2014年07月11日

天草島原大乱・歴史改ざんがより面白くする(21)

削除したいキリスト教関連文化遺産とは何か(21)

九州歴史発見シリーズ
いまさら歴史認識がどうした?

長崎を取り巻く不穏な動きとは
不都合過ぎる文化遺産とは何か
死を賭した長崎奉行村山等安の行動とは


東洋医学史研究会
宇田明男



●長崎を戦火から守った村山等安一族の功績

長崎奉行村山等安の経済的支援によってドミニコ会の布教活動は確実に成果を挙げていった。

宣教事業ということでは、距離的にも近い肥前(佐賀)の浜町にドミニコ会のロザリオの聖母教会とサント・ドミンゴ修道院が活動していたことも幸いしたことであろう。

ドミニコ会は1613年、肥前の地を追放されるまでは長崎の教会と相互に連携して活動を続け長崎から肥前地方の浜町、肥前鹿島、佐賀、さらに島原半島へと地道な活動によって各地に同会派の信者数を拡大させていった。

最終的にはそれは少なくとも2万人規模にまで信徒が増えていたという。

幕府による禁止令が出た直後より各教会では信者たちに迫害に備える準備をさせるとともに、信仰を維持するための信徒組織を作ることにした。

このときすでに肥前や長崎に住むキリシタンにも危機的状況が迫りつつあった。
そのときの教会内部の様子について当時の托鉢修道会のアロンソ・デ・メーナ神父の記録には次のようにある。

「またそれとともに、神父たちはもっとも信心深い人々を長とし、男女それぞれの幾つかの組を作った。・・・それは何軒かの家に祈祷所を残しておいてときどき集まって祈り、あるいは信心の本を読んで説教の替わりとするためである。また同時に断食や苦行の規則を彼らに課し、平和と愛の精神を教え、最後に、いかなる方法でもよいから棄教する前に神のために役立つように死ぬべきことを教えた。キリシタンたちはみな喜んでこれらの教えを受け入れたが、これは彼らのために非常に有益であった」MENA,o.p.(Fr.Alonso de Mena), Breve relacion de algunas cosas, 1614, fol.112v. 113.


 これを受けて1614年に長崎奉行村山等安の次男(仲安)である教区司祭のフランシスコ村山・神父は迫害されているキリシタンを援助するために、相互援助組織として『十字架の組』を長崎で同志と共に立ち上げた。

この時期すでに村山一族はこうした決死の覚悟をもって幕府の弾圧政策に対抗したキリシタン救援の行動を開始していたということになる。

宣教師の国外追放の際にはモラーレス神父らを密かに再入国させた後、長男のアンドレス(徳安)・村山の屋敷に長期間匿ったことも一連の救済行動であった。(注:4)モラーレス神父は、1619年3月15日徳安の家で逮捕され長崎牢に入牢する。1622年9月10日、長崎の西坂の丘で火刑に処せられる。

もとより宿主として宣教師を匿ったことが発覚すれば誰であろうと極刑に処せられることは明白なことであった。

すでに彼ら一族は幕府の禁令を犯していたのであり、死を覚悟していた。
(右は国立西洋美術館所蔵:カルロ・ドルチの「悲しみの聖母」(1650年))


当時の記録に示されているように彼らはあらゆる対抗策を講じてでも教会の宣教活動を維持しようと己の命も省みず必死になって日々奮闘していたわけである。

この結果そのものは後の村山一族の処刑や「元和の大殉教」によってキリシタンの活動は地下にもぐり、一旦はすべて逼塞してしまったかにみえていた。

しかしながら等安が懸念していた通り長崎の地にも近い島原や天草の地で未曾有のキリシタンの大乱が密かに計画されていたわけで、ついにそれは大規模な武装反乱となって勃発してしまったのである。

島原はもともとイエズス会勢力が長年にわたって布教を拡大していた土地であったが、キリシタン弾圧によって棄教する者も少なくなかった。

それでも1618年代にはドミニコ会のファン・デ・ルエダ神父が天草地方で大きな働きをして多数の棄教者を信仰に立ち帰らせたり改宗させて着実に成果を上げていった。

村山等安の死後10年以上経過した1630年代にはドミニコ会の宣教活動によってそれらの地域の信徒数を増やしただけでなく、島原北目地区からもイエズス会旧勢力をほぼ一掃することが出来ていた。

一部の土地とはいえ、島原からイエズス会勢力を削いだだけでも大変な成果であったといえる。

これは島原北目地区はもとより、長崎の街にとって結果的には非常に幸運な展開でもあったのだ。


大乱の際に北目では進攻して来た反乱勢が強制的に領民を駆り立てながら自軍に加担させようとしたが、同じキリシタンであっても教派の違いからそれに与せず領民らは激しくそれに抵抗し続けた。

これによって島原半島北目地区の多くのキリシタン信徒は、最後まで乱の勢いに巻き込まれずにほぼ全域の領民(数万人規模か)が戦乱の被害を受けることなく生き残ることが出来たという。

この地区でのドミニコ会派への改宗がなかったなら島原全域の規模で大乱そのものはさらに急拡大していたはずであり、その勢いで反乱勢が進攻していれば長崎まで一気に占領されていた可能性もあったのである。

もしもこのとき長崎に反乱軍がそのままの勢いで侵入していれば、内乱の規模は2,3倍には拡大していたことであろう。

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結果的には島原で結集した反乱勢は大きな勢力ではあったが、進攻途中で原城篭城で踏みとどまざるを得なかった。

ここでの攻防で反乱側は3万7千人の犠牲者を出したが、さらに倍する犠牲者を出す騒乱拡大の危険性は幸いにも回避されたということになる。

島原での反乱勢力が拡大してくる直前には、長崎全域に戒厳令が敷かれ厳しい警戒がなされていた。

結局のところ長崎の周辺地域が巻き込まれなかったことによって、その大乱の規模も犠牲者も最小限に抑えられたことは間違いないであろう。


これこそ長崎奉行村山等安によるキリシタン騒擾回避のための改宗活動であり、その地道な支援がまさしく奏功した結果ということになる。

行政官村山等安の事前の対応策は無駄ではなかった。

しかしそうしたキリシタン信徒を救済する活動によって、村山等安は必然的に幕府の禁令に自ら触れる危険を冒すこととなり、その咎で一族が処刑されてしまうとい悲劇を招いてしまったのである。

もとよりこれは当時の彼らから見て最良の手立てとして選択した決死的決断に起因したものに違いなかったが、ここでこのように多くの尊い人命を救うためにあえて村山一族はその犠牲になったといえるであろう。

彼らのキリシタンとしての信仰による決死の行動であって、それはあくまでも同胞を護ろうとした自己犠牲によって成されたものであったといえよう。

そして村山等安は彼の力量と智慧とで、長崎の街を未曾有の戦乱の災禍から見事に護り守り得たということになる。


江戸幕府による村山等安一族に対する過酷な処罰やその後のキリシタンへの弾圧によって、こうした彼らの事跡は評価されることもなく現代ではほとんどが忘れさられてしまっている。

村山等安の事跡については戦前まではどうにか関連資料が残されていたようであるが、いまとなっては限られたものであってこれらの事実は海外に残されていた記録文書によってようやくその片鱗を窺い知ることが出来るだけである。


この稿続く



参考資料:
「近代資本主義の成立と 奴隷貿易―――― A 教皇文書と新大陸での実態の吟味 カトリック教会は奴隷貿易を容認したのではないのか」 西山俊彦 2003 カトリック社会問題研究所 『福音と社会』 211
「近代資本主義の成立と奴隷貿易―――― B 教皇文書と新大陸での実態の吟味(2) キリスト教化は奴隷化の方便ではなかったか」 西山 俊彦著 2004 カトリック社会問題研究所 『福音と社会』 第 212 号
読売新聞:2004年8月7日〜9月18日号・「九州こだわり歴史考・棄教の果て」
「歴史研究」 新人物往来社 ・特集:島原の乱の謎 第322号 1988年
「完訳フロイス日本史」(中公文庫) ルイス フロイス (著) 松田 毅一 (翻訳) 川崎 桃太 (翻訳) 全12巻
 1 織田信長篇T「将軍義輝の最期および自由都市堺」(中公文庫,2000年1月)
 2 織田信長編U「信長とフロイス」(中公文庫,2000年2月)
 3 織田信長篇V「安土城と本能寺の変」(中公文庫,2000年3月)
 4 豊臣秀吉篇T「秀吉の天下統一と高山右近の追放」(中公文庫,2000年4月)
 5 豊臣秀吉篇U「暴君秀吉の野望」(中公文庫,2000年5月)
 6 大友宗麟篇T「ザビエルの来日と初期の布教活動」(中公文庫,2000年6月)
 7 大友宗麟篇U「宗麟の改宗と島津侵攻」(中公文庫,2000年7月)
 8 大友宗麟篇V「宗麟の死と嫡子吉統の背教」(中公文庫,2000年8月)
 9 大村純忠・有馬晴信篇T「島原・五島・天草・長崎布教の苦難」(中公文庫,2000年9月)
10 大村純忠・有馬晴信篇U「大村・竜造寺の戦いと有馬晴信の改宗」(中公文庫,2000年10月)
11 大村純忠・有馬晴信篇V「黒田官兵衛の改宗と少年使節の帰国」(中公文庫,2000年11月)
12 大村純忠・有馬晴信篇W「キリシタン弾圧と信仰の決意」(中公文庫,2000年12月)

「村山当安に関するヨーロッパの史料」アルバレス・タラドゥリース(著) 佐久間正(訳)
「キリシタンの世紀―ザビエル渡日から「鎖国」まで」高瀬 弘一郎 (著)  岩波書店 1993
「福者フランシスコ・モラーレスO.P.書簡・報告」ホセ・デルガード・ガルシーア編注、佐久間正訳キリシタン文化研究会、1972年
「キリシタン時代の貿易と外交」 著者: 高瀬弘一郎
「看羊録―朝鮮儒者の日本抑留記」 (東洋文庫 440)姜 (著)  朴 鐘鳴 (翻訳)
「村山等安とその末裔」(自費出版)村山トシ (著) 1993
「 日本切支丹宗門史」レオン・パジェス著  クリセル神父校閲 吉田小五郎訳 岩波文庫 昭和13年
「細川藩史料による天草・島原の乱」戸田敏夫(著) 新人物往来社 1988
「イエズス会による対日軍事力行使をめぐる諸問題」 高橋裕史 2006
「坂口安吾全集 03」筑摩書房 1999号
「日本及び中国におけるイエズス会の布教方策 −ヴァリニャーノの「適応主義」をめぐって− 55 アジア・キリスト教・多元性」 現代キリスト教思想研究会 第3 号 2005 狹間芳樹著
「近世日本潜伏キリシタンの信仰共同体と生活共同体」 大橋幸泰著












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    posted by モモちゃん at 14:51| 江戸時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする