2018年06月04日

戦国・頓死の場合の薬物反応はどうよ?

「紀州のドン・ファン」怪死 覚せい剤トリックは野崎さんの愛飲する栄養ドリンク?〈週刊朝日〉6/5
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180605-00000077-sasahi-soci

“紀州のドン・ファン”怪死の謎 全裸遺体から検出の覚醒剤と過去発言の矛盾4081 2018年5月31日
http://news.livedoor.com/article/detail/14796510/

戦国最強の精力剤とは?


戦国時代にあって、徳川家康(一五四二〜一六一六)ほど自己の健康管理に努めた武将はまれであった。

他の多くの武将は戦国の気風そのままに無骨一辺で、むしろ酒色に溺れて短命であった。

命を惜しむことが恥とされた時代でもあった。

それこそ長生きするために気配りをして努力をするというのは極めて少数派であったのだ。

そうした中で家康が着実に足元を固め天下を取ったわけであるが、そこには家康独自の健康管理と長生術とが重要な役割を果たした事実はあまり知られてはいない。

当時、家康は大変な読書家であり、自ら医学書や本草書(薬学)を読んで研究していた。

家康は大名でありながら、薬物については相当な専門知識を持っていたとは意外であろう。

今回、その核心部分について紹介してみよう。

御存知のように、オットセイ(膃肭臍)は強精剤としての人気は現代でも相当に根強いものがある。

強精剤というと、スッポンエキス、ベンガル虎の一物、沖縄ハブの肝、赤マムシの肝、キングコブラの肝、鹿鞭を尻目に、まずはこのオットセイの一物というわけで、中国の有名な至宝三鞭丸、海馬三腎丸などにも処方されている。

そこで気になってくることであるが、わが国にこのオットセイの効能が伝わったのは一体何時のことであろうか。

時代を遡っていくと、やはりここでも最初に行き着くのは戦国武将徳川家康ということになる。

家康は本草学に熱心であっただけに、最新の医療情報に格別な関心を持っていた。

中国朝鮮の医学書をいち早く入手して、目新しい薬物の研究をしていた。

しかも当時としては珍しい薬草園までも作っており、家康の遺品には薬物や調剤道具が沢山残されていた。(駿府御分物御道具帳

専門書である『本草綱目』や『和剤局方』を独自に研究していたし、613年当時朝鮮で刊行されたホ・ジュンの『東医宝鑑』にも逸早く目を通していた。

とにかく家康はこの分野においてはひどく研究熱心であった。

実はこれらの医書には、膃肭臍(オットセイ)の補腎薬としての効能や処方が薬物情報として書かれていた。

このことに家康は気付いたはずである。

史料を見ると家康が六九歳の時(1611年)に、蝦夷の松前藩主松前慶広に海狗腎(オットセイ)を捕獲し献上するように命じている事実があるが、時系列からいけば確かにこのときすでにこれらの医書からオットセイの薬効情報を掴んでいたということになる。

さらにいえば、家康は捕獲の命令を出す前に海狗腎(オットセイ)の実態をしっかりと特定していたということがいえるはずである。

ここが非常に重要である。

何故ならば、それまで日本では誰もこの海狗腎(膃肭臍)に注目などしていなかった。

存在さえもあやふやであったのだ。

家康より後は、にわかに海狗腎(オットセイ)の薬効が世間一般にも知られるようになり、江戸時代を通じて市中でも大いに強精剤としての人気が集まったという経緯があるのだ。

それも江戸庶民の川柳の題材にまで登場するくらいだから、市井の注目度は相当なものがあった。

 ・
始皇帝 おつとせいとは 気がつかず
 ・おつとせい 転ばぬ為の 薬の名
 ・松前の 矢で射た 腎薬
 ・効能で 女房よろこぶ 夫ト勢
 ・薬食いでも 後家はいましめ おっとせい


ここで腎薬(強精剤)とくれば、あの腎虚(萎縮腎説、老人性肺結核説がある)で倒れた戦国の覇者豊臣秀吉はどうであったろうか。

こうなるとこの腎薬オットセイの存在を天下人の秀吉が知り得たかどうかが気になるところである。 
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この点についても早速あれこれと調べてみたというわけである。

ポルトガル宣教師として1563年来日したルイス・フロイスの著した『日本史』によれば、秀吉は大阪城内に参百人のお手付きの側女をおいていたというから、これが重要な傍証となる。

後年秀吉は延命を願って没薬(もつやく)を服していたが、これとて天下統一後の権勢とは裏腹に衰える体力の回復に、それこそやっきになっていた証拠でもある。

秀吉は地下人もしくは百姓の出ということもあって、民間医療の灸治療や温泉(有馬)の効能もよく知っていた。

親しかった前田利家とはお互い灸をし合ったという逸話は有名である。

その上、精力増強のために当時としては宣教師の薦めたこともあって、珍しく牛肉や生玉子を食らっていたし、一方で虎肉が良いと聞けば朝鮮出兵中の島津義弘ら遠征中の武将に塩漬けの虎肉を送るように厳命していたほどである。

これに答えて武将福島正則は虎を討ち取り、塩漬けにした虎肉を秀吉のもとへ送り届けている事実がある。

その後も秀吉の下へ続々と虎肉が送られてきた結果、もう送らずともよいとの伝令が出されたほどであった。

こうなると朝鮮出兵の目的には、意外とこれらの珍奇な薬物や大陸あたりの精力剤の入手が絡んだものだったかもしれないということになってくる。

手っ取り早く、そうした強精剤や精力剤の類に救いを求めたということになる。

晩年になると秀吉は足腰がふらつき、ついには城内でお洩らしまでするようになり、本人はもとより側近あたりの強壮剤捜しは避けられない事態となっていた。

この当時、いわゆる老人の失禁などは腎気(生命力)の衰えとみられたのである。
 
関白職を甥の秀次に譲る時、書状でもって「茶湯、鷹狩り、女狂いなど一切秀吉の道楽の真似るなかれ」と、厳しく生活態度を訓戒したほどの秀吉であり、もとよりかっての主君織田信長が呆れ返るほどの女好きであったからどう転んでも腎虚だけは避けようもなかった。

老年になってもその傾向は変わらなかった。

ここらは自業自得である。

本題の膃肭臍(膃肭臍・オットセイ)であるが、中国方面ではすでに八世紀前半には薬物情報として外部から入って来ていたらしい。(『和漢薬』百九十六号・三浦三郎)

意外なことにオットセイに強精剤としての強壮効果があるとの医薬情報自体は、アラビア半島の中東方面から海か陸のシルクロードを通じてはやくに中国方面に伝播してきていた。

となると時代的には鎌倉時代に伝わっていた『和剤局方』からの情報か、さらには中国で直接宋医学を学んだ医師の田代三喜あたりから腎薬オットセイなるものの薬効は確実に日本にも伝わっていた可能性はあることになる。

勿論、情報通の秀吉自身こうした珍奇薬への特別な関心ははじめから側近のお伽衆や医師達へ向けられたことは十分考えられるところである。

側に仕えた筆頭侍医の施薬院全宗や侍医に近い立場にあった曲直瀬道三(中国に留学して李朱医学を学んだ田代三喜の弟子)、海外の薬種も手広く扱っていた堺の小西家からもそれらの情報は入っていたかもしれない。

しかも秀吉は天下統一後は健康面であれこれと不安を抱えていたから、当時の最高水準の医師団を傍近くに置いていた。

そうした中、当時の名医として名高い竹田定加や半井瑞桂らの番医はもとより多くの名医の治療を直接受けたことで、たぶん海狗腎(オットセイ)情報も彼の耳に端に入っていたことも考えられる。

しかし薬物情報と現物の入手とはまったく別次元のものであるということをここでは考慮しておかなくてはなるまい。

ここで重要なことは、海狗腎(オットセイ)なるものがこの時代はっきりと海獣の「オットセイ」だと特定されていたかどうかが非常に疑わしい。

疑わしくもあり、実に曖昧なのだ。

強壮剤としての薬効があるという海狗腎(膃肭臍)とはどんな生き物なのか、意外なことに当時の医療に携わる薬師・医師らはもとより巷の日本人の誰もがその実態を知らなかったのである。

海にいる大きな海獣、あるいは海魚というレベルの認識であれば、海豹やトド、あるいは鮫や鱶も該当するやも知れず、それこそ誰も「オットセイ」なるものを特定することができなかった。

それこそ当時は現物と医薬文献との間でその情報が一致しない事例はいくらでもあったのである。

学者はその名称や存在自体は知っていても肝心の現物そのものは実際には見ていないこともあった。

当時でも動植物のいわゆる生薬(しょうやく)というものを特定する作業はもちろんのこと、その生薬としての効能の善し悪しを見定める選品作業というものは専門的な知識と経験が必要であっただけに、それこそ一夕一朝に解決できる問題ではなかったのだ。

事実、当時最新の中国(明)の薬物書として刊行されたことで有名な『本草綱目』でさえ、そこに描かれている膃肭臍(オットセイ)の図録は巨大な怪魚そのものなのである。

当然ここからオッセイにつながるような情報は得られなかったはずである。

ということは、『本草綱目』の編著者である李時珍でさえもが実際のオットセイを見たことはなかったということになる。

加工された「海狗腎」は目にしたかもしれないが、膃肭臍の全体像はどこまでも怪魚であったということになる。

怪魚と「海狗腎」とでは絶対にふたつは結びつかない。

当時の『本草綱目』が膃肭臍をどのように表示していたのか国会図書館のアーカイブでようやく探し出してきたのでご覧あれ。

これで『本草綱目』に紹介されている膃肭臍がいわゆるオットセイなるものに見えるかという点を確認していただきた。

オットセイに鱗があるのかということである。



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ここで厳密にいえば、生前秀吉はこの『本草綱目』に描かれた「膃肭臍」なるものの絵姿さえもを目にはしていないし、それは叶わなかったのだ。

というのは『本草綱目』が明の李時珍の手によって完成したのが1578年当時であるが、日本に『本草綱目』が実際に輸入されたのは、江戸幕府が開かれたずっと後年のことであった。

しかも当時でさえ『本草綱目』は、容易に国外に持ち出されるような部類の書籍ではなかった。

第一、この時代明国は日本との直接の交易を断っていた。

そうした状況下にあって1607年にようやく長崎で林羅山が『本草綱目』を入手して、始めて家康に献上したわけであるから当時でもなかなか入手できない貴重かつ高価な稀覯本であったことになる。

ここではじめて家康が権力者として「膃肭臍」なるものに最も早く注目したという明確な経緯が判明してくるということになる。 
 
さらに留意しておかなくてはならないことは、たとえ貴重な文献が入手できたとしても薬用としての「オットセイ」の特定作業と実際にそれの捕獲に繋がらなくては意味はないことになる。

結局現物を入手するにも膃肭臍(オットセイ)という海獣の特定ができて初めてそれが可能となる。

これが実現したのは権力者としての家康の絶大な権力が発揮されたからであり、そこには卓越した彼の情報収集力がものを言ったといえる。

幸いなことに、家康にはそうした海外情報を齎してくれる有能な人材がブレーンとして身近に存在していた。

彼の元には明から渡来してきた医師団がいたことはすでに拙論でも紹介したところである。

さらにウイリアム・アダムスやヤン・ヨーステンのような海外情報に通じた西洋人さえもがいた。

家康は自ら彼らに問いただし、特定作業に繋がる情報を得たことであろう。

そうなるとここは偶然などということではなく家康にとっては必然的な流れがあったわけで、すべては入手するべくして確実に己の手で掴み取ったということになるのではないか。

ここらが家康の本来の凄さであり、その実力に見合った強運というべきところである。

要するに、家康のもとにはオットセイを特定できる人間がいたということである。

ここから「膃肭臍」とオットセイとが特定され、ふたつが見事につながることになる。

オットセイは哺乳類食肉目アシカ科の海獣であって、北太平洋のアラスカ周辺や千島列島付近にまで生息しており、特に冬季には本州中部当たりまで回遊するという生態でもあるから、当時の日本人にとってまったく未知の動物というわけではなかった。

オットセイは繁殖期になるとより強い遺伝子を残すために、強い一匹のオスが多くのメスを独占し、大きなハーレムを形成する動物ということからみれば、誰が観てもその強壮性そのものは理にかなっていよう。

しかもそれが権力者が欲しがる最高の補腎薬とは、家康自身が気付くまでは日本人の誰一人として気付く者はいなかったのである。

ここに家康の本当の凄さがある。

というわけで天下人秀吉のもとではオットセイの実体そのものはすこぶる曖昧なままで、捨て置かれていたということになる。

それこそ国内の既存の本草書にいくらかそれらしき記載はある。

だが肝心のオットセイなるもののはっきりした特定はいまだ出来ておらず、いくばくかの情報の片鱗はあったとしても結局秀吉の時代では海狗腎そのものの入手は不可能だったということになる。

たとえ海狗腎なるものに天下人秀吉が強い憧れを抱いた補腎薬であったとしても、さすがにオットセイの特定がされるだけの確かな情報が彼のもとでは揃わなかったということになる。

結局のところ秀吉は海狗腎の入手に間に合わず63歳で逝去、家康はオットセイ入手に間合い見事にセーフ、75歳までしたたかに延命し天下を掌握したということになる。

しかもこの間に家康は生涯子供を18人ももうけたのである。

あの世では、秀吉が地団太踏んで悔しがったことであろう。

まあそれでも秀吉自身は、当時の名医曲名瀬道三自身も晩年愛用していたという人参入りの理中丸や補中益気湯ぐらいなら、精力回復を願ってせっせと服用していたのかもしれない。

本稿では、精力剤の効果を吹聴しているのではない。

逆にこうした薬物に頼ってしまうことは、命取りになってしまう。

強精剤はやたら弱った体をむち打つものである。

これによって精力が一時的に増したかにみえたにしても、これは直ちに延命に繋がるものではない。

たしか名医ホ・ジュンが著した『東医宝鑑』にも、精力の節度のない浪費はちょうど瓶にひびが入って水が漏れ出るような状況であると書かれている。

限りある命を精力発散にのみ振り向けるわけで、肝心の生命力そのものが大きく損なわれることになり、運が悪ければ頓死することになる。

この辺りも家康はさすがに賢く対応していたということがいえよう。











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2018年01月27日

日本人が知らない戦国奴隷貿易のこと

九州戦国時代


「戦国日本人奴隷貿易の真相とキリシタン弾圧の背景」を出版しました

私事ですが、これまで書き溜めてきた原稿を整理していたのですがようやくアマゾンから書籍として出すことが出来ました。

戦国時代に題材と取った特殊な分野のドキュメント作品なのですが、これまで10年近くブログなどで単発的に発表してきたものをまとめて、さらに近年新たに出てきた史料を加えて完成させたものです。

本書は400年以前の海外への日本人拉致事件ともいえる奴隷貿易をテーマに書き上げました。

日本ではほとんど知られてはいませんが、アフリカだけではなく当時は大航海時代の美名の下で世界的なビジネスモデルとして奴隷貿易がはびこり、極東アジア地域にまで拡散していました。

その時期、まさに日本は戦国時代真っ只中だったのです。

そうした戦乱の時代を背景にして、過酷な歴史が隠れたまま展開していたのだともいえます。

当方は立場上、アカデミックな学閥も政治も宗教問題も一切関係ありませんので、何の偏見もなく自在に考えたままに本稿を書き進めてましたので、その点は十分ご理解ください。

ほんの一部分を書き著したつもりでしたが、当初の予想を超えて本著は四百ページを超えるものになってしまいました。

戦国の日本人奴隷貿易を扱った重い内容ですが、南蛮からの鉄砲とキリスト教の伝来を中心に時代を切り取り、その中での西洋と日本とが激突するダイナミックな歴史の流れを紹介しています。

歴史というのは単発の事件を並べただけでは解明できないものであって、すべての事象、事件というものは個々の人間を介して見えない部分で繋がっているものです。

歴史にはその時代に生きた人間,証人となる確かな人物が登場しなくてはなりません。

そこで登場する日本人として、尾張の浪人として九州長崎に流れ込んできたキリシタン村山等安の数奇な半生を織り込んでみました。

等安は卓越した才覚によって貿易商として巨万の富を手にしただけではなく、長崎代官の役職にまで上り詰めますが、そこには政治絡みの権力闘争やキリシタンとしての宿命的な葛藤がありました。

本書の中では彼を取り巻く人物として、当時の権力者であった豊臣秀吉や徳川家康・秀忠、戦国大名の高山右近、大村喜前、天正遣欧少年使節千々石ミゲル、さらには宣教師ジョアン・ロドリゲス神父、デ・モラレス神父、貿易商末次平蔵、長崎奉行長谷川権六、イエズス会司祭荒木トマス、背教者不干斎ハビアンといった多くの人物が次々と登場してきます。

とにかく読んでいただければ、その面白さはご理解いただけると思います。

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2017年11月28日

危機感を安直に見過ごす日本の現実とは?

梅毒の感染者、今年5000人超す…44年ぶり11/28 読売新聞
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171128-00050069-yom-soci
重症化すれば失明など深刻な障害につながる恐れもある性感染症の梅毒に感染した人が、今年1月から11月19日までの累計で5053人となったことが、国立感染症研究所のまとめで分かった。
国の伝染病統計などによると、感染者数が年間5000人を超えるのは1973
年以来44年ぶり。


「危機的状況」九州でエイズ感染急増 16年福岡は61%増 佐賀、熊本過去最多

2017/09/19付 西日本新聞朝刊
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170919-00010000-nishinpc-soci

特に40代や50歳以上に急増!

梅毒患者1000人超、過去最速で感染拡大
性感染症の「梅毒」の患者の数が今年に入ってからすでに1000人を超え、1999年以降、最も速いペースで感染が広がっていることがわかりました。(TBS系(JNN))

レトロな梅毒の流行が止まらない、1〜3月で883人に
先天梅毒の増加も懸念、感染研が注意喚起 三和 護=日経メディカル

2011年から増加が続く梅毒は、今年に入ってその流行が加速している。国立感染症研究所のまとめによると、1月から3月までに883人の患者報告があり、昨年同期間の440人から倍増した。感染研は先天梅毒の増加も懸念されるとし、「注目すべき感染症」(感染症週報、12週)に取り上げるなど注意喚起を行っている。

日本の種子島に鉄砲が伝来したのが天文十二年(1543)のことであった。

コロンブスが新大陸より持ちかえった梅毒は、その鉄砲弾よりずっと早 くに大陸経由ですでに日本上陸を貫徹していた。

梅毒の拡散ルートといえば、1493年にはスペイン、翌年イタリア、その翌々年にはフランス、その翌年に英国、さらに2年後にインド、1506年に中国へと広がり、日本へは1512年、まず大坂や堺の関西地方にそれは発現したといわれるが、当初は瘡毒、黴瘡、楊梅瘡、唐瘡、琉球瘡と呼ばれながらあらゆる階層にわたって、もの凄い勢いで蔓延しはじめていった。

ルートからいえば、アジアとの往来はもとより、西洋に近い九州が関西より先であったことは確かであるからこれも南蛮渡来の起源ということになる。

『黴瘡軍談』(天保九年・船越敬祐)にもあるとおり、この日本への伝染経路については異国よりまず長崎の遊里に侵入したと考えられる。

やはりこうした海上航路の発展と当時の交通事情とが深く関わってい たことを考えあわせると、港周辺にはびこる売春がこれを仲介して諸国 に蔓延したことは否めないようである。
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これはヨーロッパの場合と事情は全く同じであり、コロンブスが新大陸との航海で持ちかえった後は港から港へと通商航路伝いに蔓延していったものである。

しかもイタリア戦争(一五二一〜一五四四)による軍隊の移動や駐屯地や軍港を拠点にしてあらゆる階層の市民が感染し、聖職者から各国の宮廷や王侯貴族に至るまで、またたくまに多くの人々が梅毒に冒されていった。

これは当時の自由恋愛の流行や売春が容認されていた社会情勢にもよるが、さらには多くの人口をかかえる都市の発達の形態とも密接に関係していた。

要するに梅毒の蔓延はルネサンス時代の都市により多くの人口が集まっていくという風潮も大いに関係していた。

これと似た状況として、現代のエイズの世界的な規模での蔓延がある。


現代(都市)社会が蘭熟し、犯罪や麻薬がこうした疾病の感染の隠れた温床となることは考えてみると非常に皮肉なことである。

かってペス トや梅毒が恐れられたのは、それが不治の病であったからである。

感染しても治せるかどうか分からない、現代医学も手立がないとなる と事は重大である。

しかも潜伏期が五、六年から十年と長いとなると、 なおさら厄介である。

現代は世界が航空路によって結ばれ、地球が小さ く感じられる時代である。

海上航路ならぬ航空路で、その日のうちにエイズは端から端まで運ば れる。

伝染源、感染経路、感受性のある個体と、すべての条件は揃っている。

今回の報道では、九州の玄関口福岡ということで、近年爆発的にエイズ感染者が県内で増えているということである。

しかしながら、特別な予防啓発活動が行われているようには見受けらないのはどうしたことだろう。不思議である。

テレビでも下らない番組はあっても、こうした重大事項は報道されない。

エイズの侵入阻止には民族存亡が掛かっていると、断言してやまない人もいる。


いまやエイズワクチンは戦略物資であり、これをいち早く手にするものが今後の世界を牛耳るともいう。





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エイズの蔓延が早いか、エイズワク チンの完成が早いか、このスリリングな展開はテレビゲームの世界を彷彿とさせる。

巷ではエイズがアフリカの風土病の一種だという説は真っ赤な嘘で、 実はある国の細菌兵器研究所から漏れ出たのだという。

いやいや漏れ出たのではなくて、故意に漏らされたのだ。−−
いやとんでもない、最近のある学者の説ではスケールが大きく、宇宙から飛来した隕石に含まれていた蛋白質(アミノ酸)からエイズウィルスが発現したのだというのがあった。

諸説紛々で真相は全く分からない。

いうまで もなく地球規模の環境破壊、エイズのような恐ろしい伝染力を持った疾病の発現、これらは対応を間違えば確実に人類の未来に災禍をもたらすものである。

かって二十一世紀までに、エイズの感染者は世界で千二百万人から千八百万人に膨れ上がるといわれていたが、実際には想定以上に増加したわけで、事実2003年にはすでに感染者は4000万人を超えたと報道されていた。

日本もそのうちエイズに足元をすくわれることになりはしないかと当時も懸念していたものである。

しかしながら現実にはそうした危機感がいまの日本人には欠落している。それは何故なのか?

誰もこうした現実を深刻に捉えたりはしないのは、日本がしごく平和だからだ。

必要な物は手に入るし、治安もそう悪くはない。

だから必死になって現実の危機感を意識する必要は、さしあたってないではないかというところだろう。

どこか安直といえば安直なのだ。



欧米先進国ではエイズ患者の増加は押さえられつつあるらしいが、アジア地域の日本や中国ではその勢いが増しているようだ。

エイズ感染が身近に迫ってくれば、それまでの価値観がひっくりかえってしまうような状況が出てこないとも限らない。

エイズの出現もそのほんのきっかけなのかも知れないが、とにかく人々に恐怖と不信感を植えつける悪意に満ちた災禍が存在すること だけは確かである。
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梅毒やエイズにはくれぐれもご注意を。   
    


  


平成15年6月12日に発表された厚生労働省研究班の予測によると「国内のエイズウィルス感染者は3年後2万2千人に、エイズを発症した患者は5千人に達する」ということである。


北京──中国政府と国連は29日、中国国内におけるエイズウイルス(HIV)感染者数は推定70万人に達したとの報告書を発表した。2005年の調査時は約65万人で、2年間で5万人の増加となっている。 (2007.11.30)


アジア地域のエイズウイルス(HIV)感染防止対策を提言する国連合同エイズ計画(UNAIDS)の独立委員会は26日、アジア地域では15歳から44歳の人たちの死亡原因の1位がエイズとなっており、各国政府が有効な対策を取らなければ、2020年までに800万人が新たにHIVに感染する恐れがあると警告する報告書を潘基文事務総長に提出した。

報告書によると、アジア地域では現在約500万人がHIVに感染しており、年間44万人がエイズで死亡している。貧困で適切な治療が受けられないことや売春、薬物使用目的の注射器の使い回しなどがエイズを蔓延(まんえん)させる原因となっているという。(2008.3.27)











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詳細は外部サイトのリンクページの「環境改善アイテム電磁番」のセット方法について」をご覧ください。
電磁波過敏症や電磁波攻撃対策法については
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ラベル:性感染症
posted by モモちゃん at 18:59| 歴史の盲点 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月24日

巨大地震に日本は常に無防備と言わざるを得ない!

鬼界カルデラか南海トラフか?

世界一の地震国日本の歴史といえば、この地震との度重なる遭遇の歴史そのものでもあった。

記録として残されているのは、わずか千数百年分に過ぎない。

有史以前からの大地震と津波によって、九州や本州中央部、さらには東北において、いくつもの文明や王朝が壊滅したという古史伝承の類がある。

日本の地下にはそうした埋没した歴史さえも人知れず存在するということである。

地震予知は不可能であるということは、物理学者や地震学者が一番よく知っている。

しかしながら巨大地震が発生するであろうことは、その予兆現象を観察集積していけば次第に分かってくる部分もあるのは確かである。

現に鬼界カルデラや南海トラフといったマグマ溜まりがあることが分かっている。

これらの巨大さは、まさしくわれわれの想像をはるかに超えたものである。

これらがある限り日本列島は常に崩壊の危機と直面していることになる。

現代ではこうした自然災害の危険と同時に、原発や巨大ダムといった施設、高層ビル群、高速道といった建造物群が大きな被害を受ければ、さらなる崩壊が二重、三重と重なる事態が発生することとなる。

ここで鬼界カルデラか南海トラフといった未曽有の規模の大地震が発生すれば、数千万人単位の被害さえもが発生することがすでに想定されている。




“リアルな恐怖”南海トラフ起きたら・・・CG映像公開(16/09/28)












【南海トラフ超巨大地震】内閣府が公開した衝撃のシミュレーションCG(最新版)「そのとき何が起こるのか?」 東北地震を超える可能性。熊本地震や鳥取地震が引き金になるかもしれない。











南海トラフ巨大地震










世界一危険な火山は日本に!カルデラ噴火で日本は崩壊へ進むのか!?《衝撃》















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posted by モモちゃん at 05:56| 歴史の盲点 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月02日

金銭授受の記録を残さないのが原理原則の世界?

最高裁判所 の裁判長かて「そら払わなアカン!」ていいまっせ



一般庶民が銀行からおカネを借りるというのは大変なことである。

それこそ借金(融資)ということで手続きがすごく面倒である。

こうしたいろいろなハードルを越えてやっとどうにか融資が受けられるとなるとそこでは当然、正式な金銭貸借契約書が交わされる。

厳然と借用書が存在するわけである。


契約書も何枚ページもあっていちいち署名捺印しなくてはならない。

しかも連帯保証人や担保物件もしっかりと押さえられる。

いわゆる銀行というのは、個人に対しての融資にはまったくリスクを負わないのである。

これが世間一般の人間が借金するときの手順である。

「倍返し」といわれるが、これは実質借金、融資の返済額のことである。


もともと融資自体はただで借りるわけではない。

元本には金利が付くわけで、毎月返済していく結果がそのものが倍返しである。

返済開始時は金利部分が多くを占めているわけで、肝心な元本部分は一向に減っていかないのも特徴である。

何十年も掛かって返済していくといっても、元本と金利分を合わせれば借金もいつの間にか倍返しになるというわけだ。





同じ融資でも政治献金やそれに絡んだ資金にはこのような面倒くさい手順は要らない。

要らないらしいとしかいえない。

どうやら政治という世界では、お金は自然に湧き出てくるもののようである。

いわゆる自然発生的にお金が近寄って来る、流れ込んでくるということである。

どうやらその集まって来るお金をどのように自分の懐に取り込むかの巧妙な手法そのものが政治力、手腕というとことであり錬金術の所以なのであろう。

政治の世界では借金時に必要なはずの金銭貸借契約書や領収書は、やり方によっては不要らしい。

事務的に形だけでも領収書もどきが揃っていればいいわけである。

政治に関わる借金でも借用書を作れば問題はあるまい。

収賄などは愚かしいことである。

貸借関係でもただ返済義務を問われない形で済ませるようにしておれば、そのままでもいいではないか、とも思う。

こっそりと自分の懐にため込むからこそ、発覚して問題になる。

借金である以上隠す必要があるのかと問いたい。

そうなると借金まみれでいながら、やたら金回りがいい政治家がもっとも利口であろう。

相互の信頼関係による貸借関係であれば、税法上もどこまでも正当な行為としてみるしかあるまい。

しかしながら、この「相互の信頼関係」が何やら利権絡みで胡散臭いものだから、こうした当たり前の形が取れないのである。

どちらにしてもこの場合は、カネの受け渡しが当事者同士でしっかりと認識できさえすれば貸す側も借りる側も阿吽の呼吸で結託できる伝統的手法らしきものがある。

ここらは、連綿と上から下へと体験的に継承されてきている政治世界の深遠な慣習といえるものである。

それでも貸す側は多額の金銭を融通するわけだから、見返りそのものは当然のごとく要求される。

ここらの流れは間違いあるまい。

利権をいくばくかの金銭で買い取るのわけだから、相当なリスクはあるはずだがここらは大方先行投資ということになるはずである。

近い将来借りる側が利権を操作できる有利な立場に立てるのであれば、前もってその利権を頭金を払ってまずは買っておこうというしたたかな考え方である。

先物買いの相場師的発想である。

値上がりしそうな商品や物件を前もって仕込んでおくという遣り方である。
そう考えるとここらは納得がいく。]

当然政治には利権と共に金銭が絡んでくる。選挙運動もしかり。

きれい事を並べたところで、利権と何らかの報酬に繋がらないことには支援は得られないし人間は動かせない。

だから政治にはカネがいる。

ここから先は、実際に政治的人間になってみなくては分からない。

権力必腐、権腐三年ともいうらしい。

権力は必ず腐敗する、三年ほども権力の座に座ると人は変わっていくということだ。


この辺りは一般庶民には遠く理解の及ばないところである。

闇献金の使い道などはどうでもいいわけである。

生活費に回そうと、女性に貢ごうと受け取った側の自由である。

金権と利権が渦巻く世界には、申し合わせたように同類がぞくぞくと集うのである。

世間に不祥事が発覚すれば、同じような代わり映えのしないカネ絡みの事件ばかりということになる。


兎にも角にも、糞面白くもないお粗末なものばかりであることに違いはない。




ウルフルズ 借金大王
 







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ラベル:寄付金
posted by モモちゃん at 14:52| 歴史の盲点 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月19日

天才手塚治虫が描き切った近未来の様相

SF漫画が半世紀後、現実になった!

たしか最初に無人偵察機、あるいは空中を飛行する小型の無人攻撃機(武装ロボット)が突然現れて攻撃してくるという奇抜な場面に遭遇したのは半世紀前のマンガ雑誌であった。

それは確か手塚治虫の「鉄腕アトム」が最初であったと思う。

しかもそれらはリモコン操縦などではなく、人工知能を搭載した武装飛行ロボットであったのだから驚きである。

これを半世紀前に発想し得た手塚治虫はまさしく天才であり、近未来の人間世界を見事なまでに見通していたことになる。

21世紀の現在、無人攻撃機(武装ロボット)の存在は世界の常識となった。

音もなく、はるか上空3000メートルの高度からピンポイントで攻撃を仕掛けてくる無人攻撃機がそれである。

それらは全天候型のGPSや高性能センサー、多機能望遠レンズ、誘導ミサイルを装備している。

さらにこれにがAI(人口知能)が装備されて、全自動のAIロボット攻撃機になったら、まさしくかっての漫画そのもの設定になる。

ロボットが攻撃殺傷するのである。

こうなると戦場のイメージがすっかり変わってしまう。

さらに手塚治虫は、人工知能を搭載した武装飛行ロボットが地球軌道から全世界を支配するSFアニメも描いていた。

これと同様の計画にいよいよ大国中国が乗り出しつつある。

これが実現すれば、未来の戦場もアニメのように宇宙空間ということになる。






Israel's Killer Robots










Unmanned Aerial Vehicle (Full Video)



 







PREDATOR C "Avenger" UAV










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ラベル:未来戦争
posted by モモちゃん at 08:57| 歴史の盲点 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月10日

世界の臓器売買は常に市場原理が働いている!

誰だって身ぐるみ剥がれる!?


読み返したいニュース
イスラム国では、人間の臓器売買を開始!!
イラク北部のモスルが「IS(イスラム国)」の戦闘員らにより占領された後、この町から避難を余儀なくされたクルド民主党のスポークスマン、サイド・マムズィニ氏は、ラジオ・スプートニクのインタビューに応じた中で「IS」のメンバー達が行っている人間の臓器売買について語った。クルド民主党スポークスマンによれば、テロリストらは、臓器の摘出と販売を目的とした「特別病院」をオープンさせた、との事だ。

続きを読む
http://jp.sputniknews.com/world/20150918/917018.html#ixzz3m9Cs7dIc

 

数年前ロシアで、既婚男性が眠っている間に睾丸を摘出されるという驚愕の事件が発生したことがニュースになった。

若い金髪美女と飲酒後の記憶が途切れていて、翌朝目覚めたら男性の睾丸が2個ともなくなっていた。

男性の下腹部にはプロによる手術跡があり、何と相手の女は臓器売買を手がけるマフィアの手先だったのだという 。

男性の睾丸は闇市場に流れ、高額で取引されるというのだ!


Russia man’s testicles ripped off: Actor says beautiful blonde cut his sack in shocking organ theft










これによく似た話は日本の古典文学のたしか「今昔物語」にも記述があったと記憶する。

ある男が旅の途中で一夜の宿を借りたのであるが、その家には若い女が一人で住んでいた。

翌朝その家を後にするのだが、途中で男は自分の一物が無くなっていることに気付く。

慌てて女の家に駆け戻り事情を話すと、そこで何と男の一物は返してもらえて元通りになるといった可笑しな話がある。

しかしこの事件は元には戻らない悲惨な事件である。


富裕層の需要にこたえる闇の人体臓器マーケッティングとは

中国、死刑囚の臓器提供を15年から中止へ
【12月4日 AFP】中国で物議を醸していた、臓器移植に刑執行後の死刑囚の臓器を供給する慣習が、2015年から中止されると中国紙が4日、報じた。

http://www.afpbb.com/articles/-/3033441


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子供の頃、夕方遅くまで遊び回っていると、大人から怖い人に生き胆を盗られるぞと脅かされていた記憶がある。

お年寄りの話によると、一昔前まで、人の内臓を盗み取るのが目的の殺人が本当にあったということである。

どうも鎌倉時代以前からそうした無知と迷信に取り憑かれた殺人者が度々横行していたらしいのである。

人の生き胆を取るなど猟奇的で身の毛がよだつが、何でもそれが病気治療の奇薬に利用されたということらしい。

その上、それで何らかの取引もあったということになると、当方としては思わずぐっと身を乗り出してしまうわけである。


もちろん東洋では植物だけでなく、古くから動物性生薬も治療には使われていた。

犀角、鹿茸、虎骨、オットセイの一物、蛇、それに熊胆などである。

江戸中期の古方派・医師後藤艮山はこの貴重な熊胆丸を処方して手広く売り出したので有名になったという。

とにかく熊の胆は高価なもので同じ重さの金と取り引きされたというから、相当な高貴薬であったろう。何でも激しい痛みをともなう胆石、胆嚢炎、胃潰瘍の鎮痛、鎮静に著効があるという。

では人間の人胆は一体何に効能があるというのか。

おそらく当時の「不治の病」といわれるものに対してではないかと思うのだが、これに関して一つだけ確かな歴史的史料がある。

江戸時代の有名な首斬り役人であった山田浅右衛門は徳川家の御佩刀御試御用役でもあったが、刑死者の生胆を貰い受ける特権があり、それで自家製の薬を作って売ったということである。

人間の胆は労咳(結核)にきくといい、こちらは「人胆丸」と呼ばれ高価な薬であったが、これ自体の出典根拠は大陸や印度から伝わった仏教説話に繋がっていくようである。

当時山田家は試刀の礼金や刀剣鑑定料といった副業もあったが、この「人胆丸」の売薬でその財力は万石の大名に匹敵するといわれた。

原材料は役得ですべて只同然だから、それこそ丸儲けである。

因みに名人とうたわれた八代目吉亮は三百の首をその生涯に斬り落としたというから、「人胆丸」も相当量市中に出回ったことであろう。

一応こちらは合法的に人胆が使われ売買されたことになるが、常に供給不足であったことは察しがつく。

そうであるとなると結局この時代には合法、非合法の「人胆丸」が存在したということになってくる。当然、偽物もあったであろう。

ここに、冒頭で紹介したような猟奇的事件が発生する背景があったことは想像にかたくない。

ところが、こうした事象は過去のこととばかりとはいってはおれないようなのである。

現代医学の進歩のもとでは、いまや人体の内蔵諸器官はパーツとしての「取引」が可能な時代が到来したのである。

昔も今も人間の要求は変わらない。人間の臓器であろうと、生き長らえるために必要であればどこからか市場原理に突き動かされた需要が自ずと出てくる。

そこには、人間の臓器を求めてでもしてどうにかして生き長らえたい、生かせたい命があるという方便である。

医療も関連法規もそういう方便で整備されてくる。つまり臓器移植法がそれである。


経済的に疲弊している後進国ではそうした需要に答える貧しい人々がいるし、暗黒の組織が影でうごめいてもいる。

生活苦から、自ら片方の腎臓や眼球を売っている貧民層の人も少なくない。

死刑囚の臓器パーツが商品化しているところもあるし、臓器移植に金銭取引が絡んだ赤ん坊売買や誘拐事件がすでに欧米や中南米でも頻繁に起こっている。

さてさて、一体どこからこのような臓器売買の発想が出てきたのであろうか。

まさか山田浅右衛門の「人胆丸」に刺激されてということではあるまい。

倫理的にもデリケートな問題であって、いきなり人体再利用といったら言い過ぎかもしれないが、どうやらそうした風潮が巷に徐々に作られつつあることだけは確かである。

平和ボケの日本では想像もつかないが、とにかく治安の悪い国では死体がごろごろ転がっているのである。

日本では比較にならないほど、そこでは人命が軽視されており、やたらと殺人事件が多発しているわけである。

米連邦捜査局(FBI)の発表によると、アメリカでは1990年代以降の殺人事件による死者は24,000人を越えていて統計上は年々増加傾向にあるときいていたが、最近の米疾病対策予防センター(CDC)によると、2011年のアメリカでの銃による死亡者数は約31,000人にやはり増加している。

それこそ世界一の銃社会であるから、アメリカでは1日平均百人前後の市民が犯罪がらみで撃ち殺されているということになる。

銃社会であるから、当然こうした現実を享受し続けている。

つまりは同じ病院内で、救急で運び込まれた重症の瀕死体状態の患者がいて、他方では新鮮な臓器パーツさえあれば助かる危うい命がある。

ここから出てくる発想は分かり易いはずである。

身近に新鮮な再利用可能な最適の臓器パーツがあれば、そこには必然的に需要そのものは湧いてくるというべきであろうか。

一旦これが合法化されてしまえば、的確かつ迅速な処理と搬送システムの充実が計られ情報ネットや供給体制が整えられることになる。

当然こうしたシステム化にはどうしても経済的負担と効率化が問題になる。

要は高額な負担経費さえクリアすれば実行可能である。

後は臓器パーツの搬送や移植医療専門チームといった採算コストを考慮した経済至上主義的システムに擦り変わっていかざるをえない。

欧米にならった所詮臓器移植の合法化とは、本来そういうものだと考えている。

もとより一般の健康保険の適応外であるから、移植にはべらぼうな費用が掛かる。

日本でも不動産や資産を処分したりして、そうした腎臓や心臓の新鮮な臓器パーツを求めて海外に渡って行く人は少なくない。

それこそ日本でも一昔以前までは売血という行為が、急場の糧を得るために巷で行われていたのも事実である。

余談であるが、中国の『清朝野史大観』という歴史を扱った書物をご存じであろうか。

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これに食道楽で嬰孩肉(子供の肉)が好物の酷官の話しが出てくるのだが、雇った料理人に人肉を平気で調理させていたということである。

そういう残酷なことがまかり通るというのが不思議であるし、またそうした嗜好に応ずる残忍な供給自体があるということが意外でさえある。

それはその時代がそれほどに経済が疲弊し生活苦に喘ぐ貧しい人々が多かったということの反証であり、非情にも子供を売らざるを得ない親が少なくなかったという過酷な事実を教えてくれるものである。

しかもこの話の場合は主役が官吏だけに余計に皮肉でもある。

現代中国ではこの伝統性は残っているようで、母乳が闇で取引されていて富裕層が希少な栄養剤ということで貧困層の女性から買い取っているということである。

母乳は老人の疲労回復や病後の養生として根強い需要があるらしい。

欧米人が好んで使う高価な化粧品にも、後進国で堕胎された多くの胎児から抽出された成分が使われているし、高価な成長ホルモン剤とて原材料の出どころを追跡すればここらは皆同様であろう。

このように人間の欲望や要求とは、それこそどこまでも底知れぬものである。

以前あるSF映画の中で、食料供給の為に人間の死体が再処理分解されて食品に加工されていくショッキングな部分があったが、その意外性の裏で何やら信憑性のありそうな展開にはっとさせられたことがある。

まあそうした発想からみれば、いまの時代には相当の距離があるとみることもできるのだが、一方で人間が死ねば粗大ゴミと化する時代がきているとするならば、そうした未来社会の到来もただの空想とばかりいえなくなる。

臓器移植のための臓器パーツに国際商標が添付される時代もそう遠くはないのかもしれない。




ラベル:成長ホルモン
posted by モモちゃん at 11:32| 歴史の盲点 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月07日

歴史は繰り返す・恐怖の疾病と人類史

レトロな梅毒の流行が止まらない

梅毒患者 今年4000人超、5年で5倍に急増 12/6(火)
性感染症の梅毒に感染した患者が今年、4000人を超え、この5年で5倍に急増したことがわかりました。

「梅毒」は「梅毒トレポネーマ」という細菌に主に性的接触によって感染し、「しこり」や「ただれ」などの症状が出るほか、妊婦の場合、流産や死産のおそれがあります。
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20161206-00000089-jnn-soci


先天梅毒の増加も懸念、感染研が注意喚起 
三和 護=日経メディカル

2011年から増加が続く梅毒は、今年に入ってその流行が加速している。国立感染症研究所のまとめによると、1月から3月までに883人の患者報告があり、昨年同期間の440人から倍増した。感染研は先天梅毒の増加も懸念されるとし、「注目すべき感染症」(感染症週報、12週)に取り上げるなど注意喚起を行っている。
梅毒といっても若い年代層ほど知らないであろう。

学校では詳しく教えないのかもしれないが、ユーチューブで調べればその怖い病態そのものは確認できるはずである。



日本の種子島に鉄砲が伝来したのが戦国時代の天文十二年(1543)のことであった。

鉄砲は南蛮人がもたらした当時の最新兵器である。


意外なことにコロンブスが新大陸より持ちかえった梅毒は、その鉄砲弾よりずっと早 くに大陸経由で日本上陸を貫徹していた。


早くも1512年、それは関西地方にまず感染者が発現したといわれるが、当初より瘡毒、黴瘡、楊梅瘡、唐瘡、琉球瘡と呼ばれながらあらゆる階層にわたってもの凄い勢いで蔓延しはじめていた。


とにもかくにも『黴瘡軍談』(天保九年・船越敬祐)にもあるとおり、この日本への伝染経路については異国よりまず長崎の遊里に侵入したと考えられる。

ここを拠点に交易路を伝わって広がっていった。


やはりこうした海上航路の発展と当時の交通事情とが深く関わってい たことを考えあわせると、港周辺にはびこる売春宿がこれを仲介したかたちで諸国 に蔓延していったことは否めない。
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これはヨーロッパの場合と感染経路は全く同じであり、コロンブスが新大陸との航海で持ちかえった後は港から港へと通商航路伝いに蔓延していったものである。


しかも当時のイタリア戦争(一五二一〜一五四四)による軍隊の移動や駐屯地や軍港を拠点にしてあらゆる階層の市民が感染し、聖職者から各国の宮廷や王侯貴族に至るまで、またたくまに多くの人々が梅毒に冒されていった。


これは当時の自由恋愛の流行や売春が容認されていた社会情勢にもよるものが、さらには多くの人口をかかえる都市の発達の形態とも密接に関係していた。


要するに梅毒の蔓延はルネサンス時代の都市により多くの人口が集まっていくという社会風潮とも大いに関係していた。


これと似た状況として、現代のエイズの世界的な規模での蔓延がある。


現代(都市)社会が蘭熟し、犯罪や麻薬がこうした疾病の感染の隠れた温床となることは考えてみると非常に皮肉なことである。


かってペス トや梅毒が恐れられたのは、それが不治の病であったからである。

現代でも抗生物質も効かない耐性のものも出現しつつあるようだ。

感染しても治せるかどうか分からない、現代医学も手立がないとなると事は重大である。

エイズとて同様である。


潜伏期が五、六年から十年と長いとなると、 なおさら厄介である。


現代は世界が航空路によって結ばれ、地球が小さく感じられる時代である。


海上航路ならぬ航空路で、その日のうちに病原体は端から端まで運ばれる。


伝染源、感染経路、感受性のある個体と、すべての条件は揃っていれば感染症は広がり続けることになる。


エイズの侵入阻止には民族存亡が掛かっていると、かっては逼迫した情況も危惧されてもいた。


エイズワクチンは戦略物資であり、これをいち早く手にするものが今後の世界を牛耳るともいわれたほどだ。





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かって二十一世紀までに、エイズの感染者は世界で千二百万人から千八百万人に膨れ上がるといわれていたが、実際には想定以上に増加した。


2003年時点では感染者は4000万人と報道されていただけに、日本もそのうちエイズに足元をすくわれることになりはしないかと懸念していたものである。


欧米先進国ではエイズ患者の増加は押さえられつつあるらしいが、アジア地域の日本や中国ではその勢いが増しているようだ。


エイズの出現もそのほんのきっかけなのかも知れないが、ここにきてかって世界を席巻した梅毒が再び人類に恐怖と混乱とをもたらすのかもしれない。


梅毒やエイズにはくれぐれもご注意を。   
    


  


アジア地域のエイズウイルス(HIV)感染防止対策を提言する国連合同エイズ計画(UNAIDS)の独立委員会は26日、アジア地域では15歳から44歳の人たちの死亡原因の1位がエイズとなっており、各国政府が有効な対策を取らなければ、2020年までに800万人が新たにHIVに感染する恐れがあると警告する報告書を潘基文事務総長に提出した。

報告書によると、アジア地域では現在約500万人がHIVに感染しており、年間44万人がエイズで死亡している。貧困で適切な治療が受けられないことや売春、薬物使用目的の注射器の使い回しなどがエイズを蔓延(まんえん)させる原因となっているという。(2008.3.27)WIRED NEWS


















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ラベル:ユーチューブ
posted by モモちゃん at 10:19| 歴史の盲点 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月25日

人間は薬物汚染からはもはや抜け出せないのか!?

知らないでいることは恐ろしい薬物情報

一般にはあまり知られていませんが、日本国内には違法な薬物が沢山出回っています。

さすがに薬物だけにそれなりによく効くようです。

世界一薬好きの日本人から見るとしごく当たり前の現象のようにも思えます。

殆どの薬物は、化学製剤として石油から作られるのです。

巷には沢山のドラッグが溢れ返っていて、手軽に入手できます。

ただし薬物は量を間違えると中毒症状などの重篤な薬害を招きます。

しかも学校でもこうした重要な情報は教えませんから、残念なことですが深刻化することはあっても今後も改善されることはないのだと思います。

まず大人が正確な情報(インテリジェンス)を持たなくてはなりません。

最悪の場合、薬物依存で社会や家庭が次第に崩壊していきます。

タバコ喫煙同様、薬物依存の場合は自己防衛としての個人レベルの認識の問題だけでは済まなくなってきています。

社会全体が薬物一般に対する認識を新たにする必要があります。


2016年06月19日(日) 週刊現代

「うつ病」は薬を売るための病名だった!? 実は投薬のほとんどが無意味だと医者は知っている
「薬漬け社会」のタブーを斬る
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48911





薬物に溺れる若者に密着







薬物中毒者の告白











ドラッグ使用者の衝撃的映像。見るも無残な姿に【ドキュメント】








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ラベル:危険ドラック
posted by モモちゃん at 21:09| 歴史の盲点 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月21日

日本には破壊された古代の風水遺跡がある

中国:多数の地方幹部が風水信じて治水工事を行い処分される(2016.01.20
Ads by Yahoo! JAPAN)
中国では風水や占いなどで、新庁舎などの党・政府の建設プロジェクトの規模
や開始時期などを決める幹部が続出しており、「職権を乱用して封建的迷信活動
を行い、党や政府に多大な損害を与えた」として多数の幹部が処分されているこ
とが分かった。



日本のストーンサークルの謎を解く!?

神籠石って、本当に朝鮮式山城なの?
何故、破壊されていったの?


東洋医学史研究会
宇田明男




●神籠石列石とは一体何か?
福岡県久留米市の東方にある高良山高良大社には有名な古代の神籠石がある。


高良山の南側の約1,500メートルにわたり約1,300個の列石が確認されているが、もとは北側にも同様に列石があったと推定されている。


一部にしか残されていないということは、後世破壊されるような状況が出ていたということである。



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破壊されたというより、そこから列石が次々と持ち去られ石材として転用されたということである。


古代の重要な遺物が何故に破壊されたのであろうか?


 神籠石は、福岡県みやま市瀬高町の女山にも同様の大規模な列石が残されている。


神籠石といわれる1m内外のほぼ長方形の石材は、隣の高田町の竹飯の山から切り出され女山の上まで運び上げられたものである。


これらの石材は山の中腹を列石状に取り巻く形で3キロほど整然と並べられており、その規模は九州最大で、これまで列石750個が確認されている。


離れた場所より、大きな石材が人力で延々と運ばれて、このような大規模な列石群が構築された理由とは一体何であろうか。


そしてその背後にある構築に至るエネルギーとは一体どこから生じたのであろうか?


神籠石列石の起源については、定説では白村江(663年)の戦い以降、大和王権によって急遽構築された防衛目的の山城といわれている。


唐新羅連合軍に大敗した倭国が大慌てで構築したものとされているようだが、そのような取って付けた様な辻褄あわせの定説にたいしてはどうしても腑に落ちない部分がある。


当時の北部九州全体が切迫した臨戦態勢状態にありながら、短期間にこれだけ大規模に、それも石材を1つづつ丁寧に加工してまでして延々と列石を並べたというのはまずもって不可解というべきだろう。


いまにも屈強な敵兵が大挙して攻めてくるという緊迫した状況下にあって、軍事基地の要所とされるその山城の工事現場において悠長に切石を1つづつ加工し形を整える余裕があったというのであろうか?


いやむしろおかしいのは、迎え撃つ側が最初からそうした草木の生い茂る山中がその主戦場となるとして決めてかかっていること自体まったくもって不可解というべきであろう。


それこそ防戦一方ということで、始めから貧弱な山城に逃げ込んでの篭城戦をまともに考えていたのかということになる。


そのような想定が定説として大っぴらに通用すること自体、大いに笑える話ではないか。




それだけではない。北部九州各地に点在する神籠石が、列石1段1列という単純な構造では戦闘用の防塁だとしても、これ自体余りにも貧弱で簡略過ぎて話にならない。


それでいて各切石の接合面もぴったりと合うように調整施工されている丁寧さが、どうしても気になって仕方がない。


列石の上部に固めた土を板状に重ねてすっかり土中に埋めて込んでしまう土塁の基礎構造物であれば、個々の切石の形をあれほど丁寧に加工する必要はなかったのではないか。


そのように考えると、当初から外部に露出したままの列石そのものが本来の神籠石の姿ではなかったのではないかと推測されてくるわけである。



列石の規模を水平方向に長く延長していく、それも数キロから数百メートルにもわたって山腹を大掛かりに取り巻くといった列石の形状は、いわゆる実戦的な朝鮮式山城の構造とは本質的に異なるのではないだろうか。


防塁や城砦にしては、列石の横方向の規模が余りにも長過ぎる。
自ら防戦ラインを山腹全体にまで平面的に延ばしてしまってどうするのだということだ。


防戦目的の防塁なら、もっと上方向に石組みを積み上げて城壁そのものを構築すべきだろう。


神籠石列石というように、その構造自体は平面的に切石が帯状(横方向)に並べられたものであって、積み重ねられた石垣が主体の立体的な城砦構造物ではないということにより注目すべきであろう。


もっとも、単純に強固な防塁壁、城砦とはいえないところが、いまだに神籠石列石の評価を惑わす理由になっていることは否めないところである。


形だけの防塁列石だといえば、一応そのようにもみえる。


何らかの仕切り石、境界線ともとれる単純な構造なのだ。


このあたりを考えていくと、九州の神籠石の機能目的は別のところにあったのかも知れないし、その構築時期についても定説よりはるかに古く、その時期は弥生時代まで遡るのではないかとも考えられる。



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もっと厳密にいえば、神籠石列石そのものは大和政権下ではなく、古代九州王朝が独自の風水によって構築したものであり、それも軍事的な一種の防衛ラインを想定した祭祀性の強い構造物ではなかったかと当方は想定している。




●古代風水術の影響を考える
古代中国から伝わった風水自体は人工的構造物を適切に配置して、王城や居住地の地気、龍脈の流れを整える古代の高度な土木技術とされる。


多分に道教的影響があるのであるが、特徴的なことはこの風水術では短期間の突貫工事的発想はまったく通用しないことである。


王朝の命運をも左右するということで、風水術を実際に実施するには相当期間の準備作業が必要とさ、厳密かつ精緻な作業工程があった。
現代人には理解できないであろうが、古代の風水術は国事に直結した重要事項であった。


かって秦の始皇帝の時代、万里の長城を構築する際に誤って防衛ライン上の重要な大地の龍脈を破壊したため処刑された将軍がいたほどである。



大地には地脈ともいうべき龍脈が走っていて、その流れを調整することによって磐石の王都防衛ラインを構築することが出来ると信じられていた。


古代中国の歴代の王都建設には、すべてこの風水術が施されていた。
大陸側と交流を持つ当時の為政者がそうした風水をまったく知らなかったとはいえまい。


むしろ大陸文化の影響下にあった古代九州王朝は逸早くそれを見習ったということなのだ。


風水術の発想からみれば、九州の神籠石列石群は重要な王宮などを守る防衛施設であった可能性が浮かび上がってくる。


それらがすべて軍事的な王都防衛ラインと考えると、神籠石列石の本来の規模は現在残されているものの3,4倍以上はあったのではないかとも考えられる。


白村江の戦い以降、大和王権によって急遽構築された防衛目的の山城といわれている神籠石列石は、その時点を機にしてまったく逆の軍事的理由によって破壊転用され始めたとも考えられるのである。


つまり神籠石列石の転用によって構築されたのが後の朝鮮式山城というわけである。


朝鮮式山城の切石が神籠石列石の転用であれば、混同されても致し方ないというところであろうか。




●神籠石列石は誰が構築したのか?
風水術自体は壮大な古代の都市計画の根幹を支える軍事的な兵法として活用されたものであるが、為政者による古代の重要な方術として捉えることが出来る。


実際にそれを実施するにも強大な権力がなくてはならないはずである。
九州の地においてそれが出来る軍事的統率力を持っていたのは渡来系の物部氏である。


神籠石と物部氏に何らかの関連性があるとすれば、軍事的構築物という意味合いがより強くなってくる。


物部氏族は古代の北部九州において、その発祥の足跡をはっきりと残している。


北部九州の各地にその伝承遺跡がいくつも残されていることからみても、その当時強大な勢力圏を持っていたことが浮かび上がってくる。


物部氏族と神籠石列石との関連性は、ここで実際に九州の神籠石列石の所在地点と古代の物部氏族の根拠地とを重ねて比較検証すれば明白となる。



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(地図上のは神籠石の所在地・は新しい山城の所在地、1から16の各番号は古代物部氏族の根拠地を示す)


1.物部郷
2.物部布都神社
3.物部若宮神
4.筑紫聞物部
5.二田物部
6.二田物部
7.物部社
8.馬見物部
9.物部山国社
10.物部首古志売等
11.物部首猪手売
12.物部婢売
13.物部宿奈売
14.物部田中神
15.物部阿志賀野神
16.磯上物部神







神籠石の所在地と物部氏族の分布状況は、地図上で見る通りその位置関係が見事に合致している。


物部氏族は古代において軍事とその祭祀部門全般を司っており、常にその中心に位置していた大きな氏族集団であった。


ここでも古代の物部氏族と神籠石との関連性は、呪術や祭祀を通してより濃厚なものとなってくる。



むしろ物部氏族特有の軍事と祭祀性を背景にして神籠石列石が構築された可能性が高くなってくる。


列石そのものは、古代のは軍事上の防衛ラインであり、風水術による構造物であったということである。


そうであったから列石構造物は後世、次第に破壊されていったのである。




●神籠石列石は何故破壊されたのか
何故、重要な軍事的構造物である神籠石列石は 壊されていったのであろうか。


列石が造られた理由と同様に、ここでは破壊されていった理由も解き明かされなくては意味は無いであろう。


その理由は単純である。
後世、神籠石自体は、いわゆる「軍事的な防御機能」が次第に失われていってしまったであろうことは否定できない。


軍事的にも必要で無くなったのである。
単純な構造からいえば、始めからその「軍事的な防御機能」が希薄過ぎたとみるべきかも知れない。


これは軍事的、祭祀的な本来の機能目的が変化したことが背景にあるのではないか。


結果的にはある時期になって、神籠石列石は無用の長物となってしまったということである。


言い換えれば、付随していたであろうその祭祀性そのものの変遷によって、神籠石の本来の防御機能が失われるような事態が後世に出来したということである。




現代のわれわれが、神籠石本来の機能目的が一体何なのかという重要な部分が不明なのと同様に、古代においても神籠石列石は過去の遺物とみなされるようになってしまったということではないか


まず第一に、これだけ大規模な一連の列石構造物構築に関する経緯そのものが、肝心の記紀や史書に直接触れられていないのは不可解というべきだろう。


ここらは、銅鐸信仰と同様である。
それこそ神籠石列石は、後世の大和王権によって一部は山城構築に転用されるか破壊された可能性が高い。


もとより征圧した王権の防衛ライン(風水構造物)を保存維持する意味などないわけである。



神籠石列石は、次々と破壊され土木資材として転用されていった。


こうした後世の破壊や石材の転用がなかったら、神籠石列石は現存するものをはるかに超える大規模なものであった可能性も当然出てくるはずである。


それでなくても、後世神籠石は寺社建立や戦国時代の築城、河川の治水や土木工事用の石材としてさかんに持ち出され破壊が進んでいった。


もはやどこからみても軍事的に有用なものとは考えられなくなってしまっていたわけだ。


穿った見方をすれば、最初から軍事に活用できるような機能性をもった堅牢な構造物という認識を、後世の為政者はまったく持ち得なかった。
ただ、山中に点在する物部氏族の祭祀用の過去の巨石構造物でしかなかったのだ。


20世紀の戦後でさえ埋蔵文化財保護法制定以前は、開発に伴うこれらの神籠石列石の破壊行為や転用を止める手立てがなかったのは事実である。(地元郷土史家談)


神籠石列石そのものは、本来の姿どころか、そのほんの一部分が遺されているとしか言いようがない。


ましてや神籠石列石が防戦上の構造物などとは、現代でさえも考えにくいところである。




●神籠石のさらなる祭祀性を問う
神籠石列石は、古代の呪術が信奉されていた時代の遺物であろうことは、容易に察しがつくところである。


それは列石自体は古代のハードウェアであって、古代の呪術はソフトウェアという考え方である。


どちらか一方が欠落すると、まったくその機能目的が成立しないというのが工学的な捉え方ということになる。


肝心の古代のソフトウェアが分からなければ、どこまでいっても神籠石列石はただの石材でしかない。


だからここでは、神籠石列石を構築して運用した主体がどこの誰であるのかをまず問うべきだと考える。


その主役はもちろん古代北部九州の豪族、物部氏族であることは確かであろう。


古代より物部氏が軍事の棟梁として、軍神を祭っていた。
もとより城砦の構築、武具(もののぐ)の調達、武人(もののふ)の練兵や戦時の指揮も司った。


古代九州でさえも、いくつもの戦国時代を経てきている。


神籠石列石を考える上でも、そうした認識がどうやら欠落しているようである。


しかもここから先は文化人類学的考察を加味していくと、さらに面白い展開が出てくることになる。


古代の戦においても常に呪術は付きものであった。
戦には、戦のための呪術があって、出陣の際の儀式として祭祀も行われた。


これは後世の戦国時代であろうと、先の大戦の出陣式とて兵士らの戦意高揚の手立は同様である。


戦地に赴く覚悟と戦意、大和魂の注入が必須なのである。


まず兵士の頭数と武具とがすべて揃ったとしても、すぐに戦士として一撃必殺の戦闘力が備わるわけではない。


「もののふ」には肝心の「もののけ(武の気)」が体に憑かなければ本物の戦士にはならないのである。


勇敢に戦う戦意が、まず必要なのだ。もとより、腑抜けには戦は出来ないということだ。


こうした呪術や古代のシャーマニズムを背景として考えていかないと、単純にはこの古代遺跡の謎は解けてはこない。


戦時には、武人(もものふ)の体に武の気(鬼神)が憑くのである。


武の気が憑いているから、武人には敵対する相手を怯むこと無く殺傷するという戦意や勇猛さが戦闘力として備わるわけである。


この辺りの感覚は平和ボケのいまの現代人には分からないであろう。
平常心の人間にはやたら人は殺せないし、いきなり戦闘開始状態にはなれないのである。


どこかで頭のスイッチが切り替えられなくてはならないのである。


異常なアドレナリン充満の状態か、平常心を失うか、狂気のもとでなければ命の遣り取りを強いられる戦場には臨めないであろう。


今風にいえば軍事的、宗教的イニシエーションで洗脳されるか、専門の徹底した軍事教練が必要ということである。



現代の紛争地域の戦闘では、戦闘員に麻薬などの薬物も使われている。




●普遍的な古代呪術の背景を問う
「戦闘中は、兵隊はみな気違いになるとですよ。そげんならんと人は殺せんですよ」
と、軍隊で壮絶な白兵戦の経験のある老人から何度も聞かされたことがある。



多くのお年寄りと接する職業柄そうした戦時中の話を度々聞くのであるが、まさに鬼気迫る実体験ばかりである。


戦闘中は、兵士はまさしく鬼と化していたということである。


ここで逆の展開としていえることは、奮い立った武人も一旦その武の気(もののけ)が落ちてしまえば戦意はたちまち消え失せてしまうわけである。


古代においてそうした軍事に付随したシャーマニズム、呪術があったことは否定できない。


もののけを体に取り付かせたり、取り除いたりする戦時のシャーマニズムが古代世界には存在していたわけだ。


取りも直さずそれは、戦士も特定の神域に入れば、ものの気が落ちるという呪術も当たり前の事として信じられていた古代の一時期があったということである。


そうした祭祀性が背景にあったからこそ、呪術による大規模な神籠石列石が構築されたのだ。


むしろこうした祭祀性がなかったのであれば、大規模に列石が構築される理由もなかったのではないか。





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神籠石の列石で囲まれた領域は、そうしたおぞましいものの気を落とす特殊な防衛ラインとしての神域なのである。


一旦神域に踏み込めば、武人の体に憑いていたものの気が落ちてしまうという呪術特有の単純すぎる普遍的な考え方である。


それこそ古代の風水的、祭祀的防衛ラインそのものなのだ。


同じように古代中国では、「兵害を免れる」として、五月五日に五色の糸を肘に結ぶと「兵の鬼気(ものの気)を避ける」という道教的呪術があったことが知られている。


攻め込んでくる敵兵には死神が憑いていて鬼気(ものの気)を帯びていると考えられた。


そのようなとき身を守る呪術があれば敵には殺傷されることはないと信じられていた。


兵禍を避けるには、前もって決まった時に決まったことを呪術として手順通りにやっておくことが必要とされていた。


これが古代に通用した普遍的な呪術であり、古代の方術の基本的考え方なのだ。


これを古代の原始的な「呪能」信仰というのである。
これを現代人が笑うことは出来まい。


人間はその時代に応じて、普遍的に信じ込んでいる部分があるわけであって、誰もがそうした一見騙しにも似た事象にさえ単純に惑わされてしまうのである。


つまりこうした呪術が効力を発揮した時代の遺物という認識に立てば、神籠石列石そのものが決して後世7世紀の構造物であるはずもなく、さらには朝鮮式山城と特定してしまうことがいかに早計であるかが理解されてくるはずである。


古代には古代人の当然の理屈があるということである。


それがいかに単純であり、無意味なことであったとしても現代人が笑うことは出来ないのである。   















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2015年12月02日

歴史的事件には毒殺が関わっている

夫の酒に毒 別居妻を殺人未遂容疑で逮捕 宇都宮

産経新聞 12月1日

夫を毒殺疑い、67歳女逮捕=直前に結婚、遺体から「青酸」―他にも不審死・京都:2014年11月19日




似たような毒による中毒死や自然毒を使った事件というのがある。

随分昔のことであるが、山菜と間違えてトリカブトの葉を味噌汁の具にして一家が中毒死するという事件があった。

近年にも東京の中華料理店の店主が、送られてきたトリカブト入り「葛餅」を食って中毒死するという事件があったし、保険金目的に妻をトリカブトで毒殺したとか、昨年京都では結婚直後に夫に青酸カリを飲ませていたというような忌まわしい事件もあった。

青酸毒は人体の呼吸中枢を麻痺させるらしい。

青酸毒を盛られれば速やかに窒息死することになる。

自然界の毒物として知られるトリカブトという植物の根は、加工されて「附子」として漢方薬の処方や毒矢にも使われる。

アルカロイド系(アコニチン)の猛毒が含まれるだけに当然取扱には注意がいるわけである。

自然界にはこうした猛毒が存在する。

テレビかなんぞのサスペンス物か推理ドラマを彷彿させる毒殺事件ではあるが、これもテレビドラマの「警部コロンボ」を見ていたら、河豚毒(テトロドトキシン)をワインに混入させている場面があり、これもひそかに毒殺を謀ったものであった。

自然界にある毒物を使っての殺人は有史以前から随分あったわけで、中国では古来よりもっぱら鴆毒が使われた。

前漢時代、高祖(前漢の創始者・在位前202‐前195)の妻である呂后が、高祖と威婦人との間にできた趙王を殺すのに鴆毒が使われたという。

霊帝(在位167‐189)の后である何皇后が、帝の愛妾を鴆毒を使って殺させた。

鴆毒は中国の歴史書にも度々登場する有名な毒物であるが、日本人にはあまり知られてはいないようだ。

鴆毒自体は投与されると微量であっても命を落とすのだという。

通常鴆毒といえば暗殺に使われるわけで、その際には鴆酒として登場する。

鴆酒の作り方はしごく簡単である。

これは毒鳥といわれる鴆という鳥の羽を酒に浸して数回掻き回すだけで簡単に出来上がるという。

これを飲んだ者は、当初黄疸のように体が黄色くなるということからみれば、まず肝機能が冒され、さらに五臓六腑のすべてが爛れて終には死に至るとされる。

服毒すれば確実に多臓器が機能しなくなる。

何でも鴆にはそれほどの猛毒があるということで古来から恐れられていた。

古い記録では『養老律令』(757年(天平宝字元年)に記述があることからみれば、日本にも大陸から持ち込まれた可能性は極めて高いと思われる。

事例としては『太平記』に、足利直義が恒良親王に鴆毒を薬と偽って飲ませ暗殺したとある。

おそらく戦国時代まで使われていたであろう形跡がある。


これだけ有名な毒物であるのだが、この鴆という毒鳥の実態は古代よりその存在が曖昧であったのだ。

鴆という固有名詞や漢字があるのだから実際に生息していたのであろうが、どんな鳥なのか残念ながら小生は見たことはない。

中国の『三才図絵』や『本草綱目』あたりにその絵図は紹介されていると思うが、何でも広東省や江西省に生息しているキジ科の鳥で、形は鷹に似ていて首の長さは七〜八寸、くちばしは赤く首は黒いということである。

肉にも猛毒があるといい、その食性は蛇を好物にしていて、獲物の蛇が石垣の間などに逃げ込むと、それを引き出すのに石垣に糞を引っ掛けて石を砕くという。

本当にそのような鳥が生息しているのか疑問であろう。

蛇食い鳥の一種であろうか、そう聞くだけで何とも恐ろしげな怪鳥にみえてくるではないか。

実は鴆という鳥は中国の古い史書や文献には随所に登場するが、本当に実在していたのか疑問視されてきた毒鳥なのである。



それまでこの恐ろしい毒鳥は人々に忌み嫌われ、見つかり次第殺されてきたということで、中国大陸では相当早い時期に絶滅したとされていたわけである。

今でいう絶滅種であり、貴重動物ということになる。

おいおい、毒鳥が貴重な絶滅種とは何だということになってくる。

そうなると、いよいよ架空の鳥だろうということになってくる。

ところが、羽に毒がある鳥は架空の生き物ではなく20世紀末になってニューギニアの森林地帯で偶然発見されのだ。

それも権威ある科学誌「サイエンス」に大きく取り上げられた(写真参照)。



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つまりこうした事例が出てきたことによって、古代中国大陸にこの種の鴆なる毒鳥が実在していたことの信憑性は一気に高まったというわけである。

歴史上の毒薬として再認識されるに至ったわけである。


歴史上有名な暗殺目的の毒薬ということでは、「ボルジア家の毒薬」というのが西洋ではことのほか高名である。

確かそういう題名の西洋映画が随分前にあった。

チェーザレ・ボルジアが登場し、彼が手にする毒薬は確か「カンタレラ」という名前であった。

名前から察するに恐らくカンタレルスが含まれているハンミョウという昆虫毒が使われていたか、もしくは猛毒の砒素が主成分だったのかもしれない。

とにかく、この毒薬が権勢欲の渦巻くルネッサンス時代の暗黒の世界で度々暗殺に使われた。

自然界の昆虫毒といえばまずハンミョウであるが、これは江戸時代薬種商が薬剤として扱っていて砒石(ヒ素を含む)などと同様に劇薬として販売先をいちいち確認していた。(これらは漢方薬としてもっぱら水腫の治療に使われていた)

当時、本当にハンミョウの毒などを使って夫の毒殺をたくらむ女房もいたらしく、そうした逸話も残っているし、巷では密かに財産を狙っての毒殺事件も少なくなかったようである。

一例をあげると、江戸時代に書かれた『道徳塗説』に出てくる話がそれにあてまるようだ。


下谷の源助店の長助という独り者は、ある日深川八幡の富籤を一枚買った。

現代の自治宝くじと思ってもらえばいい。これがなんと一等百両に当たった。

百両がどれほどの価値があったか気になるところであるが、当時1両あれば家族4人が1ヶ月間裕福に暮らせるだけの貨幣価値があった。

現代で言うなら1両が4,50万円ほどなのかもしれない。

いや2,30万もあれば田舎なら結構やっていけるかなとなる。

これが百両であるから、現代なら数千万の貨幣価値は十分あったことになる。

当時であれば、一般庶民が絶対に目にすることのできない金額である。

ということで、生まれてはじめて百両もの大金を手にした長助は飛び上がって喜んだ。

長助は百両のうちまず二十両をしきたりどうり神社に奉納した。

二日目、六十両を町役の大家に預けて、やっとどうにか落ち着くことができた。

三日目、残りの二十両を持って出掛け、仲間内の借銭、義理もすませた。そしてこの日浅草まで足をのばして、日ごろ口にしたこともないような御馳走を鱈腹食って長屋に帰ってきた。

残りの三両を神棚に上げてその晩はぐっすり眠ったのであるが、夜中にいきなり叩き起こされた。

「百両、そっくり出してもらおうか」と、押し入った三人の賊に長助は短刀を突きつけられたのである。

実はこれこれしかじか、残りの三両は神棚に、と長助は震えながら答えた。

たったの三両ときいて賊たちは拍子抜けしたが、土間近くに置かれていた祝い札の付いた上等の角樽が目に入った。

三両を仲良く山分けしたあとで賊たちは祝杯を上げることにし、その酒を残らず飲み干してしまった。 

翌朝、大騒ぎになった。

長助の長屋近くの路上で風体人相のよくない男達が、三人冷たくなって転がっていたからである。

間もなく長助は助け出された。

そして肝心の角樽の酒が毒入りであったことも判明した。

この角樽は源助店の大家からの到来物であった。

この結果調べが進み、長助から預かった六十両を着服しようとくわだてた大家のたくらみと知れたわけである。

直ちに大家は補縛され入牢、長助は町内預かりとなったという。



一般庶民でもこんな具合であったから、大名家や古代の王宮では毒殺を恐れて常時お毒味役が傍に控えていたらしい。

これもキムタク主演の時代劇があった。

それでもときには巧妙な方法で毒殺される危険性はあった。
ローマ皇帝ネロが暗殺した異母兄弟のブリタニクスの場合などがその好例である。



nero.jpg



豪華な食事の席でブリタニクスが好きなスープが出された。

傍に控えていた毒味役の奴隷が試食した後に、その湯気の立つスープ状の飲物をブリタニクスに差し出すと(猫舌の彼は)まだ熱かったので、顔をしかめて再び奴隷の手に戻した。

この一瞬に素早く毒物が混入されたのである。

少し間を置いてそのスープ皿はブリタニクスに渡されて、彼はそのまま口にした。

しばらくしてから、ブリタニクスは食事中にいきなり持病の癲癇発作に紛らわしい倒れ方をしてその場で悶死したという。

ネロは、素知らぬ顔でそれを傍観していたのである。

日ごろから用心深く対応している者でも一瞬の隙を衝かれれば、ブリタニクスのようにあっけなく命を落とすことになる。


フランスのブルボン王朝の祖となったアンリ四世は毒殺を恐れて、いつも自分でセーヌ川に水を汲みに行き自炊で卵をゆでていたという。

王様が自炊するとは何事か。


anli4.jpg


というのはアンリ四世は毒殺未遂事件も含めて生涯に十七回も暗殺の危険にさらされたというから、安易に毒味役を置くなどという悠長なことはしておられなかったのである。

とにかく身の安全を考えると、まず自分が口にする食べ物の安全性を充分に確かめなくてはならず、細心の注意を払いながら自前で不慣れな調理もやっていたということである。


こうみてくると、まず食いしん坊やグルメ嗜好の美食家は王座に長く座り続けることは無理というものである。

権力者は、そうした権力の座にながく居続けることは実に大変なことである。

あの有名な英雄ナポレオンもセント・ヘレナ島で、最後は毒殺されてあえ無く終わったのである。

有名なイギリスの科学雑誌『ネイチ ャー』に発表されたところによると、残されていたナポレオンの頭髪には常人の十三倍の砒素が含まれていたことが確認されたということであった。

だが、20世紀後半になって次々と新説が現れて最近の歴史学者の研究によると、ナポレオン毒殺はそれまでの定説とは異なり政治的なものではなく、意外にもナポレオンの人妻との不倫が背後に絡んでいたという異説も出てきて、ここらは最後まで英雄的?であったというわけだ。──



napo.jpg



昔から中国では猛毒の砒素を医療分野で使って、難病の白血病の治療を行っていた。

これに注目したアメリカの癌センターが砒素をベースにした薬剤を急性前骨髄性白血病に投与したところ非常な好成績を上げたということで、現在米国では白血病の治療薬として承認されている。

これと繋がるのかどうか分からないが学生時代、症候概論担当の教授(医学博士)から、微量の砒素の投与は小児期の虚弱体質を改善し免疫力を強化する働きがあるということを聞いたことがある。

やはりトリカブト,ハンミョウ同様、毒も使いようということであろうか。


























denden














ラベル:トウゴマ毒殺
posted by モモちゃん at 14:24| 歴史の盲点 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月14日

すべからく科学技術は国防に資する

科学は人類を幸福にするためにあるわけではない




美術全集を見ていたら、風刺画家のドーミエの作品に「科学者の 妄想」というのがあった。
それには累々と横たわる死体を眺めて、 にやりとほくそ笑んでいる科学者らしき一人の男の姿が描かれていた。


科学者が大量殺戮を夢想しているという、ドーミエらしい洞察の本当の背景は知る由もないが、当時も戦争の手段として近代的な兵器開発が彼らの手によって進められていたことは疑いようのない事実であったろう。


最先端科学の需要の多くが軍事産業であることは現代の世界的コ ンセンサスであろうと思うし、かっての日本もその例外ではなかった。
明治時代にドイツ医学が幅を利かしたのも当時の政府が軍陣医科学の早急な導入を目指したがためであった。


当然、この当たりを勘案すれば伝統的皇漢医学では当時の富国強兵の施策には馴染まないのは誰の目にも明らかであったろう。
いまのような平和な状況にあれば、国民一般の東洋医学指向は多少強くなるであろうことは頷けるところである。


今後は国内治安が急速に悪化すればたちどころに軍陣医科学が幅を利かすであろう。


まあそれはそれで妥当なことであろうと思うが、 これまで医学をも含めて科学技術は決して個人のものではなくて、 常に国家機関のコントロールがなされるものであった。


要するに「すべからく科学技術は国防に資する」という軍国主義的大義名分が幅をきかせていたわけである。


太平洋戦争中の細菌部隊や化学兵器部隊の存在が明らかになってくるに従って、多くの第一線の科学者らがそうした作業に強制的に関係を持たされていたことがわかる。


科学には確かに真理追究のロマンがある。 
今世紀初頭ドイツの科学者の中には宇宙に向けてロケットを打ち上げる夢をもって地道な研究を続けていた学者グループがあった。


これに目を付けたナチス・ ドイツは、新兵器に転用できる科学技術としてロケット研究を高く評価した。


そして瞬く間に無人爆撃機、さらにはV2号ロケットへと作り替 えていったわけである。
ヒットラーの期待に応えて、完成したV2号ロケットは次々とロンドン市内に打ち込まれ英国市民を震え上がらせた。


このロケットには画期的な姿勢制御装置(ジャイロ)がすでに搭載されていた。


ドイツ敗戦時、連合国側のアメリカとソ連の軍隊はこのV2号ロ ケット施設を競って接収した。
ここで工場設備はもとより、開発や製造に従事した科学者や技術者6千人を拘束しそれぞれの国に移送したのである。


大戦後判明したことであるが、当時のドイツの科学技術水準は他国を大きく引き離していたわけで、皮肉にもその後の米ソの宇宙競争を支えたものは、まさにヒットラーの遺産ともいうべきこれらの先端科学技術であった。


同じように日本軍の細菌兵器データはアメリカ国防省が戦後すべてを掌握した。
当然のことながら、科学技術というのは開発過程において莫大な時間と経費がかかる。


それらの資金を得るためには、補助金や研究開発をバックアップしてくれるスポンサーが必要になる。


欧米にはそうした背景が伝統的にあったから、王侯貴族のもとでの詐欺まがいの錬金術でさえ盛んに行われた。


イタリア・ルネッサンス時代の巨匠といえば、「モナリザ」の作者であるレオナルド・ダ・ヴィンチが有名であるが、彼は優れた芸術家であるだけでなく、建築、 自然科学、解剖学、天文学、機械工学、さらに地理学や数学まで幅 広い分野にわたって卓越した才能を発揮した。 reo


ダ・ヴィンチは二万ページに及ぶ研究ノートを書き残したが(三分の 二は散逸した)、その中ではすでに自動車や自転車、飛行機、ヘリ コプター、ボールベアリング、変速機、歯車といったものを考え出していたことでも知られる天才的科学者でもある。


しかしその彼でさえも自分を王侯に売り込み、有力なスポンサー を得るためには手段を選ばなかった。


ミラノ公、ロドビエ・スフォ ルツァにあてた手紙には、大量殺戮兵器の設計を示唆しながら、「兵器の大家、設計者と自負する人のものはありきたりである。私はいろいろな兵器が作れるから一度会っていただきたい」と、殺人兵器の開発に貢献できることに言及して巧みな就職活動をやっている。


事実彼の残した設計図の中には、馬車に回転する刃を装備して走りながら敵兵を切り倒すものや三段式連射砲、無数の大砲を装備した戦車などもある。


さらには水を入れた巨大なフラスコをレンズにして 太陽光線を集め、一度に多数の敵兵を焼き殺す光線兵器のアイデアも詳細に記録している。


その驚くべき発想には、皮肉にも近代の殺戮兵器をも彷彿とさせるほどの空恐ろしさが伴うものであった。

kaku
20世紀アメリカの原爆開発(マ ンハッタン計画)にしても二十億ドルの莫大な経費と十三万人もの科学技術者が短期間に投入されたわけである。
 

莫大な経費の掛かる不毛の兵器開発は結局この原爆というものに集約されるわけであるが、核実験が国際世論からいかに非難されようと、国防というスタンスが現実に存続する以上今後もどこかで強行されるはずである。


かってアメリカのネバダ州で初めて核実験が成功したとき、あのオッペンハイマー博士はわが手を見つめて「これで私も死神になった」と呟いたという。


科学者は常に死神の最も近くに立っていることを肝に銘ずるべきであろうし、常にそうした道義的責任を持つべきである。
古代の宗教儀式では、神に差し出す生け贄として時には人の命が奪われることがあった。
 

これは豊饒という人間の飽くなき欲求のうちに、さ さやかな生け贄が用意されたわけであるが、これを野蛮というべきか否かは問題ではない。


人間の営みのうちに、必然的に犠牲者があることは事実であるし、 科学という恩恵のうちにも人類は大変なリスクを背負っている。



人々が科学に対して過剰な希望と幻想を託すことは、本当は怖いことでもあるのだ。



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    ラベル:軍事大国
    posted by モモちゃん at 09:52| 歴史の盲点 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2015年02月05日

    日本の巨石文化遺産は破壊された

    日本のストーンサークルの謎を解く!?

    神籠石って、本当に朝鮮式山城なの?
    何故、破壊されていったの?


    東洋医学史研究会
    宇田明男




    ●神籠石列石とは一体何か?
    福岡県久留米市の東方にある高良山高良大社には有名な古代の神籠石がある。


    高良山の南側の約1,500メートルにわたり約1,300個の列石が確認されているが、もとは北側にも同様に列石があったと推定されている。


    一部にしか残されていないということは、後世破壊されるような状況が出ていたということである。


    破壊されたというより、そこから列石が次々と持ち去られ石材として転用されたということである。


    古代の重要な遺物が何故に破壊されたのであろうか?

    神籠石・福岡県久留米市 神籠石は、福岡県みやま市瀬高町の女山にも同様の大規模な列石が残されている。


    神籠石といわれる1m内外のほぼ長方形の石材は、隣の高田町の竹飯の山から切り出され女山の上まで運び上げられたものである。


    これらの石材は山の中腹を列石状に取り巻く形で3キロほど整然と並べられており、その規模は九州最大で、これまで列石750個が確認されている。


    離れた場所より、大きな石材が人力で延々と運ばれて、このような大規模な列石群が構築された理由とは一体何であろうか。


    そしてその背後にある構築に至るエネルギーとは一体どこから生じたのであろうか?


    神籠石列石の起源については、定説では白村江(663年)の戦い以降、大和王権によって急遽構築された防衛目的の山城といわれている。


    唐新羅連合軍に大敗した倭国が大慌てで構築したものとされているようだが、そのような取って付けた様な辻褄あわせの定説にたいしてはどうしても腑に落ちない部分がある。


    当時の北部九州全体が切迫した臨戦態勢状態にありながら、短期間にこれだけ大規模に、それも石材を1つづつ丁寧に加工してまでして延々と列石を並べたというのはまずもって不可解というべきだろう。


    いまにも屈強な敵兵が大挙して攻めてくるという緊迫した状況下にあって、軍事基地の要所とされるその山城の工事現場において悠長に切石を1つづつ加工し形を整える余裕があったというのであろうか?


    いやむしろおかしいのは、迎え撃つ側が最初からそうした草木の生い茂る山中がその主戦場となるとして決めてかかっていること自体まったくもって不可解というべきであろう。


    それこそ防戦一方ということで、始めから貧弱な山城に逃げ込んでの篭城戦をまともに考えていたのかということになる。


    そのような想定が定説として大っぴらに通用すること自体、大いに笑える話ではないか。




    それだけではない。北部九州各地に点在する神籠石が、列石1段1列という単純な構造では戦闘用の防塁だとしても、これ自体余りにも貧弱で簡略過ぎて話にならない。


    それでいて各切石の接合面もぴったりと合うように調整施工されている丁寧さが、どうしても気になって仕方がない。


    列石の上部に固めた土を板状に重ねてすっかり土中に埋めて込んでしまう土塁の基礎構造物であれば、個々の切石の形をあれほど丁寧に加工する必要はなかったのではないか。


    そのように考えると、当初から外部に露出したままの列石そのものが本来の神籠石の姿ではなかったのではないかと推測されてくるわけである。



    列石の規模を水平方向に長く延長していく、それも数キロから数百メートルにもわたって山腹を大掛かりに取り巻くといった列石の形状は、いわゆる実戦的な朝鮮式山城の構造とは本質的に異なるのではないだろうか。


    防塁や城砦にしては、列石の横方向の規模が余りにも長過ぎる。
    自ら防戦ラインを山腹全体にまで平面的に延ばしてしまってどうするのだということだ。


    防戦目的の防塁なら、もっと上方向に石組みを積み上げて城壁そのものを構築すべきだろう。


    神籠石列石というように、その構造自体は平面的に切石が帯状(横方向)に並べられたものであって、積み重ねられた石垣が主体の立体的な城砦構造物ではないということにより注目すべきであろう。
    神籠石・福岡県久留米市
     もっとも、単純に強固な防塁壁、城砦とはいえないところが、いまだに神籠石列石の評価を惑わす理由になっていることは否めないところである。


    形だけの防塁列石だといえば、一応そのようにもみえる。


    何らかの仕切り石、境界線ともとれる単純な構造なのだ。


    このあたりを考えていくと、九州の神籠石の機能目的は別のところにあったのかも知れないし、その構築時期についても定説よりはるかに古く、その時期は弥生時代まで遡るのではないかとも考えられる。


    もっと厳密にいえば、神籠石列石そのものは大和政権下ではなく、古代九州王朝が独自の風水によって構築したものであり、それも軍事的な一種の防衛ラインを想定した祭祀性の強い構造物ではなかったかと当方は想定している。




    ●古代風水術の影響を考える
    古代中国から伝わった風水自体は人工的構造物を適切に配置して、王城や居住地の地気、龍脈の流れを整える古代の高度な土木技術とされる。


    多分に道教的影響があるのであるが、特徴的なことはこの風水術では短期間の突貫工事的発想はまったく通用しないことである。


    王朝の命運をも左右するということで、風水術を実際に実施するには相当期間の準備作業が必要とさ、厳密かつ精緻な作業工程があった。
    現代人には理解できないであろうが、古代の風水術は国事に直結した重要事項であった。


    かって秦の始皇帝の時代、万里の長城を構築する際に誤って防衛ライン上の重要な大地の龍脈を破壊したため処刑された将軍がいたほどである。



    大地には地脈ともいうべき龍脈が走っていて、その流れを調整することによって磐石の王都防衛ラインを構築することが出来ると信じられていた。


    古代中国の歴代の王都建設には、すべてこの風水術が施されていた。
    大陸側と交流を持つ当時の為政者がそうした風水をまったく知らなかったとはいえまい。


    むしろ大陸文化の影響下にあった古代九州王朝は逸早くそれを見習ったということなのだ。


    風水術の発想からみれば、九州の神籠石列石群は重要な王宮などを守る防衛施設であった可能性が浮かび上がってくる。


    それらがすべて軍事的な王都防衛ラインと考えると、神籠石列石の本来の規模は現在残されているものの3,4倍以上はあったのではないかとも考えられる。


    白村江の戦い以降、大和王権によって急遽構築された防衛目的の山城といわれている神籠石列石は、その時点を機にしてまったく逆の軍事的理由によって破壊転用され始めたとも考えられるのである。


    つまり神籠石列石の転用によって構築されたのが後の朝鮮式山城というわけである。


    朝鮮式山城の切石が神籠石列石の転用であれば、混同されても致し方ないというところであろうか。




    ●神籠石列石は誰が構築したのか?
    風水術自体は壮大な古代の都市計画の根幹を支える軍事的な兵法として活用されたものであるが、為政者による古代の重要な方術として捉えることが出来る。


    実際にそれを実施するにも強大な権力がなくてはならないはずである。
    九州の地においてそれが出来る軍事的統率力を持っていたのは渡来系の物部氏である。


    神籠石と物部氏に何らかの関連性があるとすれば、軍事的構築物という意味合いがより強くなってくる。


    物部氏族は古代の北部九州において、その発祥の足跡をはっきりと残している。


    北部九州の各地にその伝承遺跡がいくつも残されていることからみても、その当時強大な勢力圏を持っていたことが浮かび上がってくる。


    物部氏族と神籠石列石との関連性は、ここで実際に九州の神籠石列石の所在地点と古代の物部氏族の根拠地とを重ねて比較検証すれば明白となる。


    (地図上のは神籠石の所在地・は新しい山城の所在地、1から16の各番号は古代物部氏族の根拠地を示す)

    神籠石・福岡県久留米市
    1.物部郷
    2.物部布都神社
    3.物部若宮神
    4.筑紫聞物部
    5.二田物部
    6.二田物部
    7.物部社
    8.馬見物部
    9.物部山国社
    10.物部首古志売等
    11.物部首猪手売
    12.物部婢売
    13.物部宿奈売
    14.物部田中神
    15.物部阿志賀野神
    16.磯上物部神







    神籠石の所在地と物部氏族の分布状況は、地図上で見る通りその位置関係が見事に合致している。


    物部氏族は古代において軍事とその祭祀部門全般を司っており、常にその中心に位置していた大きな氏族集団であった。


    ここでも古代の物部氏族と神籠石との関連性は、呪術や祭祀を通してより濃厚なものとなってくる。



    むしろ物部氏族特有の軍事と祭祀性を背景にして神籠石列石が構築された可能性が高くなってくる。


    列石そのものは、古代のは軍事上の防衛ラインであり、風水術による構造物であったということである。


    そうであったから列石構造物は後世、次第に破壊されていったのである。




    ●神籠石列石は何故破壊されたのか
    何故、重要な軍事的構造物である神籠石列石は 壊されていったのであろうか。


    列石が造られた理由と同様に、ここでは破壊されていった理由も解き明かされなくては意味は無いであろう。


    その理由は単純である。
    後世、神籠石自体は、いわゆる「軍事的な防御機能」が次第に失われていってしまったであろうことは否定できない。


    軍事的にも必要で無くなったのである。
    単純な構造からいえば、始めからその「軍事的な防御機能」が希薄過ぎたとみるべきかも知れない。


    これは軍事的、祭祀的な本来の機能目的が変化したことが背景にあるのではないか。


    結果的にはある時期になって、神籠石列石は無用の長物となってしまったということである。


    言い換えれば、付随していたであろうその祭祀性そのものの変遷によって、神籠石の本来の防御機能が失われるような事態が後世に出来したということである。




    現代のわれわれが、神籠石本来の機能目的が一体何なのかという重要な部分が不明なのと同様に、古代においても神籠石列石は過去の遺物とみなされるようになってしまったということではないか


    まず第一に、これだけ大規模な一連の列石構造物構築に関する経緯そのものが、肝心の記紀や史書に直接触れられていないのは不可解というべきだろう。


    ここらは、銅鐸信仰と同様である。
    それこそ神籠石列石は、後世の大和王権によって一部は山城構築に転用されるか破壊された可能性が高い。


    もとより征圧した王権の防衛ライン(風水構造物)を保存維持する意味などないわけである。



    神籠石列石は、次々と破壊され土木資材として転用されていった。


    こうした後世の破壊や石材の転用がなかったら、神籠石列石は現存するものをはるかに超える大規模なものであった可能性も当然出てくるはずである。


    それでなくても、後世神籠石は寺社建立や戦国時代の築城、河川の治水や土木工事用の石材としてさかんに持ち出され破壊が進んでいった。


    もはやどこからみても軍事的に有用なものとは考えられなくなってしまっていたわけだ。


    穿った見方をすれば、最初から軍事に活用できるような機能性をもった堅牢な構造物という認識を、後世の為政者はまったく持ち得なかった。
    ただ、山中に点在する物部氏族の祭祀用の過去の巨石構造物でしかなかったのだ。


    20世紀の戦後でさえ埋蔵文化財保護法制定以前は、開発に伴うこれらの神籠石列石の破壊行為や転用を止める手立てがなかったのは事実である。(地元郷土史家談)


    神籠石列石そのものは、本来の姿どころか、そのほんの一部分が遺されているとしか言いようがない。


    ましてや神籠石列石が防戦上の構造物などとは、現代でさえも考えにくいところである。




    ●神籠石のさらなる祭祀性を問う
    神籠石列石は、古代の呪術が信奉されていた時代の遺物であろうことは、容易に察しがつくところである。


    それは列石自体は古代のハードウェアであって、古代の呪術はソフトウェアという考え方である。


    どちらか一方が欠落すると、まったくその機能目的が成立しないというのが工学的な捉え方ということになる。


    肝心の古代のソフトウェアが分からなければ、どこまでいっても神籠石列石はただの石材でしかない。


    だからここでは、神籠石列石を構築して運用した主体がどこの誰であるのかをまず問うべきだと考える。


    その主役はもちろん古代北部九州の豪族、物部氏族であることは確かであろう。


    古代より物部氏が軍事の棟梁として、軍神を祭っていた。
    もとより城砦の構築、武具(もののぐ)の調達、武人(もののふ)の練兵や戦時の指揮も司った。


    古代九州でさえも、いくつもの戦国時代を経てきている。


    神籠石列石を考える上でも、そうした認識がどうやら欠落しているようである。


    しかもここから先は文化人類学的考察を加味していくと、さらに面白い展開が出てくることになる。


    古代の戦においても常に呪術は付きものであった。
    戦には、戦のための呪術があって、出陣の際の儀式として祭祀も行われた。


    これは後世の戦国時代であろうと、先の大戦の出陣式とて兵士らの戦意高揚の手立は同様である。


    戦地に赴く覚悟と戦意、大和魂の注入が必須なのである。


    まず兵士の頭数と武具とがすべて揃ったとしても、すぐに戦士として一撃必殺の戦闘力が備わるわけではない。


    「もののふ」には肝心の「もののけ(武の気)」が体に憑かなければ本物の戦士にはならないのである。


    勇敢に戦う戦意が、まず必要なのだ。もとより、腑抜けには戦は出来ないということだ。


    こうした呪術や古代のシャーマニズムを背景として考えていかないと、単純にはこの古代遺跡の謎は解けてはこない。


    戦時には、武人(もものふ)の体に武の気(鬼神)が憑くのである。


    武の気が憑いているから、武人には敵対する相手を怯むこと無く殺傷するという戦意や勇猛さが戦闘力として備わるわけである。


    この辺りの感覚は平和ボケのいまの現代人には分からないであろう。
    平常心の人間にはやたら人は殺せないし、いきなり戦闘開始状態にはなれないのである。


    どこかで頭のスイッチが切り替えられなくてはならないのである。


    異常なアドレナリン充満の状態か、平常心を失うか、狂気のもとでなければ命の遣り取りを強いられる戦場には臨めないであろう。


    今風にいえば軍事的、宗教的イニシエーションで洗脳されるか、専門の徹底した軍事教練が必要ということである。



    現代の紛争地域の戦闘では、戦闘員に麻薬などの薬物も使われている。




    ●普遍的な古代呪術の背景を問う
    「戦闘中は、兵隊はみな気違いになるとですよ。そげんならんと人は殺せんですよ」
    と、軍隊で壮絶な白兵戦の経験のある老人から何度も聞かされたことがある。



    多くのお年寄りと接する職業柄そうした戦時中の話を度々聞くのであるが、まさに鬼気迫る実体験ばかりである。


    戦闘中は、兵士はまさしく鬼と化していたということである。


    ここで逆の展開としていえることは、奮い立った武人も一旦その武の気(もののけ)が落ちてしまえば戦意はたちまち消え失せてしまうわけである。


    古代においてそうした軍事に付随したシャーマニズム、呪術があったことは否定できない。


    もののけを体に取り付かせたり、取り除いたりする戦時のシャーマニズムが古代世界には存在していたわけだ。


    取りも直さずそれは、戦士も特定の神域に入れば、ものの気が落ちるという呪術も当たり前の事として信じられていた古代の一時期があったということである。


    そうした祭祀性が背景にあったからこそ、呪術による大規模な神籠石列石が構築されたのだ。


    むしろこうした祭祀性がなかったのであれば、大規模に列石が構築される理由もなかったのではないか。


    神籠石の列石で囲まれた領域は、そうしたおぞましいものの気を落とす特殊な防衛ラインとしての神域なのである。


    一旦神域に踏み込めば、武人の体に憑いていたものの気が落ちてしまうという呪術特有の単純すぎる普遍的な考え方である。


    それこそ古代の風水的、祭祀的防衛ラインそのものなのだ。


    同じように古代中国では、「兵害を免れる」として、五月五日に五色の糸を肘に結ぶと「兵の鬼気(ものの気)を避ける」という道教的呪術があったことが知られている。


    攻め込んでくる敵兵には死神が憑いていて鬼気(ものの気)を帯びていると考えられた。


    そのようなとき身を守る呪術があれば敵には殺傷されることはないと信じられていた。


    兵禍を避けるには、前もって決まった時に決まったことを呪術として手順通りにやっておくことが必要とされていた。


    これが古代に通用した普遍的な呪術であり、古代の方術の基本的考え方なのだ。


    これを古代の原始的な「呪能」信仰というのである。
    これを現代人が笑うことは出来まい。


    人間はその時代に応じて、普遍的に信じ込んでいる部分があるわけであって、誰もがそうした一見騙しにも似た事象にさえ単純に惑わされてしまうのである。


    つまりこうした呪術が効力を発揮した時代の遺物という認識に立てば、神籠石列石そのものが決して後世7世紀の構造物であるはずもなく、さらには朝鮮式山城と特定してしまうことがいかに早計であるかが理解されてくるはずである。


    古代には古代人の当然の理屈があるということである。


    それがいかに単純であり、無意味なことであったとしても現代人が笑うことは出来ないのである。   























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      2014年12月17日

      意外な浦島太郎伝説の背景

      浦島太郎外伝


      浦島太郎伝説の原型はひろく海洋民族の文化圏にみられる伝承なのですが、これにはいくつか外伝があります。


      いじめられていたカメを助けた「うらしまたろう」は、その助けたカメに連れられて竜宮城に招かれます。

      竜宮城には表門と裏門とがあったのですが、「うらしまたろう」はこのときどちらから入城したのかご存知でしょうか?

      そうです、「うらしまたろう」はたしかに表門から入城したのです。


      最初、「うらしまたろう」は裏門から入城しようとしたのですが、入ろうとしたら門の扉がいきなり閉じてしまったのです。

      そこで仕方なく「うらしまたろう」はあらためて表門へと回ったのです。

      表門にはいかつい顔の門番がいて、「うらしまたろう」の顔を見るとにやりと笑って小さな声で一言いいました。

      「うらしまったろう?」

      そうです、「うらしまたろう」は、「裏閉まったろう?」と門番に言われてしまったのです。

      この第一声がそのまま後世に伝わって、「うらしまたろう」といわれるようになったのです。

      これはたしかな情報です。





      よみきかせ にほんむかしばなし 第1話

       



















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          2014年10月08日

          アポロ11号は月に着陸などしていなかった

          アポロ月面着陸の真実とは・・・?

           





          【歴史ミステリー】アポロ11号は月に着陸していなかった!?

           





          アポロ捏造

           





          [アポロ 2013年版] 人類(人)は月へ行っていない!(BGMミュート ver. )

           




















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            posted by モモちゃん at 17:48| 歴史の盲点 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする