2014年07月14日

島原の乱・この事実は教科書には絶対に書けません!(22)

削除したいキリスト教関連文化遺産とは何か(22)

九州歴史発見シリーズ
いまさら歴史認識がどうした?

スペインによるルソン島の植民地化がもたらしたもの
ルソン遠征が画策された背景
日本側には南蛮貿易の利権を潰す狙いがあった

東洋医学史研究会
宇田明男



●スペイン勢力を警戒した江戸幕府

前述したようにスペインは1565年になると、いわゆるポルトガル・スペイン間で結ばれていたサラゴサ協定(1529年)の境界線(日本)を越境してフィリピンにも侵入を開始した。

スペインはアジア地域に進出すると、いち早くマニラの富に目をつけ1570年(元亀元年)にマルティン・デ・ゴイティ率いる遠征隊を送り込み、武力によってこれを一気に占領した。

このときスペイン本国から大砲や小銃で武装した300人の精鋭の軍隊を送り込みマニラ周辺の集落を焼き討ちし瞬く間にルソン島を占拠するとともに、1571年にはマゼランのフィリピン群島の発見を理由にしてフィリピンの領有を宣言したのだった。

その後フィリピンのマニラでは、イエズス会員アントニオ・セデーニョの指揮によって都市の要塞化がすすめられ、「イントラムロス」と呼ばれるマニラの城壁内地域が整備されるとともに、原住民はキリスト教に強制的に改宗させられていった。

これ以降マニラを中心にメキシコ(ヌエバ・エスパーニャ)の支配下となったルソン島は、スペインの対中国交易の最前線として機能しメキシコと中国を中継するガレオン貿易の拠点となった。

ちなみに、フィリピンという名称は当時のスペイン皇太子フェリペにちなんだ島名として名付けられたものである。

さらに中国沿岸部のマカオに進出すると、1557年以降は実質的植民地と変わりはない状況下に置かれた。


日本との関係では、天正十二年(1584)六月、ルソンからのスペイン艦船が九州の平戸に入港すると、ことを契機として日本とスペイン領フィリピンとの間で交易が始まった。

実際には、すでに16世紀後半には多くの日本人や中国人の商人はルソン方面にも渡って盛んに交易を行っていたし、海賊である倭寇もこの海域まで侵出して活動の場としていた。

すでに3000人規模の日本人戦闘員がルソン周辺海域で活動していたとされる。

渡航した当時の日本人は集団で傭兵となることも少なくなく、激しい戦闘を日常的に繰り返していた。

そうした背景もあって、ルソン方面の状況はスペインの植民地政策も含めて多くの情報が日本にも伝わっていた。

地理的にも有利な九州の諸大名がルソンでも年々拡大する交易事業に強い関心を持ち、翌年の天正十三年(1585)、平戸領主の松浦鎮信がルソンに最初に船を派遣した。

天正十四年(1586)には、隣接する長崎の大村純忠もキリシタン大名として長崎からマニラに向かって交易船を出している。

これ以降は、ほぼ連年にわたって日本の交易船がマニラに入港して商取引が行われるようになる。

同時期、国内統一を果たした秀吉は、アジア地域の情報がもたらされると共に海外への進出を画策し始める。

まず、朝鮮に入貢を命じこれに従わなければ武力で討つと脅し、これを対馬の宗義調に折衝させた。

同様にルソン(マニラ)や高山国(台湾)にも直接の交易を促す使者を出した。

豊臣秀吉のルソン遠征を窺わせたこともあって、1592年(文禄元年)以降はスペインも日本の国内情勢を警戒するようになる。

この間キリシタン排除の動き強まるに従って、秀吉に追随する形で九州の旧キリシタン大名の間でもルソン遠征が懸案されるようになる。

平戸領主松浦鎮信がルソンに船を出したのも、そのための情報収集であった。

松浦氏は、ルソン島のマニラを拠点に植民地支配を行うスペイン人に対して反感を持つマレー系原住民の首長らと接触して、彼らの反乱計画に加担し日本製鉄砲の調達などの軍事支援を行っていた。

この時期ルソン方面に対峙する九州の諸大名は、キリスト教国の動きを油断なく見据えていただけでなく、ルソン島のスペイン支配を排除すべく動いていたことになる。
事実、秀吉以降の江戸幕府の下でもルソン島のスペイン艦隊やスペイン軍の動向を監視していただけでなく、密かにルソン遠征が画策されていた。

松浦藩や島原の乱の松倉重政(島原藩藩主) ・勝家親子の島原藩や薩摩藩藩主の島津家久でさえルソン遠征を狙い秘密裏に準備を進めていた。

松倉勝家は自ら幕府にルソン遠征を進言したことでも知られるが、これは領内の多くのキリシタン信徒らに衝撃を与えることとなる。

もとよりこれに対抗するルソン島のスペイン勢力は、松倉勝家のルソン遠征を事前に阻止すべくここで何らかの対抗策を用意していたことは間違いあるまい。

そうした日本の国内情勢や反キリスト教情報は、細大漏らさず彼らの耳に入っていた。

それはイエズス会の教会ネットワークを介してマカオ経由、あるいは琉球王朝経由、従来より交流のある倭寇経由でも十分入手できた情報である。

事実、1588年当時松浦鎮信が密かに支援していたルソン島原住民による反乱をスペイン勢力はその制圧に成功していた。

日本側の当初の目論見は阻止されたのである。


実ははこのルソン遠征だけでなく、江戸幕府は台湾遠征の計画もかねてより画策していた。

 1608年(慶長十三年)、家康は日本に漂着した台湾のアミ族の者と駿河城で直接引見している。

翌年の1609年(慶長十四年)、九州の大名有馬晴純は家康の名により、台湾へ朝貢を促すため渡海したが、その交渉は成功せずに追い返されてしまっていた。

幕府は台湾の高砂族との関係を改善して明国や東南アジアとの交易の際の中継地化を強く望んだわけだが、いまだにそれは果たせないままであった。

 このときこれにもっとも敏感に危機感を持って反応したのは、生糸の転売で大きな利益を上げていたポルトガル商人らであり、その背後で経済的繋がりを持つイエズス会そのものであった。

もしもこの日本の台湾遠征計画が成功すれば彼らは日本での生糸の独占的市場を失い莫大な経済的損失を被ることになるわけで、こうした日本(幕府)と中国(明)との直接の交易の動きは以前より是が非でも阻止するように教会上層部から特別に指示が出されていたものである。

1610年2月17日付けリスボン発、ポルトガル国王のインディア副王宛書簡「モンスーン文書と日本: 十七世紀ポルトガル公文書集」p173ー175 : 高瀬弘一郎著「台湾を獲得して中国貿易を行おうとする日本国王の意図を、策を用いて妨害するよう命令」(1610年、文書13)より引用。

「現在日本全土を統治している国王(=徳川秀忠)は、彼らが高砂と呼ぶフォルモザという島に遠征する準備をしている、と。其処は泉州の沿岸の近くである。彼の意図は、それ〔フォルモザ島〕を獲得して其処とシナとの間の貿易を手に入れることである。(中略)日本人たちにそれ〔狙い〕を遂げることなど出来ない旨の偽装工作をすることによって、それが成就しないよう尽力することを依頼する。」引用終わり

その直後の元和2年(1616年)、中国明との直接貿易を狙って13隻の船団に4千余の兵を出した長崎代官村山等安の台湾遠征もイエズス会側が巧妙に阻止して、このときの遠征も失敗に終わった。


ここで南蛮貿易における日本での利権が一気に失われれば、イエズス会の日本での宣教事業も経済的に破綻してすべてが頓挫してしまうことになる。

当然彼らは、常にこうした日本側の動きには敏感に対応していたわけで、そうした南蛮商人やイエズス会勢力側から何らかの妨害工作があることを当時の日本の為政者が感知していたかどうかは興味深いところではないだろうか。

天草島原の大乱を従来からの西洋史観でみれば単純に領主松倉家の苛政に苦しむ単なる農民一揆ということで片付けられようが、ここではキリスト教国スペインやポルトガルとの為政者側の政略的確執が背景にあったか否かも考えておく必要がある。

さらに驚きの展開が明かされる。




この稿続く。



参考資料:
「近代資本主義の成立と 奴隷貿易―――― A 教皇文書と新大陸での実態の吟味 カトリック教会は奴隷貿易を容認したのではないのか」 西山俊彦 2003 カトリック社会問題研究所 『福音と社会』 211
「近代資本主義の成立と奴隷貿易―――― B 教皇文書と新大陸での実態の吟味(2) キリスト教化は奴隷化の方便ではなかったか」 西山 俊彦著 2004 カトリック社会問題研究所 『福音と社会』 第 212 号
読売新聞:2004年8月7日〜9月18日号・「九州こだわり歴史考・棄教の果て」
「歴史研究」 新人物往来社 ・特集:島原の乱の謎 第322号 1988年
「完訳フロイス日本史」(中公文庫) ルイス フロイス (著) 松田 毅一 (翻訳) 川崎 桃太 (翻訳) 全12巻
 1 織田信長篇T「将軍義輝の最期および自由都市堺」(中公文庫,2000年1月)
 2 織田信長編U「信長とフロイス」(中公文庫,2000年2月)
 3 織田信長篇V「安土城と本能寺の変」(中公文庫,2000年3月)
 4 豊臣秀吉篇T「秀吉の天下統一と高山右近の追放」(中公文庫,2000年4月)
 5 豊臣秀吉篇U「暴君秀吉の野望」(中公文庫,2000年5月)
 6 大友宗麟篇T「ザビエルの来日と初期の布教活動」(中公文庫,2000年6月)
 7 大友宗麟篇U「宗麟の改宗と島津侵攻」(中公文庫,2000年7月)
 8 大友宗麟篇V「宗麟の死と嫡子吉統の背教」(中公文庫,2000年8月)
 9 大村純忠・有馬晴信篇T「島原・五島・天草・長崎布教の苦難」(中公文庫,2000年9月)
10 大村純忠・有馬晴信篇U「大村・竜造寺の戦いと有馬晴信の改宗」(中公文庫,2000年10月)
11 大村純忠・有馬晴信篇V「黒田官兵衛の改宗と少年使節の帰国」(中公文庫,2000年11月)
12 大村純忠・有馬晴信篇W「キリシタン弾圧と信仰の決意」(中公文庫,2000年12月)

「村山当安に関するヨーロッパの史料」アルバレス・タラドゥリース(著) 佐久間正(訳)
「キリシタンの世紀―ザビエル渡日から「鎖国」まで」高瀬 弘一郎 (著)  岩波書店 1993
「福者フランシスコ・モラーレスO.P.書簡・報告」ホセ・デルガード・ガルシーア編注、佐久間正訳キリシタン文化研究会、1972年
「キリシタン時代の貿易と外交」 著者: 高瀬弘一郎
「看羊録―朝鮮儒者の日本抑留記」 (東洋文庫 440)姜 (著)  朴 鐘鳴 (翻訳)
「村山等安とその末裔」(自費出版)村山トシ (著) 1993
「 日本切支丹宗門史」レオン・パジェス著  クリセル神父校閲 吉田小五郎訳 岩波文庫 昭和13年
「細川藩史料による天草・島原の乱」戸田敏夫(著) 新人物往来社 1988
「イエズス会による対日軍事力行使をめぐる諸問題」 高橋裕史 2006
「坂口安吾全集 03」筑摩書房 1999号
「日本及び中国におけるイエズス会の布教方策 −ヴァリニャーノの「適応主義」をめぐって− 55 アジア・キリスト教・多元性」 現代キリスト教思想研究会 第3 号 2005 狹間芳樹著
「近世日本潜伏キリシタンの信仰共同体と生活共同体」 大橋幸泰著











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    ラベル:ルソン遠征
    posted by モモちゃん at 20:10| 江戸時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする