2016年05月31日

地球人最初の移住先は火星と決められている

人類火星移住計画は絵空事なのか?

遥か彼方の宇宙空間にある太陽系の第4惑星である火星の探索活動が続けられていますが、頻繁に異様な物体や生命体に類似した形状物が地表面で発見されてきているようです。

いまのところ画像が不鮮明なまま公開されているようで、はっきりと特定はできませんが、それでもどうやら火星には何らかの生物の痕跡があるようです。

おそらくここらは大きなプロジェクトを計画している国の戦略に関わる機密であろうと思われます。

むやみと、一般人に知らされることはないということです。

人類の火星移住計画もあるようで、生存に必要な水の確保や食物の生産活動のためのテラフォーミングの研究が進められています。




火星考古学 2: 火星の遺跡群でなかったら、何だ?言ってくれ!

 






【極秘】ソ連 有人火星周回飛行フィルム

 







第3の選択〜バランタインsテープ火星映像 Alternative3

 







サイエンスZERO 「驚異の大宇宙 火星改造!テラフォーミング最前線」

 






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posted by モモちゃん at 17:10| 歴史を先取り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月30日

東大の日本史入試問題にも挑戦してみませんか?

東大の日本史”の入試問題が巷で注目されている

それほどいい出題であれば、いっそのこと国会議員全員にも同様の模試でも受けさせて歴史を勉強させたらいいと思う。


東大の日本史”【問題】
1882〜1883(明治15〜16)年、伊藤博文らは、ドイツをはじめヨーロッパ諸国において、憲法や立憲的諸制度の調査にあたった。その際、彼等はしばしばドイツの政治家や学者などから、明治維新以来日本政府が進めてきた改革は余りに急進的であり、日本がいま立憲制度を取り入れようとするのは、必ずしも賢明なこととはいえない、とする忠告を受けたといわれる。
そこで、諸君が伊藤博文らの調査団に加わっていたと仮定し、上述のようなドイツ側の忠告に対して、日本として立憲政治を取り入れる必要があることを説明する文章を8行(記者注:240字)以内で記せ。(1989年度・第4問)
http://toyokeizai.net/articles/-/118992

何やら奇を衒ったような問題ではないか。

重箱の隅をつつくような知識を問うよりは、より今日的、かつグローバルな日本史問題に若い頭脳を試したらどうかとも思う。

東大の現代社会の問題などはどのような内容が出題されているのか興味ぶかいところである。



現行平和憲法で平和は守られるのか?

「シビリアンコントロールの致命的なところを500字以内で記せ」とか出されたら面白いと思う。


憲法でいう戦争放棄とは、即自衛権の放棄には繋がらないらしい。
実際に自衛隊があるわけだから、現状ではそう解釈せざるを得ないだろう。

戦争放棄とは、「戦争をしない」という国家的意思表示とともに「こちらから戦争を仕掛けない」という2つの意味が含まれるはずである。

ここが重要である。

われわれは他国の憲法の条文にはまったく関心がないのだが、本来日本国憲法は国家としての自衛権をも放棄しようという指向性を内在しているともいえよう。

そう解釈したいとする向きもある。

憲法は自国の行動原理であると同時に国家的都合をある意味表明している。

だから国民総意の下に制定されたとされる憲法の機能目的の範囲は、あくまでも「国家の都合」に限定されるはずである。

だからその範囲で戦争放棄しようとあれこれ議論しようとその国の勝手である。

当然そこで「国家的都合」で設定できる憲法上の「平和」自体も限定されるであろう。

なぜなら対外的な戦争は対戦国が存在するからだ。

もとより他国の「国家的都合」である戦闘行為を制限規定する力は「日本国憲法」にはない。

平和を守るということでは、ここにもう一つのファクターがあることになる。

「戦争をしない」「こちらから戦争を仕掛けない」という国家的理念と同時に、平和維持には「戦争を仕掛けられない態勢」という、いわゆる防衛という戦争抑止力にも対処する必要があることになる。

ここから専守防衛という考え方が出てくる。

侵略行為は他国の「国家的都合」である。

他国から「戦争を仕掛けられる」という他国の「国家的都合」に対しては、いかに平和憲法の権現であるところの日本国憲法といえどもまったく制御はできないということである。

日本国内の日本人の頭の中でしか平和の花は咲かないということである。

となると自称平和憲法だけで日本の平和が守られるとするのは、ある種の思い込みにも似た信仰心にも思えてくる。






My Cat Saved My Son

 



「My Cat Saved My Son」の場合は飼い猫であるから、これはさしずめ有事の自衛隊出動というところであろうが、だがこれにはシビリアンコントロールが効いていたようにはまったく思えない。

第一、自衛隊にはこうした攻撃に対して俊敏な対抗処置は取れないのであるから、たとえ話であるとしても犬の突然の攻撃に即猫の自衛隊が出動したなどとはここで表現するのには所詮無理があることになる。

犬の攻撃に対して、猫はその最初の一撃(足に一噛み)に素早く反応している。
早期警戒システムが実質働いたわけで、間髪入れない迅速な反撃行動に出ているのである。

どうみても猫の反撃の素早さが最大の抑止力となっていて、それによって犬は撤退している。

猫からみれば自分が攻撃されたわけではなく、飼い主の(無抵抗な)子供が犬に一方的に攻撃されたのであるからある意味集団的自衛権を行使したのだとも考えられる。

飼い主側と猫との間にはそれなりの信頼関係があったことは確かであろうが、シビリアンコントロールどころか明確な相互扶助、集団的自衛権に関しての契約がされていたのかどうかは分からない。

毎日餌という報酬を得たということであれば、猫はある種の傭兵かボディガード的存在であった可能性はある。





自衛権の放棄はどうよ?

「個別的自衛権だって必要ない。万が一他国が攻めてきたら国民は無抵抗で降伏し、すぐに首相や政治家が和平交渉に出るんです」

(引用元)
http://i.imgur.com/tKavxVy.jpg


↑これは平和憲法の条文冒頭に、他国との交戦状態に遭遇した場合直前に自衛権を放棄し即無条件降伏を宣言することを条文に入れるということか?



無抵抗主義の村-日本

 






「無抵抗主義の村-日本」の無抵抗主義ということはきわめて悠長な話であって、無抵抗そのものが武器になる、あるいは平和への最善の方策などという手前勝手な主張そのものが端から安直に侵略側に受け入れられる余地などあるわけがないのであって、唯一ここで言えることは、結局のところ相手の武力に屈して自らの手で奴隷売買の契約書(条約)にしたり顔で署名したも同然ということであろう。

白紙委任状を渡しておきながら、後から予想外の展開に地団太踏んでも遅かろう。

無抵抗主義とは最初からそのように、人間としての権利も尊厳も放棄することを自ら宣言しているに他ならない。

危険この上ないことである。

侵略に対してあえて武力による抵抗はしない。
食料や財産を奪われてもいい、命さえ助かればいいということである。


一見尊い人命至上主義の体を成しているかにみえて、その裏に見え隠れする姑息さは否めない。

まずもって侵略側の都合の下で自国民の命の保障がとれるかどうかの確証とてないわけで、今後少数民族・日本村としての形を成すかどうかも不明確な事態ではあろう。


歴史を振り返れば明白である。

無抵抗主義の下では極端な話し、常に国家は非情であって国民はかってのシベリア抑留者同様、国そのものに見捨てられ僻地開発の労働力として集団移送される奴隷化条項もそこには加味されるであろうが、将来そこから開放され生きて故国に還られるかどうかは分からない。








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ラベル:無条件降伏
posted by モモちゃん at 09:43| 歴史再発見 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月29日

江戸無血開城の談判に至る歴史的ダイナミズムとは

奇縁の話(江戸開城談判:カエルの煮込み)

東京の聖徳記念絵画館に結城素明画伯の筆になる「江戸開城談判」という教科書にも載る有名な絵画がある。
dan これはいわゆる歴史画であって、幕末の慶応四年(1868)の無血の江戸城明け渡しに至る勝海舟と西郷隆盛との有名な会談場面を題材にしたものである。
この絵を目にしていると、次々といろいろな感慨がわき起こってくる。


勝海舟と西郷隆盛がこの場(薩摩藩邸)でこのように厳粛な形で対侍していることの不思議とも思える、ある特別な奇縁というものを感じないわけにはいかない。
二人のこのような出会いの仕方というものもそうであるが、ここに至るまでにはそれこそ数多くの人々の善意の働きかけがあったということも事実であって、やはりそこにはその時代の確かなダイナミズムが背後に働いていたことに気付かされる。


ここでこの話の続きとして、彼ら二人の共通の知人であり幕末に凶刃に倒れた土佐の坂本竜馬を登場させてもいいであろうし、あるいはここは大河ラマで有名なあの薩摩の篤姫や両者の会談を陰で支えた高名な漢方医浅田宗白先生の活躍を題材にしても新たな話しの展開とはなるであろう。


しかし私の持ち出すここでの奇縁というのはいささか風変りというか、そうした部類に該当するかどうかは分からないし、格別次元の高い題材ではないことだけは先に断っておかなくてはならない。


歴史小説ならそういう畏まった形式もあるとは思うが、ここは奇縁ということであるから奇縁は奇縁として明確にその独自性を提示してなんら憚ることはないわけである。そういう気楽な部類の話だと思っていただきたい。


政治的立場を異にする二人であるからこそ、このときの出会いそのものが特筆すべき事件であり、その合意に至るこの場の歴史的意義もとりわけ大きなものとなったことは確かである。
まさにこのとき勝海舟は旧幕府陸軍総裁であり、一方の西郷隆盛は新政府軍の東征総督府参議という要職にあって、それぞれの命運を担う重い立場にあった。


さて前置きはこのくらいにしておいて、ここでいう肝心の奇縁の話しであるが実はこのようになっている。

海舟の父小吉が書き残した「夢酔独言」によると、海舟(麟太郎)は九歳のとき犬に股間を咬まれ陰嚢を損傷するという災難に遭遇したという。
それには「病犬に出合いてきん玉をくわれた」といい、金創医に陰嚢の傷口を縫われるというほどの重傷であった。

一時は一命を落とすかと危ぶまれたが、父小吉の献身的看護によってやっとへ快方へと向かう。

それでも治癒するまでに七十日を要したということであるから、海舟にとっては屈辱的事件であったことは容易に察せられる。


一方西郷隆盛は、藩主の逆鱗に触れ幽閉されるという悲運に見舞われた。
過酷な環境を強いられたまま奄美大島、徳之島さらには沖永良部島へと流された。いわゆる島流しの隔離である。


吹きさらしの狭い牢屋の中に閉じこめられた西郷は、このような不衛生な状況で悪性のフィラリア症(糸状虫症)に冒されて、陰嚢水腫を煩うのである。

病原体である糸状虫がリンパ管系に寄生し陰嚢は大きく腫れ上がり、置物のたぬきのそれのようになる悪性の疾患である。
フィラリア症は熱帯地方に多発する風土病であり蚊によって媒介されるが、このやっかいな病気を抱えたまま、西郷はその後も各地を精力的に転戦していく。

これが西郷にとってやっかいな災難でなくて何であったろうか。


奇しくもこの二人が対面したとき、それぞれの相手の過去の屈辱的境涯については当時の海舟も西郷も何も知らなかったはずである。
たとえそのようなことを両者が知ったところで何の意味もないことであったろであろうし、もはやここで個人レベルの境遇を云々する時でも、場所でもなかったはずなのだから。



だがこのことが、部外者でありながら何故か気になるのである。
しかも私のような凡人の目からみると、これにも何かの歴史的蓋然性がどこかに隠されているのではないかと考えたくなるわけである。


妙な好奇心とでもいおうか、一つの出会いに人間智を越えた何らかの力が働いているのではないか。

こうした考えに取り付かれると、次々にいろいろな発想が飛び出てくる。
急所に受けた致命的ともいえるそれぞれの過去の傷は、奇しくも二人の英雄を数奇な運命ともいえる出会いに導くというような、背後で何者かが凝りに凝った運命的演出を操っているかのようである。
このようなことは何も特別な歴史的人物同士でなくても日常的にも起こり得ることではあろう。

しごく他愛ないことである。
ただし偶然とも思える両者の出会いが、意外にも何やら必然の可能性がそこには隠されているのではないのか?と思うのである。
 
ここらは下世話で下らないといえば下らないであろうし、面白いといえば多少は面白味もあるかもしれないという程度のたわいのない逸話なのかも知れない。
その点は否定しがたいところであるが、ただ何となく感じられることは、この世知辛く猥雑な人間世界には人の目には触れ得ないような不可思議な糸が張り巡らされているのではないかと思うようなことが少なからずあるだ。
これは、類は類を呼ぶというような、いまでいう共時性の時空世界の事象である。

結局この一点において、何やら際立って面白く感じられるということにどうやら行き着く。


西郷隆盛という人物名でふと子供時代の記憶を思い出したのだが、確か親戚の床の間に西郷南州の銘の入った大きな掛け軸が下げてあった。
いまどきそれが本物ならば凄いお宝なのだが、いつの間にか見なくなったような気がする。


そこに何と書かれていたのか、とんと記憶にないのであるが、あるときその親戚がわが家に来ていきなり作家檀一雄の話をし始めた。
檀一雄といえば当地福岡県出身の作家である。
話の内容は、亡くなった作家檀一雄の文学記念碑を建てることになったということであったが、その石材はその親戚の庭にあった大きな庭石を使うことになったという。
このことは後日地方紙にも紹介されていた。

「ほら、お前がこまかとき日向ぼっこばしょったあの庭石たい。檀一雄もあの石によう腰掛けて考え事ばしよった。機嫌の悪かとき息子の太郎ちゃんば泉水(池)に投げ込んだことのあったばい」と、笑顔で伯父がいう。
たしかにその大きな庭石なら私にも記憶があった。
親戚の広い庭には古風な泉水もあって、その池の側に囲むように庭石が二つか三つ配置されていた。


池には五,六羽のアヒルがいたし、夏には従兄弟達が赤い兵児帯姿でよく水に潜ったり蛙取りをして遊んでいたのを、はるか五十数年前の記憶であるのだがいまでも鮮明に覚えている。
今回その庭石の一つが記念碑になって、「檀一雄逍遥の地」 と彫り込まれて当時逗留していた寺(善光寺)の敷地内に立派に建立されたということであった。

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昭和21年当時、檀一雄は最愛の妻リツ子を腸結核で亡くし失意のどん底にあったが、その直後郷里に近い福岡県山門郡に幼い長男と共に逗留していた。
「つくづくと櫨の葉朱く染みゆけど 下照る妹の有りと云はなく」
という悲歌が詠まれたのもこの時期であり、そのときの経緯は小説「リツ子その愛」に続く「リツ子その死」に詳しい。
筑後地方の平野部に点在する櫨(はぜ)の木は、晩秋近くなると細身の葉一枚一枚が見事な朱色に染まる。



その鮮烈な色彩を見知っている者には、この悲歌を詠んだ者の痛ましいほどの哀切さがより一層心に強く迫ってくるようである。


檀一雄のことをこのように紹介しても、残念なことに私個人としては何の面識もない。
ただこれまで郷土出身の作家ということでいくらか文学的関心があった程度である。
また前述した義理の伯父と檀一雄とは縁戚関係であったから、ときには親戚では話題になることが度々あった。
檀一雄がしばらくの間この地に逗留するということで、伯父は近くの東山村の小田平田の山間にある善光寺を間借り先として紹介した。
檀一雄は、山の中の静寂さが気に入り善光寺の庫裏の二階部屋を間借りすることとなり、ここを拠点として幼い長男と共に生活しながら創作活動を始めた。
ときたま濁り酒や鰯を買いに山裾の瀬高町や船小屋辺りまで山道を下ったということだが、片田舎だけに往復するのに4,5キロは歩いたであろうと思う。


その当時は戦後の食糧難ということもあって、伯父は檀一雄と共に近くの田圃に行ってトノサマガエルを捕獲してきて食べたこともあったと懐かしそうに話してくれた。
料理が得意な檀は、西洋では蛙を食用にするらしいという話をどこからか聞き込んできて一度カエルを試しに食ってみようということになり、実際に二人で鍋で煮て食ってみたら酷く不味かったということであった。

この話を始めて聞いたときは思わず大笑いしてしまった。
そこらの田圃に生息している青臭いトノサマガエルと食用蛙とでは、それこそ似ても似つかないものであったろう。・・・



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結局のところ、今回の伯父の話によるとどうやら私にもなじみのある庭石が後世に残る文学記念碑になったということである。

妙な感じである。幼少時のこととはいえ、かって尻にしたことのある庭石を前にして今度はあらたまった顔をして対侍するということになるのだから。
話を聞いただけで尻がむず痒くなってくる。

これは庭石を介して檀一雄と何らかの些細な縁があったというだけの話で格別何ということもないのであるが、実はこれだけで話しは終わらなかった。


小説「リツ子その愛」を読んでいると、福岡県西北部の糸島郡地方の地名が沢山出てくるのであるが、私も青年期に三年近くこの地で仕事をしていたこともあって玄海の海に囲まれた糸島地方は特別に懐かしい土地なのである。
 
その小説に出てくる地名の中に糸島半島の「小田」というところがあるが、戦争直後に檀一雄は妻律子と長男との三人で、結核に冒された妻の療養の為にこの地に移り住んでいた経緯があった。

私には糸島地方の「小田」という地名に記憶はなかった。
糸島半島のどの辺りなのかを糸島出身の家内に尋ねると、実家のすぐ近くの海岸よりの地名だという。
さらに檀一雄や彼の小説の話をすると、卒論は檀一雄について書いたというではないか。



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おいおい、それはどういうことだ?!

少し驚いて、どうして檀一雄を卒論に選んだのかと家内に問い直すと意外なことを話しだした。


檀一雄の小説「リツ子その愛」に登場する、妻律子の療養する糸島半島(当時:糸島郡北崎村小田、現:福岡市西区小田)の海辺の二階家というのが、家内の父方の叔母の家だったというのである。
小田浜(こたのはま)海岸と呼ばれ、いまでもきれいな砂浜が広がっている風光明媚なところである。
その海岸からは檀一雄が愛した能古島が望める。
家内は幼いときから海沿いの小田浜のその大好きな叔母の家に度々泊まりにいっていて、その度に叔母から檀一雄の当時の生活の様子などを詳しく聞いていたのだという。


とうに家屋自体は建て変わってしまっていて当時の面影はまったく残ってはいないのであるが、道路を挟んですぐ目の前に浜辺が広がっているから潮騒だけは昔と同じように聞こえてくるような場所である。

ito2 叔母さんはとても優しい人で、当時の檀一家の苦しい状況をみて親身になって世話をしていたということであった。
これには驚いた。
小説に登場するあの親切な人情味のある大家のオバさん(文中では下のオバさん)というのが、家内の叔母だったとは意外であった。
当時は結核は不治の病であったから、よほど懇意な関係でなければ間借りなど引き受けることはなかったわけで、家内の叔母さんの立場は村内でも非常に苦しい立場に立たされていたという。
そいう苦労話も聴いていたという。




糸島半島(当時・糸島郡北崎村小田の浜からは能古島がよく見えるのであるが、ここでのリツ子との最後の記憶が重なって檀一雄は後年この能古島に家を建てたのかもしれない。
能古島は福岡市に近いこともあって、市民の憩いの場としても知られている。
その能古島は年間を通じて多くの花が咲き乱れる美しい島であって、フェリーを使えば15分ほどで島に渡ることができる。
もちろん能古島にも檀一雄の文学碑が建てられている。


実は檀一雄と能古島ということではさらに奇縁に繋がる話がある。
県内とはいえ、この遠く離れた能古島から当方の元へ治療にみえた老婦人がおられた。
近くの福岡市内でも治療ができるだろうに、わざわざ県南部の久留米市まで時間をかけて来院されたのであるが、これまた不思議な邂逅であった。
当方へ何度か通われているうちに、ふと能古島の様子や暮らしぶりを伺っていたら突然「檀一雄」という作家の名前が飛び出したのである。
きっかけは「能古島だったら、たしか檀一雄の住まいがありましたよね」ということだったと思う。
するとご婦人は懐かしそうに話を始められて、檀一雄とは島の生活で親交があったといわれたのである。
その方のご主人と檀一雄とは気が合って、檀一雄が能古島に家を建てるきっかけや過程でも度々便宜を図るなどして特別に深い付き合いをされていたということであった。
これにも少なからず驚いてしまった。

個人的な交際の話を直接うかがうとは、ここらも何やら不思議である。


こうした経緯を個々に聞いていくと、檀一雄の周りには多くの善意の関わりがあって、彼自身が何者にか見守られ続けていたというような不思議な想いが湧いてくる。これも奇縁なのか?




取り留めのない話ではあるが、私の周辺ではそれぞれの親族の世代は代わってしまっても法事などで従兄弟たちが集まると檀一雄の話題が飛び出してしめやかな場でもいつの間にか賑やかになる。
これはどのような偶然というべきか。
やはり世間は広いようで狭いというべきか。
当人がまったく伺い知らぬところで、何らかの縁(えにし)でつながっているのではないかという、不可思議な感慨にあらためて浸る今日このごろである。
       

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右の写真は糸島の海岸の砂浜







「治療家・セラピストのための生体経絡・生気論」
経絡論
「日本人奴隷貿易」ノンフィクション

奴隷船
「時代小説短編集・憑依(つく)

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ラベル:西郷隆盛
posted by モモちゃん at 12:38| 江戸時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月27日

黒澤映画で再現された驚異の抜刀術とは

弧刀影裡流居合術を再現した黒澤明の映画『椿三十郎』

少年の頃始めて本物の刀を触らせてもらった時、そのずしりとした重量感には驚いた。

本当に真剣は重いのだと思った。

昔の武士はそうした重い刀剣を自在に操っていたわけだから、それ相応の膂力を身に付けるべく日々鍛錬していたことになる。

それも一瞬のうちに抜き打ちする抜刀術となるとこれは想像を絶する。

そういうこともあって、以前から黒澤明の映画『椿三十郎』で主演した三船敏郎が最後の場面で繰り出した抜刀はどのような技なのか気になっていたが、ウィキペディアに解説があった。

どうやらこれは弧刀影裡流の技ということである。

弧刀影裡流居合術(ことえりりゅういあいじゅつ)は、九州出身の野瀬庄五郎が西南戦争に従軍した経験から編み出した居合術。

車返し、風切りなど9本の形があったという。

黒澤明の映画『椿三十郎』のラストで主演の三船敏郎が最後の場面で繰り出した技は、この流派の形(抜き手、切りかかる手に切りつけるもの)を参照して殺陣師の久世浩(久世龍)が編み出したものだとされる。 『「映画を愛した二人」黒沢明 三船敏郎』によると「逆抜き不意打ち斬り」という名で、心臓を切る技とされる。 映画では相手の室戸半兵衛役の仲代達矢が抜刀するより早く帯刀の刀を左手で逆手に抜き(元になった弧刀影裡流の技では順手に抜く)、刀の峰に右手を添えて刀を押し出して仲代達矢の右腕の下付近を切ったように見える。三船敏郎は早く抜くために普通の刀より5寸(15cm)ほど短い刀を使用したという。」

まさしく映画でも薩摩示現流に対峙した抜刀術として描かれている。

どちらも一撃必殺の剣法ということになる。













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ラベル:三船敏郎
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2016年05月26日

ATM詐欺にみる国際犯罪への日本の及び腰

ATM管理甘い日本狙う、不正引き出しで専門家が分析

ロイター 5月25日

[シンガポール/東京 24日 ロイター] - 全国17都府県にあるコンビニの現金自動預け払い機(ATM)で南アフリカのスタンダード銀行<SBKJ.J>の偽造クレジットカードが使われ、現金で推定3億ランド(1900万ドル)が不正に引き出された問題で、専門家はATMのネットワーク管理が甘い日本が引き出し場所として狙われたとみている。

パナマ文書も漏れちゃいました!?

ニューヨーク連銀にあるバングラデシュ中央銀行の口座から8100万ドル(約88億円)が盗み出された事件の調査で、同中銀のネットワーク内にパキスタンと北朝鮮を含む3つのハッカー集団の痕跡が見つかったが、実際に資金を盗み出したのはそのうちの3番目の集団であることが判明した。2016年5月11日 12:43 JST
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2016-05-11/O6ZP7C6S972I01

先般日本年金機構がサイバー攻撃されウィルスにやられて、個人情報約125万件が流出するという不祥事が発生しました。

どうやら何者かが大量の個人情報を入手して、名前寄せなどの基本となるデータベースを構築する意図があるようです。

日本人そのものが集団で狙われているようで不気味です。

日本の政府機関からしてこの体たらくというわけで、実際の被害は現段階では推測不能なのだと思います。

で、このような悪質なハッキングは技術的に防御できるのかということが今日的問題になってきます。

最近になってパナマの法律事務所、モサック・フォンセカ (Mossack Fonseca) によって作成された一連の機密文書、いわゆるパナマ文書が漏れ出たことで世界に注目されています。

実際にハッキングされたのかどうかは明確にはされていませんが、法律事務所内の大量の機密情報が外部に持ち出された時点でネット回線を通じてそれらが遣り取りされたことは確かなことです。

文書には1150万件のオフショア金融センターを利用する21万4千社の企業株主や多くの著名な政治家や富裕層の人々の詳細な情報があるとされ、実際には電子データとして合計2.6テラバイト (TB) にも及ぶ膨大な情報量があるとのことです。

とにかく、これまでにない大規模なハッキングだと言えます。

2016年4月3日にこのパナマ文書についての新聞社経由で報道がされましたが、その関連企業・個人リストの完全版は今月になってネット上に公開されました。

パナマの法律事務所であれば、普通の企業レベルのセキュリティーであったろうと予想されますが、やはりここらは情報管理の脆弱さが突かれてしまったのだと思います。

今の時代どこでも起こりうることで、情報を秘守することはほとんど不可能な状況だと言えそうです。

はっきり言って、これが日本であっても現在のセキュリティーレベルではほぼ防御することは不可能です。

日本では、国民総番号制(national identification number、 共通番号制度)の実施が進められています。

これによって全ての国民に固有の番号を振り別け、いよいよコンピュータネットワークによる行政事務の効率化を進めて個人を迅速に特定し識別管理していくという夢のような制度が導入されるわけです。

個人情報としては氏名、登録出生地、住所、性別、生年月日、婚姻関係といった戸籍情報をベースとし、そこに付随して管理対象となる社会保障制度納付状況、収入と納税履歴、資産情報、公共料金納付履歴、学歴や職歴、各種取得免許、医療病歴、犯罪履歴、各種保険加入状況、金融口座クレジット情報、渡航履歴などが、いずれ次々と枝葉のように付け加えられていくはずです。

ここらは法的な手数の問題であり、それこそ時間の問題だと思います。

実際には医療関連情報も健康保険証と一体化させていく行政側の狙いもあって、各自治体でもいずれこれらは具体化する方向に進んでいきます。

ただ、ここで挙げた付帯される情報もほんの一部に過ぎません。

個人のクレジット情報で書籍購入歴や嗜好品目、旅行先といった項目さえも調べようとすれば容易に確認できます。

思想信条や交友関係など本人さえ気付かなかった情報が集積されデータベース化されるというより、システムが稼働し始めれば自動的に作り上げられていきます。

個人の病歴や服薬履歴、それらもずるずる引き出せるはずです。

システムを運用する場合もその端末自体は、そこらに無数にあることになります。

これはとても怖いことです。

あれこれ言われても、結局情報の集積、情報の一元化とは結果的にはそういうことです。



たとえば、あなたは身近な親しい友人の個人情報をいくつ特定できますか?

おそらく10項目、20項目、30項目程度ではないでしょうか。

これが200,500項目となればどうですか?

そこには同居する家族でも気付いていない情報が出てくるはずです。

今流行りのフェイスブックでさえ60項目の個人情報が流出すると言われていますが、国民総番号制によっていわゆる個人情報の総勘定元帳そのものが個別に用意されるわけで、これらの情報を閲覧すればいわゆるプロファイリングなど簡単にできます。

最新のWindows10セットアップにしても導入時に安易に「簡単設定」を選択クリックして作業を進めると個人のネット閲覧履歴や位置情報、メール情報、検索項目といったいくつかの個人情報が自動的にMSに送信されてしまう設定になっています。

いわゆるライセンス契約内容を細部まで確認したかの問題です。

気付かなければ電子データとしての個人情報が、知らないところで不用意に外部に漏れ出てしまいます。


多くの情報を国民総番号制によって管理すればそれだけ行政遂行コストが下がり、国民にとっても自己の情報を確認や訂正がしやすいメリットがあるといわれています。

一方では、国民の基本的人権が制限されたり、行政機関による違法な監視、官僚の窃用や、不法に情報を入手した者による情報流出の可能性があること、さらには公平の名のもとに国民のすべての資産を把握し、巨額に膨れ上がった政府債務の解消のために実施されるとする預金封鎖を容易にすることを懸念する意見が巷にはあるようです。

そういうこともあって、いまだに国民総
番号制を推進するのに反対する意見も各方面からも出てきているわけです。

要は政府機関が国民の国民総
番号制の下で集積した情報をどこまでしっかりと管理保全できるのかということです。

現状ではこれらの個人情報が不用意に漏洩する危険性はきわめて高いわけです。

何故そう言えるのか。

それには明確な理由があります。

先の大戦では日本軍やナチスドイツの最高機密であった暗号でさえも、連合国側が解読して筒抜け状態でした。

絶対に破られないとされていたものが、ついには崩壊したのです。

現代の世界の趨勢からみれば国家レベルの情報管理などセキュリティーの壁を越えられてしまい、容易に外部から侵入されハッキングされてしまう状況下にあります。

こうしたハッキングは悪意のある個人ではなく、大抵組織的なものです。

いまのネットシステムは米国が軍事的に開発したものであって、本来これに対抗する独自の力が日本にはないということなのです。

それを認識せずしてシステムを早々に稼働させるというのは、危険この上ありません。



最近は個人のパソコンを標的にした新種のゾンビウイルスが、国内でもいよいよ本格化してきたようです。

インターネットバンキングの利用者を狙ったもので、通常のウイルス駆除作業後もパソコンを再起動すると再び再生してくる消えないゾンビウイルスによるサイバー攻撃です。

一旦しっかりと手順どおりに駆除されたかにみえて、実際はパソコン内にウイルスが生き残っていることになります。

いわゆるこれなどは単に画面上で偽装駆除されているだけなのです。

国内で4月までに666件、被害が確認されていると報道されていいます。

これに侵入されてしまうと金融機関を装った偽サイトに誘導されてしまいます。

ロシアのコンピューター・セキュリティー大手「カスペルスキー・ラボ」は今年2月興味深いニュースを公表しました。

2013年末から現在までに、全世界30カ国の銀行約100社が極めて高度なサイバー強盗に遭い、総額10億ドル(日本円で1185億円相当)が不正送金される被害に遭っていたとのリポートを発表したのです。

これだけ明確に巨額の被害額が特定されたのは始めてではないでしょうか。

それらの被害の大半はロシア国内や日本、米国、そしてオランダやスイスといった欧州の金融機関に被害が集中していて、それらの金融機関から数百万ドル(数億円)単位で不正送金されていたというのです。

インターポール(国際刑事警察機構)はロシアやウクライナ、中国のハッカー集団による犯行の可能性が高いとみているようですが、どうやらこうしたネット犯罪の実態は追跡し難いようです。

被害額は総額10億ドルということですが、これはおそらく氷山の一角であろうと思われます。

実際はこれの何倍かの被害が発生しているはずです。

それを公表したら巷の金融機関への信頼は大きく損なわれるに違いありません。

ハッカーが駆使する巧妙なハッキングやスキミングの高度なテクニックは、後からそれと気付いても遅過ぎるのです。

気付いた時は相当な被害を被った後だからです。

慌てて追跡しても途中で侵入時の足あとが途絶えてしまえば、なす術はありません。


これらは一般のユーザには関係ないような事件に思われがちですが、ネットで繋がっている個人のパソコン勝手に乗っ取られて最悪の場合には誤認逮捕となる場合もあります。

個人のパソコンがネット回線での中継ポイントの踏み台として勝手に使われてしまうわけです。

そうした意図で、日常的ネット回線を介して知らない間に悪質なウィルスに感染させられる危険性があるわけです。

ネット上の入手し易いフリーソフトなどは手軽に使えて便利なのですが、最近はこれには注意しないと思わぬトラブルが発生します。

フリーソフトをダウンロードした際に犯罪に絡む悪質なマルウェアまでもを咥えこまされてします。

いわゆるスパイウェア系統の悪質なプログラムもフリーソフトと同時にインストールされてしまい、不用意にパソコン内に侵入されてしまうわけです。

これが意外と厄介なのです。

そうしたアドウェアやスパイウェアの類がインストールされるだけで、予期しない動作が発生し
ブラウザ表示がやたら重くなってしまう場合もあります。


ユーザー自身がまったく気付かなければそれまでです。

ユーザが個別に閲覧したWebページの履歴や実行した操作の内容、金融取引のパスワードやメールアドレスなどの情報を収集するスパイウェアが、知らないうちに組み込まれてしまうこともあります。

勝手に
メールアドレスと個人情報を抜き盗っていくわけです。(これ自体どこまで違法なのかは知りません。)

先般ある企業から名指しでメードアドレスが特定された形で、メールが一方的に送られてきて驚いたことがあります。

勝手にどこかで個人情報を入手してしまっているわけです。

さらに言えば、個人のパソコンや民間企業のセキュリティなどは高が知れています。

鍵の掛かっていないような、セキュリティの甘い部屋には勝手に侵入されてしまうのと同様の状況なわけです。

貧弱な防御だけに、悪意を持って侵入されれば防ぎようがありません。

インターネットの世界でもっともセキュリティが高いレベルにあるはずの米国の軍事関連企業や国防省さえも頻繁に侵入され、機密情報がハッキングされ続けているのです。

意外にも米国の銀行は、これらの機関より1ランク下のセキュリティレベルに置かれています。

米国の銀行の役員には必ず軍事的要職にあった人物が名を連ねています。

というのは、米国の金融機関は常に最新の軍事的システムと同レベルの
セキュリティシステムにもっとも強い関心を示しているからなのです。

当然のことですが、世界ではそれほど頻繁に金融機関を狙った悪質なネット攻撃が発生し続けています。

ネット上にはいわゆる完璧な
セキュリティというものはありません。

ネット社会では、いわばそうした脆弱さが常に存在し続けているわけです。

始めからそうした欠陥部分を内蔵しているところがネット社会の面白さだともいえます。

結局のところそうした欠陥を補ったり、脆弱さを防御するためのシステムを工夫したりするといったリスクを伴ったビジネスチャンスを限りなく創出していくネット空間というものが、当初から巧妙に用意されていたということになります。

ハッカーたちから見れば、意外なことに米国以外の銀行や日本の金融機関のセキュリティはさらにその下のレベルにあります。

だから日本の金融機関が攻撃の対象となるわけです。

一般企業やオフショア関連の法律事務所であれ、これよりもさらにレベル自体は格段に低いわけです。

狙われたら最後、大抵の機密情報は抜き取られてしまいます。

だからまともに外部からネット攻撃を食らったらぽしゃるような企業は、そこらにぞろぞろあるだろうということになります。

日本などはサイバー攻撃はやり放題ですから、それこそサイバー犯罪の温床はどこにでも転がっているというわけです。

国内金融機関の公表されない被害などは、それこそ相当な額に登るだろうと予想されます。

毎年その被害額は増加しているのも確かです。

ネット犯罪はそれだけ高度にビジネス化しているのだともいえます。

一日部屋にこもってPCに向かって座っているだけで事足りる亜空間犯罪の世界が現実には存在し得るというでことになります。

これを組織的に人海戦術でやられると堪りません。

ネットは物理的集団攻撃に対してきわめて脆弱なのです。

現在は国外からネット回線を使って侵入するというよりは、相当数の訓練された要員を直接送り込んで国内のインターネット接続を中継するプロキシ(代理)サーバーを使って水面下で活動しているようです。

日本国内では、ネット上の規制がそれほど厳しくないからです。

それこそやり放題です。

面白いことに平和大国ほどすべて渡って危機感が欠落しているようで、おおむね日本のネット社会全般は
セキュリティレベルが格段に低いのです。

たしかにここらは居たしかたない状況ではあります。

要するに国民が自由をより志向する以上、それ相応のリスクも覚悟すべき状況にあるというわけです。

サイバー犯罪ということでは、個人のデータを取り込んで金銭を搾取することから企業の機密情報を盗み取る産業スパイ行為までいくらでもあるわけですが、今後ともこうした犯罪は深刻度を増していくはずです。

確かに産業界でも最先端の技術情報も多額の開発費を直接投入するよりは、必要に応じて競争相手から掠め盗る方がはるかに効率がいいはずです。


そこにはペーパー企業を隠れ蓑にした大がかりな組織的サイバー犯罪さえもが存在します。

そうした犯罪行為が拡散していく背景には国際的な対立や軍事戦略が絡んでいるわけで、すでにネット上では熾烈な国家間の
情報戦日々
繰り返されていることになります。

それだけに、情報漏洩といえども多分に計算された政略的駆け引きが裏に隠されているのだともいえます。

その結果、成り行きによってはこれが突然の政変にも繋がるかもしれないのです。

当然ながら非合法なネット犯罪の背後には、数千数万の人員を投入した組織規模のそうした動きがあるということになります。

今回冒頭で紹介した
コンビニの現金自動預け払い機(ATM)での巧妙な手口にしても、少なくとも短時間に100人単位の出し子要員( 振り込め詐欺などの犯罪に利用された預金口座から現金を引き出す役をいう隠語)が一気に投入されてたようです。

そこにはプロ集団としての徹底した作戦が周到に練られていたわけで、多国籍を跨いだ企てとしてはとうてい一朝一夕では成しえない(?)ものだといえます。

日本のセキュリティ対策は貧弱ですし、法的にも面倒な規制も掛かりませんので日本を足掛かりにすれば
どこよりも活動し易いということは確かです。

だから狙われた側は国であれ、金融機関であれ、被害者というだけでなく予想だにしない無様なセキュリティ事情も世間に晒されてしまうわけです。

国や金融機関は大した損害でもないのかもしれませんが、
こうした詐欺被害はそのままリスクとして国民が被ることになるわけで、その対策に掛かる経費も含めた分のコスト自体も結局のところ国民がすべて負担することになります。

腹立たしい話ではあります。


















denden 








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2016年05月20日

古代にもあった高額医療費の核心部分に迫る!

医療費にまつわる面白話し

昔の一両小判の価値とは、一体どのくらいのものであったのであろうか?

江戸時代は幕府によって米一石が一両と一応決められていたが、相場による変動があった。

この米の価格から一両を現代の円に換算すると幾らに相当するかということが、よく話題になる。

これには諸説があって三万円代から四万、六万、八万、高いところでは十六万というのがある。

しかし当時一両もあれば、4人家族は1ヶ月間ゆったりと暮らせる貨幣価値があったとも言う。

ゆったりと暮らせるとは、果たして1月の生活費はいくらあればいいのだろうか?


武士の生活で考えてみよう。

百石取りの武士の場合、四公六民で四十石がその取り分となる。

俸禄が百石といっても、まるまる百石分もらえるわけではないのだ。

米を白米にするのに五石のつき減りがあり、実質三十五石が手取りということになる。

現代のサラリーマンが、源泉徴収であれこれその給料から差し引かれるのと同じである。 

このうち自家用に消費するのが十一石あまり、 残り二十四石をどうにか換金することができる。

一石=一両=八万円で計算すると一九二万円、 これが百石取りの一年間のその他の生活費となるわけで、当時の消費生活がいくらか窺えるというものである。

これがエリートである奥医師となると二百石の知行であっても、年間四千両(約三億二千万円)の副収入があったという。

しかも自分の家があっても、別に役宅として立派な屋敷も用意されるわけだから、住居費は掛からない。

ここらは歴史教科書では一言も触れられないことであるが、将軍の御脈をとる御匙医師ともなると大変な格式があって、大名が診てもらうと盆暮に千両箱が届けられるのが通例であった。

このように奥医師の場合は知行に加えて足高やアルバイト収入に税金はかからず、裕福この上なかったわけである。

医者の中には巨富を元手に高利貸でさらに資産を増やし、金融業で名を成した者もいたという次第であった。


二千年前のハムラビ法典には骨折を治癒させた医師には銀貨を支払う規定があったように、医療に対する報酬は昔から明確に保証されていた。

それに値する特殊技能として認知されていたことになる。

古代中国の戦国時代には疽(悪性の腫れ物)は血膿を口で吸い出すのが常法であり、信じられないかもしれないが痔の治療では医師が舌で嘗めて治していた。

このことを知った時は、我ながら大変に驚いたものである。

秦王は腫れ物を吸う医師には車一台、痔を嘗めれば五台を与えるという具合に汚い病ほど報酬を多くしていたことが古典籍の『荘子』にしっかりと記録されている。

とにかく古代の治療代はべらぼうに高額であった。

確か大夫簡子を診た名医扁鵲はその報酬として四万畝の広大な田地を賜ったということが『 史記』に書かれているが、貧乏人には到底まねのできないところである。(周代の一畝 は1.82アール)

何でこのような事を書きだしたかというと、医療に対する報酬について歴史的事実に基づいて突っ込んでみ たかったからである。

実は意外なことであるが、洋の東西を問わず古来医者を卑しむことが多かった。

『論語』に「人にして恆なくんば以て巫医をも作すべからず」とあるし、『列子』には「乞児・馬医と雖も敢えて侮らず」とある。

古代において、医者は卑しい職業と見られていたということは意外であろう。

二千年前のインドのマヌの法典には「高利貸しの食物は糞のように忌まわしい。医者の食物は血膿のように汚らしい」と、その報酬に対する貪欲さを卑しめて揶揄している。

ようするに昔の医者は巫、乞食、高利貸しと並称される存在であったというわけである。

医術は君子が個々に身に付ける一種の素養と考えられた時代があって、それは身過ぎのための職業とするのではなくて、自分の両親や一族に病人が出た時に適宜対応する手段として必要視されたのであった。

身分の高いものから見れば、そこには医療行為によって専ら報酬を得るという職業的概念がなかったともとれる。

逆にいえば、巷には医療行為を行って多額の報酬を得る医者も当然いたということである。

ただし、概して医者の身分はどこまでも工人(職人)扱いであって、報酬を得る以上卑しい行為とみられていた。

江戸時代の『近世風俗見聞集』に具体的に紹介されている当時の医師や医療の記述をみると、ここらの事情や背景はおおよその見当がつく。

「官医以下、町医者・国々の医師も驕慢に構へ、療治の道に鍛練を尽くさず、只形姿 を立派にのみ拵え、利欲を稼ぐに精根を尽くすなり」、「本人はもとより家従までも不 行跡を尽くし、医道の玄妙至らざる故、親切の情さらになく、表向きのみ飾りさも良医の体に見せて人をだますなり」、「人を助くる心を失ひ、いささかも病人の為を弁えず、 兎角療治の功を争ひ──或いは売薬を競ひ、その上、山医者などいえるもの出来て、後々病者の身の害となる事も厭はず、眼前即効の奇薬を与え、或いは禁穴をも構はずして 灸を点じ、一時の験気を発せしめて人を服さしめ──当世は山医者・売薬人多く出来て、世を費やし、また天命を縮むるもの多し」等々、当時の医者や医療に対する憤懣がうんざりするほど書き連ねてある。

だから、概して廉潔の士は医業に就かなかった。

もともと本来が医を業とする者は金 銭に執着して汚く、金ずくめだからこそ血膿をすすったり尻を嘗めるのだといった侮蔑の意識の方が強かった。

しかも貧乏人からもなけなしの金銭を容赦なく取り立てていくそうした根性を嫌ったのであり、そのいかがわしさ、貪欲さを当時の文化人は許容できなかったのである。

それは医術の暗黒時代であったともいえるし、医道の確立される淘汰の時代とも言えるわけである。

しかし医道というものがそれまで蔑ろにされていたということではない。

西洋ではヒポクラテスの時代にも、医道についてすでに言及され医学の根幹として認識されていた。

Hippocrates_rubens.jpg


そうした倫理観については、古代中国の医学書『黄帝内径』にも張仲景の『傷寒論』自序にも、さらには孫思邈の医学書においても医道に関しては明確な姿勢を示している。

我が国においては丹波康頼の『医心方』の冒頭に「太医病を治するに無欲無求、大慈惻隠の心に発すべし」と、唐時代の孫思邈の仁術の教えを忠実に伝えようとしている。

こうみると結局、医道と医術、仁術と医学とはそれぞれ分離した存在、あるいは分離されやすい存在であったということであろうか。

早い話、医術に対して仁術が正道としても、他に算術、忍術、魔術といった諸々の選択肢があったということになる。

ここで報酬に執着しなかった中国唐時代の名医孫思邈の仁術について書いてみよう。

孫思邈は唐時代の非凡な医師であるが、「人の命は千金に代えがたい」として、中国 に古代から伝わる医薬、鍼灸を実験と経験によって集大成し、『備急千金要方』三十巻三十三冊を撰したことで知られている。

現代でも歴史上の名医を問われれば、名医として孫思邈の名前が必ず出てくる。

彼は仁術を身を以て実践したというが、貧乏な者からは治療代を取らず、遠くの病人でもロバに薬袋をぶら下げて自ら往診し、深夜といえども親切に診療し重病人は自宅で丁寧に看護した。

彼の名声は巷に広がり、彼の医療の恩恵を受けた貧しい人々は、彼の家の周りに杏の種を治療のお礼に埋めていった。

長年の間にこれらの杏の木が育ち見事な杏林となったという。

何故、貧しい患者は杏の種を植えていくのか、これには前例となる有名な出典があったからである。

中国の古典籍『神仙伝』にあるが、董奉が人の病を治しても報酬を受け取らず、治った者には杏を記念に植えさせたので何年か後には立派な林を成したという故事に孫思邈の患者も同じようにならったのである。

つまり「杏林」とは、仁術を施す名医にふさわしい異称だったのである。

しかしながら、この事実に対して当時の文化人は意外にも冷やかな目で見ていたのである。

孫思邈自身も文章博士であり第一級の文化人であったが、日常的に医を業としたので、いわゆる身分上は方技を行う職人(工)としてしか周囲からはみられなかったのである。

それほどに古代の身分制度は厳しいものであった。

これらすべては昔のことであるから、世情や価値観がいくら違っていても少しもおかしくはないわけであるが、時代の流れと平行した一つの歴史的変遷として医療に対する報酬を考えてみるのも、ここでは文化的・史料的価値はあろうというものである。

まあ現在の日本の世情からいけばなるべく高価な薬がいかにも効きそうに思えるし、高い治療費を請求された方がより良い医療サービスを受けているように錯覚してしまうときもあるわけである。

やはり医療サービスの多くは、すべて経済的価値観そのものが実質的に支えていることに違いはあるまい。
















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posted by モモちゃん at 11:24| 歴史再発見 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月19日

伝統的錬金術の手法とその奥義について

最高裁判所 の裁判長かて「そら払わなアカン!」ていいまっせ


舛添都知事に“政党交付金400万円”ネコババ疑惑が発覚!2016.05.18 16:00
 http://shukan.bunshun.jp/articles/-/6156




一般庶民が銀行からおカネを借りるというのは大変なことである。

それこそ借金(融資)ということで手続きがすごく面倒である。

こうしたいろいろなハードルを越えてやっとどうにか融資が受けられるとなるとそこでは当然、正式な金銭貸借契約書が交わされる。

厳然と借用書が存在するわけである。


契約書も何枚ページもあっていちいち署名捺印しなくてはならない。

しかも連帯保証人や担保物件もしっかりと押さえられる。

いわゆる銀行というのは、個人に対しての融資にはまったくリスクを負わないのである。

これが世間一般の人間が借金するときの手順である。

「倍返し」といわれるが、これは実質借金、融資の返済額のことである。


もともと融資自体はただで借りるわけではない。

元本には金利が付くわけで、毎月返済していく結果がそのものが倍返しである。

返済開始時は金利部分が多くを占めているわけで、肝心な元本部分は一向に減っていかないのも特徴である。

何十年も掛かって返済していくといっても、元本と金利分を合わせれば借金もいつの間にか倍返しになるというわけだ。





同じ融資でも政治献金やそれに絡んだ資金にはこのような面倒くさい手順は要らない。

要らないらしいとしかいえない。

どうやら政治という世界では、お金は自然に湧き出てくるもののようである。

いわゆる自然発生的にお金が近寄って来る、流れ込んでくるということである。

どうやらその集まって来るお金をどのように自分の懐に取り込むかの巧妙な手法そのものが政治力、手腕というとことであり錬金術の所以なのであろう。

政治の世界では借金時に必要なはずの金銭貸借契約書や領収書は、やり方によっては不要らしい。

事務的に形だけでも領収書もどきが揃っていればいいわけである。

政治に関わる借金でも借用書を作れば問題はあるまい。

収賄などは愚かしいことである。

貸借関係でもただ返済義務を問われない形で済ませるようにしておれば、そのままでもいいではないか、とも思う。

こっそりと自分の懐にため込むからこそ、発覚して問題になる。

借金である以上隠す必要があるのかと問いたい。

そうなると借金まみれでいながら、やたら金回りがいい政治家がもっとも利口であろう。

相互の信頼関係による貸借関係であれば、税法上もどこまでも正当な行為としてみるしかあるまい。

しかしながら、この「相互の信頼関係」が何やら利権絡みで胡散臭いものだから、こうした当たり前の形が取れないのである。

どちらにしてもこの場合は、カネの受け渡しが当事者同士でしっかりと認識できさえすれば貸す側も借りる側も阿吽の呼吸で結託できる伝統的手法らしきものがある。

ここらは、連綿と上から下へと体験的に継承されてきている政治世界の深遠な慣習といえるものである。

それでも貸す側は多額の金銭を融通するわけだから、見返りそのものは当然のごとく要求される。

ここらの流れは間違いあるまい。

利権をいくばくかの金銭で買い取るのわけだから、相当なリスクはあるはずだがここらは大方先行投資ということになるはずである。

近い将来借りる側が利権を操作できる有利な立場に立てるのであれば、前もってその利権を頭金を払ってまずは買っておこうというしたたかな考え方である。

先物買いの相場師的発想である。

値上がりしそうな商品や物件を前もって仕込んでおくという遣り方である。
そう考えるとここらは納得がいく。]

当然政治には利権と共に金銭が絡んでくる。選挙運動もしかり。

きれい事を並べたところで、利権と何らかの報酬に繋がらないことには支援は得られないし人間は動かせない。

だから政治にはカネがいる。

ここから先は、実際に政治的人間になってみなくては分からない。

権力必腐、権腐三年ともいうらしい。

権力は必ず腐敗する、三年ほども権力の座に座ると人は変わっていくということだ。


この辺りは一般庶民には遠く理解の及ばないところである。

闇献金の使い道などはどうでもいいわけである。

生活費に回そうと、女性に貢ごうと受け取った側の自由である。

金権と利権が渦巻く世界には、申し合わせたように同類がぞくぞくと集うのである。

世間に不祥事が発覚すれば、同じような代わり映えのしないカネ絡みの事件ばかりということになる。


兎にも角にも、糞面白くもないお粗末なものばかりであることに違いはない。




ウルフルズ 借金大王
 
















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ラベル:政治資金
posted by モモちゃん at 11:30| 現場を見る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月15日

歴史に強くなる最新インデックス(3)

最近のインデックス

ラベル:歴史改竄
posted by モモちゃん at 18:08| 江戸時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

STAP現象潰して、覆水盆に返らずの皮肉な展開か!?

 「STAP現象の確認に成功、独有力大学」( 5月14日土配信)http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160514-00010004-bjournal-soci&p=1

ハーバード大がSTAP特許出願に審査請求」(2016年5月9日配信http://bylines.news.yahoo.co.jp/kuriharakiyoshi/20160509-00057492/

小保方晴子氏『あの日』は真実
STAP現象、理研で再現されていたことが発覚…若山教授、不当に実験成果物を大量持ち出し
文=上田眞実/ジャーナリスト
http://biz-journal.jp/2016/04/post_14498.html


STAP問題 小保方氏退職願全文「魂の限界まで取り組み、今はただ疲れ切り困惑」

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141219-00000522-san-soci



STAP細胞に関する小保方論文そのものは、マスコミや専門学会の間で袋叩き状態になって最後は後味の悪い結末に終わったかに見える。

多くの批判的な流れで潰えたことは、実に現世的で滑稽な展開にしか思えてならない。

まずここでは学問の世界で言う再現性、エビデンス 【 evidence 】(証拠、根拠、証言、痕跡などの意味を持つ英単語)が問題になっているわけだが、これがどうやら再現実験でうまくいかなかったらしい。

同じ材料、同じ術式やマニュアルといった、まったく同様の条件下でも再現できないとなるとたちまちそれはニセモノ扱いされる。

革新的かつ独創的発見は、再現性が科学的手順で証明されなくては評価されないという学問世界の厳然たる事実は専門家でなくても十分理解できる。

世界的発見として一気に注目が集まっただけに、その反動が関係する学会やマスコミ報道が手のひらを返したように小保方論文を批判し始めた。


私は小保方論文への疑念や批判が登場し始めたとき、昔話の「花咲か爺さん 」を思い出した。

やさしい爺さんと欲張り爺さんが対比されていて面白いのであるが、ここでは欲張り爺さんは真似をして同じようにやっているのだけど逆の現象ばかりが出てくる。

欲張り爺さんからみればやさしい爺さんの成功手順には再現性が無いことになる。

欲張り爺さんは確かに同じシロという犬を介在させて同じことをやらせようとしている。

同様に同じ様に臼や杵を使っている。

さらには同じ灰を使っている。

ところがどうしたことか、ここにきてまったく同じ成果が出せないのである。

ここで最先端の現代科学の実験結果と現実離れした昔話をたとえに並べ立てるのは不見識ではあろうが、現実に同じような事象が出現しているとしか言いようがあるまい。

医科学的な研究もこのようなレベルにまで到達してくると、頻繁にこうした不可解な事象に遭遇するようになってくるであろう。(これ以上触れる必要はないが)


学問といっても、そこにはエリート意識があるからこそ学者間ではこうした科学研究の世界の競争意識は熾烈であり、一方では綺麗事では済まされないどろどろした悍ましい(おぞましい)部分が隠されている。

権威主義、学閥思考、足の引っ張り合い、剽窃行為、ねたみ、特許などの利権争い、それらが始終絡んでくる。

何故そうなるかというと、こうした研究にはどこからかそれを支える研究費を引っ張ってこなくてはならない。

兎にも角にもスポンサーと多額のカネがなければ後が続かないのである。
きれい事では済まされない。

それこそ醜い欲望が渦巻いている世界だともいえる。

あまりにも欲張り爺さんが多すぎるということか。


小保方論文は当初人類に貢献できる可能性が大きかっただけに、時間を掛けて再評価していくべき研究成果だったのではなかったかと思う。

そして小保方論文の再現性は、それこそ欲張り爺さん的発想の元では決して花開かないものだともいえよう。

と、偉そうに言ったところで何の関係もないわけで、とにかく小保方さんの研究がこのまま日本から消滅してしまうのは本当に残念なことであると思う。





【日本昔ばなし】 花咲か爺さん



























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    ラベル:花咲か爺さん
    posted by モモちゃん at 00:08| 歴史的瞬間 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2016年05月14日

    街角に癒しの音楽が流れるパブリック・ピアノ施設とは

    街角で音楽を楽しむ人々

    街中では音楽を楽しむ人たちで溢れています。

    路上で演奏するミュージシャン。

    自然の中で楽器を奏でる演奏家。

    インターネットで個性的な演奏や音楽を配信する人。

    自らも音楽を楽しみ、周りの人たちとも音楽の楽しみを分かち合うのです。

    欧米ではパブリックピアノのような、音楽好きの人々が自由に演奏できる施設があるようです。




    EDUARDO + ROMAN - "FARAON"

     








    France Paris フランス パリ 超絶技巧ピアノ パフォーマンス

     







    Two Dudes Boogie Woogie St Pancras Station

     






    henri's boogie

     










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    posted by モモちゃん at 14:04| 江戸時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする