2020年08月19日

江戸無血開城と檀一雄文学碑がシンクロする話し

文学碑を尻にしていた話し!

東京の聖徳記念絵画館に結城素明画伯の筆になる「江戸開城談判」という教科書にも載る有名な絵画がある。

dan これはいわゆる歴史画であって、幕末の慶応四年(1868)の無血の江戸城明け渡しに至る勝海舟と西郷隆盛との有名な会談場面を題材に描かれたものである。

この絵を目にしていると、次々といろいろな感慨がわき起こってくる。

勝海舟と西郷隆盛がこの場(薩摩藩邸)でこのように厳粛な形で対侍していることの不思議とも思える、ある種の特別な奇縁というものの存在を感じないわけにはいかない。

二人のこのような出会いの仕方というものもそうであるが、ここに至るまでにはそれこそ江戸市中での戦乱を回避させようとする数多くの人々の善意の働きかけがあったということも事実であって、やはりそこにはその時代の確かなダイナミズムが背後に働いていたことに気付かされる。

ここでこの話の続きとして、彼ら二人の共通の知人であり幕末に凶刃に倒れた土佐の坂本竜馬を登場させてもいいであろうし、あるいはここは大河ラマで有名なあの薩摩の篤姫や両者の会談を陰で支えた高名な漢方医浅田宗白先生の活躍を題材にしても新たな話しの展開とはなるであろう。

しかし私の持ち出すここでの奇縁というのはいささか風変りというか、そうした部類に該当するかどうかは分からないということもあって、それこそ格別次元の高い題材ではないということだけは先に断っておかなくてはならないであろう。

そこに至る話しは単純かつ複雑なのだ。

格調高い歴史小説ならそういう畏まった形式もあるとは思うが、ここは奇縁ということであるから奇縁は奇縁として明確にその独自性を提示してなんら憚ることはないわけである。

ここではそういう多少は気楽な部類の無駄話だと思っていただきたい。

とはいっても西郷と勝という政治的立場をそれぞれ異にする二人であるからこそ、このときの出会いそのものが特筆すべき事件であり、その合意に至るこの場の歴史的意義はとりわけ大きなものとなったことは確かである。

まさにこのとき勝海舟の立場そのものは旧幕府陸軍総裁であり、一方の西郷隆盛は新政府軍の東征総督府参議という要職にあって、それぞれの命運を担う重い立場にあった。

さて前置きはこのくらいにしておいて、ここでいう肝心の奇縁の話しであるが実はこのようになっている。

話しは大きく飛ぶのだが、海舟の父小吉が書き残した「夢酔独言」によると、海舟(麟太郎)は九歳のとき犬に股間を咬まれ陰嚢を損傷するという災難に遭遇したという有名な話がある。

それには「病犬に出合いてきん玉をくわれた」といい、金創医に陰嚢の傷口を幾針も縫われるというほどの重傷であった。

一時は一命を落とすかと危ぶまれたが、父小吉の献身的看護によってどうにか快方へと向かうという状況であった。

それでも治癒するまでに七十日を要したということであるから、少年期の海舟にとっては屈辱的事件であったことは容易に察せられる。

一方西郷隆盛は、藩主の逆鱗に触れ幽閉されるという悲運に見舞われた。

過酷な環境を強いられたまま奄美大島、徳之島さらには沖永良部島へと流された。いわゆる島流しの隔離である。

吹きさらしの狭い牢屋の中に閉じこめられた西郷は、不衛生な状況下に置かれたまま悪性のフィラリア症(糸状虫症)に冒され陰嚢水腫を煩うのである。

一旦フィラリア症に罹ると病原体である糸状虫がリンパ管系に寄生して陰嚢は大きく腫れ上がる。それこそ陰嚢が置物のたぬきのそれのようになる悪性の疾患である。

フィラリア症は熱帯地方に多発する風土病であり蚊によって媒介されるが、このやっかいな病気を抱えたまま、西郷はその後も各地を精力的に転戦していく。

これが西郷にとってやっかいな災難でなくて何であったろうか。

奇しくもこの二人が対面したとき、それぞれの相手の過去の屈辱的境涯については当時の海舟も西郷も何も知らなかったはずである。

たとえそのようなことを両者が知ったところで何の意味もないことであったろであろうし、もはやここで個人レベルの過去の悲運な境遇を云々する時でも場所でもなかったはずなのだから。

だがこのことが、当方としては部外者でありながら何故か気になるのである。

しかも私のような凡人の目からみると、これにも何かの歴史的蓋然性がどこかに隠されているのではないかとふと考えたくなるわけである。

妙な好奇心とでもいおうか、ここには一つの出会いに人間智を越えた何らかの力が働いているのではないかという感慨である。

こうした考えに取り付かれると、そこからは次々にいろいろな発想が飛び出てくる。

急所に受けた致命的ともいえるそれぞれの過去の傷は、奇しくも二人の英雄を数奇な運命ともいえる出会いに導くというような、それこそ背後で何者かが凝りに凝った運命的演出を操っているかのように見えてくるというわけである。

しごく他愛ないことである。

このようなことは何も特別な歴史的人物同士でなくても日常的にも起こり得ることではあろうとも思う。

しかしながら偶然とも思える両者の出会いが、意外にも何やら必然の可能性がそこには隠されているのではないのか?とも思うのである。
 
ここらは下世話で下らないといえば下らないであろうし、面白いといえば多少は面白味もあるかもしれないという程度のたわいのない逸話なのかも知れない。

その点は否定しがたいところであるが、ただ何となく感じられることは、この世知辛く猥雑な人間世界には人の目には触れ得ないような不可思議な糸が張り巡らされているのではないかと思うようなことが少なからずあるのだ。

これは似たもの同士、類は類を呼ぶというような、いまでいう共時性の時空世界の事象である。

英傑は英傑と対峙してこそ、さらなる歴史的偉業を残すのである。

結局この一点において、何やら際立って面白く感じられるということにどうやら行き着く。


西郷隆盛という人物名でふと子供時代の記憶を思い出したのだが、確か親戚の床の間に西郷南州の銘の入った大きな掛け軸が下げてあった。

四、五歳の頃の記憶とはいえ、目にするだけで何やら威圧される感じがあったのだが、その掛け軸はいつの間にか見なくなったような気がする。

そこに何と書かれていたのかとんと記憶にないのであるが、あるときその親戚がわが家に来ていきなり作家檀一雄の話をし始めた。

檀一雄といえば当地福岡県出身の著名な作家である。

話の内容は、亡くなった作家檀一雄の文学記念碑を建てることになったということであったが、その石材はその親戚の庭にあった大きな庭石を使うことになったという。

このことは後日地方紙にも紹介されていた。

ほら、お前がこまかとき日向ぼっこばしょったあの庭石たい。檀一雄もあの石によう腰掛けて考え事ばしよった。機嫌の悪かとき息子の太郎ちゃんば泉水(池)に投げ込んだことのあったばい」と、笑顔で伯父がいう。

たしかにその大きな庭石なら私にも記憶があった。

親戚の広い庭には古風な泉水もあって、その池の側に囲むように庭石が二つか三つ配置されていた。

池には五,六羽のアヒルがいたし、夏には従兄弟達が赤い兵児帯姿でよく水に潜ったり蛙取りをして遊んでいたのを、はるか五十数年前の記憶であるのだがいまでも鮮明に覚えている。

今回その庭石の一つが記念碑になって、「檀一雄逍遥の地」 と彫り込まれて当時逗留していた寺(善光寺)の敷地内に立派に建立されたということであった。


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昭和21年当時、檀一雄は最愛の妻リツ子を腸結核で亡くし失意のどん底にあったが、その直後郷里に近い福岡県山門郡に幼い長男と共に逗留していた。

つくづくと櫨の葉朱く染みゆけど 下照る妹の有りと云はなく」という悲歌が詠まれたのもこの時期であり、そのときの経緯は小説「リツ子その愛」に続く「リツ子その死」に詳しい。

櫨が紅葉する時期の景色というのは特に印象的である。

筑後地方の平野部に点在する櫨(はぜ)の木は、晩秋近くなると細身の葉一枚一枚が見事な朱色に染まる。

その鮮烈な色彩を見知っている者には、この悲歌を詠んだ者の痛ましいほどの哀切さがより一層心に強く迫ってくるようである。

檀一雄のことをこのように紹介しても、残念なことに私個人としては何の面識もない。

ただこれまで郷土出身の作家ということでいくらか文学的関心があった程度である。

また前述した義理の伯父と檀一雄とは縁戚関係にあったから、ときには親戚では話題になることが度々あった。

檀一雄がしばらくの間この地に逗留するということで、伯父は近くの東山村の小田平田の山間にある善光寺を間借り先として紹介した。

檀一雄は、山の中の静寂さが気に入り善光寺の庫裏の二階部屋を間借りすることとなり、ここを拠点として幼い長男と共に生活しながら創作活動を始めた。

ときたま濁り酒や鰯を買いに山裾の瀬高町や船小屋辺りまで山道を下ったということだが、片田舎だけに往復するのに4,5キロは歩いたであろうと思う。

その当時は戦後の食糧難ということもあって、伯父は檀一雄と共に近くの田圃に行ってトノサマガエルを捕獲してきて食べたこともあったと懐かしそうに話してくれた。

料理が得意な檀は、西洋では蛙を食用にするらしいという話をどこからか聞き込んできて一度田圃のカエルを試しに食ってみようということになり、実際に二人でカエルを捕獲して鍋で煮て食ってみたら酷く不味かったということであった。

この話を始めて聞いたときは思わず大笑いしてしまった。

そこらの田圃に生息している青臭いトノサマガエルと食用のウシガエルとでは、それこそ似ても似つかないものであったろう。・・・



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結局のところ、今回の伯父の話によるとどうやら私にもなじみのある庭石が後世に残る文学記念碑になったということである。

妙な感じである。幼少時のこととはいえ、かって尻にしたことのある庭石を前にして今度はあらたまった顔をしてそれに対侍するということになるのだから。

話を聞いただけで尻がむず痒くなってくる。

これは庭石を介して檀一雄と何らかの些細な縁があったというだけの話で格別何ということもないのであるが、実はこれだけで話しは終わらなかった。

小説「リツ子その愛」を読んでいると、福岡県西北部の糸島郡地方の地名が沢山出てくるのであるが、私も青年期に三年近くこの地で仕事をしていたこともあって玄海の海に囲まれた自然豊かな糸島地方は特別に懐かしい土地なのである。
 
その小説に出てくる地名の中に糸島半島の「小田(こた)」というところがあるが、戦争直後に檀一雄は妻律子と長男との三人で、結核に冒された妻の療養の為にこの地に移り住んでいた経緯があった。

私には糸島地方の「小田」という地名に記憶はなかった。
糸島半島のどの辺りなのかを糸島出身の家内に尋ねると、実家のすぐ近くの海岸よりの地名だという。

さらに檀一雄や彼の小説の話をすると、卒論は檀一雄について書いたというではないか。




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おいおい、それはどういうことだ?!

少し驚いて、どうして檀一雄を卒論に選んだのかと家内に問い直すと意外なことを話しだした。

檀一雄の小説「リツ子その愛」に登場する、妻律子の療養する糸島半島(当時:糸島郡北崎村小田、現:福岡市西区小田)の海辺の二階家というのが、家内の父方の叔母の家だったというのである。

小田浜(こたのはま)海岸と呼ばれ、いまでもきれいな砂浜が広がっている風光明媚なところである。

その海岸からは檀一雄が愛した能古島が望める。

家内は幼いときから海沿いの小田浜のその大好きな叔母の家に度々泊まりにいっていて、その度に叔母から檀一雄の当時の生活の様子などを詳しく聞いていたのだという。

とうに家屋自体は建て変わってしまっていて当時の面影はまったく残ってはいないのであるが、道路を挟んですぐ目の前に浜辺が広がっているから潮騒だけは昔と同じように聞こえてくるような場所である。

ito2 叔母さんはとても優しい人で、当時の檀一家の苦しい状況をみて親身になって世話をしていたということであった。

これには驚いた。
小説に登場するあの親切な人情味のある大家のオバさん(文中では下のオバさん)というのが、家内の叔母だったとは意外であった。

当時は結核は不治の病であったから、よほど懇意な関係でなければ間借りなど引き受けることはなかったわけで、家内の叔母さんの立場は村内でも中傷されて非常に苦しい立場に立たされていたという。

叔母さんからは当時のそういう苦労話も聴いていたという。

糸島半島(当時・糸島郡北崎村小田の浜)からは能古島がよく見えるのであるが、ここでのリツ子との最後の記憶が重なって檀一雄は後年この能古島に家を建てたのかもしれない。

現在の能古島は福岡市に近いこともあって、市民の憩いの場としても知られている。

その能古島は年間を通じて多くの花が咲き乱れる美しい島であって、フェリーを使えば15分ほどで島に渡ることができる。

もちろん能古島にも檀一雄の文学碑が建てられている。

実は檀一雄と能古島ということではさらに奇縁に繋がる話がある。

県内とはいえ、この遠く離れた能古島から当方の元へ治療にみえた老婦人がおられた。

近くの福岡市内でも治療ができるだろうに、わざわざ県南部の久留米市まで時間をかけて来院されたのであるが、これまた不思議な邂逅であった。

当方へ何度か通われているうちに、ふと能古島の様子や暮らしぶりを伺っていたら会話の中で突然「檀一雄」という作家の名前が飛び出したのである。

きっかけは「能古島だったら、たしか檀一雄の住まいがありましたよね
ということだったと思う。

するとご婦人は懐かしそうに話を始められて、かって檀一雄とは島の生活で親交があったといわれたのである。

その方のご主人と檀一雄とはとても気が合って、檀一雄が能古島に家を建てるきっかけや過程でも度々便宜を図るなどして特別に深い付き合いをされていたということであった。

これにも少なからず驚いてしまった。


個人的な交際の話をこうした形で直接うかがうとは、ここらも何やら不思議である。

こうした経緯を個々に聞いていくと、檀一雄の周りには多くの善意の関わりがあって、彼自身が何者にか見守られ続けていたというような不思議な想いが湧いてくる。これも奇縁なのか?


取り留めのない話ではあるが、私の周辺ではそれぞれの親族の世代は代が変わってしまっても法事などで従兄弟たちが集まると檀一雄の話題が飛び出してしめやかな場でもいつの間にか賑やかになる。

これはただの偶然というべきか。

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やはり世間は広いようで狭いというべきか。

当人がまったく伺い知らぬところで、何らかの縁(えにし)でつながっているのではないかという、不可思議な感慨にあらためて浸る今日このごろである。

       


写真は糸島の海岸風景












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posted by モモちゃん at 06:56| 歴史再発見 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする