2019年04月03日

『鼠璞十種』に記録されている奇談について

作家松本清張が注目した津軽怪異譚とは?


昔、八百歳まで長生きしたという八百比丘尼伝説が日本各地に、それも日本海側に似通った古い伝説が数多く残されている。

民俗学者柳田国男は八百比丘尼伝説について「山島民譚集二」で次のように触れている。

 「八百比丘尼は恰も右の大化と大同との中間に生まれた人でなければならぬ。何となれば比丘尼が山城の京に来て世人に囃されたのは正しく宝徳元年の夏である。此事実は当時の記録に三種まで見えて居る。先ず第一に臥雲日件録の七月二十六日の条には,近時八百歳の老尼若州より入洛す,洛中争ひ覩る,(略)次に唐橋綱光卿記の六月八日の条には,白比丘尼御所に参る云々,年八百歳の由申す,怪異の事也(略)此を以て見れば八百歳は証人の無い事称であって,殊に比丘尼の身を以て御所に参るに至つては頗る保守派の人々の同情を失ふ所以であつたとみえる。更に中原康富記の同年五月二十六日の記事には左の如く出て居る。曰く或は云ふ此二十日頃若狭国より白比丘尼とて二百余歳の比丘尼上洛せしむ。(略)伝説の方面に於ては先づ先づ世上の八百歳を信用して置くのである」


とにかく大化(650年頃)とか大同(810年頃)とかの時代にまで遡る話しであるから、まことに古めかしい伝承記録に他ならない。

しかもかれこれ八百年間も生きていたというのであるから、桁外れの長寿伝説であり、絵空事にしても内容自体とんでもない話しということになる。

全国にこの八百比丘尼伝説の話しは知られていたようだが、共通していることは若い娘が一人不老不死の効能があるという人魚の肉を食べたことで、年を取ることなく若い姿のまま八百歳もの長寿を得たという似たような経緯があることである。

長寿であることが幸運というよりは、話自体はそうした運命に翻弄され齢を重ねることの無情さを感じさせないでもないのだが、実はこれとよく似た不思議な話が江戸期の別の話しとして残されている。

それも主人公は女性である。

実はその話についてかって松本清張が怪異譚として、「作家の手帳」の中でほんの1,2行メモ書きとして触れていたことがある。

そこに次のようにある。

 「怪異集」江戸の随筆から
安徳天皇(在位1180−1185)のころ海女をしていた女が六百余年もひとり生き残って、津軽の山奥に住んでいるのに、江戸の旅商人と遇うこと(同右)。」


ここでいう江戸の随筆とは『鼠璞十種』(そはくじっしゅ)のことであるが、これは江戸学者三田村鳶魚が江戸についての未刊随筆を集めた叢書のことである。

松本清張の記述はほんのわずかであるが、この話しも追跡していくと興味深い長寿に関わる話しであるが、話しの展開そのものは泉鏡花の『高野聖』の冒頭部分を彷彿とさせる。

清張自身はこの話しに何らかの創作上の関心を持ったようであるが、話しが話しだけにちょっとメモするだけでそれ以上踏み込んではいなかったようである。

松本清張は北九州の小倉に住んでいたから知っていたとは思うのだが、実は北九州市若松区には江戸期の『鼠璞十種』の記述内容とも直接関わっている長寿伝説そのものが実際に残されている。


北九州にはこの長寿に関わる話しに繋がる伝承遺跡というのがあって、それは同市の若松区大字乙丸の貴船神社のご神体として祭られているのが「長寿貝」であり、それに関連した不可思議な伝説がそれである。

毎年その貴船神社では「ほら貝祭」が開催されるのであるが、それについては神社の案内板には次のような説明がある。

 「毎年4月15日、若松区乙丸庄の浦の貴船神社で、ご神体のほら貝からお神酒をいただき、不老長寿を祈願する「ほら貝祭」が行われます。

 この地区には「筑前国庄の浦壽命貝由来記」が伝えられており、それには天明2年(1782)5月、筑前芦屋の商人が奥州津軽で600余年も生き続けた女性に会った話が記されています。

 一人の商人が津軽の山路で道に迷い、女に一夜の宿を頼みました。女は筑前の生まれというその男を懐かしんで家に案内し、語り始めました。

 「私は筑前山鹿の近くの庄の浦に住んでいた海女の子です。ある時、私は病いに倒れ、明日をも知れぬ命となっていましたが、孝行な子供達がほら貝を採って帰り、料理をして食べさせてくれました。おかげで元気を取り戻し、それからは病気一つしなくなりました。そして、いくら歳月が流れても老いの兆しもなく、あれが不老不死の薬だったのではと思っているうちに、早や、600年余りが過ぎてしまいました。
 夫も孫も皆死んでいくのに、自分一人歳をとることなく、生きるつらさに何度死のうとしたかわかりません。住みなれた村もだんだん住みにくくなったので、諸国の神社や寺院にお参りすることを思い立ち、一人で各地を渡り歩きました。ある所では夫婦になって暮らしたこともありますが、私が歳をとらないので化生の者と怪しまれ、こっそりと抜け出したことがあります。諸国を転々とするうち津軽に来て、断りきれずに、この家の主人に嫁ぎました。

 私が故郷を出る時、ほら貝を形見として小さな祠に納めて参りましたが、今ではどうなっていることでしょう。祠のそばに船留めの松というのがありましたが、松は千年といいますから今でもあるかもしれません。あなたがそこに行くことがあったら、私の子孫でもいればこの話をしてやって下さい。」

 商人はこの年の10月、庄の浦を訪れ、子孫の伝次郎という人に会い、この話を伝えました。 北九州市教育委員会」


話に出てくる船留めの松そのものはすでに枯れてしまっていて、残ってはいない。

伝説によれば、この部落(かっては寿命谷といわれた)では氏子が病気の時にはこのホラ貝に水を入れて飲ませれば間もなく全快すると言い伝えられていたし、近隣に流行病のあるときにはホラ貝を吹き鳴らして疫病を追い払ったということである。

伝説に登場する女性は九州若松の庄の浦から遠く、はるばる奥州津軽の地まで旅を続け移動していったことになっている。

交通が不便であった時代に、ここでは九州から津軽にまで至るというまさに日本を縦断するような不思議な伝説話しが残されていることが興味深いところである。

彼女の名前は伝わってはいないが、寿永年間(養和の後、元暦の前。1182年から1183年)にはすでにこの地に生まれていたといい、それより600年間まったく老いることなく生き続けてきたのだという。

彼女は故郷を出て豊前からまず四国に渡って霊場を巡り、さらに山陰路を辿って東国を流浪し、続いて磐城・岩代・陸前・陸中・陸奥と渡り歩いたのであった。

この間何度か男に嫁したのであるが、自分は若い姿のまま年を経ても夫や子、孫は老いて次々と亡くなっていく。

死ねない、そして老いることのない宿命である。

そこには何とも云いようのない無常観が漂っている。

周囲の人々は彼女が少しも老いないことを怪しみ、ついには妖怪変化であるかのように噂し合うわけで、いずれにしてもその土地に長く留まることは出来ない。

そうした彼女の孤独な旅は延々と続いていくのである。

津軽の山奥で女に会った江戸の商人は津軽から江戸に戻ると、さらに北九州の若松まで来てこの話しを自ら伝えると共に事実関係を確認したのであろうか。

そうであったのであれば、話しとしては一層興味深いことになる。

日本の南と北を跨いだ伝説としては、距離的にはいささかスケールの大きな話しである。

百年や二百年の年数ではない。しかも数千キロを移動するという話しである。

飛行機も電話もない時代に、とてつもない時空間が絡んだ突拍子もない話しが物語として設定され編み出されていたことになる。

もとより絵空事であっても構わないのであるが、この奇談には何となく心引かれるものがあるように思えてならない。

北九州だけではなく、津軽のどこかにこれに類する伝説があればそれに越したことはない。

この奇談の発端は、北九州の海女伝説がたまたま江戸にまで伝わってきていただけなの話しなのかも知れない。

それが『鼠璞十種』に採録された可能性もあるであろう。

『鼠璞十種』が江戸で書かれたのであれば、少なくとも江戸でもこの話しが巷の噂話になっていた可能性はある。

江戸で広まった奇談の類いなのか、あるいはいろいろな伝聞をもとにして江戸で創作されたと考えてもいいかもしれない。

だが、それだけのことで北九州の若松で奇談伝説として定着し得るのかということになる。

伝承遺跡、伝承遺物までが北九州若松に残されているということは、そうした地縁としての根拠がこの地にあったということになる。


北九州若松、江戸、そして遠くは奥州津軽なのである。

肝心の津軽地方にこの女性に関わる伝承そのものが残されているのかどうかは、いまのところ確認出来てはいない。










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ラベル:松本清張
posted by モモちゃん at 09:57| 江戸時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする