2020年10月26日

明智光秀は鉄砲修行で運命が激変した!

明智光秀はSEのはしりだった!

光秀の本姓は源氏であり、それも清和源氏(摂津源氏)の出自とあるから美濃源氏土岐氏支流の由緒ある武家の家系ということになる。

しかも光秀の妻の旧姓は妻木煕子といい、『綿考輯録』(『細川家記』)によると妻木範熙の娘とされている。

そうなると明智と妻木とは美濃国守護を務めた土岐氏に繋がることから、光秀の生誕地もその辺りと思われるのだが、意外なことにいまだにその生地はどこなのか不明であるとされ、岐阜県可児市広見の明智荘(明智城)や最近では近江国犬上郡出生説などが候補地として挙げられている。

ここから先は『明智軍記』といった不確かな史料などで、どうにかその足跡を捕捉していくしかないようである。

しかも光秀の出生から青年期の間もほとんど知られておらず、その間は各地を巡って武者修行の旅を続けていたと思われるのだが、それが実質的には貧乏な浪人生活であったとしても若い光秀自身は大きな野望を抱いていたはずであり、その間にも有力大名や将軍家に仕えることを強く望んでいたと思われる。

しかしながら光秀が文武両道に秀でた武人であったということは、幼少の頃から多くの専門の師匠や武芸の師について修行したということであり、武芸に限らず芸事には金銭が絡むというあたりは今も昔も変わらないだけに、光秀自身がそうした経済面では相当に苦労していたであろうことが察せられるところではある。

そうしたこともあってか光秀の浪人時代の苦労話として、それも妻煕子の日々のやりくりが逸話としていくつか残されている。

光秀が浪人時代諸国を放浪していたころ、大事な夫の客人をもてなす酒肴を用意するために煕子が自身の髪を売ってその金を工面したという逸話がそれである。

あるいはそれは、光秀が好んで開いていた連歌会の出費を賄うためであったとのだともいう。

これらの逸話が後世の創作だったとしても、もともと光秀が裕福な身上ではなかったということをそれとなく示唆しているのではあるまいか。

光秀は信長に仕えるまでは、斎藤道三や朝倉義景などいくつかの有力な武家に仕えていたといわれている。

それが 「明智城は失われ、光秀は越前に逃れて諸国を放浪し、そののちに朝倉義景に仕えた」『明智軍記』というもっとも苦しい時期であったことになる。

しかしどうしたことか、それでも光秀の主家は定まらない。

主家が定まらないということは、いずれもが本採用ではなかったということである。

ここらは曖昧であるからにして、憶測めいた説であろうともそこには入り込む余地が出てくることになる。

『明智軍記』や『細川家記』(正式には『綿考輯録』)によると、越前の朝倉義景は光秀に五百貫の土地を与えていたともいうが、『太田牛一旧記』では、朝倉家で「奉公候ても無別条一僕の身上にて」と、何の取柄とてない、それも従者1人あるだけの待遇だと記述されている。 これまたどこまでが真実なのかわからない。

むしろ家柄だけで大名家に難なく取り立てられたとも考えにくい。

由緒正しい名門の武将としての格式でいえば、光秀には将軍家に仕えるだけの条件はそろっていたのかもしれないが、ルイス・フロイスの『日本史』や英俊の『多聞院日記』にあるように、もとはといえば光秀は細川藤孝に仕える足軽・中間の身分であったというのが本当のところではないだろうか。

家系や由緒書きで仕官が決まったとも思えないわけで、世に出るまではいくつかの前段階の部分があったということである。

当時とて格式だけでいきなり将軍家の陪臣に取り立てられるような余裕のある時代ではなかったわけで、将軍義昭の傍に仕える前にもそうした前場があって当然である。

武家である以上、そこそこの実力が伴わないことには話にならない。

美濃明智氏はもとより足利将軍家に仕えた武家であるというが、当然光秀が実際に義昭に仕えたときには、それこそ別の意味での段階を踏んだ新たな展開があったはずなのである。

この時代、まさに南蛮から新兵器である鉄砲がもたらされていた時期と重なることに気付かされる。

光秀は目敏くこの新兵器鉄砲の威力にまず注目した。それも注目しただけではない。

光秀ほどの武将であれば真っ先にその鉄砲なるものに実際に触れたであろうし、すぐさま鉄砲の製造現場に直接足を運んだとしても不思議ではない。

新兵器鉄砲にはそれだけの大きな革新性が秘められていた。

光秀は自分の目で鉄砲という新兵器を確かめ手に取ったからこそ、いち早くその真の威力を直に知ることが出来たのだと思う。

その当時、最先端の鉄砲操作や射撃術に精通した専門の師匠(指南役)など
は身近にはいなかったはずである。

まさに鉄砲は南蛮からもたらされた画期的な新兵器に違いなかった。

鉄砲の出現で戦国の戦闘そのものが以後激変した。

しかも鉄砲の国産化と普及とには、意外にも大きなギャップがあった。

日本において産業革命的なインパクトがあった。

堺を中心に需要と供給とが錯綜し生産現場と流通が活況を呈したわけで、武器商人らがたちまち台頭してきた。

そうした鉄砲の製造現場では完成後には一丁ずつ試し打ちする必要があったから、鉄砲の鍛冶場には隣接してそのための射撃場が設けられていた。

そこでは製品性能の確認作業が不可欠であった。

近くに山があれば山や岩を標的にして鉄砲を撃つのだが、一大生産拠点であった堺では海岸沿いにそうした広い射撃場が特別に設けられていた。それは堺の古地図をみればわかる。

通常は鍛冶場の職人が仕上がりを確認するために専ら試し打ちするのであるが、そのための火薬も鉛球もそこには常備されていた。

当時は火薬も鉛球も南蛮からの値の張る輸入品であったが、さらに高価な鉄砲の完成度を確かめるためここでの試し打ちは最終段階の大事な調整の工程があった。

光秀は自ら鉄砲の試し打ちを買って出た。

鉄砲の試射で腕を磨き、性能を実地に確認できるというわけである。

相当期間射撃場に居座ったであろうが、そうでもしなければ新兵器の達人にはなれないであろうし、実際に光秀が鉄砲の射撃術を習得したとする過程を考察するとなると当然そうした経緯を辿ったはずである。

光秀はその間に火薬と鉛球を鉄砲に詰める一連の鉄砲操作を習得し、射撃練習を重ねることで鉄砲射撃の腕を着実に鍛え上げたというわけである。

光秀は武士として鉄砲に精通すると、それ以降は戦場での実際の運用と管理までを手掛けて見せた。

そうして鉄砲を積極的に各大名家に売り込んだと云うべきであろうか。

ここに商機を見出した光秀のセールスエンジニアとしての顔が浮かび上がってくる。

画期的な新製品である鉄砲セールスは、カネになるのである。

鉄砲セールスは有力大名の面識の得る上では確実な手法であったろう。

光秀は武芸でも特にこの鉄砲射撃に秀でていたとされているが、これが光秀の仕官に繋がった。

『明智軍記』によると、光秀が越前の朝倉義景に仕えた際、義景の前で鉄砲射撃の腕前を披露したという。

光秀は積極的に自分の知識と技量とを売り込んだのである。

このとき光秀は、一尺四方の的(中央に黒星)を25間(約45メートル)離れた場所から鉄砲弾を100発撃ち、的の黒星に68発、的の端に32発命中させて、百発百中の成果を挙げた。これなどは出来過ぎた話に違いない。

実際に延々と鉄砲弾を100発撃つのも大変だが、それを見飽きずに傍で観戦するのも大変なことである。

火薬と弾を込め火ぶたを切って発射するといっても、連射するにもそこそこ時間がかかる。

一丁の鉄砲を続けて連射すれば銃身が焼けて熱くなってくる。

そう考えると話半分とみるべきである。

光秀は鉄砲の操作に習熟すると、鉄砲の腕で大名家に仕えようとする。

その後光秀は将軍義昭の陪臣というより、まずここでは足軽衆として登場してくる。
それも将軍家の足軽でもただの足軽衆ではない。

槍や弓でもない鉄砲足軽といわれる、いわゆる将軍家直属の少数精鋭の鉄砲衆をそのとき光秀は実質創設したのではないかと考えられる。

ここからが明智光秀の真骨頂である。

それ以前に光秀は、まず将軍家に近づく手立てとして細川藤孝に仕え、そこでは足軽・中間の身分に甘んじていた時期があったと、ここは推測せざるを得ない。

そこから将軍家の陪臣として一気に頭角を顕していく。

そこで光秀は兵団の中に新たな戦力となる鉄砲衆を置くことを提案したことであろう。

鉄砲の部隊であれば、少人数であっても大きな戦力を持つことが可能である。
光秀はこれには絶対の自信を持っていたはずである。

偶然にもこのことが奏功したのだ。

それが永禄12年(1569)の本圀寺の変である。

三好三人衆らが室町幕府15代将軍足利義昭の京都本圀寺仮御所を襲撃した際に守備する光秀らは寡兵であったが、このとき味方の五倍もの敵勢力に対して鉄砲や大筒で果敢に応戦した。

多勢に無勢でありながら敵を見事に撃退して見せた。

このときは明らかに光秀の鉄砲足軽衆が大いに活躍した証拠である。

光秀と鉄砲に関しては興味深い史料がある。

福井市東大味町の明智神社の記録によると、光秀は弘治2年(1556)美濃から越前に逃れた後、当初は丸岡の称念寺に妻子を仮寓させ自らは旅に出て文武両道を極めたが、特に泉州堺で本格的に火縄銃を習得したとある。

さらにこのことにより越前守護職朝倉家に鉄砲指南役として抱えられ、一乗谷から京への大手筋に当たる東大味に居を構え、妻子と共に6年余り住んでいたという。 (明智神社パンフレット参照)
ここでも光秀は武芸でも鉄砲の扱いには特に秀でていたとされる。

cover2

鉄砲指南役という当時としては最先端の武芸を売り物にしていたわけであり、光秀自身それだけの技量を示していたということになる。

いわゆる鉄砲コンサルタント(鉄砲指南役)として、さらには新兵器鉄砲のセールスエンジニアとしての大名家に己の才覚と合わせて売り込んでいった。

信長などは武家の格式よりも、こうした本人の才覚とアイデアを高く評価する。

光秀のこの手法は信長に気に入られる。

実際に光秀は鉄砲を手にしてからというもの、次第に金銭的にも裕福になっていく。

意外にもこの辺りから光秀は裕福であったという事実が窺われてくるわけで、いつの間にか光秀は貧乏な生活と決別していた。

おそらく商才にも長けた光秀は、信長に仕える前にすでに相当な財力を保持していたらしいのである。

商才を兼ね備えた武将ということであれば、信長の推し進める楽市楽座にも繫がる格好の人財である。

このとき織田信長が光秀という武将をもっとも高く評価したのであった。

裕福になっていた光秀は、さっそく京に屋敷を設けた。これが世に知られた京の明智屋敷である。

武家ふぜいが洛中に屋敷を簡単に持てるわけではないし、そう考えると当時の光秀はどうみても商人並みの財力が手元にあったことになる。

洛中に己の屋敷を設けなかった信長は上洛したとき、この明智屋敷にもたびたび宿泊したのである。


明智光秀は逸材だけに、堺の武器商人として後世大いに名を成したかもしれないが、信長にヘッドハンティングされたことで後半の人生が大きく変わってしまったということになる。







ブログ読者登録 - にほんブログ村

5G時代に対応した電磁波防御製品(新製品)の紹介

denden3商品詳細

電磁波過敏対策・5G電磁波攻撃防御製品[電磁番AZ]denjiban-1301 (送料無料)
あなたの気になるその不快感は電磁波が隠れた原因かもしれないのです!
慢性的な疲労感、集中力の低下、頭が重い、耳鳴り、不快なめまい、息苦しさ、眼の奥がいたむ、皮膚が乾燥してひりひりする、すく赤くなる、顔がむくんだりほてる、からだが重く疲れる、肩こりや関節の痛み・・・etc
あなたはこの苦痛を誰に訴え相談されますか?
市役所、消費者生活センターや公的機関、警察、病院、弁護士?・・・etc
そしてすっきりと解消されましたでしょうか?
原因不明の不快な環境ストレスの原因は、多くの場合目には見えない電磁波ノイズが関係しています。
反射錯乱する電磁波ノンズは遮断だけでは防御出来ないのです?!
電磁波中和装置「電磁番AZ」は多用途の機能的防御が可能です。携帯するだけ、貼るだけ、置いておくだけ!
準静電界レベルの干渉による不快な電磁波過敏、電磁波音波攻撃対策の防御製品として、
「電磁番AZ」はご利用者の皆様から高い評価を頂いております。
★電磁波中和放電装置「電磁番AZ」をテレビやパソコン、各種電子機器、電子レンジなどの電気機器の上や車両内に、一個セットするだけで「特殊電子回路」が周囲に放射される有害電磁波に干渉して中和放電変換します。
★日本国内の電磁波環境に対応した製品です。不快な電磁波ノイズの中和放電によって身体への悪影響はほとんど感じられなくなります。
(実際のストア評価のお客様の声を参照ください)
★隣接した建物や施設から放射される不快な波動ノイズ、悪質な電磁波攻撃、嫌がらせにも対応いたします。 製品の耐用年数は、普通に使用すれば3,40年以上そのままで使用可能です。
★一般の住居内はもとより、店舗・事務室・治療室や病室、オフィス内環境を電磁波レベルで整え防御します。(取り扱い説明書を添付しております)
★製品サイズ 直径10cm 厚さ 1.5cm 重さ 約80g

電磁番AZ使用時の注意事項

★「電磁波中和装置電磁盤AZ」は、周囲のマイナス波動の電磁波を干渉中和放電するため、DVDショップなどの店舗内に設置された盗難防止システムのゲートセンサー(レーダー)の電磁波にも敏感に反応し、有害電波の波形を変換してしまいます。
そのため「でんじ・ばん」を携帯したまま入店されますと、警報システムによっては電磁波シールドの変化で出店時のゲートでの誤作動で警報が作動してしまう場合がありますので、店内持ち込みによるトラブルには十分ご注意下さい。


詳細は
外部サイトのリンクページの「電磁波中和装置電磁番AZ」のセット方法について」をご覧ください。
電磁波過敏や電磁波攻撃対策法については
外部サイトのリンクページの「波動電磁波情報検討会」を参照ください。
電磁波中和装置電磁番AZについての解説(クリックするとリンクページが開きます)
「電磁波中和装置電磁番」のご案内
電磁波過敏について
電磁波攻撃によるストレス症状について
「電磁波中和装置電磁番AZ」の干渉中和放電効果について
「電磁波中和装置電磁番AZ」を使用されているお客様の声
「電磁波中和装置電磁番AZ」の機能と構造について
「電磁波中和装置電磁番AZ」に関するご質問と解説
「電磁波中和装置電磁番」を使った気の調整法について
電磁波過敏の関連の出版物
最近の重要な電磁波情報
不眠症対策について
レーザーポインター攻撃
スマホ電磁波の対策予防法
スマホ乗っ取り攻撃について
電磁波攻撃・嫌がらせ対策
最新の電磁波攻撃機器とは
電磁波被曝と準静電界について
米国大使館電磁波被曝事件
迫り来る次世代5Gの脅威とは







jyou




「天魔王信長の野望を打ち砕く 我が武略に勝算あり」ノンフィクション

tuku
「戦国日本人奴隷貿易の真相とキリシタン弾圧の背景」ノンフィクション

奴隷船

「治療家・セラピストのための生体経絡・生気論」

経絡論

「時代小説短編集・憑依(つく)」
ミステリアスな題材による時代小説

憑依3
「徐福渡来伝説を検証する」太古の日本に渡来した徐福とは何者か?古代史ドキュメント
cover2
「おいしいりょうりをつくろう」
電子絵本シリーズ

dam
「こわいおばけがでたぞ!」
電子絵本シリーズ

dom
「とおせんぼ」
電子絵本シリーズ・ぬりえができる

tosenbo




















posted by モモちゃん at 07:51| 戦国時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする