2016年05月30日

東大の日本史入試問題にも挑戦してみませんか?

東大の日本史”の入試問題が巷で注目されている

それほどいい出題であれば、いっそのこと国会議員全員にも同様の模試でも受けさせて歴史を勉強させたらいいと思う。


東大の日本史”【問題】
1882〜1883(明治15〜16)年、伊藤博文らは、ドイツをはじめヨーロッパ諸国において、憲法や立憲的諸制度の調査にあたった。その際、彼等はしばしばドイツの政治家や学者などから、明治維新以来日本政府が進めてきた改革は余りに急進的であり、日本がいま立憲制度を取り入れようとするのは、必ずしも賢明なこととはいえない、とする忠告を受けたといわれる。
そこで、諸君が伊藤博文らの調査団に加わっていたと仮定し、上述のようなドイツ側の忠告に対して、日本として立憲政治を取り入れる必要があることを説明する文章を8行(記者注:240字)以内で記せ。(1989年度・第4問)
http://toyokeizai.net/articles/-/118992

何やら奇を衒ったような問題ではないか。

重箱の隅をつつくような知識を問うよりは、より今日的、かつグローバルな日本史問題に若い頭脳を試したらどうかとも思う。

東大の現代社会の問題などはどのような内容が出題されているのか興味ぶかいところである。



現行平和憲法で平和は守られるのか?

「シビリアンコントロールの致命的なところを500字以内で記せ」とか出されたら面白いと思う。


憲法でいう戦争放棄とは、即自衛権の放棄には繋がらないらしい。
実際に自衛隊があるわけだから、現状ではそう解釈せざるを得ないだろう。

戦争放棄とは、「戦争をしない」という国家的意思表示とともに「こちらから戦争を仕掛けない」という2つの意味が含まれるはずである。

ここが重要である。

われわれは他国の憲法の条文にはまったく関心がないのだが、本来日本国憲法は国家としての自衛権をも放棄しようという指向性を内在しているともいえよう。

そう解釈したいとする向きもある。

憲法は自国の行動原理であると同時に国家的都合をある意味表明している。

だから国民総意の下に制定されたとされる憲法の機能目的の範囲は、あくまでも「国家の都合」に限定されるはずである。

だからその範囲で戦争放棄しようとあれこれ議論しようとその国の勝手である。

当然そこで「国家的都合」で設定できる憲法上の「平和」自体も限定されるであろう。

なぜなら対外的な戦争は対戦国が存在するからだ。

もとより他国の「国家的都合」である戦闘行為を制限規定する力は「日本国憲法」にはない。

平和を守るということでは、ここにもう一つのファクターがあることになる。

「戦争をしない」「こちらから戦争を仕掛けない」という国家的理念と同時に、平和維持には「戦争を仕掛けられない態勢」という、いわゆる防衛という戦争抑止力にも対処する必要があることになる。

ここから専守防衛という考え方が出てくる。

侵略行為は他国の「国家的都合」である。

他国から「戦争を仕掛けられる」という他国の「国家的都合」に対しては、いかに平和憲法の権現であるところの日本国憲法といえどもまったく制御はできないということである。

日本国内の日本人の頭の中でしか平和の花は咲かないということである。

となると自称平和憲法だけで日本の平和が守られるとするのは、ある種の思い込みにも似た信仰心にも思えてくる。






My Cat Saved My Son

 



「My Cat Saved My Son」の場合は飼い猫であるから、これはさしずめ有事の自衛隊出動というところであろうが、だがこれにはシビリアンコントロールが効いていたようにはまったく思えない。

第一、自衛隊にはこうした攻撃に対して俊敏な対抗処置は取れないのであるから、たとえ話であるとしても犬の突然の攻撃に即猫の自衛隊が出動したなどとはここで表現するのには所詮無理があることになる。

犬の攻撃に対して、猫はその最初の一撃(足に一噛み)に素早く反応している。
早期警戒システムが実質働いたわけで、間髪入れない迅速な反撃行動に出ているのである。

どうみても猫の反撃の素早さが最大の抑止力となっていて、それによって犬は撤退している。

猫からみれば自分が攻撃されたわけではなく、飼い主の(無抵抗な)子供が犬に一方的に攻撃されたのであるからある意味集団的自衛権を行使したのだとも考えられる。

飼い主側と猫との間にはそれなりの信頼関係があったことは確かであろうが、シビリアンコントロールどころか明確な相互扶助、集団的自衛権に関しての契約がされていたのかどうかは分からない。

毎日餌という報酬を得たということであれば、猫はある種の傭兵かボディガード的存在であった可能性はある。





自衛権の放棄はどうよ?

「個別的自衛権だって必要ない。万が一他国が攻めてきたら国民は無抵抗で降伏し、すぐに首相や政治家が和平交渉に出るんです」

(引用元)
http://i.imgur.com/tKavxVy.jpg


↑これは平和憲法の条文冒頭に、他国との交戦状態に遭遇した場合直前に自衛権を放棄し即無条件降伏を宣言することを条文に入れるということか?



無抵抗主義の村-日本

 






「無抵抗主義の村-日本」の無抵抗主義ということはきわめて悠長な話であって、無抵抗そのものが武器になる、あるいは平和への最善の方策などという手前勝手な主張そのものが端から安直に侵略側に受け入れられる余地などあるわけがないのであって、唯一ここで言えることは、結局のところ相手の武力に屈して自らの手で奴隷売買の契約書(条約)にしたり顔で署名したも同然ということであろう。

白紙委任状を渡しておきながら、後から予想外の展開に地団太踏んでも遅かろう。

無抵抗主義とは最初からそのように、人間としての権利も尊厳も放棄することを自ら宣言しているに他ならない。

危険この上ないことである。

侵略に対してあえて武力による抵抗はしない。
食料や財産を奪われてもいい、命さえ助かればいいということである。


一見尊い人命至上主義の体を成しているかにみえて、その裏に見え隠れする姑息さは否めない。

まずもって侵略側の都合の下で自国民の命の保障がとれるかどうかの確証とてないわけで、今後少数民族・日本村としての形を成すかどうかも不明確な事態ではあろう。


歴史を振り返れば明白である。

無抵抗主義の下では極端な話し、常に国家は非情であって国民はかってのシベリア抑留者同様、国そのものに見捨てられ僻地開発の労働力として集団移送される奴隷化条項もそこには加味されるであろうが、将来そこから開放され生きて故国に還られるかどうかは分からない。








denden 








hal2







hals_minne002









TOP カネマサ健康通販 電磁波過敏症対策からだ健康ネット資料館
時代小説ネット書店健康医学専門ネット書店PM2.5汚染・感染症対策PC電脳特選街HPカネマサ工房

ラベル:無条件降伏
posted by モモちゃん at 09:43| 歴史再発見 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする