2014年09月01日

千々石ミゲルに刺客が送られた・島原大乱前哨戦(39)

不都合過ぎるキリスト教関連文化遺産とは何か(39)

九州歴史発見シリーズ
いまさら歴史認識がどうした?

奴隷貿易はなかった?
原爆の悲劇とて、400年も経てばきれいに忘れ去られる?

十六世紀末の日本は海外からの軍事的侵略の危機にあったが、これに逸早く気付き日本人奴隷や東アジア海域の領有権問題に己の命を賭してその解決策を模索した先達がいた。
鉄砲で始まり鉄砲による未曾有の大乱で終わる秘められた九州戦国史、歴史教科書では絶対触れることの出来ない九州戦国時代のその真実とは?





その後の千々石ミゲルと時代背景

千々石ミゲルの危険な行動とは

命を狙われる異端者、千々石ミゲル


東洋医学史研究会・宇田明男



●千々石ミゲルの危険な行動とは


長崎や天草、島原の地では、もっとも早い時期から奴隷貿易が行われていた痕跡があった。


この地でも戦争難民や捕虜、貧農の口減らし、異教徒など数多くの奴隷が周辺諸国からも集積され、口之津などの奴隷船の寄港地から海外に売られていった。


千々石ミゲル自身、領内の人買いやそれらに関わることをひそかに調べていた可能性も否定できない。


かって大村や有馬では、宣教師の要求があって領民から少年少女を多数徴集し、ゴアに本拠を置くポルトガル領インドの副王に送られた。


奴隷名目ではなくとも実際にゴアに少年少女は送られたであろうし、そのことを知る者も少なからず領内には生存していたであろう。


ミゲル自身は、そうした日本人の奴隷の実情を海外で目にしてもいるわけだから、その事実を調べ確証を取ったとしても何ら不思議ではなかった。


彼がどうしても突き止めたかったのは、領内での奴隷売買の実態であった。


奴隷が集積された後、どのような転売ルートで海外に売られるのかを密かに追跡したはずである。
そうした取引の転売益がどこに流れるのか。


そしてそこに、キリシタン大名やイエズス会がどのように取引に関与してきたのかということである。
まさに危険極まりない探索行為ということになる。


それと同時に、ミゲル自身が個別に海外事情を領民に伝えるうちに、日本人奴隷の海外での過酷な実態を不用意に漏らしたことが領内で問われたかもしれない。


そうした奴隷取引の実態が明らかになれば、当然それに深く関わってきた領主に領民らの怒りや怨嗟が集まることになる。
これは無視しがたいことであったであろう。


千々石ミゲルのそれまでの言動をみていると、どうやら合理的な批判精神をもって行動する人間であったことがそれとなく窺える。


自ら危険を冒してでも、探索によって奴隷売買の確たる証拠を押さえようとして行動したこともあったのではないか。
決しておとなしく引っ込んでいるようなことは、彼にはできなかったように思えてならない。


彼は、一時期キリシタン信徒ではあったが、精神的には武士であったということだ。
そうでなければ、大村喜前の身辺に近付くためにわざわざ家臣として大村家に仕えることまではしなかったはずである。


そこからミゲルは、次なる行動を目論んでいたということになろう。
ドミニコ会のズマラガ司祭は1605年11月20日付の書簡で、ミゲルの大村での動向について次のように報告している。


「このローマへ行った王子が私たちの悪口を言っているという噂を聞きました。スペインの掟は日本のとは異なるし、修道士はスペインでは尊敬されていないとさえ言っているそうです。実際にその目で見た証人と信じられているので、この人物が人々の信仰の障碍になっている……」
(注)1600年、教皇クレメンス8世は、それまでイエズス会のみに認可されていた日本での宣教活動を正式にすべての修道会に認めた。これを受けたマニラのドミニコ会員五名がスペイン船に乗って日本へ渡来し、1602年、薩摩の甑島で最初の宣教活動を行った。


司祭ズマラガは大村での布教中に千々石ミゲルに接触したが、宣教活動の協力は彼からは得られなかったという。
ズマラガが属するドミニコ会はスペイン系托鉢(たくはつ)修道会であって、ミゲルがかって入会していたイエズス会より後に布教活動をはじめたものであって、両者は常に布教上のライバル関係にあった。


司祭ズマラガが耳にし、記録したミゲルによるキリスト教批判はそのほんの一部分に過ぎなかったとしても、こうした棄教者ミゲルの風説が領内に拡散していくとなればやがては不穏な状況も生まれたのではないか。


結局、この地でのズマラガの布教活動は思わしくなかった。
当時のキリシタン同士は、村々や地域的繋がりが強く、そうした連携の中で瞬く間に情報は領内に拡散していった。





●命を狙われる千々石ミゲル


領内で反感を持たれるような言動があったとすれば、宗教上の裏切り者としての千々石ミゲルの立場はいよいよ危険であったであろう。


少なくとも彼の場合はもはや反キリシタンであり、領主はもとより大村の領内全体を反キリシタンに変えた張本人であるとみなされたはずである。


結果的には領内の混乱の中で主君喜前に追われるか、もしくは命を狙われる事態に陥る可能性も考えられる。
それには領主喜前を直接諌めるような言動があったか、あるいは過去の大村での奴隷取引を喜前の前で批判したのかも知れない。


むしろ、ここでのそうした憶測自体は辻褄合わせの暫定的なものでしかない。
事実は、もっと彼を取り巻く状況は違っていたのかもしれない。


たしかに千々石ミゲルは、この直後の慶長11年頃(1606年)に、大村に留まっておらない状況が出来して隣国有馬の領国に逃れている。


そうした逃亡途中にあったミゲルは、その有馬家の家臣にいきなり襲われ深手を負わされるという事件に遭遇する。
彼はこのとき意識を失うような瀕死の重傷であったという。


襲われたとき刺客に止めを刺されずに済んだのは、ミゲルを助ける者が傍近くに居たからであろう。
このときは幸いにも介抱されて命を救われている。


この時代、刺客に一旦襲われたらただの一撃で済まされることはない。
襲撃され傷を負って倒された以上、そこで確実に止めを刺されるはずだからである。


とにかくこのような事態が発生したということは、有馬領内においてもミゲルの言動そのものに不穏なものがあったとしか考えられない。


あるいは大村から有馬へと執拗にミゲルを追ってきた者の仕業なのかも知れない。
これが、千々石ミゲルの棄教を恨むキリシタン信徒による報復であったのかどうかも判然としない。


もし大村や有馬の上意が働いていたのであれば領内から脱出することはまず不可能であったであろうし、上意であれば傍に味方が何人か居たとしても確実に命を奪われていたはずだ。


逃れようはなかったはずである。
ここで襲撃自体が不成功に終わっていることからみても、大村や有馬の上意討ちによるものではあるまい。


そのように類推していくと、おのずとミゲル襲撃については別の線も浮上してくる。


この時期千々石ミゲルの存在が疎ましかったのは、大村や有馬の大名家だけではなかった。


いや、ここでは主家の大村喜前と千々石ミゲルとの関係が、どこまで悪化していたのかはまったく不明である。


事実、千々石家は彼の晩年でさえも采地を持っていたわけだから、主家から追放されていたとは考えられない。
千々石ミゲルにしてみれば、ここは上意打ちどころか主家に迷惑が及ばぬように領内から出て身を隠そうとしたとも考えられるわけだ。


ここでのもっとも妥当な見方は、何らかの身の危険を感じていた千々石ミゲルは自らの意思で大村家を離れたということなのだろう。


当然そこには、ミゲルの命が狙われるような何らかの不都合がすでに大村の領内で出来していたということになる。
そしてそうした逃避の途中で、ついには刺客に襲われてしまった。


ここで強いてミゲルの抹殺を企てる者をさらに挙げるとすれば、やはり宣教活動を妨害されていたイエズス会であって、そうした企みがあった可能性は否定できない。


それまでの経緯を見れば、千々石ミゲル本人は教会内部のことをあまりにも知り過ぎている不都合な存在であることには違いはないのだ。
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しかも彼は棄教した後も領内で教会に対して批判的な発言をし続けていて、これが宣教活動に対する悪質な妨害行為ととられていた。


そうした異端者や背教者の粛清排除はイエズス会内でも当然のことであって、教会内でも容認されていたことである。


「汝、殺すなかれ」という新約聖書のマタイによる福音書(19章-18節)の有名な戒律そのものは、本来同じ会派のキリスト教徒に対してのみ適用されるものであって、ミゲルのような背教者や異端者はこの限りではなかった。


むしろこのときイエズス会としては、彼を異端審問に掛けて火あぶりで処刑すべきと考えていたはずで、どちらにしてもこのままミゲルを放置しておくことはできなかったはずである。







削除されなければこの稿続く






参考資料:
読売新聞:2004年8月7日〜9月18日号・「九州こだわり歴史考・棄教の果て」
「近代資本主義の成立と 奴隷貿易―――― A 教皇文書と新大陸での実態の吟味 カトリック教会は奴隷貿易を容認したのではないのか」 西山俊彦 2003 カトリック社会問題研究所 『福音と社会』 211
「近代資本主義の成立と奴隷貿易―――― B 教皇文書と新大陸での実態の吟味(2) キリスト教化は奴隷化の方便ではなかったか」 西山 俊彦著 2004 カトリック社会問題研究所 『福音と社会』 第 212 号
「完訳フロイス日本史」(中公文庫) ルイス フロイス (著) 松田 毅一 (翻訳) 川崎 桃太 (翻訳) 全12巻
 1 織田信長篇T「将軍義輝の最期および自由都市堺」(中公文庫,2000年1月)
 2 織田信長編U「信長とフロイス」(中公文庫,2000年2月)
 3 織田信長篇V「安土城と本能寺の変」(中公文庫,2000年3月)
 4 豊臣秀吉篇T「秀吉の天下統一と高山右近の追放」(中公文庫,2000年4月)
 5 豊臣秀吉篇U「暴君秀吉の野望」(中公文庫,2000年5月)
 6 大友宗麟篇T「ザビエルの来日と初期の布教活動」(中公文庫,2000年6月)
 7 大友宗麟篇U「宗麟の改宗と島津侵攻」(中公文庫,2000年7月)
 8 大友宗麟篇V「宗麟の死と嫡子吉統の背教」(中公文庫,2000年8月)
 9 大村純忠・有馬晴信篇T「島原・五島・天草・長崎布教の苦難」(中公文庫,2000年9月)
10 大村純忠・有馬晴信篇U「大村・竜造寺の戦いと有馬晴信の改宗」(中公文庫,2000年10月)
11 大村純忠・有馬晴信篇V「黒田官兵衛の改宗と少年使節の帰国」(中公文庫,2000年11月)
12 大村純忠・有馬晴信篇W「キリシタン弾圧と信仰の決意」(中公文庫,2000年12月)

「村山当安に関するヨーロッパの史料」アルバレス・タラドゥリース(著) 佐久間正(訳)
「キリシタン時代の貿易と外交」 著者: 高瀬弘一郎
「村山等安とその末裔」(自費出版)村山トシ (著) 1993
「サント・ドミンゴ会の修道師の記録による村山一家」(アルバレス・タラドーリス編注・佐久間正訳)
「バチカンの暗殺者たち」 エリック・ジョン・フエルプス著(WEB/PDF)














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    ラベル:千々石ミゲル
    posted by モモちゃん at 10:56| 歴史発見 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする