2021年01月13日

人の寿命に「上限」ありとは本当なのか?

自らの老化現象を遅らせた漢方医

毎年のように世界中でアンチエージングに関連するニュースが紹介されています。

人の寿命はどこまで延びていくのでしょうか?

太古の昔から寿命を延ばすための努力や試行錯誤が繰り返されてきました。

今回はそうした流れの中で、特筆すべき長寿関連の話しを紹介したいと思います。



人の寿命に「上限」あり、オランダ研究チーム2017年9月1日
発信地:ハーグ/オランダ

http://www.afpbb.com/articles/-/3141236


実はこの研究に先立つ1年前、2016年のAFP=時事 10月6日付けで、同じく人の寿命の「上限」を発見したとする研究論文が発表されていた。

米アルバート・アインシュタイン医科大学(Albert Einstein College of Medicine)の研究チームは、世界40か国以上の人口統計データを詳細に調べ、長年続いた最高寿命の上昇が1990年代にすでにその終点に「到達」していたとし、最高寿命の上昇は1997年頃には横ばい状態に達していたという結果に至ったということである。

その1997年という年は、奇しくもフランス人女性ジャンヌ・カルマン(Jeanne Calment)さんが前人未到の122歳と164日で亡くなった年でもあった。


論文の共同執筆者で、アルバート・アインシュタイン医科大のブランドン・ミルホランド(Brandon Milholland)氏は、AFPの取材に「それ以降は、世界最年長者が115歳前後という傾向が続いている」と指摘している。


要するに現代西洋医科学の研究データーによれば、人間の寿命は120歳辺りが上限であるとするのがどうやら定説ということになりそうである。

ここまではいわゆる西欧圏の定説・科学的常識ということになる。


これが中国文化圏ともなると、これとはまったく違ったものの見方、考え方がなされる。

ご存じのように中国文化圏には営々と継承されてきた中国医学大系があるが、その中には古くから養生医学、老人医学という特別な分野がある。

それは病気の治療と同時に、本来は人の延命長寿という考え方も古代から重要視されてきていたからである。

しかもそこでは西欧圏とは異なる伝統的な独自の生命観、健康観というものが歴史的背景をベースにして次々と提示されてくるところが実に面白い。

長寿に関していうなら、ここでも数千年に及ぶ歴史的遺産があるということになる。

それは歴史書そのものであったり、各時代の多くの医学書など文献史料は膨大に残されているし、そこには悠久の歴史遺産としての裏打ちがある。

そしてその中国文化圏でもっとも長生きした人物といえば、まず李清雲(Li Qing Yun / リ・チンユン)という名前がその筆頭に挙げられてくる。

李清雲とは一体誰であろうか?おそらくこの名前を知る人は少ないに違いない。

長寿者としては桁外れの超人的人物であるのだが、歴史に足跡を残した李清雲は何と256歳まで長生きしたといわれ、現代でもそう信じられている伝説的人物であるのだ。

研究者が詳しく調査するまで李清雲の存在は伝説の域を出なかったことは確かである。


中国の成都大学の胡忠謙(Wu Chung-chieh)教授が、1930年発刊のニューヨーク・タイムズ紙に1827年に清朝政府が「李青曇」の150歳の誕生日を祝った記念式典の記述を発見した。

さらに、1877年には200歳の誕生日をも祝っていた事実も判明した。

さらに胡忠謙教授は、李清雲の『出生証明』をも発見したとされ、そこには出生年が1677年であり、李清雲は1933年に256歳で亡くなったと記録されていたとする。

現代人からみてもこれらがすべて事実なのかどうか、にわかには信じられないところではあろう。

それが事実であれば李清雲は2世紀半にわたって実際に生き続けたわけで、まさに超人と言えるであろう。

それでも尚、本当にそのような人物が存在したのかともう一度訊ねたくなるところである。

李清雲という人物の画像は、ネット上でもいくつか確認することができる。


466px-Li_chingYuen


































この画像は西洋から写真術が伝わってきた19世紀当時に撮られたものであろうから、このとき李清雲はすでに200歳を超えていたと思われる。

とてもそうした高齢には見えない。

李清雲は清王朝の9人の歴代皇帝の時代を過ごしたという超人であるが、とにもかくにもにわかには信じられないような驚くべき話ではある。

彼は清王朝初期の優れた漢方医ということでも広く知られているが、一体どのような一生を送ったのか大いに興味がわくところである。


李清雲という人物は中国四川省の医者の家系の出自であったらしく、10歳頃から伝統的な漢方医学を学びはじめ、その後中国各地を遊学しながら優れた師を求めて隈なく歩き回ったという経歴がある。

李清雲は交通が未発達な時代にありながら、若いときから健脚にまかせて広大な中国の山岳地域を長年歩き回わり日々有用な生薬を探し求めた。

各地を歩き回ったことで、人一倍足腰が鍛えられた。

生薬は地方によって植生が異なることから、実際に使いこなすには常に類似物との鑑別や選品に熟練する必要があった。

土地によって生薬にはばらつきがあり、薬効が変わるというのである。

実際に李清雲は甘粛省や陝西省、さらにはチベット、安南、西安、満州まで足を延ばし、その都度山林へ分け入って貴重な薬草類を採集してまわったとされ、長年健康を維持し続けたこともあって自らの足で遠くは東南アジア地域にまでその足跡を残したという。

交通機関が未発達の時代に大変な距離を歩き回ったことになる。

李清雲はこの間に生薬の研究者として研鑽をし続けると同時に漢方医として病気治療に従事しただけではなく、長い年月をかけて免疫力を高め延命効果のある生薬について各地に足を運び探求し続けたとされる。


彼は記録によると壮年期を中心に約40年間にわたって山野で薬草を精査し続け、この間には霊芝、クコ、オタネニンジン、ツルドクダミ、ツボクサを採取し、日常的には米酒だけの質素な食物を摂りつつ、肉食を避けて徹底した菜食主義者として体を慣らし一生涯を過ごした。

さらに李清雲は、中国の伝統的な漢方医学と同時に研鑽時代に習得した身体の健康増進と延命効果を追求する養生法にもひろく精通するようになり、導引法や気功法の奥義をも極めたとされる。

養生法とは、身体の機能を高め健康を維持するために気を全身に巡らせる特殊な運動法や呼吸法をとりいれた中国発祥の保険医学、予防医学ともいうべき一連の健康保養の体を使った術式である。

李清雲自らそれらの養生法を実践し日々の生活に取り入れていったわけで、結果的にはこれが超人的長寿に結びついたのだとされる。

その結果、李清雲先生はどのような足跡を残したのだろうか?

中国ではそれぞれの家には詳細な家譜(家系図のような記録文書)が残されているので家系を何代にもわたってたどることが出来る。

李清雲先生もこれらの家譜が専門家によって調べられている。

その記録によると1749年、71歳のときに李清雲先生は武術老師として清国の軍隊に入隊して教練に従事しており、私生活では一生の間に結婚を23回してその結果として李清雲先生は年齢の離れた子供を200名以上もうけた。

年を重ねるに従って李清雲先生の親族、縁者は増え続けていった。

当然のことながら、いまでも中国全土に彼の多くの子孫が残っている。

前述したように李清雲先生は長年漢方医として働いており、記録によると100歳の時(1777年)漢方医学に精通していたことで、清国政府より公に表彰されただけではなく、200歳の時には一時期大学の教壇にも立って学生を指導した経歴がある。


しかしながら李清雲先生は、自分関する詳細な記録を残してはいなかったとされる。同時に医学的な研究成果も書き残していたのかどうかも不明である。

長寿であることを自ら喧伝することもなく、静かに一市井人として暮らしたのである。


それでも長寿に関する情報が、どこかに残されているのではと期待したいところである。

李清雲先生の存在に当時の中国在住の欧米人も当然注目したわげで、実際に彼を取材してその実態に驚愕したことは確かである。

李清雲先生がそうした質問に答えた事実は記録されている。

李清雲先生が人々に示した長寿の秘訣は、「いつも心を穏やかに維持する事。そして、座るときは亀のように、歩くときは気力が溢れる鳩のように、寝るとき犬のように」というものであった。

しかし世間に李清雲先生の存在が知られたのは、残念なことにその最晩年に近い時期であった。

1933年5月の米国の『タイム』誌には李清雲氏の死亡記事が掲載されたが、記事のタイトルは上記の彼の言葉をとって「カメ ・ ハト・ イヌ」だったという。

長寿の秘訣が「カメ ・ ハト・ イヌ」とは心外である。

周囲の人々から伝えられる情報も時の流れと共に消えていく。

そして「李清雲先生は、私が子供の時にすでに老人であった」と、多くの年寄りたちが口にするだけである。



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李清雲先生はそれまでどのような実生活をしていたのであろうか。

そのあたりもちょっと気になるではないか。

彼は一般人が好むような生活習慣としての喫煙や飲酒を避けたといい、また農夫のように常に早寝早起きをし毎日食事は規則的にとったとされる。

そうなると李清雲先生はありきたりの節制に努めただけとしかみえない。

李清雲先生の場合何が人とどう違っていたのだろうか。

当然のことながらまずここで気になることは、李清雲先生の漢方医という特殊な立場が長寿であることと何らかの関係があったのかということである。

関係があったとするならば、一体漢方医学の何がそうさせたというのであろうか?

突き詰めると、やはりこの辺りがどうにも気になるところである。

中国医学ではすべての生命活動の根源は五臓六腑のいわゆる内臓器官にあるとされ、内蔵機能の維持健康が最も重要視されるところである。

それだけに健康を維持するには内臓に過度の負担を掛けない生活習慣の堅持が重要視されてくる。

だから養生法といった日々の健康法が大事なのだ。

内臓機能が正常でなければ、いわゆる人の長寿そのものは到底望めない。

そこには、精緻な精神活動や脳の機能さえも五臓六腑の正常な機能維持によって保たれるという中国医学独特の生理観があるからである。

精神活動と内蔵機能の関連性は特にそうである。

李清雲先生は五臓六腑の健康管理だけでなく、日頃から生薬を巧みに使い免疫力の維持に注力し続けた。

長年にわたって悪性の感染症にも耐え続けることが出来たことが、そのことを如実に示している。

加齢によって身体機能が衰えるだけでなく、急速に免疫力が衰えていくことにどう対処するかを李清雲先生は常に老人医学の範疇で考えていた。

彼の健康観、さらには寿命を極限まで延ばすということではそうした独自の中国医学的な身体観と医療観を持っていたことになる。

実際に李清雲先生自身は、老化とい現象についてどのような捉え方をしていたのだろうか。

身体の老化というものは、李清雲先生からみれば生体そのものが潜在的な疾病状態に陥ったことと同様であって、内臓や身体機能が衰え萎縮しつつ機能が次第に低下し、免疫力も年と共に衰えていくことを意味していたはずである。

老化によってあらゆる生体機能が低下し、身体組織や内臓器官が萎縮してくるし、徐々に、しかも確実にそれらは時間と共に衰退していく。

ましてや重要な脳などの中枢神経や感覚器官自体の老化による退行性の変化にどう対処するのか?

そのバランスをどう保つというのか?


それでも彼からみれば明らかに老化現象は疾病(未病)に見えたはずである。

あるいは老化現象はゆるやかな病症の進行とみていたのかも知れない。

疾病(未病)であるならば、そこに治療法も予防法もあるというのが李清雲の漢方医としての確固たる考えであっであろうし、そこには中国医学独特の診断技術と病症(証)という病態の捉え方がされていたと考えられよう。

李清雲先生はそうした老化現象を放置してはいなかったと云うことである。

証とは、病気による症状だけではなく、さらには体質や体格、体調までも細かく捉える伝統的な診断法ということができる。

言い換えれば、病気による直接の症状が出る以前の未病(未だ病に至っていない)状態でもその病状の進行度、微細な病態が判別が出来るということになる。

これは症状が出て治療が必要になる以前に、精密検査に数値レベルで引っ掛かる状況に似ている。

しかしながら、この中国医学の未病という捉え方そのものは現代の医療検査とは大いに異なっている。

現代の正常と異状というものの数値データによる捉え方と、中国医学の気のレベルの相対的捉え方とはまったく異質のものと言わざるを得ないし、もとよりそうした情報にしても見方も違えば捉え方も違う。

年を経ることによるすべての身体機能、内蔵機能、精神機能の失調状態は、その証という捉え方に漢方医学では集約されていく。

それらは決してばらばらに存在しているのではなく、一つの傾向を示しうるものであり、一つの範疇に含まれているのだとも云える。

一つ一つの枝葉を辿っていくと、いずれは大きな根幹部分に触れるということである。

そこでは未病の場合もあるし、すでに病気状態である場合もあるわけで、老化現象そのものはことごとく証を見定める上で細大漏らさず補足されてくるという話しである。

面白いことに、それらは現代科学とは全く異なった異質の身体情報と云うことになるわけで、そうした気レベルでのデータで李清雲先生の健康が維持できていたことになるはずである。

結局のところ李清雲先生は、老化とは潜在的疾病状態という中国医学の基本的考え方に従っていたことになる。

身体は老化によって身体組織も細胞レベルでの再生と破壊の様相が変化してくる。

細胞の再生そのものが破壊されていくスピードに追いつかなければ、実質細胞の数が減少しその組織は萎縮していく。

李清雲先生は老化現象に伴う潜在的な疾病状態をしっかりと見据えて、「養生法」という手法を自ら的確に講じていったであろうし、それが先生独自の生活習慣でもあったことになる。

怠惰な精神では到底継続することは不可能であったであろうし、それは日々の生活習慣であり、彼独特の菜食や導引吐納をたゆまず実践し続けた。

李清雲先生は伝統的な医療体操を実践し、各種の生薬、薬剤も活用し続けていきながら、その生薬の薬物としての処方にも李清雲先生は膨大な知識を蓄えていった。


李清雲先生は老齢期に至っても内蔵機能は充実していたし、運動においてもその身体機能もほとんど衰えをみせなかったわけで、事実李清雲先生は200歳を超えても耳目の機能はもとより、男性としての性的機能も衰えてはいなかった。

彼は中国各地を遊学する間に伝統的な「養生法」を習得していったことが、彼のそうした長寿延命をさらに助けた。

中国で発祥した「養生法」そのものは、元来不老不死に通じるものとして道教思想と共に広まったものであるが、身体の免疫力を高めると同時に新陳代謝を呼吸によって自在にコントロールし老化に至るエントロピーを極力抑えるという特異な考え方が含まれている。

現在でも中国では太極拳などは根強い人気がある。

李清雲先生は、そうした生体エネルギーである「気」を温存する食生活を長年堅持し、日々体を鍛え養生に努めただけあって、李清雲先生は精神的ストレスに対する捉え方や運動の重要性を長寿に繋がる最重要項目として上げている。

その結果が、李清雲先生の256歳という驚異的長寿をもたらしたということになるが、李清雲先生自身はさらに数百年は寿命が延ばせると真剣に考えていたようであるから驚きである。

老化そのものは、命あるものにとって避けられない不可逆的な生理現象である。

老化自体は止められないが、しかしその老化のスピードを通常より5,6分の1に遅らせることが出来るということを李清雲先生は己の身体で実証してみせたのである。

人間の体を構成する細胞自体には、自ずと分裂できる回数には限界があるとされている。

通常の人間よりは長寿であったということは、それだけ多くの細胞分裂があったということになるのであろうが、ここらはやはりイレギュラーである。

李清雲先生の256歳という年齢で、その間に幾度もの正常な細胞分裂が成されたのであれば、これこそ本当の意味での驚異である。

当時の一般人の平均寿命からみてもここらは比べものにもならない。

そしてこれこそがアンチエイジングそのものである。

老化が遅れれば、自ずと寿命も延びるのであって、李清雲先生からみれば現代人をも含めてその老化現象は著しく早過ぎるということになるはずなのである。

256歳にも及ぶ人生とは一体どのようなものであろうか。

超人李清雲先生にしかそれはわからないことであるが、李清雲先生は人としてやるべきことはすべてやり尽くしたと言い残している。

おそらく近未来では、中国が生命科学やアンチエイジングの世界的研究拠点として台頭して来るであろうが、李清雲先生の研究成果がそこでは最大限生かされてることになるであろう。  

      









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ラベル:文化遺産
posted by モモちゃん at 10:20| 歴史発見 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする