2016年04月03日

上田軍記にみる本当の真田の上田合戦とは

地の利を生かした巧みな攻防戦

天正13年(1585年)、家康が甲斐へ着陣すると真田昌幸に沼田領の北条氏への引き渡しを求めた。

だが昌幸は徳川氏から与えられた領地ではないことを理由にこれを拒否し、さらに離反していた上杉氏の側についてしまう。

家康は昌幸の造反を知ると真田討伐を決意し、家臣の鳥居元忠、大久保忠世、平岩親吉ら約7000の軍兵を真田氏の本拠・上田城に向けて派遣する。

徳川軍は甲斐から北国街道に進軍し、上田盆地の信濃国分寺付近に兵を展開した。

迎える真田方の戦力は約1200人であったと言われ、これに少数であるが上杉の援兵や農民も加わった。

双方には圧倒的な戦力の違いがあった。

真田昌幸は上田城に、長男の信幸は支城の戸石城に篭城し戦闘態勢を整えた。

上田城に攻め寄せた徳川方は、勢いに任せて一気に二の丸まで攻め込むがここで真田方に反撃を受け撃退される。

更に後退の際に城方の猛烈な追撃を受けるとともに、戸石城から出撃した信幸軍も横合いからも攻め掛かられて徳川方は撤退し始める。

壊乱した徳川方への追撃戦には支城の矢沢勢も加わり、神川付近で多数の将兵が追い詰められて溺死したとされる。

この真田方の巧みな戦法により、徳川方は1300人もの戦死者を出し大敗した。



5分でわかる第一次上田城の戦い

 







「最強の父 - 真田昌幸」 その歴 (2/4)









講演会「上田軍記にみる真田家と二度の上田合戦」


























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ラベル:真田一族
posted by モモちゃん at 13:15| 戦国時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする