2020年06月28日

巨大地震の記録さえも簡単に消滅する!

歴史から忽然と消え去るとき

老子曰く、軍旅のあとには必ず凶年あり


戦国時代、飛騨国白川郷に帰雲城という城があり、その城主は内ヶ島氏理であったという。

戦国武将内ヶ島氏理といっても聞き慣れない名である。

ここで戦国武将といっても白川郷周辺は峻険な地域が広がっていたこともあって、華々しく外征という形では当時の戦国史には登場してはこない人物ということになるのだが、いまでは別の意味でその名が知られるようになった。

それは戦国真っただ中の天正年間に、内ヶ島は忽然とその痕跡を留めることなく一夜にしてその居城である帰雲城はもとより一族郎党共々この世から消え去ったからである。

といっても、内ヶ島一族は戦によって滅亡したというわけではない。

当時の内ヶ島氏理は秀吉と対立していた越中の佐々成政方に加担して出陣していたが、結果的には秀吉方の金森軍との和睦がなって領地が安堵された。

幸いにも内ヶ島氏理ら主従一同は無事帰雲城に帰還出来たのである。

その日天正13年11月29日(1586年閏1月18日)、帰雲城では秀吉との和睦成立を祝う宴が開かれ、その大広間には城主氏理をはじめ、娘婿の東常堯や嫡子氏行ら一族と重臣らがうち揃っていた。

ところがその当日の深夜に至って突然この地を未曾有の大地震が発生し、たちまち巨大な山崩れが襲った。

大きな揺れと地鳴りが襲ってきたが、それはほんのわずかな時間のことであった。

舞い上がる土煙に辺り一面は覆い尽くされ、帰雲山は大きく形を変え山肌が抉られたように崩落していた。

帰雲山の真下に位置していた帰雲城はその山崩れに巻き込まれ、大量の土砂によって完全に埋没してしまったのだ。

帰雲城は完全に地上から跡形なく姿を消してしまった。

四百年の歴史を経て、帰雲城の存在を知る人は少ない。

帰雲城と共に三百軒ほどあった城下の町家もそのときの山崩れでほぼすべてが埋没したとされる。

大地震の伝承記録は残されてはいるが、埋没した帰雲城の正確な位置さえもいまだに特定されてはいない。

日本の中部で発生したこの巨大地震は当地方では白山大地震とも呼ばれ、この地震災害によって帰雲城の内ヶ島氏は滅亡してしまった。


驚くべき歴史秘話であるが、実はこの大地震は全国的には「天正大地震」として知られる未曾有の巨大地震であって、被害はこの地域だけではなかった。

このときの天正大地震によって帰雲城が埋没しただけではなく、若狭湾では津波が発生し、周辺の木舟城、長島城、長浜城、大垣城も大破したとされる。

戦国時代ということもあって、広範囲に被害をもたらした当時の大地震についてはおそらく後世までその被害の全貌は掴みにくかったであろうと想像されるところである。

とにもかくにも戦国期の地震としては例を見ない、大きな地震災害であったことになる。


それから10年ほど経った文禄年間にも、巨大な地震が立て続けに西日本を襲った。

まず慶長伊予地震といわれる地震が、1596年(文禄5年閏7月9日)伊予(愛媛)を震源として発生した。

閏7月9日に 伊予国で大地震が発生し、薬師寺の本堂や仁王門、鶴岡八幡宮が倒壊したという記録がある。

またその3日後の12日には、現在の豊後(大分)の別府湾口付近で慶長豊後地震が襲った

さらに翌日の13日の子の刻には、現在の京都・伏見付近で慶長伏見地震が連続して発生した。

9月4日から5日、畿内一円で大地震、伏見城や方広寺の大仏殿が倒壊するといった同様の地震被害が立て続けに襲ったとされる。

伏見城は城郭や石垣が大被害を受けて、秀吉も腰が抜けたほどであった。

なお、この年は文禄5年10月27日(グレゴリオ暦1596年12月16日)に慶長に改元した。


これらの大地震は400年以上以前の地震災害ではあるのだが、個人的理由もあって以前から関心があった。

それは少年時代に父親の故郷(大分市)に行ったとき、巨大地震によって海に沈んだ島の話を聞かされたことがあったからである。

それはずっと昔、別府湾内に瓜生島という大きな島があったが、巨大地震と津波が襲い海中に沈没してしまったという伝説であった。

これがずっと長い間記憶の片隅に残っていたのであるが、後日まとまった伝承記録などであらためて確認する機会があった。(写真は別府湾)



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実は四十年ほど以前より水中考古学という分野が日本でも注目されるようになってきていて、海中や水中の古代の伝承遺跡の発掘や科学的調査といったものが各地で実施されるようになった。

実際に別府湾でも調査が行われた。

この戦国時代の地震記録については、中世のイエズス会宣教師のルイス・フロイスの「日本史」に九州豊後地方の大地震として記録されている。

それには次のように記述されている。

引用開始:
「府内に近く三千(歩)離れたところに、沖の浜と言われ多数の船の停泊港である大きな集落、または村落があり、…(中略)…或る夜突然何ら風にあおられぬのに、その地へ波が二度三度と(押し寄せ)、非常なざわめきと轟音をもって岸辺を洗い、町よりも七ブラサ以上の高さで(波が)打ち寄せた。…(中略)…そこで同じ勢いで打ち寄せた津波は、およそ千五百(歩)以上も陸地に浸水し、また引き返す津波はすべてを沖の浜の町とともに呑み込んでしまった。これらの界隈以外にいた人々だけが危険を免れた。それにしてもあの地獄のような深淵は、男も女も子供も雄牛も牝牛も家もその他いっさいのものをすべていっしょに奪い去り、陸地のその場には何もなかったかのようにあらゆるものが海に変わったように思われた。(「1596年(9月18日付、都発信)12月28日付、長崎発信、ルイス・フロイスの年報」補遺)引用終わり:

文中冒頭の府内とあるのは、現在の大分市周辺のことである。




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水中考古学の研究の分野で大分豊後府内地方の瓜生島伝説が注目されだしたこともあって、後日それに関連する「豊陽古事談」や「豊府紀聞」、「日本一鑑」といったいくつかの古文書も紹介されて過去の地震記録が日の目をみるようになった。

驚いたことにその伝説の瓜生島の古地図もそれらの中に残されていることが分かった。

これは本当に驚きであった。

単なる古代の伝説と思っていたものが、島の存在が図上に明示された古地図まで出てきていよいよ現実味を帯びてきたというわけである。

瓜生島伝説とは一体どのようなものであったのか。

瓜生島が沈んだのは、いまよりちょうど四百年前の文禄5年(1596)7月12日であった。

その瓜生島は府内(大分市)の西北3.3キロ沖の湾内にあったといい、東西3.9キロ、南北2.3キロ、周囲12キロの島であったとされる。
(参照・「豊陽古事談」瓜生島図)

島内の人家は約千戸、島の中央に北裏町や南本町、沖ノ浜町といった町名があり、船着き場には多くの船が各地から出入りして活気があったという。

大友宗麟の統治下、南蛮との交易もあって、瓜生島には南蛮船や中国、朝鮮、その他アジア諸国からの船が渡来してきていた。

島には恵比寿神社や威徳寺といった大きな寺社もあって、当時、湾の周囲から眺めれば海に浮かぶ風光明媚な島の景観が広がっていたのではいかと想像される。


現在の別府湾の様子。

湾内に大きな島影は観られない。

瓜生島らしき痕跡はなにもない。

瓜生島の北側に久光島という島があったが、これも瓜生島と同時に海中に沈没したとされる。



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瓜生島海没そのものは正史には登場しないし、記録さえもない伝説の島ということになるが、それだけに海外の記録「日本史」フロイスが大きな手がかりとなる。

この瓜生島が突然の大地震と、それに続く津波によって海に没したというわけであるが、その被害者数は八百人前後であったと記録されている。

それでも島の住人の大多数が地震災害から事前に逃れたとの伝承もある。

瓜生島地震に関しては当地には不思議な伝承があって、異変の直前に一人の老翁が白馬に乗って現れ島内を駆け回りながら、「この島はいまに崩れて海に沈むから、船を仕立てて立ち去れと!」叫んで回っていたが、いつの間にか姿が消えてしまった。

この伝聞に島内が騒然となった。

この島を差配する島長の幸松勝忠は、これは島の明神様の化身によるお告げに違いないとして直ちに全島民の退避を指示したとされ、これによって島民の半数は難を逃れたのだという。

さらには瓜生島には蛭子神社が祀ってあったが、昔から神社の神像の顔が赤く染まったら島が沈むという言い伝えがあって島民に広く信じられていた。

ところが大地震の発生する数日前に、その神像の顔が真っ赤になっているのを島民が偶然見付けてこれでも島中が大騒ぎとなっていた。

慌てふためいて島から逃げ出す者のもいたし、端から迷信だとして笑う者も少なからずいた。

こうした騒ぎを傍で観ていた島に住む按摩の真斉という男が、「蛭子様の顔が赤くなったのは、迷信を信じるお前らの鼻を明かすためにオレがわざと紅殻を塗ったからだ!」と云ってみせた。

同様に加藤良斉という医者までが、「蛭子の顔が赤くなるとき島崩れるとの寓言など信ずべからず」と常々住民に吹聴していたという伝承記録さえもある。

以前より瓜生島にはそうした相反する動静があったことになる。

それこそ信じる者は救われぬである。


実は、当方のご先祖様もこの大地震の被害をもろに被っていたという予想外の事実があった。

当時当方の先祖は府内(大分市)の東方に位置する別府湾に面した鶴崎の地に刀鍛冶として一族が住んでいた。

元は京都の山城国の刀鍛冶(初代宇田国宗)として知られていたが、室町幕府の内部抗争(観応の擾乱)が勃発した正平5年(1350年)当時、一族郎党共に九州の豊後に移り棲んできていた。

現在も現地には国宗という地名と国宗天満神社だけが残こされている。

その後もこの地に刀鍛冶として定住していたが、1596年に発生したこの豊後の巨大地震と瓜生島沈没に目の前で遭遇してしまったことになる。

先祖が住んでいた国宗村は別府湾に流れ込む大野川の西岸の土地であり、それも別府湾に注ぐ河口に近かったこともありこのとき相当な地震被害と津波被害とを受けたものと思われる。

どうみても海岸に近い位置にあった。

瓜生島が沈んだのは大地震による津波が原因ともいわれるだけに、このとき別府湾の海岸一体には相当な大波が襲ったことは確かである。

津波の大波が三度も襲ってきたという。

対岸の陸地でも地震の被害は甚大で、近くの鶴見岳が崩落して谷を埋めたことも記録されている。

同時にこのとき対岸の高崎山からの噴火があり、夥しい噴石が別府湾に降り注いだともいう。

このことは伝承であって、正史に一切記録されていないのでここらは想像の域を出ない。











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ラベル:慶長年間
posted by モモちゃん at 06:26| 歴史奇談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする