1月)
 2 織田信長編U「信長とフロイス」(中公文庫,2000年2月)
 3 織田信長篇V「安土城と本能寺の変」(中公文庫,2000年3月)
 4 豊臣秀吉篇T「秀吉の天下統一と高山右近の追放」(中公文庫,2000年4月)
 5 豊臣秀吉篇U「暴君秀吉の野望」(中公文庫,2000年5月)
 6 大友宗麟篇T「ザビエルの来日と初期の布教活動」(中公文庫,2000年6月)
 7 大友宗麟篇U「宗麟の改宗と島津侵攻」(中公文庫,2000年7月)
 8 大友宗麟篇V「宗麟の死と嫡子吉統の背教」(中公文庫,2000年8月)
 9 大村純忠・有馬晴信篇T「島原・五島・天草・長崎布教の苦難」(中公文庫,2000年9月)
10 大村純忠・有馬晴信篇U「大村・竜造寺の戦いと有馬晴信の改宗」(中公文庫,2000年10月)
11 大村純忠・有馬晴信篇V「黒田官兵衛の改宗と少年使節の帰国」(中公文庫,2000年11月)
12 大村純忠・有馬晴信篇W「キリシタン弾圧と信仰の決意」(中公文庫,2000年12月)

「村山当安に関するヨーロッパの史料」アルバレス・タラドゥリース(著) 佐久間正(訳)
「キリシタンの世紀―ザビエル渡日から「鎖国」まで」高瀬 弘一郎 (著)  岩波書店 1993
「福者フランシスコ・モラーレスO.P.書簡・報告」ホセ・デルガード・ガルシーア編注、佐久間正訳キリシタン文化研究会、1972年
「キリシタン時代の貿易と外交」 著者: 高瀬弘一郎
「看羊録―朝鮮儒者の日本抑留記」 (東洋文庫 440)姜 (著)  朴 鐘鳴 (翻訳)
「村山等安とその末裔」(自費出版)村山トシ (著) 1993
「 日本切支丹宗門史」レオン・パジェス著  クリセル神父校閲 吉田小五郎訳 岩波文庫 昭和13年
「細川藩史料による天草・島原の乱」戸田敏夫(著) 新人物往来社 1988
「イエズス会による対日軍事力行使をめぐる諸問題」 高橋裕史 2006
「坂口安吾全集 03」筑摩書房 1999号
「日本及び中国におけるイエズス会の布教方策 −ヴァリニャーノの「適応主義」をめぐって− 55 アジア・キリスト教・多元性」 現代キリスト教思想研究会 第3 号 2005 狹間芳樹著
「近世日本潜伏キリシタンの信仰共同体と生活共同体」 大橋幸泰著











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ラベル:真田幸村
posted by モモちゃん at 00:11| 江戸時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月25日

映画の殺陣は単なるアクションとは違う

映像の中の殺陣とは

映画のアクションシーンといえば殺陣だが、いかにそれらしく見せるかという工夫がとてもおもしろい。

そうあって欲しいという部分がって、名優はやはりそれらしく演じ切ってみせる。

そこでは間合いと、体さばきがとても大きな働きをする。

汗を吹き出すでもなく、呼吸が乱れるでもなく、何やら迫真の演技が演じられるところに映画の演出の面白みがある。





ジェットリー アクション まとめ

 





ジェットリー対倉田保昭

 






座頭市 勝新 VS 近衛十四郎

 






座頭市 勝新太郎 殺陣 Zatoichi.Shintaro Katsu.

 






居合切り











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ラベル:殺陣
posted by モモちゃん at 16:34| 現場を見る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月21日

日本には破壊された古代の風水遺跡がある

中国:多数の地方幹部が風水信じて治水工事を行い処分される(2016.01.20
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中国では風水や占いなどで、新庁舎などの党・政府の建設プロジェクトの規模
や開始時期などを決める幹部が続出しており、「職権を乱用して封建的迷信活動
を行い、党や政府に多大な損害を与えた」として多数の幹部が処分されているこ
とが分かった。



日本のストーンサークルの謎を解く!?

神籠石って、本当に朝鮮式山城なの?
何故、破壊されていったの?


東洋医学史研究会
宇田明男




●神籠石列石とは一体何か?
福岡県久留米市の東方にある高良山高良大社には有名な古代の神籠石がある。


高良山の南側の約1,500メートルにわたり約1,300個の列石が確認されているが、もとは北側にも同様に列石があったと推定されている。


一部にしか残されていないということは、後世破壊されるような状況が出ていたということである。



kougo






















破壊されたというより、そこから列石が次々と持ち去られ石材として転用されたということである。


古代の重要な遺物が何故に破壊されたのであろうか?


 神籠石は、福岡県みやま市瀬高町の女山にも同様の大規模な列石が残されている。


神籠石といわれる1m内外のほぼ長方形の石材は、隣の高田町の竹飯の山から切り出され女山の上まで運び上げられたものである。


これらの石材は山の中腹を列石状に取り巻く形で3キロほど整然と並べられており、その規模は九州最大で、これまで列石750個が確認されている。


離れた場所より、大きな石材が人力で延々と運ばれて、このような大規模な列石群が構築された理由とは一体何であろうか。


そしてその背後にある構築に至るエネルギーとは一体どこから生じたのであろうか?


神籠石列石の起源については、定説では白村江(663年)の戦い以降、大和王権によって急遽構築された防衛目的の山城といわれている。


唐新羅連合軍に大敗した倭国が大慌てで構築したものとされているようだが、そのような取って付けた様な辻褄あわせの定説にたいしてはどうしても腑に落ちない部分がある。


当時の北部九州全体が切迫した臨戦態勢状態にありながら、短期間にこれだけ大規模に、それも石材を1つづつ丁寧に加工してまでして延々と列石を並べたというのはまずもって不可解というべきだろう。


いまにも屈強な敵兵が大挙して攻めてくるという緊迫した状況下にあって、軍事基地の要所とされるその山城の工事現場において悠長に切石を1つづつ加工し形を整える余裕があったというのであろうか?


いやむしろおかしいのは、迎え撃つ側が最初からそうした草木の生い茂る山中がその主戦場となるとして決めてかかっていること自体まったくもって不可解というべきであろう。


それこそ防戦一方ということで、始めから貧弱な山城に逃げ込んでの篭城戦をまともに考えていたのかということになる。


そのような想定が定説として大っぴらに通用すること自体、大いに笑える話ではないか。




それだけではない。北部九州各地に点在する神籠石が、列石1段1列という単純な構造では戦闘用の防塁だとしても、これ自体余りにも貧弱で簡略過ぎて話にならない。


それでいて各切石の接合面もぴったりと合うように調整施工されている丁寧さが、どうしても気になって仕方がない。


列石の上部に固めた土を板状に重ねてすっかり土中に埋めて込んでしまう土塁の基礎構造物であれば、個々の切石の形をあれほど丁寧に加工する必要はなかったのではないか。


そのように考えると、当初から外部に露出したままの列石そのものが本来の神籠石の姿ではなかったのではないかと推測されてくるわけである。



列石の規模を水平方向に長く延長していく、それも数キロから数百メートルにもわたって山腹を大掛かりに取り巻くといった列石の形状は、いわゆる実戦的な朝鮮式山城の構造とは本質的に異なるのではないだろうか。


防塁や城砦にしては、列石の横方向の規模が余りにも長過ぎる。
自ら防戦ラインを山腹全体にまで平面的に延ばしてしまってどうするのだということだ。


防戦目的の防塁なら、もっと上方向に石組みを積み上げて城壁そのものを構築すべきだろう。


神籠石列石というように、その構造自体は平面的に切石が帯状(横方向)に並べられたものであって、積み重ねられた石垣が主体の立体的な城砦構造物ではないということにより注目すべきであろう。


もっとも、単純に強固な防塁壁、城砦とはいえないところが、いまだに神籠石列石の評価を惑わす理由になっていることは否めないところである。


形だけの防塁列石だといえば、一応そのようにもみえる。


何らかの仕切り石、境界線ともとれる単純な構造なのだ。


このあたりを考えていくと、九州の神籠石の機能目的は別のところにあったのかも知れないし、その構築時期についても定説よりはるかに古く、その時期は弥生時代まで遡るのではないかとも考えられる。



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もっと厳密にいえば、神籠石列石そのものは大和政権下ではなく、古代九州王朝が独自の風水によって構築したものであり、それも軍事的な一種の防衛ラインを想定した祭祀性の強い構造物ではなかったかと当方は想定している。




●古代風水術の影響を考える
古代中国から伝わった風水自体は人工的構造物を適切に配置して、王城や居住地の地気、龍脈の流れを整える古代の高度な土木技術とされる。


多分に道教的影響があるのであるが、特徴的なことはこの風水術では短期間の突貫工事的発想はまったく通用しないことである。


王朝の命運をも左右するということで、風水術を実際に実施するには相当期間の準備作業が必要とさ、厳密かつ精緻な作業工程があった。
現代人には理解できないであろうが、古代の風水術は国事に直結した重要事項であった。


かって秦の始皇帝の時代、万里の長城を構築する際に誤って防衛ライン上の重要な大地の龍脈を破壊したため処刑された将軍がいたほどである。



大地には地脈ともいうべき龍脈が走っていて、その流れを調整することによって磐石の王都防衛ラインを構築することが出来ると信じられていた。


古代中国の歴代の王都建設には、すべてこの風水術が施されていた。
大陸側と交流を持つ当時の為政者がそうした風水をまったく知らなかったとはいえまい。


むしろ大陸文化の影響下にあった古代九州王朝は逸早くそれを見習ったということなのだ。


風水術の発想からみれば、九州の神籠石列石群は重要な王宮などを守る防衛施設であった可能性が浮かび上がってくる。


それらがすべて軍事的な王都防衛ラインと考えると、神籠石列石の本来の規模は現在残されているものの3,4倍以上はあったのではないかとも考えられる。


白村江の戦い以降、大和王権によって急遽構築された防衛目的の山城といわれている神籠石列石は、その時点を機にしてまったく逆の軍事的理由によって破壊転用され始めたとも考えられるのである。


つまり神籠石列石の転用によって構築されたのが後の朝鮮式山城というわけである。


朝鮮式山城の切石が神籠石列石の転用であれば、混同されても致し方ないというところであろうか。




●神籠石列石は誰が構築したのか?
風水術自体は壮大な古代の都市計画の根幹を支える軍事的な兵法として活用されたものであるが、為政者による古代の重要な方術として捉えることが出来る。


実際にそれを実施するにも強大な権力がなくてはならないはずである。
九州の地においてそれが出来る軍事的統率力を持っていたのは渡来系の物部氏である。


神籠石と物部氏に何らかの関連性があるとすれば、軍事的構築物という意味合いがより強くなってくる。


物部氏族は古代の北部九州において、その発祥の足跡をはっきりと残している。


北部九州の各地にその伝承遺跡がいくつも残されていることからみても、その当時強大な勢力圏を持っていたことが浮かび上がってくる。


物部氏族と神籠石列石との関連性は、ここで実際に九州の神籠石列石の所在地点と古代の物部氏族の根拠地とを重ねて比較検証すれば明白となる。



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(地図上のは神籠石の所在地・は新しい山城の所在地、1から16の各番号は古代物部氏族の根拠地を示す)


1.物部郷
2.物部布都神社
3.物部若宮神
4.筑紫聞物部
5.二田物部
6.二田物部
7.物部社
8.馬見物部
9.物部山国社
10.物部首古志売等
11.物部首猪手売
12.物部婢売
13.物部宿奈売
14.物部田中神
15.物部阿志賀野神
16.磯上物部神







神籠石の所在地と物部氏族の分布状況は、地図上で見る通りその位置関係が見事に合致している。


物部氏族は古代において軍事とその祭祀部門全般を司っており、常にその中心に位置していた大きな氏族集団であった。


ここでも古代の物部氏族と神籠石との関連性は、呪術や祭祀を通してより濃厚なものとなってくる。



むしろ物部氏族特有の軍事と祭祀性を背景にして神籠石列石が構築された可能性が高くなってくる。


列石そのものは、古代のは軍事上の防衛ラインであり、風水術による構造物であったということである。


そうであったから列石構造物は後世、次第に破壊されていったのである。




●神籠石列石は何故破壊されたのか
何故、重要な軍事的構造物である神籠石列石は 壊されていったのであろうか。


列石が造られた理由と同様に、ここでは破壊されていった理由も解き明かされなくては意味は無いであろう。


その理由は単純である。
後世、神籠石自体は、いわゆる「軍事的な防御機能」が次第に失われていってしまったであろうことは否定できない。


軍事的にも必要で無くなったのである。
単純な構造からいえば、始めからその「軍事的な防御機能」が希薄過ぎたとみるべきかも知れない。


これは軍事的、祭祀的な本来の機能目的が変化したことが背景にあるのではないか。


結果的にはある時期になって、神籠石列石は無用の長物となってしまったということである。


言い換えれば、付随していたであろうその祭祀性そのものの変遷によって、神籠石の本来の防御機能が失われるような事態が後世に出来したということである。




現代のわれわれが、神籠石本来の機能目的が一体何なのかという重要な部分が不明なのと同様に、古代においても神籠石列石は過去の遺物とみなされるようになってしまったということではないか


まず第一に、これだけ大規模な一連の列石構造物構築に関する経緯そのものが、肝心の記紀や史書に直接触れられていないのは不可解というべきだろう。


ここらは、銅鐸信仰と同様である。
それこそ神籠石列石は、後世の大和王権によって一部は山城構築に転用されるか破壊された可能性が高い。


もとより征圧した王権の防衛ライン(風水構造物)を保存維持する意味などないわけである。



神籠石列石は、次々と破壊され土木資材として転用されていった。


こうした後世の破壊や石材の転用がなかったら、神籠石列石は現存するものをはるかに超える大規模なものであった可能性も当然出てくるはずである。


それでなくても、後世神籠石は寺社建立や戦国時代の築城、河川の治水や土木工事用の石材としてさかんに持ち出され破壊が進んでいった。


もはやどこからみても軍事的に有用なものとは考えられなくなってしまっていたわけだ。


穿った見方をすれば、最初から軍事に活用できるような機能性をもった堅牢な構造物という認識を、後世の為政者はまったく持ち得なかった。
ただ、山中に点在する物部氏族の祭祀用の過去の巨石構造物でしかなかったのだ。


20世紀の戦後でさえ埋蔵文化財保護法制定以前は、開発に伴うこれらの神籠石列石の破壊行為や転用を止める手立てがなかったのは事実である。(地元郷土史家談)


神籠石列石そのものは、本来の姿どころか、そのほんの一部分が遺されているとしか言いようがない。


ましてや神籠石列石が防戦上の構造物などとは、現代でさえも考えにくいところである。




●神籠石のさらなる祭祀性を問う
神籠石列石は、古代の呪術が信奉されていた時代の遺物であろうことは、容易に察しがつくところである。


それは列石自体は古代のハードウェアであって、古代の呪術はソフトウェアという考え方である。


どちらか一方が欠落すると、まったくその機能目的が成立しないというのが工学的な捉え方ということになる。


肝心の古代のソフトウェアが分からなければ、どこまでいっても神籠石列石はただの石材でしかない。


だからここでは、神籠石列石を構築して運用した主体がどこの誰であるのかをまず問うべきだと考える。


その主役はもちろん古代北部九州の豪族、物部氏族であることは確かであろう。


古代より物部氏が軍事の棟梁として、軍神を祭っていた。
もとより城砦の構築、武具(もののぐ)の調達、武人(もののふ)の練兵や戦時の指揮も司った。


古代九州でさえも、いくつもの戦国時代を経てきている。


神籠石列石を考える上でも、そうした認識がどうやら欠落しているようである。


しかもここから先は文化人類学的考察を加味していくと、さらに面白い展開が出てくることになる。


古代の戦においても常に呪術は付きものであった。
戦には、戦のための呪術があって、出陣の際の儀式として祭祀も行われた。


これは後世の戦国時代であろうと、先の大戦の出陣式とて兵士らの戦意高揚の手立は同様である。


戦地に赴く覚悟と戦意、大和魂の注入が必須なのである。


まず兵士の頭数と武具とがすべて揃ったとしても、すぐに戦士として一撃必殺の戦闘力が備わるわけではない。


「もののふ」には肝心の「もののけ(武の気)」が体に憑かなければ本物の戦士にはならないのである。


勇敢に戦う戦意が、まず必要なのだ。もとより、腑抜けには戦は出来ないということだ。


こうした呪術や古代のシャーマニズムを背景として考えていかないと、単純にはこの古代遺跡の謎は解けてはこない。


戦時には、武人(もものふ)の体に武の気(鬼神)が憑くのである。


武の気が憑いているから、武人には敵対する相手を怯むこと無く殺傷するという戦意や勇猛さが戦闘力として備わるわけである。


この辺りの感覚は平和ボケのいまの現代人には分からないであろう。
平常心の人間にはやたら人は殺せないし、いきなり戦闘開始状態にはなれないのである。


どこかで頭のスイッチが切り替えられなくてはならないのである。


異常なアドレナリン充満の状態か、平常心を失うか、狂気のもとでなければ命の遣り取りを強いられる戦場には臨めないであろう。


今風にいえば軍事的、宗教的イニシエーションで洗脳されるか、専門の徹底した軍事教練が必要ということである。



現代の紛争地域の戦闘では、戦闘員に麻薬などの薬物も使われている。




●普遍的な古代呪術の背景を問う
「戦闘中は、兵隊はみな気違いになるとですよ。そげんならんと人は殺せんですよ」
と、軍隊で壮絶な白兵戦の経験のある老人から何度も聞かされたことがある。



多くのお年寄りと接する職業柄そうした戦時中の話を度々聞くのであるが、まさに鬼気迫る実体験ばかりである。


戦闘中は、兵士はまさしく鬼と化していたということである。


ここで逆の展開としていえることは、奮い立った武人も一旦その武の気(もののけ)が落ちてしまえば戦意はたちまち消え失せてしまうわけである。


古代においてそうした軍事に付随したシャーマニズム、呪術があったことは否定できない。


もののけを体に取り付かせたり、取り除いたりする戦時のシャーマニズムが古代世界には存在していたわけだ。


取りも直さずそれは、戦士も特定の神域に入れば、ものの気が落ちるという呪術も当たり前の事として信じられていた古代の一時期があったということである。


そうした祭祀性が背景にあったからこそ、呪術による大規模な神籠石列石が構築されたのだ。


むしろこうした祭祀性がなかったのであれば、大規模に列石が構築される理由もなかったのではないか。





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神籠石の列石で囲まれた領域は、そうしたおぞましいものの気を落とす特殊な防衛ラインとしての神域なのである。


一旦神域に踏み込めば、武人の体に憑いていたものの気が落ちてしまうという呪術特有の単純すぎる普遍的な考え方である。


それこそ古代の風水的、祭祀的防衛ラインそのものなのだ。


同じように古代中国では、「兵害を免れる」として、五月五日に五色の糸を肘に結ぶと「兵の鬼気(ものの気)を避ける」という道教的呪術があったことが知られている。


攻め込んでくる敵兵には死神が憑いていて鬼気(ものの気)を帯びていると考えられた。


そのようなとき身を守る呪術があれば敵には殺傷されることはないと信じられていた。


兵禍を避けるには、前もって決まった時に決まったことを呪術として手順通りにやっておくことが必要とされていた。


これが古代に通用した普遍的な呪術であり、古代の方術の基本的考え方なのだ。


これを古代の原始的な「呪能」信仰というのである。
これを現代人が笑うことは出来まい。


人間はその時代に応じて、普遍的に信じ込んでいる部分があるわけであって、誰もがそうした一見騙しにも似た事象にさえ単純に惑わされてしまうのである。


つまりこうした呪術が効力を発揮した時代の遺物という認識に立てば、神籠石列石そのものが決して後世7世紀の構造物であるはずもなく、さらには朝鮮式山城と特定してしまうことがいかに早計であるかが理解されてくるはずである。


古代には古代人の当然の理屈があるということである。


それがいかに単純であり、無意味なことであったとしても現代人が笑うことは出来ないのである。   















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2016年01月20日

いま明かされる「かぐや姫伝説」の真相

月には本当にかぐや姫が眠っていた


三島由紀夫の小説に、「美しい星」というSF小説がある。

SF小説といっても、たしかに三島由紀夫は決してそのスタイルからしてSF小説家として評価されていたわけではなかった。

それでもSF小説まがいの作品も手掛けていたことだけは確かである。

三島由紀夫は、「SF小説」は大人の童話だと言っていたという。


日本の古典文学にもSF小説がある。

かぐや姫が登場する「竹取物語」である。

SF小説好きの私もこの「竹取物語」を読むたびに、これこそが日本最古のSF小説だと思っている。

何度読んでも面白く、物語の設定がとても巧みである。





月の裏側に不可思議な建造物

 







月面で見つかった宇宙船

 







【衝撃】月の裏で発見された『かぐや姫』と呼ばれる宇宙人が謎すぎる・・・月の裏側に宇宙人の基地がある!?

 







【衝撃】月の裏側で発見された『かぐや姫』と呼ばれる宇宙人が謎すぎてヤバイ・・・アポロ20号がミイラを回収した

 













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2016年01月19日

愛犬は躾けられた方が断然幸せになる

愛犬の躾け方が分からない


飼い犬を躾けるには、やはり子犬の時期が最適です。

犬の散歩や食事、無駄吠え、噛みつきといった行動は早くに適切な躾が必要です。

愛犬と飼い主家族との関係でも、最初から上下関係をしっかり躾けていないと後からは制御できなくなってしまいます。

「動物だから」ということで飼い主が最初から出来ないと思いこんでしまいがちですが、根気よく反復して教え込んでいくと意外と躾が出来るようになります。

躾の方法はいろいろあって、それぞれ合ったやり方を試していくと応用が利くようです。

結果的には躾けられた方が、犬にとっても幸せなことが多いように思えます。

躾けておくと周りの人からも可愛がられますし、散歩中のトラブルも避けられます。

犬の場合、歯磨き習慣を早くに教え込んでおくと、健康状態が格段によくなります。






20140402 哈雷哈帝哈威哈樂一起飯前?告 標準型貴賓狗哈樂

 


クレイグ先生の犬のしつけダイジェスト

 


子犬のしつけや時期について

 


子犬のトイレトレーニングについて

 


子犬の噛み癖を直す方法について

 

















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2016年01月14日

昭和歌謡名曲エレキ演奏メドレー集

昭和の名曲をエレキで聴く


昭和の懐かしい名曲を巧みに演奏されているエレキインストさんの動画を見つけてきました。

ネット上にはギター名人が度々登場します。

そういう名人を探してくるという楽しみ方もあります。

これまた、カラオケに合わせて見事にエレキを演奏されています。

 どの名曲を聴いても懐かしさが一気に湧き上がります。
 





京のにわか雨 小柳ルミ子  エレキインスト

 








The Shinjuku breeding 新宿育ち エレキインスト

 









Sun of downtown 下町の太陽  倍賞千恵子 エレキインスト

 









Flamenco star 星のフラメンコ  西郷輝彦 エレキインスト

 








別れの予感 テレサ・テン Parting feeling ケ麗君 Teresa Teng

 








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2016年01月11日

電子レンジが武器になるという事実

誰でも電磁波過敏症を体験できます


別段電磁波過敏症でなくても、それなりに強い電磁波を被曝すれば人間はその影響を直に感じられるようです。

このことは実に興味深い事実ではないでしょうか。

電磁波過敏症




照射されるエネルギー量の問題であって、生体反応として電磁波エネルギーは十分に人体にも浸透して作用するようです。


これらの研究は軍事医学の分野でなされてきた経緯もあって、一般にはその実態はほとんど知られていませんが、電磁波エネルギーを使った兵器や暴徒鎮圧機器にも応用が広がってきています。


今後は、特定のエリア内への侵入を防ぐ強力な電磁波照射の防犯装置としての需要が出てくると思います。

電磁波はその特性として球形の物体に集中して働く(物理的エッグ現象)ことから、電磁波が頭そのものや眼球の大きさに波長が共振する可能性もあり、これによって脳や眼球に何らかの障害が出るのではないかと欧米では危惧されているのです。


その一方では電磁波ビーム(レーザー光線)を利用した
新世代兵器システムがすでに欧米では次々と開発され、ミサイル迎撃対艦船、対戦闘機攻撃用兵器として配備されつつあります。


さらに電磁波に関連した軍事技術を活用して、治安面でもこうした電磁波の特性を生かして人体に照射することによって相当なダメージを与え暴徒化した群集をまったく動けないように鎮圧制御することができるようになってきています。



【電磁波・放射線エネルギーの種類】
[低周波 → → → → → → → → → → → → → → →高周波]

電磁波過敏症
超長波長波中波 短波 マイクロ波ミリ波 赤外線可視光線 紫外線X線ガンマ線

[→・・・・・・ 電波」・・・・・←  →・・・・・・・・「光」・・ ←  → ・・・「放射線」・←]





Vehicle-Mounted Active Denial System (V-MADS)米軍の新しい非殺傷兵器「ADS」とは?













実際に対人放射型電磁波装置「Active Denial System」というのがあります。


特殊な反射型のアンテナでミリ波の電磁波エネルギービームを照射し、前方の暴徒などの敵性人物を一瞬にして制圧できる装置です。


「Active Denial System」は反乱暴徒といった敵性対象の生命を奪うものではなく、あくまでも「制圧・無力化」することに特化したシステムが実用化されています。


パラボラアンテナのような照射装置から目標に対して不可視のミリ波(電磁波)によるエネルギービームが掃射され、射程距離としては最長で500メートル先の対象者をすべて「制圧・無力化」できるということです。


付属するアンテナにはコンピュータによる自動目標追尾装置が搭載されており、対象物に的確な照準セットと連続照射を行うことができます。


電磁波の人体に及ぼす軍事医科学的研究から開発された「Active Denial System」は、実弾を使わないだけ人道的対人兵器というべきものかも知れませんが、奇しくも電磁波過敏症の症状と同じ状況が人体に見事に再現されるわけでここらは何とも複雑な感じがします。



中国でもついに脅威の電磁波兵器が開発された!


China's Poly Group unveils WB-1 directed-energy crowd-control weapon

 http://www.janes.com/article/46377/china-s-poly-group-unveils-wb-1-directed-energy-crowd-control-weapon

「The China Poly Group Corporation used the recent Airshow China 2014 to reveal its WB-1 millimeter-wave beam-projecting non-lethal anti-riot system. Similar to Raytheon's Active Denial System (ADS), the Poly WB-1 projects the millimeter-wave beam to heat water molecules just below the skin, resulting in intense pain. Chinese reports note that it has an effective range of 80 m but with increased power its range can be increased to 1 km.」

「中国ポリグループ公司は、WB-1ミリメートル波ビーム照射非致死的暴徒鎮圧システムを明らかにするために、最近の航空ショー「中国2014」で発表した。 レイセオンの鎮圧システム(ADS)と同様に、Poly WB-1は皮膚下の水分子を沸騰させるミリ波光線を発射し、激しい痛みを浴びせ掛ける。


中国の報告ではそれが80mの効果的範囲があることを力説しており、エネルギーを増加させた場合にはその範囲は1kmまで可能になる。」


このニュースはすごいインパクトがある。
ついに中国も本格的に電磁波兵器を投入してきたということだ。


電磁波エネルギーを攻撃目的、あるいは暴動鎮圧に活用する発想は電磁波エネルギーの軍事研究から出てきたものであるが、すべて軍事的機密事項であってその全容は明かされていない。


電磁波エネルギー(放射能も含めて)の生体に及ぼす影響は広範であって、これが明らかに対人兵器として攻撃用に使われだす時代が到来したということは、今後電磁波被曝を著しく拡大させる事態が出現するということに繋がる。


電磁波ビームが照射されれば、暴徒であろうと兵士であろうと一瞬にして相手を制圧することができる。

人体を構成する水分子が沸騰すれば火傷どころか、そのまま体全体が茹であがってしまう。


電磁波ビーム兵器は小型化されれば航空機にも搭載されるし、当初は艦船に設置してくることになろう。

制圧ビームが照射されれば、特定の海域にも近付けない事態も発生するはずである。






 










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posted by モモちゃん at 09:40| 歴史的瞬間 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月10日

名将真田幸村、戦国最後の戦いで散る

真田幸村は何故名将といわれるのか?


真田信繁は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけて活躍した名将である。

大坂の陣で豊臣方の武将として戦った。

大坂夏の陣では、3000の寡兵で徳川家康の本陣に突入し追い詰めたが、力及ばず反撃されこの戦いで討ち死にした。

敵将でありながら、後世に江戸幕府・諸大名家の各史料にその勇将振りが記録され武者としての生き様が称賛された。







歴史ミステリー 真田幸村はなぜ死を覚悟して突撃したのか?1







歴史ミステリー 真田幸村

 





その時歴史が動いた 「真田幸村 どん底からの挑戦 家康を追いつめた伝説の名将」 (2003年)

 






真田幸村 大阪夏の陣全貌 家康本陣突撃

 












denden 











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posted by モモちゃん at 15:01| 江戸時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月09日

流浪の民とジプシー音楽の夕べ

ロシア民謡の夕べ


「二つのギター」という作者不詳のロシア民謡があるが、バンドやその編曲によってそれぞれ曲想や趣が異なってくる。

テンポも違うしずいぶんとイメージそのものが変わってくる。

今回、「二つのギター」をいくつか選んでみた。





オーソドックスなロシア民謡:「二つのギター」









演奏:ザ・ムスタングの 「二つのギター」





北欧のバンドではザ・スプートニクスのものがよく知られているが、個人的にはこのムスタングのものが好きである。





 


Two Guitars - Russian Gypsy Music








演奏と唄:ユル・ブリンナー 「二つのギター」






ブリンナーの「二つのギター」には別に古典的な曲調のものもあるが、これがお勧めである。

彼は映画俳優になる以前は、13歳からパリでジプシー音楽をギター演奏し自らも歌っていた。


















denden 











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posted by モモちゃん at 18:14| 歴史探訪 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする