2018年06月27日

巨大地震の恐怖は日本の歴史に刻まれている!

老子曰く、軍旅のあとには必ず凶年あり

戦国時代、飛騨国白川郷に帰雲城という城があり、その城主は内ヶ島氏理であったという。

戦国武将内ヶ島氏理といっても聞き慣れない名である。

ここで戦国武将といっても白川郷周辺は峻険な地域が広がっていたこともあって、華々しく外征という形では当時の戦国史には登場してはこない人物ということになるのだが、いまでは別の意味でその名が知られるようになった。

それは戦国真っただ中の天正年間に、内ヶ島は忽然とその痕跡を留めることなく一夜にしてその居城である帰雲城はもとより一族郎党共々この世から消え去ったからである。

といっても、内ヶ島一族は戦によって敗れ去ったというわけではない。

当時内ヶ島氏理は秀吉と対立していた越中の佐々成政方に加担して出陣していたが、結果的には秀吉方の金森軍との和睦がなって領地が安堵された。

幸いにも内ヶ島氏理ら主従一同は無事帰雲城に帰還出来たのである。

その日天正13年11月29日(1586年閏1月18日)、帰雲城では秀吉との和睦成立を祝う宴が開かれ、その大広間には城主氏理をはじめ、娘婿の東常堯や嫡子氏行ら一族と重臣らがうち揃っていた。

ところがその当日の深夜に至って、突然この地を未曾有の大地震が発生したちまち山崩れが襲った。

帰雲山の下に位置していた帰雲城は、その山崩れに巻き込まれ大量の土砂によって完全に埋没してしまった。

そうした伝承記録があるが、埋没した帰雲城の正確な位置は特定されてはいない。

帰雲城と共に三百軒ほどあった城下の町家もそのときの山崩れで埋没したとされる。


日本の中部で発生したこの巨大地震は当地方で白山大地震とも呼ばれ、この地震災害によって帰雲城の内ヶ島氏は滅亡してしまった。


驚くべき歴史秘話である。

戦国時代ということもあって、広範囲に被害をもたらした当時の大地震についてはおそらく後世までその被害の全貌は掴みにくかったであろうと想像されるところである。

このときの天正大地震によって帰雲城が埋没しただけではなく、若狭湾では津波が発生し、周辺の木舟城、長島城、長浜城、大垣城も大破したとされる。

戦国期の地震としては例を見ない、大きな地震災害であったことになる。


それから10年ほど経った文禄年間にも巨大な地震が立て続けに西日本を襲った。

まず慶長伊予地震といわれる地震が、1596年9月2日(文禄5年閏7月9日)伊予(愛媛)を震源として発生した。

閏7月9日 - 伊予国で大地震、薬師寺の本堂や仁王門、鶴岡八幡宮が倒壊したという記録がある。

また3日後の9月4日には、現在の豊後(大分)の別府湾口付近で慶長豊後地震が襲った。(文禄5年閏7月12日)

さらに翌日の9月5日の子の刻には、現在の京都・伏見付近で慶長伏見地震が連続して発生した。

9月4日から5日、畿内一円で大地震、伏見城や方広寺の大仏殿が倒壊するといった同様の地震被害が出たとされる。

なお、この年は文禄5年10月27日(グレゴリオ暦1596年12月16日)に慶長に改元した。


これらの大地震は400年以上以前の地震災害ではあるのだが、個人的理由もあって以前から関心があった。

それは少年時代に父親の故郷(大分市)に行ったとき、巨大地震によって海に沈んだ島の話を聞かされたことがあったからである。

それはずっと昔、別府湾に瓜生島という大きな島があったが、巨大地震と津波とによって海にまたたく間に沈没してしまったという伝説であった。

これがずっと長い間記憶の片隅に残っていたのであるが、後日まとまった伝承記録などであらためて確認する機会があった。(写真は別府湾)



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実は四十年ほど以前より水中考古学という分野が日本でも注目されるようになってきていて、海中や水中の古代の伝承遺跡の発掘や科学的調査といったものが各地で実施されるようになった。

実際に別府湾でも調査が行われた。

この戦国時代の地震記録については、中世のイエズス会宣教師のルイス・フロイスの「日本史」にもこの九州豊後地方の大地震について記録している。

それには次のように記述されている。

引用開始:
「府内に近く三千(歩)離れたところに、沖の浜と言われ多数の船の停泊港である大きな集落、または村落があり、…(中略)…或る夜突然何ら風にあおられぬのに、その地へ波が二度三度と(押し寄せ)、非常なざわめきと轟音をもって岸辺を洗い、町よりも七ブラサ以上の高さで(波が)打ち寄せた。…(中略)…そこで同じ勢いで打ち寄せた津波は、およそ千五百(歩)以上も陸地に浸水し、また引き返す津波はすべてを沖の浜の町とともに呑み込んでしまった。これらの界隈以外にいた人々だけが危険を免れた。それにしてもあの地獄のような深淵は、男も女も子供も雄牛も牝牛も家もその他いっさいのものをすべていっしょに奪い去り、陸地のその場には何もなかったかのようにあらゆるものが海に変わったように思われた。(「1596年(9月18日付、都発信)12月28日付、長崎発信、ルイス・フロイスの年報」補遺)引用終わり:

文中冒頭の府内とあるのは、現在の大分市周辺のことである。




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水中考古学の研究の分野で大分豊後府内地方の瓜生島伝説が注目されだしたこともあって、それに関連する「豊陽古事談」や「豊府紀聞」、「日本一鑑」といったいくつかの古文書も紹介されて過去の地震記録が日の目をみるようになった。

驚いたことにその伝説の瓜生島の古地図もそれらの中に残されていることが分かった。

これは本当に驚きであった。

単なる古代の伝説と思っていたものが、島の存在が図上に明示された古地図まで出てきていよいよ現実味を帯びてきたというわけである。

瓜生島伝説とは一体どのようなものであったのか。

瓜生島が沈んだのは、いまよりちょうど四百年前の文禄5年(1596)7月12日であったという。

その瓜生島は府内(大分市)の西北3.3キロ沖の湾内にあったといい、東西3.9キロ、南北2.3キロ、周囲12キロの島であったという。
(参照・「豊陽古事談」瓜生島図)

島内の人家は約千戸、島の中央に北裏町や南本町、沖ノ浜町といった町名があり、船着き場には多くの船が各地から出入りして活気があったという。

島には恵比寿神社や威徳寺といった大きな寺社もあって、当時、湾の周囲から眺めれば海に浮かぶ風光明媚な島の景観が広がっていたのではいかと想像される。



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この瓜生島が突然の大地震と、それに続く津波によって海に没したというわけであるが、その被害者数は八百人前後であったと記録されている。

それでも島の住人の大多数が犠牲となったわけである。

瓜生島の北側に久光島という島があったが、これも瓜生島と同時に海中に沈没したとされる。


実は当方のご先祖様もこの大地震の被害をもろに被っていたという予想外の事実があった。

当時当方の先祖は府内(大分市)の東方に位置する鶴崎の地に刀鍛冶として一族が住んでいた。

元は京都の山城国の刀鍛冶(宇田国宗)であったが、室町幕府の内部抗争(観応の擾乱)が勃発した正平5年(1350年)当時、一族郎党共に九州の豊後に移ってきたのだった。

現在も現地に国宗という地名と国宗天満神社だけが残っている。

その後もこの地に刀鍛冶として定住していたが、1596年に発生したこの豊後の巨大地震と瓜生島沈没に目の前で遭遇してしまったことになる。

先祖が住んでいた国宗村は別府湾に流れ込む大野川の西岸の土地であり、それも別府湾に注ぐ河口に近かったこともありこのとき相当な地震被害を受けたものと思われる。

瓜生島が沈んだのは大地震による津波が原因ともいわれるだけに、このとき別府湾の海岸一体には大波が襲ったことであろう。

対岸の陸地でも地震の被害は甚大で、近くの鶴見岳が崩落して谷を埋めたことも記録されている。

同時にこのとき対岸の高崎山からの噴火があり、夥しい噴石が別府湾に降り注いだともいう。

このことは正史に一切記録されていないので、ここらは想像の域を出ない。




30年以内に震度6弱以上の確率が高い地域
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2018年06月26日



全国地震動予測地図2018年版(地図編)より



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ラベル:巨大災害
posted by モモちゃん at 09:52| 備忘録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする