2017年05月03日

古来女性も使っていた日本のフンドシとは?

褌(ふんどし)の数え方

新太郎は出港予定の前日に姉から風呂敷包みを受け取ると、あらためて別れの挨拶をした。

姉とは半年以上会えなくなるわけで、一抹の寂しさがあったが新太郎は終始笑顔を崩さなかった。

新太郎は帝国大学附属工業専門部を卒業すると、すぐに給料のいい商船会社に就職することを決断した。

先輩の勧めもあったが、もとより自ら望んで大型船の機関部でエンジンの保守管理に従事する仕事に就いたのだ。

海外航路を運航する船に乗り込むわけだから、一端航海に出れば何ヶ月間も陸地には上がれないこともある。

ましてや日本に帰って来るとなると、予定があったとしてもそれこそ何時のことになるかははっきりとは分からない。

新太郎が乗船する大型船は商船であり、大量の物資や貨物を港から港へと輸送する。

そのエンジンの操作はもとより機関部全体の保守管理をするわけであるから、若い新太郎には最初から遣り甲斐のある仕事のように思えたのだ。

両親は若くして他界していたので彼の身内といえば、3歳上の姉だけであった。

新太郎が商船会社に就職したことに姉は驚きはしたが、格別反対はしなかった。

男は思い通りに生きた方がいいと常々口にしていただけに、新太郎の意思を尊重してくれたのである。

新太郎は、希望通りに外国航路を巡る大型船に配属され乗船することが入社直後に決まったのであるが、その日のうちに姉の下を訪ねていった。

このときの新太郎には、特別に姉に頼みたい要件があったのだ。

「姉さん、ふんどしば縫ってもらえんやろか?」

「そりゃあよかばってん、何丁いるとね?」

「百丁縫って欲しかとよ」と、申し訳なさそうな顔で新太郎はそう言った。

「まあ!百丁もね!」

姉は、百丁という数を聴いて一瞬驚いた表情で新太郎の顔を見つめた。

「どうして百丁もいるとね?」

「俺は自分でふんどしば洗濯するとは面倒たい。三日おきに新かふんどしに取り替えていくけん、どげんしてん一航海に百丁はいるとたい」、と新太郎は言った。

姉は新太郎の言葉に笑いながらどうにか納得すると、期日までにふんどしを百丁仕上げると新太郎に言った。

そして、新太郎が船に乗り込む前日までにその百丁のふんどしをどうにか仕上げてくれたのであった。

新太郎は受け取ったその百丁のふんどしと身の回り品を携えて、翌日の早朝に始めての航海に出る大型船に乗船したのだった。

船の機関部の仕事は面白かった。

エンジンの保守管理は油だらけになることも少なくなかったが、新太郎はすべてにおいて作業手順の飲み込みが速く先輩達からも可愛がられた。

船内の生活にもすぐ慣れたし、専属の調理人がつくる毎日の料理も洋風で新しいもの好きの新太郎を喜ばせた。

日本で陸の仕事に就いていたとしてもこれほどの経験は出来まいと思った。

新太郎の乗った船の航路は世界の七つの海にまで広がっていて、世界中の大きな港を経由して各航路を回っていった。


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見る物、聴く物どれもこれもが目新しく、若い新太郎は世界各地で青春を謳歌していったというわけである。

そしてこの間、新太郎の百丁のふんどしは予定通りに2,3日おきに取り替えられていった。

使い捨てのふんどしは次々と船上から海面へと投げ捨てられた。

ふんどしはその都度海風に大きく煽られ吹き飛ばされながら海の藻屑となって新太郎の視野から消えていった。

その後も新たな航海の度に新太郎の百丁のふんどしは、毎回姉が縫い続けてくれた。

新太郎は20代にして外国航路の機関長に出世していた。

それでも姉の手で縫われるふんどしが千丁を超えた辺りから、新太郎は陸にそろそろ上がろうと思うようになった。

新太郎は三十をいくつか過ぎたころに、その商船会社を惜しまれつつ退社した。

いまでも新太郎はときどき夢に見ることがあるのであるが、それは夥しい白い晒木綿のふんどしが世界中の海の中を漂っている様子なのである。

それは夢でありながら、妙にリアルで生々しい情景なのである。


「爺ちゃんは何でパンツば履かんとね?」と、孫から聴かれると、新太郎は大抵きまって「爺ちゃんは色のついたパンツは好かんとたい」と応えるのであった。





















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posted by モモちゃん at 09:40| 歴史発見 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする