2017年09月28日

特定された邪馬台国女王卑弥呼の死因

女王卑弥呼、神仙丹薬服すも延命長寿叶わず終に倭国王城にて没す

30年ほど以前に佐賀県の吉野ヶ里遺跡が発見されたのが、当時(1986年)そのときの反響は大きかった。

古代のロマンを求めて、現地を訪れた人は短期間で百万人を軽く突破した。
 
邪馬台国との関連性、大陸との交流あるいは古代中国の徐福渡来との関係が指摘され、 内外の学者を交えての熱気溢れるシンポジウムも連日くりひろげられた記憶がある。

古代史ブームに一気に火が付いたというべきものであった。
。(下の写真は、みやま市瀬高町観光案内)


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ここではそうした考古学的論説ではなくて、別の観点から話を進めてみたい。

この吉野ヶ里遺跡の墳丘墓から出土した弥生中期のカメ棺内から水銀朱が出てきたが、 これは中国の皇帝や王属が黄金以上に珍重していた不老不死の仙薬(丹薬)であることが判明して新聞でも大きく報道された。

それまではカメ棺内の装飾用の染料ぐらいに考えている向きもあって、物の見方が変わるとすべての評価までが変わってしまうことになる。

丹薬といえば不老長寿と関係があって、実際に古代中国の王侯貴族は長寿を願ってこうした有毒の水銀朱を主成分にした丸薬をたびたび服用していた。

不老不死を願っていたのは、何も秦の始皇帝だけではなかったのである。

邪馬台国より吉野ヶ里の方が時代がやや遡るのであるが、すでに弥生中期には中国のこうした神仙思想(道教の一種)というものが北部九州に伝播してきていたことは驚きであった。


古代中国では、正統な治療医学の体系とは別系統の神仙思想に基づく不老不死を目的とする、こうした道教系の神仙術が王侯貴族のあいだで幅をきかしていた。

「魏志倭人伝」によると西暦二三九年に邪馬台国の卑弥呼の使者が魏の明帝に朝献したとき、金印・銅鏡と共に真珠(水銀朱)鉛丹各々五十斤を下賜されたとある。

当時の金丹、丹薬は王侯達が千金を積んで求めたものであるが、多分に卑弥呼はそうした仙薬、丹薬の類を魏王におねだりしたのではないかと思うわけである。

もちろん朝貢に対する返礼の品だったのかも知れない。

ただ当時は、神仙思想に繋がる丹薬にはそれだけの無視しがたい魅力があって王侯貴族のあいだにはその効能が広く信じられていた。

中国の馬王堆漢墓から見つかった婦人のミイラからも、水銀朱や鉛丹の成分である砒素、水銀、鉛が検出されているが、この婦人が当時の皇帝の従姉妹にあたる高貴な身分であったことを考えるとその理由が頷ける。

卑弥呼がいわゆる鬼道という祭祀的の強い統治形態を摂っていたということは、大陸のそうした原始的道教の影響が色濃くあったことが窺えるところである。

だがしかし、卑弥呼がこの仙薬を不老不死の霊薬と信じて常習的に服用していたとなるとそれこそ大変である。

卑弥呼は、間違いなくこの丹薬による中毒で命を落としたということになってくる。

少なくともその可能性は非常に高いといえるであろう。

さしずめ「女王卑弥呼、神仙丹薬服すも延命長寿叶わず終に倭国王城にて没す」というところである。

中国の史書では「梁書諸夷伝」・倭「正始中(二四〇〜二四八)、卑弥呼没す」と記述されている。

卑弥呼が水銀朱を入手したのが二三九年か二四〇年(使者が持ち帰るのに相当の日数がかかるので、その点を考慮する必要がある)とすると、死んだのが二四〇年から二四八年の間のいつかであるが、その死因ついては何も記録されていない。

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卑弥呼が亡くなったのは、恐らく二四七年か二四八年、そのあたりではないかと私は考える。

北部九州に邪馬台国があったのではないかということで、ここでは卑弥呼の存在にも一段と関心が集まるわけだが、薬物中毒で命を亡くしたというと何だかがっかりして興ざめであろう。

それこそ美人薄命にも繋がらないわけで、当然ここでは反論が出てきてもおかしくないところである。


しかしながら当時の歴史的背景を見ていくと、これはこれであながち間違った見方ではないことが分かってくる。

こうした古代中国の文化に根付いた神仙思想は、数百年どころか千年単位で継承されていたといえるであろう。

そこに登場してくるこれらの丹薬の多くは辰砂、丹砂といった水銀を含む鉱物から作られるため延命効果があるなどというより、逆に有害な含有物の服用によって古代中国では夥しい中毒死を引き起こしている。

本来丹薬といわれるものは容易には入手出来ないこともあって、その被害者のほとんどが王侯貴族の支配階層に限られていたことも特徴的である。

そうした中毒死の危険性があったにもかかわらず、神仙思想や丹薬を作る煉丹術は後世になっても一向に衰えず、王侯や高貴な身分の貴族らは己の延命長寿を願って競うように高価な丹薬を入手しようとした。

すでに「史記」(扁鵲倉公列伝)にもその中毒の症例が記述されているし、晋の哀帝は丹薬による中毒で二五歳の若さで命を落としている。

それこそ同様の死亡事故が続発していて、重大な歴史的事件としても史書にも逐一記録されている。

王侯の中には熱心なあまり、霊薬の専門研究機関や役職(仙人博士官)といったものまで設置して効能実験や複雑な調剤をやらせていたという。

実験というだけに実際に罪人に服薬させて安全性や効能をテストするのであるから、中途半端なものではなかった。

中には専門職の医師までがその誘惑に負けて自ら服用しまい、丹薬の中毒症状に苦しむということさえあった。

これはなにも古代の王侯貴族に限られたことではなくて、唐代になっても歴代皇帝の多くが煉丹術に関心を持っていたようで、この方術で作られた丹薬を服用したために廃人、もしくは悲惨な中毒死を遂げている。

名君の誉れ高い第二代皇帝の太宗が延年薬にあたって命を落としたのをはじめ,三代高宗、十一代憲宗、十二代穆宗、十五代武宗、十六代宣宗など、唐の歴代皇帝二十二人のうち、六人までがこの丹薬服用で中毒死したのだという。

たとえばそのなかの1人、十一代の憲宗は金丹を飲んで次第に中毒症状が現れだして異常な行動をとるようになった。

丹薬中毒(重金属中毒)特有の症状でもあるが、急に気短になり分別がなくなると側近の官吏に理由もなく腹を立てるようになり、つぎつぎと獄舎に繋いでしまった。

そして、結局は周囲から手に負えない狂人と恐れられて、820年に側近の部下に暗殺されてしまったのである。

これも結果的には一つの中毒死事件といえなくもないではないか。

これだけおぞましい中毒事例が続いたにもかかわらず、何故に唐王朝では未然にこれが防げなかったのであろうか?

当然これにはこれで理由がある。

唐王朝内部では多くの権力闘争が渦巻いていたし、そうした政争の裏では官僚や宦官の台頭がすすんでいった。

巧みに古来の道教思想を利用して、丹薬による皇帝の廃人化が密かに企てられていた。

それこそ王が馬鹿なら扱いやすいが、少し気の利く王であれば不老長寿に関心をもたせてうまく丹薬の誘惑へと誘い込むという手立てである。

それで脳神経を適度にマヒさせて、後はよきに計らえの状態にもっていくというわけだ。

運悪く服用する丹薬(毒薬)の加減を間違えられると、軽い中毒どころか大事な命まで奪われてしまうことになりかねない。



一方、西洋にも同様の事例があって、暴君ネロも不老不死薬や精力剤を漁っていたことから一種の薬物中毒だった可能性があるという。

事実あのネロの悪行もこうした中毒によって、脳神経が侵されたためとする学説があるくらいである。


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面白いことに 西洋では、古代中国のように王侯が不老不死の霊薬を捜すというより、毒を中和する解毒剤が古代ギリシア・ローマ時代より熱心に求められていた。

というのは当時は各地に大小の王侯が割拠し対立していただけに、毒による暗殺事件が頻発するという複雑な背景があったからである。

不死薬と解毒剤──王侯が求めて止まない薬物ということでは共通する部分もあるのだが、その熱心さのあまりついには当代一の毒物学者になってしまった王様もいた。

それは古代ギリシアのアレキサンドリア時代にボストン(黒海の南岸にあった)の国王であったミトリダテス・エウパトル六世である。

彼は表向きは植物学(特に毒草)に造詣が深いということであったか、バビロニアやスキチアの有能な医師団を招き密かに王室研究機関を設け自ら毒物学の研究に没頭していた。

悪趣味といえば悪趣味である。

彼は各地からありとあらゆる有毒物質を集めるとともに、その毒性を調べるために死刑囚はもとより、奴隷や将兵を使っての非情な人体実験まで行ったという。

その結果、ミトリダテス大王は万能解毒剤「ミトリダチオン」を西暦60年前後についに完成させたのだという。

彼自身は毒殺されるのを極度に恐れ普段から毒物に対する耐性を高める努力をしており、それと同時にこのミトリダチオンを日々常用していた。



ところがである、西暦63年にローマのボンベイウスの軍隊に攻め込まれついに落城という時、妻子共々服毒自殺を計ったのであるが、どうしたことか肝心のミトリダテス王だけは不覚にも毒が効かないという予想外の事態に陥った。

定量以上の毒薬を飲んでも平気であったのだ。

このときミトリダテス王の体は、すでに毒に対する耐性が見事にできあがっていたのである。

彼の命運は結局どうなったのか。

一説によるとローマ軍にさんざんに斬れて殺害されたのだといい、また側近の奴隷に短剣で心臓を突かせてどうにか絶命したともいう。 そこらはいまいちはっきりしない。

どちらにしてもミトリダテス王自身は最後まで毒では死ななかったわけだから、これは本望というべきであろうか。

この素晴らしい解毒剤ミトリダチオンの処方は、大王の遺物の中から発見されポンペイウスによって戦利品としてローマに持ち帰られた。

この処方は文法家レネウスによってすべて解読され、さらに薬物学者の専門家によってラテン語に翻訳されたということであるが、 何とその解毒剤は五十四種類の成分から構成されており、これを見たローマの学者も舌を巻いたという。


さてさて古代の薬物中毒ということで話が多少ずれてしまったが、「魏志倭人伝」に「女王死するや、大いに塚を作る。径百余歩、殉葬者奴婢百余人」とあるのだが、この卑弥呼の墳墓はいまだ発見されてはいない。


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邪馬台国はもちろんのこと、その卑弥呼の墓がどこにあるのかが古代史最大の謎なのだが、今回はとりあえず卑弥呼の死因についての謎解きをやってみたというわけである。











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ラベル:中毒死
posted by モモちゃん at 20:59| 歴史ミステリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする