2019年01月20日

戦国に名を残した阿安姫の生涯

戦国九州美女伝説を探る

戦国時代の美女というと織田信長の妹お市の方や明智光秀の娘であり、武将細川忠興の妻であったガラシャ夫人がつとに有名なのですが、同じ戦国時代にあって忘れてならない特筆すべき美女の一人として九州の戦国大名竜造寺隆信の娘阿安姫がいます。

阿安姫の美しさは、当時九州一円はもとより交易の中心であった堺や京、大坂までつとに知られていたのです。

阿安姫こと「お安の方」ともいわれますが、彼女にも過酷で数奇な運命が待っていました。


戦国時代、九州の肥前国(現在の佐賀)の東方(現福岡県・筑後地方)に有力な国人であった小田氏の居城(蓮池城)がありました。

ここは当時、肥前と筑後とを結ぶ街道の要衝の地であり、軍事的にも要となる土地でした。

当時の北部九州の勢力図でいうとこの豪族小田氏の城は、肥前の覇者竜造寺氏と豊後(大分)の大友氏の狭間にちょうど位置していたことになります。

戦略的な拠点となり得る土地だけに、竜造寺も大友も互いにこの土地と城を狙っていたことになります。

東肥前の支配権を徐々に確立しつつあった竜造寺隆信は1562年、時の蓮池城主の小田鎮光に調略の手を伸ばし、まず手始めに懐柔策として縁談を持ち掛けてきたのです。

もとよりこれは戦略としての政略結婚の話しであることは、みえみえのことでした。

その縁談の相手とは隆信の娘お安(阿安姫)であり、このとき彼女は十七歳でありました。

当然のこと、小田氏側には多少の警戒心はあったと思われますが、この縁談に対して小田側の反応は意外にも早かったといいます。

小田氏にとってこの縁談はそれほど悪い話しではありませんでした。

竜造寺に対して弱小である小田氏からみれば、むしろ願ってもない好都合な話ということになります。

龍造寺家の姫たちが美しいことは周辺諸国にひろく知れ渡っていたのですが、実は竜造寺氏の阿安姫は隆信の娘といっても実子ではありませんでした。

阿安姫の実父は本家筋である龍造寺胤栄でしたが、胤栄が若くして病死したため、分家(水ヶ江竜造寺)であった隆信がその後を継ぐと同時に未亡人と隆信とが再婚し胤栄の娘お安が隆信の下に引き取られていたという事情がありました。

今風に云えば、妻の連れ子ということになります。

このように阿安姫は龍造寺家の正当な血筋ということでは、何ら問題のない出自であったのです。


阿安姫は、義父である隆信にとっては義理の娘ということになるのですが、阿安姫が成長するに従って三国一の美女としての噂が近隣諸国にまで広まってきました。

当時、龍造寺家は美女の係累が多いことでも知られていたのです。

そのような背景からいくと、この縁談は両家にとっては好ましいもののようにみえますが、これは明らかな政略結婚そのものだったのです。

もとより隆信はそうした調略や懐柔策に長けた、したたかな戦国武将であったわけです。

肥前と筑後を結ぶ街道の要衝を押さえる小田鎮光を巧妙に取り込むための政略結婚の手立てとして、隆信は明らかに阿安姫をその道具として使ったのです。

このことは後からはっきりと判ってきます。



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小田鎮光と竜造寺隆信との関係はそれまでの経緯から行くと決して良好なものではなかったのですが、それでも竜造寺の申し出を小田側がそのまま受け入れたのはお阿安姫の類稀なる美しさに惹かれたということも考えられるのです。

もとより小田側がもしここで縁談を拒絶してしまえば、勢力を増しつつあった竜造寺にかえって攻め込まれる口実を与えてしまう懸念とて考えられる状況下に置かれていたことも確かです。

明らかに両者には武力に大差がありましたし、弱小であった小田側からみれば不利な戦は避けたいところであったのです。

竜造寺が始めから小田氏を武力で攻めてもいいわけですが、力尽くでは犠牲を覚悟しなくてはなりません。

勢力を温存しておきたい竜造寺は、それを考慮して巧妙な調略をここでは講じてみせたわけです。

この婚儀によって竜造寺と縁戚関係が結べる方が、このときの小田側にとっても格段に得策であったはずです。

両者の思惑が合致したというわけです。

その後またたく間に両家の婚礼の儀式は整い、竜造寺家から阿安姫は無事小田家へと嫁いできました。

たしかに小田鎮光が目にした阿安姫こと新妻お安の方は、噂に違わず驚くような美女であったのです。

あまりの美しさに戸惑った鎮光や小田家の者は、当初お安の方を内心警戒するほどであったといいます。

だが、お安の方の優しい心根や天真爛漫さに触れていくに従って鎮光は心を許すようになっていきました。

またたく間に二人は仲睦まじい生活を送るようになっていきました。

しかしながら、一方の義父である竜造寺隆信は虎視眈々とその調略の時期を狙っていました。

そしてついに隆信の野望が牙をむくと、娘婿鎮光に一つの要求を付きつけてきたのです。

それは永禄二年1568年、お安の方が小田鎮光に嫁いで七年目であったのですが、突如として隆信は鎮光に領内の多久の梶峰城に移るよう命じてきました。

いわゆる領地変えです。

隆信の狙いは弟長信に街道の要衝であった小田氏の蓮池城を戦略的に押さえさせるためであったのです。

同時にここは小田の勢力を一気に抑え込もうとしたともとれます。

父祖の地を離れることは耐えがたいことでしたが、このときの小田鎮光には義父隆信の命に従うしか手立てがなかったのです。

妻であるお安の方も間に立って奔走したのですが、隆信の方針は覆ることはありませんでした。

翌々年の元亀元年1570年、竜造寺にとって長年の宿敵ともいえる豊後の大友宗麟が六万もの大軍勢で肥前にまで攻め込んできたのですが、大友勢の圧倒する勢いに肥前の国人衆も次々と大友方に寝返っていくなか、かねてより隆信のこうした仕打ちに不満を抱いていた鎮光も大友軍に加担してしまいます。

このとき当初攻め込んできた大友勢は有利に戦いを進めており、緒戦で竜造寺軍は押され気味でした。

そうした戦況を観て小田氏勢力は目ざとく大友勢側に就いたのです。


kyu03この場合にしても小田鎮光自身が竜造寺を見限ったというよりは、小田家一族一党で協議の上で最終決断されたことに従ったに過ぎません。

この決断に至ったというのも鎮光ひとりの考えではなく、これまで彼に仕えてきた家臣団の強い思いが背後にはあったということになります。

結果的には当主である小田鎮光は、義父である竜造寺隆信をここで裏切ったことになります。

当然女婿の身でありながら反逆したことに、隆信は烈火のごとく激怒します。

ここらは信長の妹お市の方と浅井長政との悲劇的な歴史の流れが思い浮かぶところです。

その後この戦いでは予想外の展開があって、押され気味であった竜造寺軍は隆信の義弟である名将鍋島直茂が緒戦において大戦果を挙げたのです。

その結果大方の予想に反して劣勢と思われていた竜造寺軍は鍋島直茂の活躍によって、ついには大友軍を撃破してしまったのです。

そしてこの戦が終結すると隆信は、直ちに裏切った国人衆の粛清を行いました。

それは熾烈なものでした。

隆信に反逆した鎮光は難を逃れて筑後に亡命し、一方お安の方は竜造寺に帰らせました。

竜造寺に反旗を翻したわけですから、鎮光はここで竜造寺との縁戚関係を一旦解消してみせたということです。

ここは成り行き上愛する者同士が別れたわけであって、戦国の世とはいえここでも夫婦共々苦汁の決断をしたことになります。

これに対して冷酷非情な隆信は、内心密かに一計を案じるのです。

あるとき義父である隆信は、お安の方にこう言い聞かせました。

わが娘であるお前は何も按ずることはない。こ度の事、鎮光が詫びを入れるなら許してやろう。二人して元の多久の梶峰城に戻ればよい

この言葉に喜んだお安の方は亡命中の夫に手紙を書きしたためました。

愛する妻からの手紙を読んだ鎮光は、すぐさま竜造寺の佐嘉に戻って行ったのです。

だがこれは始めから隆信が企んだ罠であって、お安の方との再会どころかここで待ち構えていた竜造寺側の討手によって小田一族はすべて囲まれ討ち取られてしまいました。(元亀二年(1571年))

お安の方は夫の死を知って大きな衝撃を受け、その場に卒倒してしまいました。

愛する夫鎮光が非業の死を遂げたのは、義父の謀とはいえお安の方自身が書き送った手紙がその騙し討ちの狡猾な誘いの具に使われたことは、さぞかし口惜しく無念であったことであろうと思います。

鎮光の裏切りを許さない隆信は、夫婦間の愛情を逆手にとって政略とはいえあまりにも惨い仕打ちをやって見せたのでした。

悲観したお安の方はその場で自害をしようとしますが、周りから押しとどめられてしまいます。

彼女の悲運はこれだけでは終わりませんでした。

さらにここにきて、またしても非情な義父隆信はお安の方を政略の具として利用することを考えるのです。

今度は強力な水軍を配下に持つ上松浦党の当主、波多三河守親に嫁ぐようお安の方に命じたのでした。

抵抗する術もなくお安の方は言われるがままに、義父に従わざるを得ませんでした。

当時の戦国の世にあっては、身分の高い女性が三度、四度と嫁ぐことは珍しいことではなかったのです。

お安の方は波多家に嫁いでからは、お安の方ではなく新たに秀の前と呼ばれるようになりました。

そうした中で、義父である竜造寺隆信は秀吉の九州征伐の直前の島津との戦い(沖田畷の戦い)であえなく討ち死してしまいます。(天正十二年・1584年)

これで肥前での竜造寺の勢力は衰えてしまいます。
 

その後の秀の前(安の方)の生涯が安泰であったかというと、そうとはならなかったのです。

秀の前はここでもその美しいがゆえにさらなる悲運を招くこととなります。

九州の名護屋に城を構え、朝鮮出兵を強行した太閤秀吉が波多三河守親の妻、秀の前が美貌であることを伝え聞くと、夫が出陣中にもかかわらず名護屋に出頭するよう妻の秀の前に命じてきたのです。

秀吉の命令は絶対でした。

大名の妻とて拒めるものではなかったのです。

この時期秀吉はご機嫌伺いということで、出陣中の夫の代りという名目で留守中の各大名の妻たちを名護屋城に呼び寄せて召見していました。

天下人秀吉の機嫌を損ねれば、いかなる災いを招くかわからない状況でした。

拒めば御家断絶の可能性さえあり得る過酷な時代です。

秀の前は太閤秀吉に拝謁しました。

もとより好色な秀吉は、その秀の前の美しさに驚嘆しました。

年齢的にいえばすでに秀の前は三十路であったのですが、その美貌はまったく衰えてはいなかったのです。

好色な秀吉の狙いを避ける手立てとして、その場で秀の前は頭を下げるのと同時にわざと胸から懐剣を畳に落としてみせました。

自分に手を出すとその場で自害するという、その当時の武家の女子の強い意志表示の一つの流儀でもあったのです。

胸に懐剣を納めて操を守る武家の作法そのものは、義父隆信の母、叔母でもある慶ァ尼(龍造寺胤和女)が始めたとされます。

おそらくは秀の前は直接、慶ァ尼からもそのように躾けられていたはずでした。

俗説では、そのとき秀の前は自ら顔を焼き謁見し、秀吉の意に逆らったともいいます。

どちらにしても召見の際に秀吉の不興を買ったわけで、第二次朝鮮出兵で夫である波多三河守親も戦死を遂げてしまい、その後波多家はお家断絶になってしまいました。

こうした悲運な経緯の後、孤独なまま秀の前は生地の佐嘉に戻り仏門に入って静室妙安尼といわれるようになりました。

地元には、秀の前は八十歳まで長寿を保ったという俗説が残っていますが、事実かどうかはわかりません。

墓は竜造寺一族の菩提寺、高伝寺にあります。

美人薄命という在り来たりの話しとは趣は少し異なりますが、その美しさ故に運命に翻弄された戦国の女性ということでは、東のお市の方やガラシャ夫人をも彷彿とさせるところがあります。









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ラベル:美女伝説
posted by モモちゃん at 07:20| 戦国時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする