http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141219-00000522-san-soci
STAP細胞に関する小保方論文そのものは、マスコミや専門学会の間で袋叩き状態になって最後は後味の悪い結末に終わったかに見える。
多くの批判的な流れで潰えたことは、実に現世的で滑稽な展開にしか思えてならない。
まずここでは学問の世界で言う再現性、エビデンス 【 evidence 】(証拠、根拠、証言、痕跡などの意味を持つ英単語)が問題になっているわけだが、これがどうやら再現実験でうまくいかなかったらしい。
同じ材料、同じ術式やマニュアルといった、まったく同様の条件下でも再現できないとなるとたちまちそれはニセモノ扱いされる。
革新的かつ独創的発見は、再現性が科学的手順で証明されなくては評価されないという学問世界の厳然たる事実は専門家でなくても十分理解できる。
世界的発見として一気に注目が集まっただけに、その反動が関係する学会やマスコミ報道が手のひらを返したように小保方論文を批判し始めた。
私は小保方論文への疑念や批判が登場し始めたとき、昔話の「花咲か爺さん 」を思い出した。
やさしい爺さんと欲張り爺さんが対比されていて面白いのであるが、ここでは欲張り爺さんは真似をして同じようにやっているのだけど逆の現象ばかりが出てくる。
欲張り爺さんからみればやさしい爺さんの成功手順には再現性が無いことになる。
欲張り爺さんは確かに同じシロという犬を介在させて同じことをやらせようとしている。
同様に同じ様に臼や杵を使っている。
さらには同じ灰を使っている。
ところがどうしたことか、ここにきてまったく同じ成果が出せないのである。
ここで最先端の現代科学の実験結果と現実離れした昔話をたとえに並べ立てるのは不見識ではあろうが、現実に同じような事象が出現しているとしか言いようがあるまい。
医科学的な研究もこのようなレベルにまで到達してくると、頻繁にこうした不可解な事象に遭遇するようになってくるであろう。(これ以上触れる必要はないが)
学問といっても、そこにはエリート意識があるからこそ学者間ではこうした科学研究の世界の競争意識は熾烈であり、一方では綺麗事では済まされないどろどろした悍ましい(おぞましい)部分が隠されている。
権威主義、学閥思考、足の引っ張り合い、剽窃行為、ねたみ、特許などの利権争い、それらが始終絡んでくる。
何故そうなるかというと、こうした研究にはどこからかそれを支える研究費を引っ張ってこなくてはならない。
兎にも角にもスポンサーと多額のカネがなければ後が続かないのである。
きれい事では済まされない。
それこそ醜い欲望が渦巻いている世界だともいえる。
あまりにも欲張り爺さんが多すぎるということか。
小保方論文は当初人類に貢献できる可能性が大きかっただけに、時間を掛けて再評価していくべき研究成果だったのではなかったかと思う。
そして小保方論文の再現性は、それこそ欲張り爺さん的発想の元では決して花開かないものだともいえよう。
と、偉そうに言ったところで何の関係もないわけで、とにかく小保方さんの研究がこのまま日本から消滅してしまうのは本当に残念なことであると思う。
【日本昔ばなし】 花咲か爺さん
posted by モモちゃん at 00:08|
歴史的瞬間
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