2017年02月08日

易占はパラレルワールドを垣間見ている?

占の師匠

占いの師匠と思える人に出会ってから、もう40年近くになるであろうか。

ただし当時すでに70歳前後であったから、その師匠が亡くなってすでに相当な年月が経っていることになる。

その出会いに至る経緯は少し変わっていて、そのきっかけというのは不思議とも思える出来事があったことから始まっている。

それはずっと昔のことで、父が自分の姪の結婚相手を探していたときのことであった。

父は心当たりをあちこち探していて、あるときふと思い立って隣町に住む義兄の家に相談がてら訪ねて行ったことがあった。

義兄の家で客間に入っていくと、そこには先客がいて義兄の隣に座っていた。

それは初老の小柄な男性であったが、父とは初対面の人物であった。

そうした中で父は互いに挨拶を済ませると、さっそく姪の結婚相手を探しているという訪問した理由を話し始めたのであるが、義兄と客は顔を見合わせて何やら面白そうに笑った。

「その話ば待っとったとよ」と義兄が言う。

父が怪訝な顔をしていると、義兄はさらに意外なことを口にした。

「こちらの〇〇さんは今日、息子さんの嫁さんを探しに家に来られとるとたい」という。

「えっ!」父はその言葉に驚く。

義兄はさらに続けて言った。

「〇〇さんは、今日ここに来るとよか縁談が見つかるちゆうて、さっきから待っとらしたとたい」

「一体どういうことですか?」と、父は不思議そうに尋ねる。

「〇〇さんは昔から占いが得意たい。息子さんの縁談を占ったら、今日ここにくるとよか縁談に繋がるちゆう占いの卦が出たとげな。それで先ほどからその話ばしょったとたい」

客の男性がここで口を開いた。

「今日の日時、方向ば占ったらこちらの〇〇さんの家になりました。しかも私の家の名前とこちらの家の名前とがもっとも運気が繋がる日が今日でした。縁談や交渉事、約束事が成就して運気が高まる最初のきっかけになる日時がまさに今日という日で、場所がこの〇〇さんの家ということで、いまここで御宅がこらるるとば待っとりました」

意外な展開であった。

普段から占いなど端から信用していなかった父にしてみれば、狐に鼻を摘ままれたようなおかしな話であった。

ここではそうした不可解な展開ではあったが、その場でその方と父との間で縁談の話はとんとん拍子に進んで、両家は近日見合いをするということに話が決まったのである。

結果から言えば、この縁談はうまくまとまって無事結婚までいったのである。

当時の私はこうした経緯を身近に見聞きしていると、いかにもその相手のおじさんの占いが神妙で不可思議に思えてならなかった。

最初の印象でいえば、占のおじさんは易者然として威張っている風でもなく、特別変わった風でもなかった。

確かに見た目には普通の田舎のおじさんといった風貌であった。

機会がある度にその占いの得意なおじさんと幾度か話していると、いよいよその占いの妙技ともいうべき世界が気になりだした。

よくみるとそのおじさん自身は何だか飄々としていて、不思議な雰囲気が漂っているように思えた。

そうしたところ突然、そのおじさんが家に訪ねてきて私に手書きの資料をわざわざ手渡してくれただけではなく、自分が習得した占いの全貌について話してくれたのである。

何故私なのだろうか?この展開も驚きであった。

そのときのおじさんの話によると、自分の行う占は古くからの占術に独自の工夫を加えたものであること。

これに四柱推命を加味して行うとさらによいということ。

人と人、男女の相性を占う独自の占いであること等々を詳細に話してもらった。

当時、私は中国医学や鍼灸を専門に学んでいたので、幸いにもおじさん(師匠)のいう自然哲学的な占いの理論や古典的な陰陽五行説は手に取るように理解できた。

そのような認識に立つと、小宇宙である人間という存在と大宇宙の自然界との間に流れる自然哲学的な運気を見定めるということでは、まったく別物というわけではなかった。

そこには共通する運気がそのもの流れていて、それらが相互に関連し合っているという認識であった。

そのときの様子は特別あらたまった雰囲気でもなく、おじさんに自然に話をしてもらったのであるが、後から考えると私の理解が及ぶ範囲で手際よく占いの要諦ともいうべき重要なことはすべて教えてもらっていたように思える。

それはあらたまった師弟という関係を意識するまでもなく、本当に自然な感じで飄々と教えていただいたという感じであった。

何度かそうした教授の機会があって、最後のときには後は自分で研究してみなさいということであった。


五十代頃までは時々占いを考えることがあったが、それ以降はないように思う。

次第に自分で占ってみるということをしなくなった。

年齢的にもそうした白黒を決断するような機会が少なくなったのかもしれないし、ことさら占う程のこともないという感じになってきている。

他の人のために占ってあげるということもしない。

これはおじさんから教えてもらった占が、それほど神妙ではなかったということではない。

これまで私にとっては十分に神妙であったし、そこここで助けられたと思う気持ち自体にも変わりはない。

しかしながらいまの自分には、占いは必要ではないような気がするだけである。























jidai03




denden 










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ラベル:占い師
posted by モモちゃん at 22:32| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする