2014年07月03日

コンフラリアと天草四郎鉄砲軍団の実態とは(16)

コンフラリアの掟と鉄砲軍団(16)

九州歴史発見シリーズ
いまさら歴史認識がどうした?

最強の傭兵部隊天草四郎鉄砲軍団の実態とは
何故に日本最強の鉄砲軍団といえるのか


東洋医学史研究会
宇田明男





●何故に日本最強の鉄砲軍団といえるのか

反乱勢の中心勢力は、それと分かる戦慣れした武士たちが頭として名を連ねている。

反乱勢に実戦経験豊富な浪人集団がいたことや戦闘員が鉄砲の扱いに手馴れていたことは確かであるが、それにしても何故にこれほどまでに彼らは圧倒的戦力を保持していたのであろうか。

まずその軍勢の規模を考えただけでも不思議ではあるまいか。
しかもこの後に続く城攻めの緒戦だけでなく、海岸沿いの廃城に篭って3ヶ月以上も激しい戦闘を続けるられる弾薬の備蓄量そのものを考えたとき、それが半端ではないことが容易に理解できるはずである。

何故に貧農集団に大量の鉄砲弾薬が用意できたのか。
さらに反乱勢は目敏く藩内の武器倉も襲撃し500丁の鉄砲弾薬を強奪していた。
何故に小大名の武器倉に大量の鉄砲があったのか。

反乱勢側の戦闘員の多くは鉄砲射撃に習熟しており、城塞から狙いを外さずに驚くべき正確さで敵兵を次々と狙撃していった。

一体、誰がこのような戦闘力の高い武装集団を練兵してきていたのか。

これこそ島原・天草の乱の大きな謎ともいえるだろうが、これらの装備の多くはイエズス会が日本を離れるときに残していった遺産ともいうべき戦略物資であり、数千丁の鉄砲弾薬などの大量の軍事物資が各地に秘匿温存されていたからに他ならない。
これらは隠蔽しがたい事実である。

篭城した原城自体が火薬の生成に関連した施設を有していたともいわれ、もとより反乱勢は火薬生成技術にも精通していた。


天草や島原の土地では早くにキリスト教の布教が始まったこともあって、宣教師やポルトガルの商船が頻繁に島原の口之津や天草の港に渡来してきていた。

この地は総じて肥沃ではなかったが、大村や有馬の大名は南蛮との交易によって莫大な物品輸入税を手にして財政が潤った時期があった。

こうしたこともあって領内では過剰なほどの軍事投資が行われていた。

当然そこではキリシタン勢力による奴隷を対価にした取引も行われており、その結果として皮肉な展開であるがそうした海外交易によって領内での鉄砲の普及も急速に進んでいった。

しかも領内では新兵器である鉄砲の製造も独自に進められていた。

海外から火薬の原料である硝石さえ入手できれば、他の硫黄などの原料は近くの雲仙岳周辺からそれこそ無尽蔵に確保できたことから武器としての鉄砲は身近にあったことになる。

港近くの硝石の集積地では火薬の生成作業も行われており、早い時期から領内に実質的な火薬供給の拠点も持っていた。

まさにこの土地特有の地政学的背景として、少なからずそうした最新の鉄砲技術と軍事物資の弾薬の生成蓄積がされていたということになる。

また一方では有馬氏の転封の際に改宗して異教徒となった主君に従わず、地元にそのまま浪人として残ったキリシタンの旧家臣団も各地に点在していたのである。

戦国時代を生き残った彼らの中には、反乱軍の森宗意軒のように当時の西洋に留学した者もいて南蛮の兵法や軍制にも通じていた。

(注:1)森宗意軒:天草島原の乱の指導者の一人であるが、かって小西行長に仕え貨物船の宰領になったが舟が難波。南蛮船に助けられオランダに渡航し外科療治を学んだ。帰国後は高野山のふもとに隠棲したが大阪の乱で真田幸村に従い天草に落ちのび森宗意軒と名乗るようになった。

この地は九州の僻地というより、逸早く海外に、それも南蛮キリスト教諸国に目を向けていたことも認識しておかなくてはならない。


この土地の土豪や農民らは、慣例として日頃から集団で緊密に連携しながら田畑を荒らすイノシシや猿、鹿などの害獣を巧みに鉄砲で討ち獲っていた。

田畑を害獣から守るという名目で、領内の農民には藩から鉄砲が貸し出されていたというから驚きである。

それこそ村々には鉄砲を扱い慣れた射撃名人がぞろぞろいたわけである。

そうした領民らを旧家臣団が支援する形で組織的に活動していたのであるが、その規模と機動力のある戦闘能力から見れば彼らは鉄砲を装備した当時日本最強の武装集団の様相を呈していたといえる状況にあったことになる。

(注:2)(司馬遼太郎「街道をゆく十七」朝日新聞社・より引用――「なにしろ島原という土地は戦国の強豪有馬氏の旧領だけに、百姓でも鉄砲をよくする者が多かった。なかでも三会村(みえむら)の猟師で懸針(さげばり)金作という射撃の名手も籠城していた。さらにいえば鉄砲鍛冶の数も多く、また火薬や火縄をつくることに多くの者が長じていた。その点、戦闘力からいって、江戸期の他の農民一揆とはくらべものにならない。」――引用終わり)

反乱勢の農民や領民が、戦闘力について自らそうした認識を持っていたかどうかは分からないが、彼らの背後にいる浪人らの狙いはそこにあったということになる。

当時もこの事実はほとんど外部には知られていなかったであろうし、現代でもこの九州の一地方に、日本でも最強の鉄砲集団が存在していたという歴史的評価を下す人もまず皆無であろう。

興味深いことは、反乱勢そのものが国人衆や土豪、地侍たちの結合した集団ということで、これは従来の紀州の根来衆や雑賀衆といった鉄砲集団と似ている部分があるわけで、特に集団による鉄砲を駆使した戦闘法を得意とする点ではまったく同じであった。

そうした連携はコンフラリアの掟を厳守する徒門集団が核となって組織化されていたわけで、そこにも行動形態としての類似点があることになる。

 (注:3)コンフラリアの掟:「拷問や侮辱などあらゆる苦難に耐え、強固な信仰を示せば救済される」(ジェロニモ・ロドリゲス作成「組ないしコンフラリアに関する覚書」より引用)

しかもこの地では宣教事業として、当初よりキリシタン信徒による傭兵軍団の組織化が練られていたのも事実であるから、十分に下地は造られていたということにはなろう。


これは近代に見られるヨーロッパの軍隊組織に近いものか、あるいは傭兵団組織の原型ともいえるものであって、当時の日本でも特異な武装形態であったであろう。

たとえ身近に大量の鉄砲弾薬があったとしても、それを縦横に駆使して戦うだけの技量を持った戦闘員が揃っていなければ、組織化された反乱行動までには繋がらなかったはずである。

もとより反乱を主導した鉄砲軍団そのものがこの地において短時日に形成されていたとはどうしても思えないわけで、そうした用意周到な反乱計画そのものが綿密に練られていたことは想像に難くないところである。

彼らのうちに組織的な戦闘体勢が備わっていなければ、これだけの規模の反乱を企てることも、広範囲に連携した一斉蜂起も出来なかったことは確かであろう。

その核となったものが新兵器鉄砲であり、火薬そのものの存在であったのである。


この稿続く









参考資料:
「近代資本主義の成立と 奴隷貿易―――― A 教皇文書と新大陸での実態の吟味 カトリック教会は奴隷貿易を容認したのではないのか」 西山俊彦 2003 カトリック社会問題研究所 『福音と社会』 211
「近代資本主義の成立と奴隷貿易―――― B 教皇文書と新大陸での実態の吟味(2) キリスト教化は奴隷化の方便ではなかったか」 西山 俊彦著 2004 カトリック社会問題研究所 『福音と社会』 第 212 号
読売新聞:2004年8月7日〜9月18日号・「九州こだわり歴史考・棄教の果て」
「歴史研究」 新人物往来社 ・特集:島原の乱の謎 第322号 1988年
「完訳フロイス日本史」(中公文庫) ルイス フロイス (著) 松田 毅一 (翻訳) 川崎 桃太 (翻訳) 全12巻
 1 織田信長篇T「将軍義輝の最期および自由都市堺」(中公文庫,2000年1月)
 2 織田信長編U「信長とフロイス」(中公文庫,2000年2月)
 3 織田信長篇V「安土城と本能寺の変」(中公文庫,2000年3月)
 4 豊臣秀吉篇T「秀吉の天下統一と高山右近の追放」(中公文庫,2000年4月)
 5 豊臣秀吉篇U「暴君秀吉の野望」(中公文庫,2000年5月)
 6 大友宗麟篇T「ザビエルの来日と初期の布教活動」(中公文庫,2000年6月)
 7 大友宗麟篇U「宗麟の改宗と島津侵攻」(中公文庫,2000年7月)
 8 大友宗麟篇V「宗麟の死と嫡子吉統の背教」(中公文庫,2000年8月)
 9 大村純忠・有馬晴信篇T「島原・五島・天草・長崎布教の苦難」(中公文庫,2000年9月)
10 大村純忠・有馬晴信篇U「大村・竜造寺の戦いと有馬晴信の改宗」(中公文庫,2000年10月)
11 大村純忠・有馬晴信篇V「黒田官兵衛の改宗と少年使節の帰国」(中公文庫,2000年11月)
12 大村純忠・有馬晴信篇W「キリシタン弾圧と信仰の決意」(中公文庫,2000年12月)

「村山当安に関するヨーロッパの史料」アルバレス・タラドゥリース(著) 佐久間正(訳)
「キリシタンの世紀―ザビエル渡日から「鎖国」まで」高瀬 弘一郎 (著)  岩波書店 1993
「福者フランシスコ・モラーレスO.P.書簡・報告」ホセ・デルガード・ガルシーア編注、佐久間正訳キリシタン文化研究会、1972年
「キリシタン時代の貿易と外交」 著者: 高瀬弘一郎
「看羊録―朝鮮儒者の日本抑留記」 (東洋文庫 440)姜 (著)  朴 鐘鳴 (翻訳)
「村山等安とその末裔」(自費出版)村山トシ (著) 1993
「 日本切支丹宗門史」レオン・パジェス著  クリセル神父校閲 吉田小五郎訳 岩波文庫 昭和13年
「細川藩史料による天草・島原の乱」戸田敏夫(著) 新人物往来社 1988
「イエズス会による対日軍事力行使をめぐる諸問題」 高橋裕史 2006
「坂口安吾全集 03」筑摩書房 1999号
「日本及び中国におけるイエズス会の布教方策 −ヴァリニャーノの「適応主義」をめぐって− 55 アジア・キリスト教・多元性」 現代キリスト教思想研究会 第3 号 2005 狹間芳樹著
「近世日本潜伏キリシタンの信仰共同体と生活共同体」 大橋幸泰著




















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    ラベル:コンフラリア
    posted by モモちゃん at 15:14| 江戸時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする