2014年02月19日

強精剤「海狗腎」を手にして家康は天下取りに成功した(4)

あの秀吉が歯噛みして悔しがる話


御存知のように、オットセイ(膃肭臍)は強精剤としての人気は現代でも相当に根強いものがある。

強精剤というと、スッポンエキス、ベンガル虎の一物、沖縄ハブの肝、赤マムシの肝、キングコブラの肝、鹿鞭を尻目に、まずはこのオットセイの一物というわけで、中国の有名な至宝三鞭丸、海馬三腎丸などにも確か同様の物が処方されているようである。

わが国にこのオットセイの効能が伝わったのは、一体何時のことであろうか。

時代を遡っていくと、まずは徳川家康(一五四二〜一六一六)に行き着く。
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というのは、以前も書いたことがあるが、家康は殊のほか本草学に熱心であり、中国朝鮮の医学書をいち早く入手して研究していた実績があるからである。

しかも当時としては珍しい薬草園までも作っており、家康の遺品には薬物や調剤道具が残されていた。(駿府御分物御道具帳)

『本草綱目』や『和剤局方』を独自に研究していたし、一六一三年朝鮮刊行の『東医宝鑑』にも逸早く目を通していた。
とにかく家康はこの分野においては研究熱心であった。

実はこれらの医書には、オットセイの補腎薬としての効能や処方が書かれていた。

史料を見ると家康が六九歳の時(一六一一)に、蝦夷の松前藩主松前慶広に海狗腎(オットセイ)を献上するように命じている事実があるが、このときすでにこれらの医書でオットセイの薬効情報をつかんでいたわけである。

これより後はオットセイの薬効が世間一般にも知られるようになり、大いに人気が集まったという経緯がある。

それも江戸庶民の川柳に登場するくらいだからその注目度は相当なものである。

 始皇帝おつとせいとは気がつかず
 おつとせい転ばぬ為の薬の名
 松前の矢で射た腎薬
 効能で女房よろこぶ夫ト勢
 薬食いでも後家はいましめおっとせい


腎薬とくれば、あの腎虚(萎縮腎説、老人性肺結核説がある)で倒れた豊臣秀吉はどうであったろうか。
この腎薬オットセイの存在を秀吉が知り得たかどうかが気になるところである。
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この点について早速あれこれと調べてみたというわけである。

ポルトガル宣教師(一五三二〜一五九七)として一五六三年来日したルイス・フロイスの『日本史』(一九二五年草稿が発見された)によれば、秀吉は大阪城内に参百人のお手付きの側女をおいていたというから、これが重要な傍証となる。

後年秀吉は延命を願って没薬(もつやく)を服していたが、これとて天下統一後の権勢とは裏腹に衰える体力の回復に、それこそやっきになっていた証拠でもある。

秀吉は地下人もしくは百姓の出ということもあって、民間の灸治療や温泉(有馬)の効能もよく知っていた。
親しかった前田利家とはお互い灸をし合ったという逸話は有名である。

その上、精力増強のために当時としては珍しく牛肉や生玉子を食らっていたし、虎肉が良いと聞けば朝鮮出兵中の島津義弘らに塩漬けの虎肉を送るように厳命していたほどである。

これに答えて福島正則は虎を討ち取り、塩漬けにした虎肉を秀吉のもとへ送っている事実がある。

こうなると朝鮮出兵の目的には、意外とこれらの珍奇な薬物や大陸あたりの精力剤の入手が絡んだものだったかもしれないということになってくる。



晩年になると秀吉は足腰がふらつき、ついには城内でお洩らしまでするようになり、本人はもとより側近あたりの強壮剤捜しは当然あったと考えるべきである。

この当時、いわゆる老人の失禁などは腎気の衰えとみられたのである。
 
関白職を甥の秀次に譲る時、書状でもって「茶湯、鷹狩り、女狂いなど一切秀吉の道楽の真似るなかれ」と、厳しく訓戒したほどの秀吉であり、もとよりかっての主君織田信長が呆れ返るほどの女好きであったからどう転んでも腎虚は避けようもなかった。
自業自得である。

本題のオットセイであるが、中国方面ではすでに八世紀前半には薬物情報として入っていたらしい。(『和漢薬』百九十六号・三浦三郎)

オットセイ情報は中東方面から海か陸のシルクロードを通じてはやくに伝播してきていたということになる。

となると時代的には鎌倉時代に伝わっていた『和剤局方』からの情報か、さらには中国で直接宋医学を学んだ医師の田代三喜あたりから腎薬オットセイなるものの薬効は確実に日本に伝播していたことになる。

勿論、情報通の秀吉自身こうした珍奇薬への特別な関心は、はじめから医師達へ向けられたことは十分考えられることである。

側に仕えた医師の施薬院全宗や侍医に近い立場にあった曲直瀬道三(中国に留学して李朱医学を学んだ田代三喜の弟子)、薬種も手広く扱っていた小西家からもそれらの情報は容易に入手できたであろう。

当時の名医として名高い竹田定加や半井瑞桂らの番医はもとより多くの名医の治療を直接受けたことで、たぶんオットセイ情報も彼の耳に端に入っていたことも考えられよう。

ここで重要なことは、海狗腎(オットセイ)なるものがこの時代はっきりと海獣「オットセイ」と認識されていたかどうかが疑わしいという点である。
この辺りが曖昧なのだ。

オットセイとはどんな生き物なのか、意外なことに当時の日本人の誰もが知らなかったのである。

海にいる大きな海獣、あるいは海魚というレベルの認識であれば、海豹やトド、あるいは鮫や鱶も該当するやも知れず、それこそ誰も「オットセイ」なるものを特定することができなかった。

それこそ現物と文献情報が一致しない事例はいくらでもあったのである。

学者はその名称や存在自体は知っていても実際には肝心の現物そのものは見ていないわけである。

事実、当時最新の中国(明)の薬物書『本草綱目』でさえ、そこに描かれているオットセイの図録は巨大な怪魚そのものなのである。

ということは、『本草綱目』の編著者である李時珍でさえもが実際のオットセイを見たことはなかったということになる。

加工された「海狗腎」は目にしたかもしれないが、海狗腎の全体像はどこまでも怪魚であったということになる。

ここで厳密にいえば、生前秀吉はこの『本草綱目』に描かれた「オットセイ」なるものの絵姿さえもを目にはしていないしそれは叶わなかったのだ。

というのは『本草綱目』が明の李時珍の手によって完成したのが一五七八年当時である。

日本に『本草綱目』が実際に輸入されたのはこれよりもっと後年であった。
しかも当時でさえ『本草綱目』は、容易に国外に持ち出されるような書籍ではなかった。

第一、この時代明国は日本との直接の交易を断っていた。

そうした状況にあって一六〇七年にようやく長崎で林羅山が『本草綱目』を入手して、始めて家康に献上したわけであるから、当時でもなかなか入手できない貴重かつ高価な稀覯本であったことになる。

ここではじめて家康が権力者として「オットセイ」なるものに最も早く注目したという明確な経緯が判明したというわけである。 
 
さらに留意しておかなくてはならないことは、たとえ貴重な文献が入手できたとしても薬用としての「オットセイ」の特定作業とそれの入手に成功しなくては意味はないことになる。

現物を入手するにもオットセイの特定ができて初めて可能となる。

これが実現したのは権力者としての家康の絶大な力が発揮されたからであり、そこには卓越した情報収集力がものを言ったといえる。

彼にはそうした海外情報を齎してくれる有能な人材がブレーンとして身近に存在した。

彼の元には明から渡来してきた医師団がいたことはすでに拙論でも紹介したところである。

家康は自ら彼らに問いただし、それらの関連情報を得たわけである。

そうなるとここは偶然などということではなく家康にとっては必然的な流れがあったわけで、すべては入手するべくして確実に己の手で掴み取ったということに他ならない。

ここらが家康の本来の凄さであり、実力に見合った強運というべきところである。



オットセイは哺乳類食肉目アシカ科の海獣で、北太平洋のアラスカ周辺や千島列島付近に生息しており、冬季には本州中部当たりまで回遊するというから、当時の日本人にとってまったく未知の動物というわけではなかった。

しかしそれが権力者が欲しがるさ最高の補腎薬とは、家康が気付くまでは誰も知らなかった。

というわけで秀吉のもとではオットセイの実体そのものはすこぶる曖昧なままで置かれていたということになる。

国内の既存の本草書にいくらか記載はある。
だが肝心のオットセイなるもののはっきりした特定は出来ておらず、結局入手は不可能だったということになる。

たとえ天下人秀吉が強い憧れを抱いた補腎薬であったとしても、オットセイの特定がされるだけの確かな情報が揃わなかったということになる。

結局のところ秀吉は海狗腎の入手に間に合わず六十三歳で逝去、家康はオットセイ入手に間合い見事にセーフ、七十五歳まで延命に成功したということになる。
しかも家康は生涯子供を18人ももうけたのである。

あの世では、秀吉が地団太踏んで悔しがったことであろう。

まあそれでも秀吉自身は、当時の名医曲名瀬道三自身も晩年愛用していたという人参入りの補中益気湯ぐらいなら、精力回復を願ってせっせと服用していたのかもしれない。

強精剤はやたら体をむち打つものである。
これによって精力が一時的に増してもこれは直ちに延命に繋がるものではない。

限りある命を精力増強に振り向けるわけで、肝心の生命力そのものが損なわれることもある。

使い方を誤ればかえって命取りとなるわけで、単純に家康がこれで延命したともここでは断定は出来ないわけである。
























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    posted by モモちゃん at 22:00| Comment(0) | 歴史発見 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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