過去の記憶の中にはとても可笑しくて笑ってしまうような出来事や不可解な出来事などが、幾度もあったように思う。
それも一度や二度のことではないのである。
後から思い返してみても、やはりあれは何だか妙であるといったことが感じられるときがある。
いまだに記憶の底に消えずに、そのまま残っているのだ。
まるで何者かに操られているような変な気分にさせられるといった、そうした説明のつかないような不思議な体験というものは誰にでも一つや二つはあるはずである。
それは、そうした過去の出来事のであった。
小学生のときは冬の天気がよいときは始業のベルがなるまでの間、わずかな時間ではあったが、私はひとりで校舎の東側に行って壁際で日向ぼっこをしていた。
それが私のささやかな冬の楽しみでもあった。
日向ぼっこは私だけではなくて、周囲には同級生も何人かいてわいわい騒いでいることも時たまあった。

東側の校舎の壁に沿って目の前は幅が2メートルほどのコンクリート張りの通路になっていて、すぐ向かい側は田んぼに水を流す農業用のクリーク(水路)になっていた。
通路とその水路の境にはフェンスも何もなかったし、対岸は普通の草の生えた土手であった。
当時は小学校の敷地と周囲の田んぼとの境界線が、そうした農業用の水路で囲まれているかたちになっていた。
そのクリークの幅は3メートルもあったであろうか。
春先から夏場は水量がわりと多くてさらさらとした流れがあったが、秋から冬場にかけては膝下ぐらいまでに水位が下がっていた。
そこからの風景はというと、目の前は水路が南北に流れて、その先はずっと田んぼが山すそのほうまで続いているという田舎らしいありふれた景色が広がっていた。
思い出に残るその可笑しな出来事はこの場所で偶然発生したのであった。
その日はどうしたことか、日当たりのよい壁際で日向ぼっこをしているのは私だけであった。
そこへ後から級友が二人やって来たのであるが、日向ぼっこするでもなく目の前の水路の傍まで行っていきなりふざけ始めた。
片方が水路に相手を突き落とすような悪ふざけを仕掛けて、しばらくそれを繰り返していた。
二人とも面白がって交互に水路に落とすようなそぶりで、危なっかしい遊びに興じていた。
それはほんの一瞬であった。
あっという叫び声と同時に、二人は崩れるようにして水路側に倒れこんだ。
二人は仲良く抱き合うような姿勢のまま、水路に転落してしまったのだ。
瞬間、バシャッという水音がした。
それはまさしく私の目の前で起きたのである。
晴天とはいえ、冬の寒い日である。
二人は水路から這い上がると、びしょぬれのまま慌てて職員室の方へと掛けていった。
二人は走り難かったのか、途中でズボンを脱いでいた。
ズボンを脱いだ下着姿で走っていく二人の姿がいまでも記憶に残っている。
当時は職員室にだけ暖房用の石炭ストーブがあった。
こうした場合、とりあえずそこで服を乾かすしか手立てはなかったということだ。
話はこれだけでは終わらなかった。
翌日も晴天であったので、前日同様、私は同じ場所で同じように日向ぼっこをしていた。
当然のことであるが、そのときの私は昨日の級友の転落の様子を頭に思い浮かべていた。
思い出しても何だか可笑しな成り行きであったと思った。
そこへ級友が3人やってきた。
うち二人は前日水路に転落した当の級友であった。
二人は現場検証よろしく、連れてきた別の級友に昨日の思いがけない事件の顛末をあれこれと説明していた。
現場を前にして言葉であれこれ説明するだけでは終わらずに、そのときの二人の体勢や状況を細かく再現しつつ友人に伝えようとしていた。
彼らにとってとんだ災難であったわけで、どうにかして昨日の不運な成り行きを相手に詳しく説明したいという様子が傍にいる私にも伝わってきた。
その二人の真剣さが、むしろ可笑しくもあった。
私から見れば、その成り行きは当事者同様に分かるわけだから、あらためて当人らの状況や災難の経緯が事細かに実感できるという感じであった。
そうした様子を離れてみている私にとっては、昨日と同じ情景がそのとき目の前でうまく再現されているなあという漠然とした感慨があったし、それでいてそれを誰かに見せ付けられているような不思議な感覚を覚えていた。
何故なら場所も同じ。私の立ち位置も同じ。朝の時間帯も同じ。二人の級友の立っている位置さえもまったく同じといってよかった。
同じ空間ということで、たしかにそれはとても妙な感じであった。
そこに昨日同様の情景が目の前にあって、それがまさに同じように展開されていくという蓋然性があるということは、一体これはどういうことなのであろうかという、そうした漠然とした感慨がかすかに頭をかすめた。
数十年後にビデオという映像装置が登場し、始めて映像のリプレイという機能を見せられて思わずはっとさせられた体験とどこか似ていた。
いや、それとまったく同じであったはずである。
二人のあっという叫びと同時に、私は昨日同様に二人が抱き合ったまま水路に転落していく情景を同じ位置から見ていた。
そこには再現された情景が展開していた。
いや二人の級友は、私の目の前で昨日の転落劇を見事に再演してくれていたのである。
確かにそのときの私は、内心すごく可笑しかった。
すべてが見事過ぎて、そのまま思わず大笑いしたい心境であった。
だがそれ以上に眼前であまりにも忠実に昨日の情景が再現されたことの驚きの方が、はるかに大きかった。
一体これは何なのだろう?
級友二人は水路から這い上がると舌打ちをして、濡れたズボンを脱ぐと昨日同様びしょぬれの下着姿で同じように職員室の方へと走っていったのだった。
私は昨日とまったく変わらぬ二人の後姿をずっと見つめていた。
「冬景色(冬げしき)」〜文部省唱歌メドレー「ふるさとの四季」より (根城中学校合唱部)
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