2016年08月03日

はるか昔の東洋名医伝シリーズ:九州筑後弁

名医伝・筑後弁バージョン

あるとき一人の老人が通り雨におうて人家の軒下で雨宿ばしとると、そんよちゃりしかけとるひゅうなか家の中から女のすすり泣く声が聞こえてきたげなたい。

なかば覗いてみっと、母親が子供の枕元でうずくまるごとして泣きよるじゃなかね。老人は思わず声ば掛けたげな。

外から突然声のしたけん女は驚いて泣きはらしとった顔ば上げたげな。

老人は静かに語りかけたとげな。そん優しか老人の言葉に、母親は気ば許して事の次第ば話はじめたげなたい。

母親の話によっと、子供の病状が一昨日より急に悪うなって、診てもろっとた医者はもう手の施しようがなかち言うて帰ってしもうたげな。

子供の意識は無く命はいくばくもなかごたる様子で、もう死を待つばっかりちゆうて母親は泣き崩れたげな。

老人は気の毒に思うて、オリは医術の心得のあるとばってん、こんまま見過ごすとはどげんしてん心残りじゃけん、オリにそん子供の脈ば診さしてもらえんじゃろかち言うたげな。


老人は一通り子の脈ば診ると、母親に父親の所在ば尋ねたげな。こん子の父親は既に亡く、いままで母一人子一人で暮らしてきたげなたい。

老人はその答えに頷くとこげん言うたげな。「やっぱしこん子の命は絶えそうばい。そもそもの原因はこん子が母親の陰の気ばっかし受けて育てられとって、父親の陽の気に包まれんやったとがいかんとたい。

そしけん体内の陰陽の調和のとれんごとなったとばい。一刻の猶予もなか」

そこで老人は母親に起死回生の妙法ば教えたげな。母親は子供の命が助かるかもしれんち知って、老人の言うたごと村中にある若衆宿さん直にだだ走りで走っていったげな。

そこん家では元気盛りの若者が幾人も泊り込んで共同生活ばしよったとばってん、そげん広ろうもなか部屋の中は若か男たちの熱気で溢れかえっとったげな。

母親はその部屋さん駆け込むと、若者たちが遊びよった将棋ん駒ばひったくるごとして掴み取ると、だだ走りで家に帰ったげな。

そん将棋の駒ば土瓶で煎じて子供に飲ませたところ、生死ば彷徨っとった子供は奇蹟的回復をみたげなたい。──

ここに登場する老人こそ、朝鮮医学の集大成ちいわれとる医学書『東医宝鑑』ば17世紀初頭に編纂した名医許浚その人じゃったげなたい。

そん許浚ちいう人は家庭的にはいっちょん恵まれとらんやったけん、もともとよか環境で育ったわけじゃなかったとげなたい。

いわゆる妾腹の子で、苦学して医ば志したげな。逸話にもそげんか許浚自身の幼少時の境涯が反映されとるとかも知れんたいね。

こん話はなんか馬鹿馬鹿しか、荒唐無稽の作り話じゃなかかと思われる向きもあるやろうたい。

ばってんこれによう似とる名医の話が、後漢時代に活躍したちいう華佗の伝の中にもあるとたい。

東陽県の陳叔山の一歳の餓鬼が下痢が止まらんごとなって、だんだんに衰弱していったこつのあったげな。

方々手ば尽くしたばってんどげんしてん病状が良くならんけん親父が心配して、名医ち名前の聞こえた華佗のもとさん遠路訪ねてきたとげなたい。

華佗は一通り病状と経過ば聞くげっと、親父に向かって詳しか説明ば始めたげな。「そん子の母親は次の子ばすでに妊娠しとるはずばい。そしけん母乳中にもともと含まれとるはずの母親の陽の気が、はらん胎児ば養うとにばっか吸収されてしもうて、そん母乳は子供ば養うとには不十分な冷たか陰の気にばっかし偏ってしもうとるとたい。
そしけんそん子がいまんごつ陰の気の充満した冷たか母乳ばっかし飲みよるげっと、こん病は回復せんじゃろう」と、明解な病理、病機ば示したげなたい。


douin.jpg



中国には「名医、棺を返す」ち言うごたる名言のあるげなたい。

これは名医ちゅうもんは死人さえも生き返らせるちゅうごたるニュアンスのものかと思うばってん、扁鵲がそげんやろうし、唐時代の孫思邈(五八一〜六八二)の伝にも、これとぴったっと当てはまるごたる話が残されとるとばい。

孫思邈はある日、往診の帰りに棺ば担いでいきよる行列と遭遇したげな。

ようっと見るとその棺の底からはぽとぽと血が滴って落ちとるじゃなかね。

不審に思うた孫思邈は行列に泣きながら付いていきよる老婆に、いつ亡くなったつか尋ねたげな。

孫思邈が医者ちゅうこつが分かると、老婆は一人娘が難産で二晩苦しんで出産でけんで数時間前に死んでしもうたちゆうて、泣きながらどげんかして生き返らせてくれと懇願してきたげなたい。

棺の蓋ば開けさすっと、中の若か婦人はもう血の気の退いて顔色は蝋のごたったげな。脈ばとってみると、ちょこっと触れてくるじゃなかね。

孫思邈はまだ望みがあるち思うて、素早く鍼ば取り出し経穴を定めて打ったげなたい。

しばらくすると妊婦の気が動いて、顔に血の気がさし生気が蘇ってきたとげなたい。

脈が強よなってくなると、突然妊婦は産気づいてきて棺の中から「オギャア、オギャア」ちゆう産声が聞こえ、そんまま赤ん坊が生まれたとげな。


こん成り行きには、周りの者も驚き大歓声ば上げたげなたい。何と名医孫思邈は鍼一本で母子二人の命ば救ったとばい。

こげん孫思邈は名医としての誉れ高く、今でん中国では仁術ば身をもって示した医者として尊敬ば集めとるとげなたい。















jidai03




denden 








hal2







hals_minne002









TOP カネマサ健康通販 電磁波過敏症対策からだ健康ネット資料館
健康医学専門ネット書店PM2.5汚染・感染症対策PC電脳特選街HPカネマサ工房

ラベル:伝承記録
posted by モモちゃん at 09:19| 歴史探訪 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする