幕府の朝廷制御のきっかけとなった事件とは
江戸時代初期の慶長14年(1609年)、複数の朝廷内の高位の公家衆が絡んだ醜聞事件が発覚した。
それが猪熊事件といわれるものである。
大事件でありながら、もとより日本史の入試では出題されることはない。
何故ならそれはあまりにもスキャンダラスで、風紀上不都合過ぎるからである。
発端はまさに週刊誌ネタといえるものであったのだが、結局それを誰ももみ消すことは出来なかった。
この事件によって公家の風紀上の乱脈ぶりが白日の下にさらされただけでなく、その後の江戸幕府による宮廷制御の強化へと繋がったきっかけとなったとされるのであるが、それだけにここでは日本史教科書にも取り上げられないスキャンダラス極まりない事件として特筆すべきものということになる。
そこには宮中での男女間の無軌道な不倫や淫蕩な関係が複雑に絡んでいた。
宮廷内では従来より不倫などは公家の間では雅な文化習俗ではあったろうが、不義密通は重罪とされる武家の習いでは決して公に許されるものではなかった。
この事件の中心にいたのは、京都の公家であった左近衛少将猪熊教利であったが、彼は天下無双とたたえられるほどの美男子ということで宮中で知られ、『源氏物語』の光源氏や平安時代の在原業平にもたとえられた人物であっただけに京中の衆目を集めることとなった。
当時の宮中は伝統的な平安時の王朝貴族の気風も色濃く残っており、『源氏物語』同様の男女の自由恋愛も若い公達の間には横行していた。
そうした中で、特に猪熊教利の素行は目立ったのである。
教利はイケメンな上に和琴の名手であったし、当時流行のかぶき者として服装にも凝っていた。
教利の周囲には若い女性が集まってきたし、彼の遊び仲間もたむろするようになる。
彼のしゃれた髪型や帯の結び方は京でもしきりに持て囃されていたほどであり、多くの女性にもてただけに女癖が悪く、人妻や宮廷に仕える女官達にも手を出し素行が悪かった。
そのようなこともあって、イケメンの教利は「公家衆乱行随一」と巷ではもっぱら称されてもいた。
慶長12年(1607年)に女官との密通がいくつか露顕したことで、ついには宮廷からから勅勘(天皇からの勘当)を蒙り、猪熊は京都から一旦追放されていたのだが、いつの間にか古巣である京の街へ舞い戻ってきていた。
さっそくに遊び慣れた仲間の手引きがあったのだが、その後も教利の素行は一向にあらたまらず、仲間の公卿らを誘って再び宮中の女官との不義密通を重ねていた。
そうした中で、仲間内の左近衛権少将・花山院忠長は、こともあろうに後陽成天皇の寵愛を受けていた広橋局(武家伝奏・大納言広橋兼勝の娘)に懸想していたのであるが、いつの間にかこれにも猪熊教利が割り込むようにしてかかわってきていた。
広橋局は宮廷内でもきわめつけの美女として知られていたのであるが、一方の教利は宮中一の美男として自他共に認めるだけに、これを指をくわえて見逃すはずもなかった。
教利はかねてより宮中深くまで出入りを許されていた牙医師(歯科医)の兼安備後に仲介を頼んで広橋局との文通を始めたのであるが、広橋局も相手があのイケメンの教利ということでとうとう宮廷内で密会を重ねるまでに両者の関係は進展してしまっていたのである。
一説によると、花山院忠長の密会の話を漏れ聞いた教利が忠長を脅して後からそれに便乗したのだともいうが、どちらにしても教利がその後の主導権を握って遊び仲間の飛鳥井雅賢をはじめ、色事好みの公卿衆や宮中の女官らを次々と誘い出し、様々な場所で乱交を重ねることとなったのだという。
もとより宮廷内はすべてが雅で風雅な趣が好まれ、男女の間でも逐一『源氏物語』の世界が今様に再現されていたのである。
しかしここにきて江戸幕府が開かれ、次第に武家の政権が力を持ってくると事情は変わってくる。
こうした目に余る大人数の乱行や淫蕩な素行については、宮廷を警備する者から京都所司代へと逐一情報がもたらされることになる。
幕府が支配する京都所司代は京都の治安の維持はもとより、当初より朝廷・公家衆の監察、西日本諸大名の監視がなされていたが、事が事だけにここでは慎重な探索がなされていた。
この間、日時や人物の特定と追跡が、秘密裏に続けられたのである。
そこには朝廷内の公家同士の諍いからの密告もあったといい、ついに慶長14年(1609年)7月、後陽成天皇の寵愛を受けていた広橋局も関係していたことが天皇の耳にまで達するという事態となった。
宮廷内でももはや隠しおおせない状況に至ったわけで、いまさらのように持ち上がった淫蕩な事件に周囲は戸惑い混乱するばかりであった。
これまた露見したと知ると当の猪熊教利本人は素早く九州の日向にまで逃れると、さらには海を渡って朝鮮国へと逃れる手筈を模索していた。
このとき朝廷内で発覚してしまった乱交に関わった者を重罪として罰しようにも公家の法には死罪などは無かったし、このような場合の捜査権もなかったのである。
朝廷には、この期に及んでも収拾の手立てがまったくなかったのである。
その結果、猪熊教利の追跡と捕縛はもとより、宮廷内の捜査自体も幕府の京都所司代の手に委ねられた。
事件を聞いた大御所・徳川家康は京都所司代の板倉勝重と幾度となく綿密な協議を重ねていた。
幕府にとって、この事件そのものは朝廷を制御する好機と云えたはずである。
事件の調査が進み全容が判明するにつれ、そこには五十名以上の大人数の公家衆がこの件に関わっていることが判ったのであるが、ここですべての者を死罪とすれば宮廷内が大混乱を生ずることが懸念されるという前代未聞の事態となった。
いうなれば宮廷が司る多くの祭祀や伝統的文化が、ここで一気に廃れてしまうという危機的状況が出来したというわけである。
淫蕩極まりない事件は、それほどの重大事に直結してきていた。
ここにきて国母(天皇の生母)である新上東門院(勧修寺晴子)からも寛大な処置を願うという歎願が所司代や家康の下に伝えられた。
いわゆる命乞いである。
その年の9月、日向に潜伏していた猪熊教利が捕縛され京都へ護送されてきた。
主犯格の猪熊教利の護送直後に詳細な調書・報告書が作成された。
所司代・板倉勝重は、直ちに駿府の家康の下へ調書を持参し今回の事件の処罰について協議した。
9月23日(新暦10月20日)、駿府の家康の下から戻った板倉勝重より、事件に関わった者、内公卿8人、女官5人、地下人1人に対して以下のような寛大な処分案が朝廷に示された。
死罪 左近衛少将 猪熊教利 牙医 兼安備後(頼継)
配流左近衛権中将 大炊御門頼国 → 硫黄島配流 (→ 慶長18年(1613年)流刑地で死没)
左近衛少将 花山院忠長 → 蝦夷松前配流
(→ 寛永13年(1636年)勅免)
左近衛少将 飛鳥井雅賢 → 隠岐配流 (→ 寛永3年(1626年)流刑地で死没)
左近衛少将 難波宗勝 → 伊豆配流 (→ 慶長17年(1612年)勅免)
右近衛少将 中御門宗信 → 硫黄島配流 (→ 流刑地で死没)
新大典侍 広橋局(広橋兼勝の娘) → 伊豆新島配流 (→ 元和9年9月(1623年)勅免)
権典侍 中院局(中院通勝の娘) → 伊豆新島配流 (→ 元和9年9月(1623年)勅免)
中内侍 水無瀬(水無瀬氏成の娘) → 伊豆新島配流 (→ 元和9年9月(1623年)勅免)
菅内侍 唐橋局(唐橋在通の娘) → 伊豆新島配流 (→ 元和9年9月(1623年)勅免)
命婦 讃岐(兼安頼継の妹) → 伊豆新島配流 (→ 元和9年9月(1623年)勅免)
恩免 参議烏丸光広 右近衛少将徳大寺実久
この処分案に対し朝廷は賛意を示すと共に、各の処刑が確定した。
10月17日(11月13日)、常禅寺において猪熊教利が斬首され、鴨川の河原で兼安が斬首された。

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