2018年05月15日

中世東アジア地域の医療に寄与したホ・ジュン

生命の根源には「気」が関わっている?!


中国医学では、生命に関連するエネルギーを生気、真気、先天の元気、後天の元気となど呼ぶことがあります。

先天の元気とは生まれもった固有の生命エネルギーであり、先天的に両親から受け継いだ命のエネルギー源ということになります。

治療の場でも常にそうした体の気の状態には注意を払うのです。



東洋医学関連の古典を読んでいると、瀕死の病人を生き返らせた名医の話しというのによく遭遇する。

中国の歴史書の『史記』(扁鵲倉公列伝)の扁鵲などはその好例として有名である。

これらに類した名医の伝として興味深い逸話や記録が残っているので、いくつかここで紹介してみよう。



あるとき一人の老人が通り雨にあい人家の軒下で雨宿りしていると、その傾きかけた粗末な家の中から女のすすり泣く声が聞こえてきた。

 室内をそれとなく覗いてみると、母親が子供の枕元でうずくまるようにして泣いているではないか。

老人は思わず声を掛けた。

外からの突然の声に女は驚いて、泣きはらした顔を上げた。

老人は母親に静かに語りかけた。

優しそうな老人の言葉に、母親は気を許して事の次第を話はじめた。


母親の話によると、子供の病状が一昨日より急に悪くなり、診てもらった医者はもう手の施しようがないと言い残して帰ってしまったという。

子供の意識は無く命はいくばくもない様子で、もう死を待つばかりだと言って母親はまた泣き崩れた。

老人は気の毒に思い、自分は医術の心得がある、このまま見過ごすにはどうしても心残りだから、自分に子供の脈をとらせてはもらえまいかと言う。

老人は一通り子の脈を診ると、いきなり母親に父親の所在を尋ねた。

この子の父親は既に亡く、いままで母一人子一人で暮らしてきたという。

老人はその答えに頷くと次のように言った。

「やはりこの子の命は絶えそうである。そもそもの原因はこの子が母親の陰の気だけを受けて育てられ、父親の陽の気に包まれなかったことによる。そのため体内の陰陽の調和がとれなくなったのだ。一刻の猶予もない」

そこで老人は母親に起死回生の不思議な妙法を教えた。

母親は戸惑いながらも子供の命が助かるかもしれないと知って、老人の言うとおりに村中にある若衆宿へ直ちに掛けていった。

そこでは、元気盛りの若者が幾人も泊り込んで共同生活しており、そう広くもない部屋の中は若者たちの熱気で溢れかえっていた。

母親はその部屋に駆け込むと、若者たちが遊んでいた将棋の駒をひったくるように掴み取ると、すぐさま家にとって返した。

その将棋の駒を土瓶で煎じて子供に飲ませたところ、生死を彷徨っていた子供は奇蹟的回復をみたのであった。──



Dongibogam





ここに登場する老人こそ、朝鮮医学の集大成ともいうべき医学書『東医宝鑑』を17世紀初頭に編纂した名医許浚(ホ・ジュン)その人であった。

許浚は低い身分から並外れた努力と研鑽によって王を診る御医になるまで出世した名医として知られる。

許浚は、30歳の時1569年、第14代国王・宣祖に仕える儒者の顔の腫れ物を完治させたことで歴史書に登場している。

5年後には宮廷の内医院に入ると、次第に頭角を現し1590年には光海君の天然痘を治療したことで正三品に昇進し、さらに二年後には従一品にまで上った。

許浚に対する王はの信頼は厚かっただけに、1608年に宣祖が逝去するとその死の責任を問われて流罪となる。

しかしながら許浚に代わる名医は宮廷内にはおらず、翌年赦免され元の内医院に戻ることとなる。

流罪になったときに書き始めた医書23編25巻が1610年に完成しこれを第15代国王・光海君に献呈した後の5年後、1615年にその生涯を終える。死後、正一品の位階が与えられた。

彼が著した医書『東医宝鑑』は後に2009年、ユネスコが主催する世界記録遺産に登録された


許浚という人物は家庭的には決 して恵まれた環境で育ったわけではなかった。

いわゆる妾腹の子であり、苦学して医を志したのである。

この逸話にもそうした許浚自身の幼少時の境涯がいくらか反映されているのかも知れない。

起死回生?なんだ馬鹿馬鹿しい、荒唐無稽な作り話ではないかと思われる向きもあろう。

実はこれによく似た同様の話が、後漢時代に活躍した名医華佗の伝の中にもある。

東陽県の陳叔山の一歳の男の子が下痢が止まらなくなり、次第に衰弱していったことがあった。

方々手を尽くしたがどうしても病状が良くならないので父親が心配して、名医として名の聞こえた華佗のもとを遠路訪ねてきた。

華佗は一通り病状と経過を聞くと、父親に向かって詳しく説明し始めた。


 「その子の母親は次の子をすでに妊娠しているはずだ。そのために母乳中に本来含 まれているはずの母親の陽の気が、おなかの胎児を養うのに多くが吸収されてしま い、その母乳は子供を養うには不十分な冷たい陰の気に偏ってしまっているのだ。
だからその子がいまのまま陰の気が充満した冷たい母乳を飲んでいる限り、この病は回復しないだろう」
と、明解な病理、病機を示した。


中国には「名医、棺を返す」と言うような諺があるらしい。

これは名医という ものは死人さえも生き返らせるのだ、といったニュアンスのものかと思うが、扁鵲がそうであろうし、唐時代の孫思邈(ソンシバク:五八一〜六八二)の伝にも、これにぴったり当てはまるような逸話が残されている。

孫思邈はある日、往診の帰りに棺を担いでいく行列と遭遇した。

よく見るとその棺の底からは、ぽとぽと血が滴って落ちているではないか。

不審に思った孫思邈は行列に泣きながら付いていく老婆に、いつ亡くなったのかを尋ねた。

孫思邈が医者であることが分かると、老婆は一人娘が難産で二晩苦しんで出産できずに数時間前に死んでしまったといい、泣きながらどうか生き返らせてくれと懇願した。

棺の蓋を開けさせると、中の若い婦人はすでに血の気が退いて顔色は蝋のようであった。

脈をとってみると、かすかに触れてくるではないか。

孫思邈はまだ望みがあると思い、素早く鍼を取り出し経穴を定めて打った。

しば らくすると妊婦の気が動き、顔に血の気がさし生気が蘇ってきた。

次第に脈が強くなるとともに、産気づき棺の中から「オギャア、オギャア」という産声が聞こえ赤ん坊が生まれたのである。

この成り行きには、周りの人々も驚き大歓声を上げた。

何と、名医孫思邈は鍼一本で、母子二人の命を救ったのである。



このように孫思邈は名医としての誉れ高く、今でも中国では仁術を身をもって示した医師として人々の尊敬を集めている。

いまも孫思邈の霊廟が祀られている。













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posted by モモちゃん at 13:20| 歴史奇談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする