2017年07月24日

巨大地震に日本は常に無防備と言わざるを得ない!

鬼界カルデラか南海トラフか?

世界一の地震国日本の歴史といえば、この地震との度重なる遭遇の歴史そのものでもあった。

記録として残されているのは、わずか千数百年分に過ぎない。

有史以前からの大地震と津波によって、九州や本州中央部、さらには東北において、いくつもの文明や王朝が壊滅したという古史伝承の類がある。

日本の地下にはそうした埋没した歴史さえも人知れず存在するということである。

地震予知は不可能であるということは、物理学者や地震学者が一番よく知っている。

しかしながら巨大地震が発生するであろうことは、その予兆現象を観察集積していけば次第に分かってくる部分もあるのは確かである。

現に鬼界カルデラや南海トラフといったマグマ溜まりがあることが分かっている。

これらの巨大さは、まさしくわれわれの想像をはるかに超えたものである。

これらがある限り日本列島は常に崩壊の危機と直面していることになる。

現代ではこうした自然災害の危険と同時に、原発や巨大ダムといった施設、高層ビル群、高速道といった建造物群が大きな被害を受ければ、さらなる崩壊が二重、三重と重なる事態が発生することとなる。

ここで鬼界カルデラか南海トラフといった未曽有の規模の大地震が発生すれば、数千万人単位の被害さえもが発生することがすでに想定されている。




“リアルな恐怖”南海トラフ起きたら・・・CG映像公開(16/09/28)












【南海トラフ超巨大地震】内閣府が公開した衝撃のシミュレーションCG(最新版)「そのとき何が起こるのか?」 東北地震を超える可能性。熊本地震や鳥取地震が引き金になるかもしれない。











南海トラフ巨大地震










世界一危険な火山は日本に!カルデラ噴火で日本は崩壊へ進むのか!?《衝撃》















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2017年06月14日

本能寺・信長は南蛮のロケット攻撃であえなく散った!?

「九州から戦国・本能寺の変を考える」いよいよ佳境に迫る!?

信長失踪!信長の首実検ならず!

光秀は、何故僅かな手勢(1万3千)で戦略なき無謀な負け戦に手を掛けたのか?

戦国時代に引き起こされた本能寺の変は、まさに突発的な大事件に違いなかった。

その首謀者である明智光秀についてもこれまで数多くの説が立てられ論じられてきたが、九州から遠く離れた京の都において展開されたこの事件の本質と謎について今回新たな挑戦を試みてみた。

光秀の戦略の狙いはどこにあったのか?

本能寺の変は、意外にも信長の覇権をめぐって九州の豪商の思惑が少なからず絡んでいた。

それが、この事件とどう繋がっていたのか?

このとき信長は、奇しくも盟友家康の暗殺を本当に企んでいたのであろうか?


本能寺襲撃のその意外な展開とは

本能寺の変において、何故に織田信長の遺骸が焼け跡から発見出来なかったのかが大きな謎である。

本能寺は明智勢の急襲によってその建物(伽藍というべきか)はすべて焼け落ちたのである。

明智勢が火を掛けたというよりは、むしろこの火災自体は信長の意思によって己の遺骸を焼かせたということである。

信長が葬った松永弾正と同様に、己の最後においてついには自爆して果てたとでもいえようか。

信長は自ら火を放ったのであろう。

戦国の武将にとって首を取られ晒されることは恥辱以外の何物でもなかったはずであり、このときの信長が遺骸の痕跡を残さぬよう火中に自ら身を投じたとしても何ら可笑しくはなかった。

事件直後、光秀によって焼け落ちた本能寺の検分が行われた。

ところが明智勢がいくら本能寺の焼跡を精査してみても肝心の信長の遺骸は一片も発見できなかった。

火炎がよほど強かったのかすべてが焼き尽くされた状態であって、いくら探しても信長の遺骸は最後まで見つからなかったのである。

検分を指揮した光秀らは、この時点で非常な戸惑いと焦りとを覚えたことであろう。

敵将の首実検無くしては、その勝敗の決着はつきかねるのが本来の武家の習いである。

実際に信長の首級か遺骸そのものを確認しないことには、光秀のその後の戦略的展開がここで躓きかねないところである。

結果的に光秀は、この時点で決定的な信長の首実検がそのものが出来なかったということになる。

穿った見方をすれば、光秀はここでとにかくそれらしい遺骸を信長のそれに仕立てあげてみせるといったしたたかな手段をとるような強引さを演じてみせてもよかったはずである。

それこそ光秀という武将は、もとより秀吉のようなはったりをここで噛ませてみせるような機転は持ち合わせてはいなかったわけで、そこらは彼本来の行政官的性格がそのまま出ているのであろう。

逆に秀吉は、事件直後に信長が無事逃げおおせたというような偽の情報を流して巧妙な撹乱工作を多方面に行っていた。

両者の間ではこの差は最後まで埋められないのである。

では何故に、肝心の織田信長の遺骸が本能寺焼け跡から発見できなかったのであろうか?

通常であれば焼死体は木造家屋の焼け跡からは発見できるものである。

発見できなかったということは、状況によってはその場所から信長が外部に脱出していたのではかという憶測が生じてくる。

明智勢の包囲から信長が逃げおおせたということであれば、本能寺にはそうした外部へ通じる抜け道があったのかという疑問も出てこよう。

もとより本能寺自体にそうした工夫があったのであれば、京都周辺を軍事的に統括する織田家重臣の光秀が事前に感知していなかったはずはない。

それでも信長の遺骸が見つけだすことが出来なかったとなると、ここは別の観点に立たざるを得ない。

ここでいえることは、信長の遺骸が燃え尽きるような特別な条件がその場にあったということである。

その場に大量の油物があったとか、何らかの高温可燃物の存在が疑われることになる。

まず考えられることは、従来より本能寺内には鉄砲の火薬生成に使われる硝煙や火薬の備蓄設備があったということである。

それがそのまま継続して温存されていた可能性はある。

よく知られていることであるが、本能寺は鉄砲伝来時に種子島の末寺からもっとも早くにその情報が入って来たこともあって、ここではその鉄砲に必要な火薬の生成と備蓄が行われていた。

本能寺は当初この地での火薬生成の拠点でもあった。

その生成の過程で火薬の原材料である燃焼し易い硝薬や硫黄が、粉末として床下にこぼれ落ちて堆積していた可能性とて考えられる。

本能寺が城塞に近い構造を持っていたのであれば、火薬備蓄用の倉庫、ないしは地下蔵があったということである。

これらに火がつけばたちまち爆発炎上する。

あるいは本能寺本堂の火災が燃え広がり、戦闘過程で火薬の備蓄されている施設に引火して爆発炎上してしまった可能性もここでは考えられる。

そうなると通常の火災とは比較にならないほどの高温が建物全体に発生し激しく燃え上がることになる。

当然のことであるが、そうした高温にさらされた遺骸は形が残らないほどに完全に燃え尽きてしまう。



そうであれば信長の遺骸は爆発炎上によって木端微塵に吹き飛ばされたということになる。

本能寺の炎上に伴って、敷地内で大きな火柱の上がる爆発があったともいう。

どちらにしてもここでは本能寺内の火薬の存在が、もっともその重要な要因となりうることになる。

ここで思い出されるのが、歴史家故八切氏の説である。

八切氏がいう「本能寺の出火は、どこかのキリシタン大名からの鉄砲攻撃によって、地下の火薬庫が爆発したもの」という異説である。


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さらには、「信長を殺害したのはイエズス会のキリスト教徒たちで、しかも信長が滞在する本能寺に南蛮渡来の新式火薬で作った爆弾を本能寺から90メートルという至近距離にあった「南蛮寺(サンタ・マリア寺)」の展望台から打ち込んで、本能寺を跡形なく焼失させた」という驚きの説を残している。

南蛮渡来の新式火薬兵器となると、まるでロケット砲攻撃そのものである。

さらにこれでいくと本能寺信長襲撃は、明智勢とイエズス会南蛮寺伴天連勢力とが共謀した作戦ということになってくる。

随分と飛躍した説であるのだが、ここでいうイエズス会そのものは一種の軍事組織であり、かっては信長に積極的に接近して軍事顧問的働きをしてみせていただけに十分あり得る話であってそれなりに信ぴょう性があるといえる。

イエズス会が京都布教の拠点として四条坊門姥柳(うばやぎ)町(現在の中京区蛸薬師室町西入ル)に天正6年(1578)建立されたもので、3階建ての寺は「昇天の聖母の会堂」ともいわれ当時は本能寺に隣接していた。


ここでは本能寺を直接ロケット攻撃したとまで飛躍させなくとも、隣接する南蛮寺から何らかの隧道(トンネル)を掘っていたと考えた方がより合理的である。

ロケット砲攻撃だと、あまりにも露骨過ぎるであろう。

むしろ南蛮寺からであれば、密かに本能寺の真下まで隧道を掘り進めることはきわめて容易であったろう。

しかもその隧道を使って本能寺の真下に大量の火薬をこっそり仕掛けていたと考えた方が、さらにここでは信ぴょう性が増す。

その背景としてはすでに本能寺の事件当時には、反キリシタンへと変貌していた信長へのイエズス会の評価そのものは手厳しいものがあった。

当初イエズス会による軍事的情報の提供と経済的支援によって軍事的に大きく台頭した信長が、ここでイエズス会から距離を置き始めていたことは彼らから見れば裏切りに近いものであった。

信長は明らかにイエズス会の宣教活動を無視する傲慢さを見せ始めていた。

日本国の王として相当な期待感をもって信長を支援していたイエズス会にとってその目算が大きく外れたのであった。


当時のイエズス会は常に日本国内の軍事バランスに目を配っていた。

それもかれらの戦略に迎合する大名に力を貸していただけではなく、重要な軍需品であった火薬の供給を自在にコントロールしていたし、その最大の恩恵を受けてきたのが戦国の覇者織田信長に他ならなかった。

南蛮勢力は日本の植民地化とさらに中国に侵攻する前哨基地化を狙っていた。


後年、徳川幕府によるキリシタン弾圧が本格化しつつあるとき、イエズス会内部の書簡にははっきりと日本国内の内乱を期待する記述が示されているものがある。

1618年10月16日付け日本発、ヴィエイラの総長あて書簡がそれである。

神はこのキリスト教会を救う方法を無数にご存知である。
中でも最も容易な方法は暴君の生命を奪うことである。そうすれば日本中が内乱になり、領主たちは皆天下人になるのを望むであろう。この野心のとりこになった者は、われわれの存在を許したり、キリスト教会に左程反対しなくなったりするであろう


明らかにここでは日本国内の内乱、それも政権が一気に変わるような大きな戦乱の勃発を期待した文面になっている。

これが彼らの戦略上の基本路線ということであれば、「暴君の生命を奪うことである」とは、当時は信長以外の何者でもあるまい。

同時にここでは、いかにもそうした試みは実証済みといわんばかりの記述でしかないわけで、彼らの狙いというかまさにその本性が如実に現れている。

これは実に興味深い記述であって、江戸初期から少し遡ればおのずと戦国期の本能寺の変で織田信長が倒された事例を髣髴とさせるわけで、あたかも当時の明智光秀による突発的謀反劇そのものに彼らの思惑も十分に絡んでいたことを吐露して見せたというべきものであろう。


事実、ルイス・フロイスの「日本史」に書かれていた信長に対する彼らの評価も、始めと終わりとでは百八十度変化するわけだが、この辺りの背景も探ったら興味深い展開が出てくる。

かくて彼(信長のこと)はもはや、自らを日本の絶対君主と称し、諸国でそのように処遇されるだけに満足せず、全身に燃え上がったこの悪魔的傲慢さから、突如としてナブコドノゾールの無謀さと不遜に出ることを決め、自らが単に地上の死すべき人間としてでなく、あたかも神的生命を有し、不滅の主であるかのように万人から礼拝されることを希望した。

そしてこの冒涜的な欲望を実現すべく、自邸に近く城(安土城のこと)から離れた円い山の上に一寺を建立することを命じ、そこに毒々しい野望的意志を書いて掲げたが、それを日本語から我らの言語に翻訳すれば次のとおりである」

 「偉大なる当日本の諸国のはるか彼方から眺めただけで、見る者に喜悦と満足を与えるこの安土の城に、全日本の君主たる信長はハ見寺(そうけんじ)と称する当寺院を建立した。当寺を拝し、これに大いなる信心と尊敬を寄せる者に授けられる功徳と利益は以下のようである。
 第一に、富者にして当所に礼拝に来るならば、いよいよその富を増し、貧しき者、身分低きもの、賤しき者が当所に礼拝に来るならば、当持院に詣でた功徳によって、同じく富裕の身となるであろう。しこうして子孫を増すための子女なり相続者を有せぬ者は、ただちに子孫と長寿に恵まれ、大いなる平和と繁栄を得るであろう。

 第二に、八十歳まで長生きし、疾病はたちまち癒え、その希望はかなえられ、健康と平安を得るであろう。
 第三に、予が誕生日を聖日とし、当寺へ参詣することを命ずる。
 第四に、以上のすべてを信ずる者には、確実に疑いなく、約束したことがかならず実現するであろう。しこうしてこれらのことを信ぜぬ邪悪の徒は、現世においても来世においても滅亡するに至るであろう。ゆえに万人は、大いなる崇拝と尊敬をつねづねこれに捧げることが必要である」(ルイス・フロイス 日本史)


信長は安土城に盆山を設け、自ら神を超える存在であるとして人々に参拝を強制していた。

要するに神仏として信長を崇め称えよと宣告喧伝したのである。

これに対して旧来の宗教界や民衆からは相当な反発が生じた。

これに抵抗して従わない和泉・槙尾寺は伽藍を焼き払らわれ、さらに高野聖さえも数百人が取り押さえられて惨殺されるという有様であった。

こうした信長の独裁者としての変貌にイエズス会やその宣教師らは驚愕したであろう。

キリシタンの武将高山右近の説得工作にも、信長は宣教師を脅して強引に協力させてもいた。

イエズス会の宣教事業の後ろ盾になってくれるという当初の楽観的予想を覆すような信長のその後の傲慢な言動に苛立った彼らの勢力が、魔王と化した信長をどこかで葬り去ろうと画策した可能性も浮上してくるわけである。

イエズス会にはもはや信長を許容する余地などまったくなかった。


そのように信長が己の神格化を目論んだ結果どうなったか。

フロイスの次のような手厳しい記述が続いている。

信長がかくの如く驕慢となり、世界の創造主また贖主である、デウスのみに帰すべきものを奪わんとしたため、安土山においてこの祭りを行った後19日を経て、その体は塵となり灰となって地に帰し、その霊魂は地獄に葬られた」(フロイス・日本史)と、本能寺の変での信長の最後を記している。


これら一連のイエズス会の内部文書や報告書簡を見ていると、奇しくもこれは同時代の16世紀イタリア戦国時代の外交官として生き抜いたマキャヴェリが著した「君主論」の政略的記述内容にそのまま通じるものがある。

彼らは徹頭徹尾、目的のためには手段は択ばないということである。

南蛮勢力であれば、たとえこのとき信長を排除していたとしても何らおかしくはなかった。

それだけの危機的状況は彼らの傍まで迫っていたことは確かであったわけで、ここから考えればイエズス会の宣教師は布教の為には手段を選ばなかったということである。

それこそ当時のヨーロッパ人らは皆似たような戦略的発想をしていたことがそれとなく窺えて非常に興味深いところである。





本能寺の変を真横から考える(1)

何故に光秀の戦略は潰えたのか (2)

信長は家康の暗殺を企んでいたのか(3)

イエズス会宣教師が絶賛した織田信長の所業とは(4)

何故光秀は信長に反逆したのか(5)

明智光秀の謀反の真相とは(6)

徳川家康は謀反の光秀主従をどう評価したのか(7)


光秀の戦略と大きな誤算とは何か(8)


細川家の対処から見えてくるものとは何か(9)



参考資料:
「完訳フロイス日本史」(中公文庫) ルイス フロイス (著) 松田 毅一 (翻訳) 川崎 桃太 (翻訳) 全12巻
 1 織田信長篇T「将軍義輝の最期および自由都市堺」(中公文庫,2000年1月)
 2 織田信長編U「信長とフロイス」(中公文庫,2000年2月)
 3 織田信長篇V「安土城と本能寺の変」(中公文庫,2000年3月)
「織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで」 (中公新書) 谷口 克広 (著) 2001
「信長の戦争 『信長公記』に見る戦国軍事学」 (講談社学術文庫) 藤本 正行 (著) 2003
戦国群雄伝 信長 秀吉 毛利 世界文化社 1996年
戦国京都・王城の地150年の英雄たち 1994年 学研
「戦国武将の参謀と異形の頭脳集団」 歴史と旅  秋田書店 1999年
「徳川創世記 家康・秀忠・家光の野望」歴史読本 1998年
「戦国武将一〇四傑」 別冊歴史読本94 新人物往来社 1998年
「秀吉天下人への道」 歴史読本 新人物往来社  1995年
歴史群像 明智光秀の野望 1992年12月号 学研
日本史史料集 笹山晴生 五味文彦 吉田伸之 鳥海靖 山川出版社 1994
日本史用語集 全国歴史教育研究協議会編 山川出版社 1994
図説日本史 啓骼ミ 1999
裏千家茶道のおしえ 千宗室(著) 日本放送出版 1979
「堺」豊田武(著) 至文堂 1957
「戦国武将ものしり事典」 奈良本達也監修 初版主婦と生活社  1993
戦国史新聞・乱世をスクープ! 戦国史新聞編纂委員会編 日本文芸社
「不思議日本史・歴史のウラが見えてくる」 南條範夫監修 主婦と生活社 1988 
信長と家康: 清須同盟の実体 (学研新書)
戦国の軍隊: 現代軍事学から見た戦国大名の軍勢
織田信長のマネー革命 経済戦争としての戦国時代 (ソフトバンク新書)
信長が見た戦国京都 ~城塞に囲まれた異貌の都 (歴史新書y)
戦国関東の覇権戦争 (歴史新書y)
信長軍の司令官―部将たちの出世競争 (中公新書)
上杉謙信の夢と野望 (歴史新書y)
信長と消えた家臣たち―失脚・粛清・謀反 (中公新書)
関東戦国史と御館の乱 ~上杉景虎・敗北の歴史的意味とは? (歴史新書y)
長篠の戦い (歴史新書y)
大航海時代叢書〈第11〉日本王国記・日欧文化比較 アビラ・ヒロン (著), ルイス・フロイス (著) 岩波書店 1965

「キリシタンの世紀―ザビエル渡日から「鎖国」まで」高瀬 弘一郎 (著)  岩波書店 1993
「イエズス会による対日軍事力行使をめぐる諸問題」 高橋裕史 2006
図録/南蛮美術の光と影:泰西王侯騎馬図屏風の謎 日本経済新聞社 2012
「日本切支丹宗門史 」〔著〕レオン・パジェス 訳吉田小五郎 岩波書店












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2017年04月02日

金銭授受の記録を残さないのが原理原則の世界?

最高裁判所 の裁判長かて「そら払わなアカン!」ていいまっせ



一般庶民が銀行からおカネを借りるというのは大変なことである。

それこそ借金(融資)ということで手続きがすごく面倒である。

こうしたいろいろなハードルを越えてやっとどうにか融資が受けられるとなるとそこでは当然、正式な金銭貸借契約書が交わされる。

厳然と借用書が存在するわけである。


契約書も何枚ページもあっていちいち署名捺印しなくてはならない。

しかも連帯保証人や担保物件もしっかりと押さえられる。

いわゆる銀行というのは、個人に対しての融資にはまったくリスクを負わないのである。

これが世間一般の人間が借金するときの手順である。

「倍返し」といわれるが、これは実質借金、融資の返済額のことである。


もともと融資自体はただで借りるわけではない。

元本には金利が付くわけで、毎月返済していく結果がそのものが倍返しである。

返済開始時は金利部分が多くを占めているわけで、肝心な元本部分は一向に減っていかないのも特徴である。

何十年も掛かって返済していくといっても、元本と金利分を合わせれば借金もいつの間にか倍返しになるというわけだ。





同じ融資でも政治献金やそれに絡んだ資金にはこのような面倒くさい手順は要らない。

要らないらしいとしかいえない。

どうやら政治という世界では、お金は自然に湧き出てくるもののようである。

いわゆる自然発生的にお金が近寄って来る、流れ込んでくるということである。

どうやらその集まって来るお金をどのように自分の懐に取り込むかの巧妙な手法そのものが政治力、手腕というとことであり錬金術の所以なのであろう。

政治の世界では借金時に必要なはずの金銭貸借契約書や領収書は、やり方によっては不要らしい。

事務的に形だけでも領収書もどきが揃っていればいいわけである。

政治に関わる借金でも借用書を作れば問題はあるまい。

収賄などは愚かしいことである。

貸借関係でもただ返済義務を問われない形で済ませるようにしておれば、そのままでもいいではないか、とも思う。

こっそりと自分の懐にため込むからこそ、発覚して問題になる。

借金である以上隠す必要があるのかと問いたい。

そうなると借金まみれでいながら、やたら金回りがいい政治家がもっとも利口であろう。

相互の信頼関係による貸借関係であれば、税法上もどこまでも正当な行為としてみるしかあるまい。

しかしながら、この「相互の信頼関係」が何やら利権絡みで胡散臭いものだから、こうした当たり前の形が取れないのである。

どちらにしてもこの場合は、カネの受け渡しが当事者同士でしっかりと認識できさえすれば貸す側も借りる側も阿吽の呼吸で結託できる伝統的手法らしきものがある。

ここらは、連綿と上から下へと体験的に継承されてきている政治世界の深遠な慣習といえるものである。

それでも貸す側は多額の金銭を融通するわけだから、見返りそのものは当然のごとく要求される。

ここらの流れは間違いあるまい。

利権をいくばくかの金銭で買い取るのわけだから、相当なリスクはあるはずだがここらは大方先行投資ということになるはずである。

近い将来借りる側が利権を操作できる有利な立場に立てるのであれば、前もってその利権を頭金を払ってまずは買っておこうというしたたかな考え方である。

先物買いの相場師的発想である。

値上がりしそうな商品や物件を前もって仕込んでおくという遣り方である。
そう考えるとここらは納得がいく。]

当然政治には利権と共に金銭が絡んでくる。選挙運動もしかり。

きれい事を並べたところで、利権と何らかの報酬に繋がらないことには支援は得られないし人間は動かせない。

だから政治にはカネがいる。

ここから先は、実際に政治的人間になってみなくては分からない。

権力必腐、権腐三年ともいうらしい。

権力は必ず腐敗する、三年ほども権力の座に座ると人は変わっていくということだ。


この辺りは一般庶民には遠く理解の及ばないところである。

闇献金の使い道などはどうでもいいわけである。

生活費に回そうと、女性に貢ごうと受け取った側の自由である。

金権と利権が渦巻く世界には、申し合わせたように同類がぞくぞくと集うのである。

世間に不祥事が発覚すれば、同じような代わり映えのしないカネ絡みの事件ばかりということになる。


兎にも角にも、糞面白くもないお粗末なものばかりであることに違いはない。




ウルフルズ 借金大王
 







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ラベル:寄付金
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2017年03月19日

天才手塚治虫が描き切った近未来の様相

SF漫画が半世紀後、現実になった!

たしか最初に無人偵察機、あるいは空中を飛行する小型の無人攻撃機(武装ロボット)が突然現れて攻撃してくるという奇抜な場面に遭遇したのは半世紀前のマンガ雑誌であった。

それは確か手塚治虫の「鉄腕アトム」が最初であったと思う。

しかもそれらはリモコン操縦などではなく、人工知能を搭載した武装飛行ロボットであったのだから驚きである。

これを半世紀前に発想し得た手塚治虫はまさしく天才であり、近未来の人間世界を見事なまでに見通していたことになる。

21世紀の現在、無人攻撃機(武装ロボット)の存在は世界の常識となった。

音もなく、はるか上空3000メートルの高度からピンポイントで攻撃を仕掛けてくる無人攻撃機がそれである。

それらは全天候型のGPSや高性能センサー、多機能望遠レンズ、誘導ミサイルを装備している。

さらにこれにがAI(人口知能)が装備されて、全自動のAIロボット攻撃機になったら、まさしくかっての漫画そのもの設定になる。

ロボットが攻撃殺傷するのである。

こうなると戦場のイメージがすっかり変わってしまう。

さらに手塚治虫は、人工知能を搭載した武装飛行ロボットが地球軌道から全世界を支配するSFアニメも描いていた。

これと同様の計画にいよいよ大国中国が乗り出しつつある。

これが実現すれば、未来の戦場もアニメのように宇宙空間ということになる。






Israel's Killer Robots










Unmanned Aerial Vehicle (Full Video)



 







PREDATOR C "Avenger" UAV










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ラベル:未来戦争
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2017年03月10日

世界の臓器売買は常に市場原理が働いている!

誰だって身ぐるみ剥がれる!?


読み返したいニュース
イスラム国では、人間の臓器売買を開始!!
イラク北部のモスルが「IS(イスラム国)」の戦闘員らにより占領された後、この町から避難を余儀なくされたクルド民主党のスポークスマン、サイド・マムズィニ氏は、ラジオ・スプートニクのインタビューに応じた中で「IS」のメンバー達が行っている人間の臓器売買について語った。クルド民主党スポークスマンによれば、テロリストらは、臓器の摘出と販売を目的とした「特別病院」をオープンさせた、との事だ。

続きを読む
http://jp.sputniknews.com/world/20150918/917018.html#ixzz3m9Cs7dIc

 

数年前ロシアで、既婚男性が眠っている間に睾丸を摘出されるという驚愕の事件が発生したことがニュースになった。

若い金髪美女と飲酒後の記憶が途切れていて、翌朝目覚めたら男性の睾丸が2個ともなくなっていた。

男性の下腹部にはプロによる手術跡があり、何と相手の女は臓器売買を手がけるマフィアの手先だったのだという 。

男性の睾丸は闇市場に流れ、高額で取引されるというのだ!


Russia man’s testicles ripped off: Actor says beautiful blonde cut his sack in shocking organ theft










これによく似た話は日本の古典文学のたしか「今昔物語」にも記述があったと記憶する。

ある男が旅の途中で一夜の宿を借りたのであるが、その家には若い女が一人で住んでいた。

翌朝その家を後にするのだが、途中で男は自分の一物が無くなっていることに気付く。

慌てて女の家に駆け戻り事情を話すと、そこで何と男の一物は返してもらえて元通りになるといった可笑しな話がある。

しかしこの事件は元には戻らない悲惨な事件である。


富裕層の需要にこたえる闇の人体臓器マーケッティングとは

中国、死刑囚の臓器提供を15年から中止へ
【12月4日 AFP】中国で物議を醸していた、臓器移植に刑執行後の死刑囚の臓器を供給する慣習が、2015年から中止されると中国紙が4日、報じた。

http://www.afpbb.com/articles/-/3033441


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子供の頃、夕方遅くまで遊び回っていると、大人から怖い人に生き胆を盗られるぞと脅かされていた記憶がある。

お年寄りの話によると、一昔前まで、人の内臓を盗み取るのが目的の殺人が本当にあったということである。

どうも鎌倉時代以前からそうした無知と迷信に取り憑かれた殺人者が度々横行していたらしいのである。

人の生き胆を取るなど猟奇的で身の毛がよだつが、何でもそれが病気治療の奇薬に利用されたということらしい。

その上、それで何らかの取引もあったということになると、当方としては思わずぐっと身を乗り出してしまうわけである。


もちろん東洋では植物だけでなく、古くから動物性生薬も治療には使われていた。

犀角、鹿茸、虎骨、オットセイの一物、蛇、それに熊胆などである。

江戸中期の古方派・医師後藤艮山はこの貴重な熊胆丸を処方して手広く売り出したので有名になったという。

とにかく熊の胆は高価なもので同じ重さの金と取り引きされたというから、相当な高貴薬であったろう。何でも激しい痛みをともなう胆石、胆嚢炎、胃潰瘍の鎮痛、鎮静に著効があるという。

では人間の人胆は一体何に効能があるというのか。

おそらく当時の「不治の病」といわれるものに対してではないかと思うのだが、これに関して一つだけ確かな歴史的史料がある。

江戸時代の有名な首斬り役人であった山田浅右衛門は徳川家の御佩刀御試御用役でもあったが、刑死者の生胆を貰い受ける特権があり、それで自家製の薬を作って売ったということである。

人間の胆は労咳(結核)にきくといい、こちらは「人胆丸」と呼ばれ高価な薬であったが、これ自体の出典根拠は大陸や印度から伝わった仏教説話に繋がっていくようである。

当時山田家は試刀の礼金や刀剣鑑定料といった副業もあったが、この「人胆丸」の売薬でその財力は万石の大名に匹敵するといわれた。

原材料は役得ですべて只同然だから、それこそ丸儲けである。

因みに名人とうたわれた八代目吉亮は三百の首をその生涯に斬り落としたというから、「人胆丸」も相当量市中に出回ったことであろう。

一応こちらは合法的に人胆が使われ売買されたことになるが、常に供給不足であったことは察しがつく。

そうであるとなると結局この時代には合法、非合法の「人胆丸」が存在したということになってくる。当然、偽物もあったであろう。

ここに、冒頭で紹介したような猟奇的事件が発生する背景があったことは想像にかたくない。

ところが、こうした事象は過去のこととばかりとはいってはおれないようなのである。

現代医学の進歩のもとでは、いまや人体の内蔵諸器官はパーツとしての「取引」が可能な時代が到来したのである。

昔も今も人間の要求は変わらない。人間の臓器であろうと、生き長らえるために必要であればどこからか市場原理に突き動かされた需要が自ずと出てくる。

そこには、人間の臓器を求めてでもしてどうにかして生き長らえたい、生かせたい命があるという方便である。

医療も関連法規もそういう方便で整備されてくる。つまり臓器移植法がそれである。


経済的に疲弊している後進国ではそうした需要に答える貧しい人々がいるし、暗黒の組織が影でうごめいてもいる。

生活苦から、自ら片方の腎臓や眼球を売っている貧民層の人も少なくない。

死刑囚の臓器パーツが商品化しているところもあるし、臓器移植に金銭取引が絡んだ赤ん坊売買や誘拐事件がすでに欧米や中南米でも頻繁に起こっている。

さてさて、一体どこからこのような臓器売買の発想が出てきたのであろうか。

まさか山田浅右衛門の「人胆丸」に刺激されてということではあるまい。

倫理的にもデリケートな問題であって、いきなり人体再利用といったら言い過ぎかもしれないが、どうやらそうした風潮が巷に徐々に作られつつあることだけは確かである。

平和ボケの日本では想像もつかないが、とにかく治安の悪い国では死体がごろごろ転がっているのである。

日本では比較にならないほど、そこでは人命が軽視されており、やたらと殺人事件が多発しているわけである。

米連邦捜査局(FBI)の発表によると、アメリカでは1990年代以降の殺人事件による死者は24,000人を越えていて統計上は年々増加傾向にあるときいていたが、最近の米疾病対策予防センター(CDC)によると、2011年のアメリカでの銃による死亡者数は約31,000人にやはり増加している。

それこそ世界一の銃社会であるから、アメリカでは1日平均百人前後の市民が犯罪がらみで撃ち殺されているということになる。

銃社会であるから、当然こうした現実を享受し続けている。

つまりは同じ病院内で、救急で運び込まれた重症の瀕死体状態の患者がいて、他方では新鮮な臓器パーツさえあれば助かる危うい命がある。

ここから出てくる発想は分かり易いはずである。

身近に新鮮な再利用可能な最適の臓器パーツがあれば、そこには必然的に需要そのものは湧いてくるというべきであろうか。

一旦これが合法化されてしまえば、的確かつ迅速な処理と搬送システムの充実が計られ情報ネットや供給体制が整えられることになる。

当然こうしたシステム化にはどうしても経済的負担と効率化が問題になる。

要は高額な負担経費さえクリアすれば実行可能である。

後は臓器パーツの搬送や移植医療専門チームといった採算コストを考慮した経済至上主義的システムに擦り変わっていかざるをえない。

欧米にならった所詮臓器移植の合法化とは、本来そういうものだと考えている。

もとより一般の健康保険の適応外であるから、移植にはべらぼうな費用が掛かる。

日本でも不動産や資産を処分したりして、そうした腎臓や心臓の新鮮な臓器パーツを求めて海外に渡って行く人は少なくない。

それこそ日本でも一昔以前までは売血という行為が、急場の糧を得るために巷で行われていたのも事実である。

余談であるが、中国の『清朝野史大観』という歴史を扱った書物をご存じであろうか。

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これに食道楽で嬰孩肉(子供の肉)が好物の酷官の話しが出てくるのだが、雇った料理人に人肉を平気で調理させていたということである。

そういう残酷なことがまかり通るというのが不思議であるし、またそうした嗜好に応ずる残忍な供給自体があるということが意外でさえある。

それはその時代がそれほどに経済が疲弊し生活苦に喘ぐ貧しい人々が多かったということの反証であり、非情にも子供を売らざるを得ない親が少なくなかったという過酷な事実を教えてくれるものである。

しかもこの話の場合は主役が官吏だけに余計に皮肉でもある。

現代中国ではこの伝統性は残っているようで、母乳が闇で取引されていて富裕層が希少な栄養剤ということで貧困層の女性から買い取っているということである。

母乳は老人の疲労回復や病後の養生として根強い需要があるらしい。

欧米人が好んで使う高価な化粧品にも、後進国で堕胎された多くの胎児から抽出された成分が使われているし、高価な成長ホルモン剤とて原材料の出どころを追跡すればここらは皆同様であろう。

このように人間の欲望や要求とは、それこそどこまでも底知れぬものである。

以前あるSF映画の中で、食料供給の為に人間の死体が再処理分解されて食品に加工されていくショッキングな部分があったが、その意外性の裏で何やら信憑性のありそうな展開にはっとさせられたことがある。

まあそうした発想からみれば、いまの時代には相当の距離があるとみることもできるのだが、一方で人間が死ねば粗大ゴミと化する時代がきているとするならば、そうした未来社会の到来もただの空想とばかりいえなくなる。

臓器移植のための臓器パーツに国際商標が添付される時代もそう遠くはないのかもしれない。




ラベル:成長ホルモン
posted by モモちゃん at 11:32| 歴史の盲点 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月07日

歴史は繰り返す・恐怖の疾病と人類史

レトロな梅毒の流行が止まらない

梅毒患者 今年4000人超、5年で5倍に急増 12/6(火)
性感染症の梅毒に感染した患者が今年、4000人を超え、この5年で5倍に急増したことがわかりました。

「梅毒」は「梅毒トレポネーマ」という細菌に主に性的接触によって感染し、「しこり」や「ただれ」などの症状が出るほか、妊婦の場合、流産や死産のおそれがあります。
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20161206-00000089-jnn-soci


先天梅毒の増加も懸念、感染研が注意喚起 
三和 護=日経メディカル

2011年から増加が続く梅毒は、今年に入ってその流行が加速している。国立感染症研究所のまとめによると、1月から3月までに883人の患者報告があり、昨年同期間の440人から倍増した。感染研は先天梅毒の増加も懸念されるとし、「注目すべき感染症」(感染症週報、12週)に取り上げるなど注意喚起を行っている。
梅毒といっても若い年代層ほど知らないであろう。

学校では詳しく教えないのかもしれないが、ユーチューブで調べればその怖い病態そのものは確認できるはずである。



日本の種子島に鉄砲が伝来したのが戦国時代の天文十二年(1543)のことであった。

鉄砲は南蛮人がもたらした当時の最新兵器である。


意外なことにコロンブスが新大陸より持ちかえった梅毒は、その鉄砲弾よりずっと早 くに大陸経由で日本上陸を貫徹していた。


早くも1512年、それは関西地方にまず感染者が発現したといわれるが、当初より瘡毒、黴瘡、楊梅瘡、唐瘡、琉球瘡と呼ばれながらあらゆる階層にわたってもの凄い勢いで蔓延しはじめていた。


とにもかくにも『黴瘡軍談』(天保九年・船越敬祐)にもあるとおり、この日本への伝染経路については異国よりまず長崎の遊里に侵入したと考えられる。

ここを拠点に交易路を伝わって広がっていった。


やはりこうした海上航路の発展と当時の交通事情とが深く関わってい たことを考えあわせると、港周辺にはびこる売春宿がこれを仲介したかたちで諸国 に蔓延していったことは否めない。
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これはヨーロッパの場合と感染経路は全く同じであり、コロンブスが新大陸との航海で持ちかえった後は港から港へと通商航路伝いに蔓延していったものである。


しかも当時のイタリア戦争(一五二一〜一五四四)による軍隊の移動や駐屯地や軍港を拠点にしてあらゆる階層の市民が感染し、聖職者から各国の宮廷や王侯貴族に至るまで、またたくまに多くの人々が梅毒に冒されていった。


これは当時の自由恋愛の流行や売春が容認されていた社会情勢にもよるものが、さらには多くの人口をかかえる都市の発達の形態とも密接に関係していた。


要するに梅毒の蔓延はルネサンス時代の都市により多くの人口が集まっていくという社会風潮とも大いに関係していた。


これと似た状況として、現代のエイズの世界的な規模での蔓延がある。


現代(都市)社会が蘭熟し、犯罪や麻薬がこうした疾病の感染の隠れた温床となることは考えてみると非常に皮肉なことである。


かってペス トや梅毒が恐れられたのは、それが不治の病であったからである。

現代でも抗生物質も効かない耐性のものも出現しつつあるようだ。

感染しても治せるかどうか分からない、現代医学も手立がないとなると事は重大である。

エイズとて同様である。


潜伏期が五、六年から十年と長いとなると、 なおさら厄介である。


現代は世界が航空路によって結ばれ、地球が小さく感じられる時代である。


海上航路ならぬ航空路で、その日のうちに病原体は端から端まで運ばれる。


伝染源、感染経路、感受性のある個体と、すべての条件は揃っていれば感染症は広がり続けることになる。


エイズの侵入阻止には民族存亡が掛かっていると、かっては逼迫した情況も危惧されてもいた。


エイズワクチンは戦略物資であり、これをいち早く手にするものが今後の世界を牛耳るともいわれたほどだ。





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かって二十一世紀までに、エイズの感染者は世界で千二百万人から千八百万人に膨れ上がるといわれていたが、実際には想定以上に増加した。


2003年時点では感染者は4000万人と報道されていただけに、日本もそのうちエイズに足元をすくわれることになりはしないかと懸念していたものである。


欧米先進国ではエイズ患者の増加は押さえられつつあるらしいが、アジア地域の日本や中国ではその勢いが増しているようだ。


エイズの出現もそのほんのきっかけなのかも知れないが、ここにきてかって世界を席巻した梅毒が再び人類に恐怖と混乱とをもたらすのかもしれない。


梅毒やエイズにはくれぐれもご注意を。   
    


  


アジア地域のエイズウイルス(HIV)感染防止対策を提言する国連合同エイズ計画(UNAIDS)の独立委員会は26日、アジア地域では15歳から44歳の人たちの死亡原因の1位がエイズとなっており、各国政府が有効な対策を取らなければ、2020年までに800万人が新たにHIVに感染する恐れがあると警告する報告書を潘基文事務総長に提出した。

報告書によると、アジア地域では現在約500万人がHIVに感染しており、年間44万人がエイズで死亡している。貧困で適切な治療が受けられないことや売春、薬物使用目的の注射器の使い回しなどがエイズを蔓延(まんえん)させる原因となっているという。(2008.3.27)WIRED NEWS


















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ラベル:ユーチューブ
posted by モモちゃん at 10:19| 歴史の盲点 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月27日

日本人が知ってはいけない戦国史がある!?

南蛮勢力が日本で採った見事な軍事戦略とは

学校では教えられない九州歴史発見シリーズ
いまさら歴史認識がどうした?


日本人はめちゃ海軍力が弱いねん!
九州には、キリシタンによる内乱の火種が作られた!
長崎代官村山等安が掴んだ南蛮勢力の飽くなき野望とは?


東洋医学史研究会
宇田明男




●日本でのイエズス会が採った軍事戦略


近年解読されたイエズス会文書館所蔵の夥しい書簡などの史料から、当時のイエズス会が密かに推進していた日本の植民地化戦略の全貌がようやく浮かび上がってきた。


これらの衝撃的な文書は、研究者である高瀬弘一郎博士がイエズス会本部の文書館から発見して明らかになったものであるが、その後不都合があってか極秘扱いとなり、残念ながら現在は外部に一切公開されていないということである。


もちろん現行の歴史教科書にも決して紹介されることのない、西洋によるアジア侵略の貴重な史料ということになる。



戦後のGHQによる70年前の焚書作業では、こうした類の西洋冒涜の歴史書は事実が書かれていようともすべて公から排除され破棄されたのである。



当然これらは日本人が知ってはいけない歴史情報ということになる。




かって戦国時代の日本において宣教活動を行っていたイエズス会東インド巡察師アレッサンドロ・ヴァリニャーノは、1582年12月14日付けでマカオからフィリッピン総督フランシスコ・デ・サンデに次のような書簡を出している。


「私は閣下に対し、霊魂の改宗に関しては、日本布教は、神の教会の中で最も重要な事業のひとつである旨、断言することができる。何故なら、国民は非常に高貴且つ有能にして、理性によく従うからである。
尤も、日本は何らかの征服事業を企てる対象としては不向きである。何故なら、日本は、私がこれまで見てきた中で、最も国土が不毛且つ貧しい故に、求めるべきものは何もなく、また国民は非常に勇敢で、しかも絶えず軍事訓練を積んでいるので、征服が可能な国土ではないからである。
しかしながら、シナにおいて陛下が行いたいと思っていることのために、日本は時とともに、非常に益することになるだろう。それ故日本の地を極めて重視する必要がある。」




文中にある「征服事業を企てる対象としては不向きである」とはどういうことなのか?そして、「シナにおいて陛下が行いたいと思っていることのために」とは、一体何のことなのか?





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翌年の1583年、マニラ司教サラサールがスペイン国王に送った書簡(6月18日付)では次のような展開になってくる。


「私がこの報告書を作成した意図は、シナの統治者達が福音の宣布を妨害しているので、これが、陛下が武装してかの王国を攻め入る事の出来る正当な理由になると云う事を、陛下に知らせる為である。(中略)そしてこのことを一層容易に運ぶには、シナの直ぐ近くにいる日本人がジナ人の仇敵であつて、スペイン人がシナに攻め入る時には、すすんでこれに加わるであろう、ということを、陛下が了解されるとよい。そしてこれが効果を上げる為の最良の方法は、陛下がイエズス会総会長に命じて、この点日本人に対し、必ず在日イエズス会士の命令に従って行動を起すように、との指示を与えるよう、在日イエズス会修道士に指令を送らせる事である。」



書簡の記述にある様に「陛下が武装してかの王国を攻め入る事の出来る正当な理由」という展開からみてとれることは、明らかにこれらはイエズス会側の中国や東アジアへの軍事的侵攻を示唆したものであることが分かる。


さらにイエズス会日本布教長フランシスコ・カブラルが1584年にスペイン国王へ宛てた書簡には次のようにある。


「私の考えでは、この政府事業(明の植民地化)を行うのに、最初は7千乃至8千、多くても1万人の軍勢と適当な規模の艦隊で十分であろう。・・・日本に駐在しているイエズス会のパードレ(神父)達が容易に2〜3千人の日本人キリスト教徒を送ることができるだろう。彼等は打ち続く戦争に従軍しているので、陸、海の戦闘に大変勇敢な兵隊であり、月に1エスクード半または2エスクードの給料で、ンンとしてこの征服事業に馳せ参じ、陛下にご奉公するであろう」



ここらは一貫して具体的記述になってきていることが見て取れる。



どうやら彼らからみて勇敢な戦闘員である日本人は、中国を植民地化する事業に際して彼らが必要とする傭兵部隊としての要件が揃っていることをここではことさら強調しているようである。


イエズス会日本準管区長コエリョが1585年3月3日付けでイエズス会布教長アントニオ・セデェーニョに宛てた手紙の抜粋には次のようにある。


「陛下の義務、及び陛下がシナを征服するために望んでいる日本貿易に大いに関係することだからである。・・・・総督閣下に兵隊・弾薬・大砲、及び兵隊のための必要な食料、1、2年食料を買うためのかねを充分搭載した3,4隻のフラガータフ船を日本のこの地に派遣していただきたい。・・・・他の異教徒に大いに悩まされている何人かのキリスト教徒の領主を支援出来るようにするためである。・・・・ただ安全に渡来するためには大艦隊が必要である。・・・・
当地のキリスト教徒の領主の支援を得て、この海岸全体を支配し、服従しようとしない敵に脅威を与えることが出来るのは疑いない。この陛下の援軍が派遣されることにより、・・・・第一に、これらキリスト教徒の諸侯とその家来は、・・・陛下の援助が得られ・・・・・一層信仰を強固なものにする。第二に、異教徒とは・・・脅威と驚きを抱き、・・・・改宗を望む者に対する妨害をしようとはしなくなるであろう。第三に、異教徒はキリスト教徒が陛下から援助を受けるのを見て、・・・・改宗するであろう。もしも国王陛下の援助で日本66カ国凡てが改宗するに至れば、フェリペ゚国王は日本人のように好戦的で怜悧な兵隊をえて、一層容易にシナを征服することが出来るであろう。」



いよいよイエズス会のアジア戦略の最終目標は極東の中国の征服であったことが次第に明確になってくる。





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宣教事業と植民地化とは、まさに車の両輪のように推し進められていったことになる。




日本に派遣された宣教師らはその基本戦略を遂行すべく、忠実に軍事的観点から報告書を作成し度々マニラやスペイン本国の上部組織に送っていた。


日本に15年滞在したペドロ・デ・ラ・クルスが1599年2月25日付けでイエズス会総会長へ出した書簡には次のように報告されている。


「日本人は海軍力が弱く、兵器が不足している。そこでもしも国王陛下が決意されるなら、わが軍は大挙してこの国を襲うことが出来よう。この地は島国なので、主としてその内の一島、即ち九州又は四国を包囲することは容易であろう。そして敵対する者に対して海上を制して行動の自由を奪い、さらに塩田その他日本人の生存を不可能にするようなものを奪うことも出来るであろう。・・・
このような軍隊を送る以前に、誰かキリスト教の領主と協定を結び、その領海内の港を艦隊の基地に使用出来るようにする。このためには、天草島、即ち志岐が非常に適している。なぜならその島は小さく、軽快な船でそこを取り囲んで守るのが容易であり、また艦隊の航海にとって格好な位置にある。・・・
(日本国内に防備を固めたスペイン人の都市を建設することの利点について)日本人は、教俗(教会と政治と)共にキリスト教的な統治を経験することになる。・・・
多くの日本の貴人はスペイン人と生活を共にし、子弟をスペイン人の間で育てることになるだろう。・・・
スペイン人はその征服事業、殊に機会あり次第敢行すべきシナ征服のために、非常にそれに向いた兵隊を安価に日本から調達することが出来る」



日本の国内事情を知悉したペドロ・デ・ラ・クルスが、はっきりとその軍事的侵略の具体的手順を明示しているだけでなく、ここではその有力な軍事拠点を九州の天草島、志岐を候補として挙げていることに最も注目しなければならない。



これは単なる机上の空論ではなくて、九州天草周辺では実際にこの戦略に沿って重点的に宣教事業が押し進められ強固な組織づくりが成されていった事実がある。


同時にこの地方への軍事物資の補給と備蓄、密かにキリシタン信徒らの傭兵訓練、練兵とが秘密裏に、且つ巧妙に行われていった。



キリシタン信徒によるコンフラリヤ(ConfrariadeMisericordia:信徒集団組織)組織作りが村々に網の目のように根を張っていった。


その結果は後年の天草・島原の大乱として一気に噴出することとなる。


このように、時代を追ってイエズス会の中でやり取りされたいくつかの書簡を見ていくと、これは聖職者というよりはまるで軍人か軍事顧問団の諜報活動と錯覚しそうである。


まさに法衣をまとった戦士であるイエズス会の宣教師の姿が垣間見える部分といえよう。


そしてこれこそは、長崎代官村山等安がイエズス会を「この方法によって日本をイスパニア国王に服従させるため、彼らの教えに従うように説いているのである」として厳しく糾弾していたように、彼らは始めから侵略計画を持って日本へ渡来してきていた事実が浮かび上がってくる。


渡欧した千々石ミゲルとて少年使節としての長い航海のあいだに、中継地であった占領された植民地の様子は自分の目で確認していたことであり、行く先々で日本や中国、朝鮮各地から送られてきた多くの奴隷の境涯に落とされた人々の悲惨きわまる姿にも度々遭遇していた。


当時のミゲル自身はイエズス会が主導する宣教事業というものの実態を知って、少なからず驚愕し打ちのめされた想いであったであろう。


長崎代官村山等安に、日本人奴隷の実態とキリスト教国の日本侵略の野望についてはっきりと伝えたのは棄教した千々石ミゲルであった。


等安自身は、長崎周辺で拡大していくイエズス会のコンフラリヤ:信徒集団組織)勢力に強い警戒感を持っていて、それに対抗すべく穏健な別会派のスペイン系托鉢修道会の布教活動を熱心に支援し続けていた。


これに対して後にローマ留学から帰国した長崎の教区司祭トマス荒木は、むしろ托鉢修道会(フランシスコ会)こそが日本侵略を画策していると異なる意見を等安の息子徳安らに表明して憚らなかった。


もとよりポルトガル船と共に渡来してきたキリスト教宣教師の狙いは、宣教事業の推進と異教徒の駆逐、ないしは奴隷化であったが、彼らはまさしく侵略の尖兵としてアジア地域に送り込まれてきたというべきであろう。


異教徒の奴隷化は彼らの教義に基づくものであり、当時は家畜同様の扱いが当たり前であった。


それ以外にも、彼らにはヨーロッパでは入手できない香辛料や絹織物、生糸、鉱物資源などの貴重産品の調達仲介業や占領地の傭兵要員の確保も同時に課せられていた。


海外遠征が成功して新航路が発見され新しい領土(植民地)を獲得するごとに彼らは、そこでの収奪や奴隷を扱う仲介貿易によってアジア市場でも莫大な利益を上げることができた。



宣教師が関わる仲介取引による直接の利益はもとより、貿易商からの寄付によって宣教活動の多額の経費そのものは維持されていたが、これらには常にローマ教皇の権威と強力な国王の保護権とが行使されていた。


特に日本や中国、朝鮮の奴隷の買い取り値は、西洋地域との価格差が5倍以上もの開きがあり、商人らは各地の奴隷市場においての転売で巨額の差益を得ることができたのである。
宣教事業の拠点として、またアジア最大の奴隷市場がマカオに作られた。






削除されなければ、この稿続く


参考資料:引用文献
「キリシタン時代の研究」高瀬弘一郎著 岩波書店,1977
「インディアスの破壊に ついての簡潔な報告」ラス・カサス著 染田 秀藤訳 岩波書店 1976
「侵略の世界史」清水馨八郎 祥伝社 1999
「近代世界と奴隷制:大西洋システムの中で」池本幸三/布留川正博/下山晃共著 人文書院、1995
「嘘だらけのヨーロッパ製世界史」岸田秀著 新書館 2007
「新・歴史の真実」前野徹著 講談社 2005
「完訳フロイス日本史」(中公文庫) ルイス フロイス (著) 松田 毅一 (翻訳) 川崎 桃太 (翻訳)全12巻
 1 織田信長篇T「将軍義輝の最期および自由都市堺」(中公文庫,2000年1月)
 2 織田信長編U「信長とフロイス」(中公文庫,2000年2月)
 3 織田信長篇V「安土城と本能寺の変」(中公文庫,2000年3月)
 4 豊臣秀吉篇T「秀吉の天下統一と高山右近の追放」(中公文庫,2000年4月)
 5 豊臣秀吉篇U「暴君秀吉の野望」(中公文庫,2000年5月)
 6 大友宗麟篇T「ザビエルの来日と初期の布教活動」(中公文庫,2000年6月)
 7 大友宗麟篇U「宗麟の改宗と島津侵攻」(中公文庫,2000年7月)
 8 大友宗麟篇V「宗麟の死と嫡子吉統の背教」(中公文庫,2000年8月)
 9 大村純忠・有馬晴信篇T「島原・五島・天草・長崎布教の苦難」(中公文庫,2000年9月)
10 大村純忠・有馬晴信篇U「大村・竜造寺の戦いと有馬晴信の改宗」(中公文庫,2000年10月)
11 大村純忠・有馬晴信篇V「黒田官兵衛の改宗と少年使節の帰国」(中公文庫,2000年11月)
12 大村純忠・有馬晴信篇W「キリシタン弾圧と信仰の決意」(中公文庫,2000年12月)

「キリシタン時代の文化と諸相」 高瀬弘一郎著 八木書店 2001
「キリシタン時代の貿易と外交」 高瀬弘一郎著 八木書店 2002
「近代資本主義の成立と 奴隷貿易―――― A 教皇文書と新大陸での実態の吟味 カトリック教会は奴隷貿易を容認したのではないのか」西山俊彦 2003 カトリック社会問題研究所 『福音と社会』 211
「近代資本主義の成立と奴隷貿易―――― B 教皇文書と新大陸での実態の吟味(2) キリスト教化は奴隷化の方便ではなかったか」 西山俊彦著 2004 カトリック社会問題研究所 『福音と社会』 第 212 号
「キリシタンの世紀」高瀬弘一郎 岩波書店 1993 号
「日本及び中国におけるイエズス会の布教方策−ヴァリニャーノの「適応主義」をめぐって− 55 アジア・キリスト教・多元性」 現代キリスト教思想研究会 第3号 2005 狹間芳樹著
「ヨーロッパ≪普遍≫文明の世界制覇 鉄砲と十字架」中川洋一郎著 学文社 2003
「近代資本主義の成立と奴隷貿易」西山俊彦 カトリック社会問題研究所「福音と社会」−教皇文書と新大陸での実態の吟味(2)−4月30日213号 第4回 黒人奴隷貿易が産業革命を惹き起こし、先進諸国の隆盛(と途上諸国の衰退)を もたらしたのではないのか
「日本及び中国におけるイエズス会の布教方策−ヴァリニャーノの「適応主義」をめぐって−55アジア・キリスト教・多元性」 現代キリスト教思想研究会 第3 号 2005 狹間芳樹著
「原城の戦いと島原・天草の乱を考え直す」丸山雍成編『日本近世の地域社会論』85-137頁所収 服部英雄著
「近世日本潜伏キリシタンの信仰共同体と生活共同体」 大橋幸泰著
「歴史物語アフリカ系アメリカ人」 猿谷要  朝日新聞社
「日本切支丹宗門史 」〔著〕レオン・パジェス 訳吉田小五郎 岩波書店
「GHQ焚書図書開封」西尾 幹二 (著)  徳間書店 2008
「近代資本主義の成立と奴隷貿易」西山俊彦 カトリック社会問題研究所「福音と社会」2003年 10月31日 210号 掲載 第1回課題のありか カトリック教会は双方に深くかかわって来たのではないのか
「イエズス会による対日軍事力行使をめぐる諸問題」 高橋裕史 2006



















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2016年06月25日

人間は薬物汚染からはもはや抜け出せないのか!?

知らないでいることは恐ろしい薬物情報

一般にはあまり知られていませんが、日本国内には違法な薬物が沢山出回っています。

さすがに薬物だけにそれなりによく効くようです。

世界一薬好きの日本人から見るとしごく当たり前の現象のようにも思えます。

殆どの薬物は、化学製剤として石油から作られるのです。

巷には沢山のドラッグが溢れ返っていて、手軽に入手できます。

ただし薬物は量を間違えると中毒症状などの重篤な薬害を招きます。

しかも学校でもこうした重要な情報は教えませんから、残念なことですが深刻化することはあっても今後も改善されることはないのだと思います。

まず大人が正確な情報(インテリジェンス)を持たなくてはなりません。

最悪の場合、薬物依存で社会や家庭が次第に崩壊していきます。

タバコ喫煙同様、薬物依存の場合は自己防衛としての個人レベルの認識の問題だけでは済まなくなってきています。

社会全体が薬物一般に対する認識を新たにする必要があります。


2016年06月19日(日) 週刊現代

「うつ病」は薬を売るための病名だった!? 実は投薬のほとんどが無意味だと医者は知っている
「薬漬け社会」のタブーを斬る
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48911





薬物に溺れる若者に密着







薬物中毒者の告白











ドラッグ使用者の衝撃的映像。見るも無残な姿に【ドキュメント】








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2016年01月21日

日本には破壊された古代の風水遺跡がある

中国:多数の地方幹部が風水信じて治水工事を行い処分される(2016.01.20
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中国では風水や占いなどで、新庁舎などの党・政府の建設プロジェクトの規模
や開始時期などを決める幹部が続出しており、「職権を乱用して封建的迷信活動
を行い、党や政府に多大な損害を与えた」として多数の幹部が処分されているこ
とが分かった。



日本のストーンサークルの謎を解く!?

神籠石って、本当に朝鮮式山城なの?
何故、破壊されていったの?


東洋医学史研究会
宇田明男




●神籠石列石とは一体何か?
福岡県久留米市の東方にある高良山高良大社には有名な古代の神籠石がある。


高良山の南側の約1,500メートルにわたり約1,300個の列石が確認されているが、もとは北側にも同様に列石があったと推定されている。


一部にしか残されていないということは、後世破壊されるような状況が出ていたということである。



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破壊されたというより、そこから列石が次々と持ち去られ石材として転用されたということである。


古代の重要な遺物が何故に破壊されたのであろうか?


 神籠石は、福岡県みやま市瀬高町の女山にも同様の大規模な列石が残されている。


神籠石といわれる1m内外のほぼ長方形の石材は、隣の高田町の竹飯の山から切り出され女山の上まで運び上げられたものである。


これらの石材は山の中腹を列石状に取り巻く形で3キロほど整然と並べられており、その規模は九州最大で、これまで列石750個が確認されている。


離れた場所より、大きな石材が人力で延々と運ばれて、このような大規模な列石群が構築された理由とは一体何であろうか。


そしてその背後にある構築に至るエネルギーとは一体どこから生じたのであろうか?


神籠石列石の起源については、定説では白村江(663年)の戦い以降、大和王権によって急遽構築された防衛目的の山城といわれている。


唐新羅連合軍に大敗した倭国が大慌てで構築したものとされているようだが、そのような取って付けた様な辻褄あわせの定説にたいしてはどうしても腑に落ちない部分がある。


当時の北部九州全体が切迫した臨戦態勢状態にありながら、短期間にこれだけ大規模に、それも石材を1つづつ丁寧に加工してまでして延々と列石を並べたというのはまずもって不可解というべきだろう。


いまにも屈強な敵兵が大挙して攻めてくるという緊迫した状況下にあって、軍事基地の要所とされるその山城の工事現場において悠長に切石を1つづつ加工し形を整える余裕があったというのであろうか?


いやむしろおかしいのは、迎え撃つ側が最初からそうした草木の生い茂る山中がその主戦場となるとして決めてかかっていること自体まったくもって不可解というべきであろう。


それこそ防戦一方ということで、始めから貧弱な山城に逃げ込んでの篭城戦をまともに考えていたのかということになる。


そのような想定が定説として大っぴらに通用すること自体、大いに笑える話ではないか。




それだけではない。北部九州各地に点在する神籠石が、列石1段1列という単純な構造では戦闘用の防塁だとしても、これ自体余りにも貧弱で簡略過ぎて話にならない。


それでいて各切石の接合面もぴったりと合うように調整施工されている丁寧さが、どうしても気になって仕方がない。


列石の上部に固めた土を板状に重ねてすっかり土中に埋めて込んでしまう土塁の基礎構造物であれば、個々の切石の形をあれほど丁寧に加工する必要はなかったのではないか。


そのように考えると、当初から外部に露出したままの列石そのものが本来の神籠石の姿ではなかったのではないかと推測されてくるわけである。



列石の規模を水平方向に長く延長していく、それも数キロから数百メートルにもわたって山腹を大掛かりに取り巻くといった列石の形状は、いわゆる実戦的な朝鮮式山城の構造とは本質的に異なるのではないだろうか。


防塁や城砦にしては、列石の横方向の規模が余りにも長過ぎる。
自ら防戦ラインを山腹全体にまで平面的に延ばしてしまってどうするのだということだ。


防戦目的の防塁なら、もっと上方向に石組みを積み上げて城壁そのものを構築すべきだろう。


神籠石列石というように、その構造自体は平面的に切石が帯状(横方向)に並べられたものであって、積み重ねられた石垣が主体の立体的な城砦構造物ではないということにより注目すべきであろう。


もっとも、単純に強固な防塁壁、城砦とはいえないところが、いまだに神籠石列石の評価を惑わす理由になっていることは否めないところである。


形だけの防塁列石だといえば、一応そのようにもみえる。


何らかの仕切り石、境界線ともとれる単純な構造なのだ。


このあたりを考えていくと、九州の神籠石の機能目的は別のところにあったのかも知れないし、その構築時期についても定説よりはるかに古く、その時期は弥生時代まで遡るのではないかとも考えられる。



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もっと厳密にいえば、神籠石列石そのものは大和政権下ではなく、古代九州王朝が独自の風水によって構築したものであり、それも軍事的な一種の防衛ラインを想定した祭祀性の強い構造物ではなかったかと当方は想定している。




●古代風水術の影響を考える
古代中国から伝わった風水自体は人工的構造物を適切に配置して、王城や居住地の地気、龍脈の流れを整える古代の高度な土木技術とされる。


多分に道教的影響があるのであるが、特徴的なことはこの風水術では短期間の突貫工事的発想はまったく通用しないことである。


王朝の命運をも左右するということで、風水術を実際に実施するには相当期間の準備作業が必要とさ、厳密かつ精緻な作業工程があった。
現代人には理解できないであろうが、古代の風水術は国事に直結した重要事項であった。


かって秦の始皇帝の時代、万里の長城を構築する際に誤って防衛ライン上の重要な大地の龍脈を破壊したため処刑された将軍がいたほどである。



大地には地脈ともいうべき龍脈が走っていて、その流れを調整することによって磐石の王都防衛ラインを構築することが出来ると信じられていた。


古代中国の歴代の王都建設には、すべてこの風水術が施されていた。
大陸側と交流を持つ当時の為政者がそうした風水をまったく知らなかったとはいえまい。


むしろ大陸文化の影響下にあった古代九州王朝は逸早くそれを見習ったということなのだ。


風水術の発想からみれば、九州の神籠石列石群は重要な王宮などを守る防衛施設であった可能性が浮かび上がってくる。


それらがすべて軍事的な王都防衛ラインと考えると、神籠石列石の本来の規模は現在残されているものの3,4倍以上はあったのではないかとも考えられる。


白村江の戦い以降、大和王権によって急遽構築された防衛目的の山城といわれている神籠石列石は、その時点を機にしてまったく逆の軍事的理由によって破壊転用され始めたとも考えられるのである。


つまり神籠石列石の転用によって構築されたのが後の朝鮮式山城というわけである。


朝鮮式山城の切石が神籠石列石の転用であれば、混同されても致し方ないというところであろうか。




●神籠石列石は誰が構築したのか?
風水術自体は壮大な古代の都市計画の根幹を支える軍事的な兵法として活用されたものであるが、為政者による古代の重要な方術として捉えることが出来る。


実際にそれを実施するにも強大な権力がなくてはならないはずである。
九州の地においてそれが出来る軍事的統率力を持っていたのは渡来系の物部氏である。


神籠石と物部氏に何らかの関連性があるとすれば、軍事的構築物という意味合いがより強くなってくる。


物部氏族は古代の北部九州において、その発祥の足跡をはっきりと残している。


北部九州の各地にその伝承遺跡がいくつも残されていることからみても、その当時強大な勢力圏を持っていたことが浮かび上がってくる。


物部氏族と神籠石列石との関連性は、ここで実際に九州の神籠石列石の所在地点と古代の物部氏族の根拠地とを重ねて比較検証すれば明白となる。



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(地図上のは神籠石の所在地・は新しい山城の所在地、1から16の各番号は古代物部氏族の根拠地を示す)


1.物部郷
2.物部布都神社
3.物部若宮神
4.筑紫聞物部
5.二田物部
6.二田物部
7.物部社
8.馬見物部
9.物部山国社
10.物部首古志売等
11.物部首猪手売
12.物部婢売
13.物部宿奈売
14.物部田中神
15.物部阿志賀野神
16.磯上物部神







神籠石の所在地と物部氏族の分布状況は、地図上で見る通りその位置関係が見事に合致している。


物部氏族は古代において軍事とその祭祀部門全般を司っており、常にその中心に位置していた大きな氏族集団であった。


ここでも古代の物部氏族と神籠石との関連性は、呪術や祭祀を通してより濃厚なものとなってくる。



むしろ物部氏族特有の軍事と祭祀性を背景にして神籠石列石が構築された可能性が高くなってくる。


列石そのものは、古代のは軍事上の防衛ラインであり、風水術による構造物であったということである。


そうであったから列石構造物は後世、次第に破壊されていったのである。




●神籠石列石は何故破壊されたのか
何故、重要な軍事的構造物である神籠石列石は 壊されていったのであろうか。


列石が造られた理由と同様に、ここでは破壊されていった理由も解き明かされなくては意味は無いであろう。


その理由は単純である。
後世、神籠石自体は、いわゆる「軍事的な防御機能」が次第に失われていってしまったであろうことは否定できない。


軍事的にも必要で無くなったのである。
単純な構造からいえば、始めからその「軍事的な防御機能」が希薄過ぎたとみるべきかも知れない。


これは軍事的、祭祀的な本来の機能目的が変化したことが背景にあるのではないか。


結果的にはある時期になって、神籠石列石は無用の長物となってしまったということである。


言い換えれば、付随していたであろうその祭祀性そのものの変遷によって、神籠石の本来の防御機能が失われるような事態が後世に出来したということである。




現代のわれわれが、神籠石本来の機能目的が一体何なのかという重要な部分が不明なのと同様に、古代においても神籠石列石は過去の遺物とみなされるようになってしまったということではないか


まず第一に、これだけ大規模な一連の列石構造物構築に関する経緯そのものが、肝心の記紀や史書に直接触れられていないのは不可解というべきだろう。


ここらは、銅鐸信仰と同様である。
それこそ神籠石列石は、後世の大和王権によって一部は山城構築に転用されるか破壊された可能性が高い。


もとより征圧した王権の防衛ライン(風水構造物)を保存維持する意味などないわけである。



神籠石列石は、次々と破壊され土木資材として転用されていった。


こうした後世の破壊や石材の転用がなかったら、神籠石列石は現存するものをはるかに超える大規模なものであった可能性も当然出てくるはずである。


それでなくても、後世神籠石は寺社建立や戦国時代の築城、河川の治水や土木工事用の石材としてさかんに持ち出され破壊が進んでいった。


もはやどこからみても軍事的に有用なものとは考えられなくなってしまっていたわけだ。


穿った見方をすれば、最初から軍事に活用できるような機能性をもった堅牢な構造物という認識を、後世の為政者はまったく持ち得なかった。
ただ、山中に点在する物部氏族の祭祀用の過去の巨石構造物でしかなかったのだ。


20世紀の戦後でさえ埋蔵文化財保護法制定以前は、開発に伴うこれらの神籠石列石の破壊行為や転用を止める手立てがなかったのは事実である。(地元郷土史家談)


神籠石列石そのものは、本来の姿どころか、そのほんの一部分が遺されているとしか言いようがない。


ましてや神籠石列石が防戦上の構造物などとは、現代でさえも考えにくいところである。




●神籠石のさらなる祭祀性を問う
神籠石列石は、古代の呪術が信奉されていた時代の遺物であろうことは、容易に察しがつくところである。


それは列石自体は古代のハードウェアであって、古代の呪術はソフトウェアという考え方である。


どちらか一方が欠落すると、まったくその機能目的が成立しないというのが工学的な捉え方ということになる。


肝心の古代のソフトウェアが分からなければ、どこまでいっても神籠石列石はただの石材でしかない。


だからここでは、神籠石列石を構築して運用した主体がどこの誰であるのかをまず問うべきだと考える。


その主役はもちろん古代北部九州の豪族、物部氏族であることは確かであろう。


古代より物部氏が軍事の棟梁として、軍神を祭っていた。
もとより城砦の構築、武具(もののぐ)の調達、武人(もののふ)の練兵や戦時の指揮も司った。


古代九州でさえも、いくつもの戦国時代を経てきている。


神籠石列石を考える上でも、そうした認識がどうやら欠落しているようである。


しかもここから先は文化人類学的考察を加味していくと、さらに面白い展開が出てくることになる。


古代の戦においても常に呪術は付きものであった。
戦には、戦のための呪術があって、出陣の際の儀式として祭祀も行われた。


これは後世の戦国時代であろうと、先の大戦の出陣式とて兵士らの戦意高揚の手立は同様である。


戦地に赴く覚悟と戦意、大和魂の注入が必須なのである。


まず兵士の頭数と武具とがすべて揃ったとしても、すぐに戦士として一撃必殺の戦闘力が備わるわけではない。


「もののふ」には肝心の「もののけ(武の気)」が体に憑かなければ本物の戦士にはならないのである。


勇敢に戦う戦意が、まず必要なのだ。もとより、腑抜けには戦は出来ないということだ。


こうした呪術や古代のシャーマニズムを背景として考えていかないと、単純にはこの古代遺跡の謎は解けてはこない。


戦時には、武人(もものふ)の体に武の気(鬼神)が憑くのである。


武の気が憑いているから、武人には敵対する相手を怯むこと無く殺傷するという戦意や勇猛さが戦闘力として備わるわけである。


この辺りの感覚は平和ボケのいまの現代人には分からないであろう。
平常心の人間にはやたら人は殺せないし、いきなり戦闘開始状態にはなれないのである。


どこかで頭のスイッチが切り替えられなくてはならないのである。


異常なアドレナリン充満の状態か、平常心を失うか、狂気のもとでなければ命の遣り取りを強いられる戦場には臨めないであろう。


今風にいえば軍事的、宗教的イニシエーションで洗脳されるか、専門の徹底した軍事教練が必要ということである。



現代の紛争地域の戦闘では、戦闘員に麻薬などの薬物も使われている。




●普遍的な古代呪術の背景を問う
「戦闘中は、兵隊はみな気違いになるとですよ。そげんならんと人は殺せんですよ」
と、軍隊で壮絶な白兵戦の経験のある老人から何度も聞かされたことがある。



多くのお年寄りと接する職業柄そうした戦時中の話を度々聞くのであるが、まさに鬼気迫る実体験ばかりである。


戦闘中は、兵士はまさしく鬼と化していたということである。


ここで逆の展開としていえることは、奮い立った武人も一旦その武の気(もののけ)が落ちてしまえば戦意はたちまち消え失せてしまうわけである。


古代においてそうした軍事に付随したシャーマニズム、呪術があったことは否定できない。


もののけを体に取り付かせたり、取り除いたりする戦時のシャーマニズムが古代世界には存在していたわけだ。


取りも直さずそれは、戦士も特定の神域に入れば、ものの気が落ちるという呪術も当たり前の事として信じられていた古代の一時期があったということである。


そうした祭祀性が背景にあったからこそ、呪術による大規模な神籠石列石が構築されたのだ。


むしろこうした祭祀性がなかったのであれば、大規模に列石が構築される理由もなかったのではないか。





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神籠石の列石で囲まれた領域は、そうしたおぞましいものの気を落とす特殊な防衛ラインとしての神域なのである。


一旦神域に踏み込めば、武人の体に憑いていたものの気が落ちてしまうという呪術特有の単純すぎる普遍的な考え方である。


それこそ古代の風水的、祭祀的防衛ラインそのものなのだ。


同じように古代中国では、「兵害を免れる」として、五月五日に五色の糸を肘に結ぶと「兵の鬼気(ものの気)を避ける」という道教的呪術があったことが知られている。


攻め込んでくる敵兵には死神が憑いていて鬼気(ものの気)を帯びていると考えられた。


そのようなとき身を守る呪術があれば敵には殺傷されることはないと信じられていた。


兵禍を避けるには、前もって決まった時に決まったことを呪術として手順通りにやっておくことが必要とされていた。


これが古代に通用した普遍的な呪術であり、古代の方術の基本的考え方なのだ。


これを古代の原始的な「呪能」信仰というのである。
これを現代人が笑うことは出来まい。


人間はその時代に応じて、普遍的に信じ込んでいる部分があるわけであって、誰もがそうした一見騙しにも似た事象にさえ単純に惑わされてしまうのである。


つまりこうした呪術が効力を発揮した時代の遺物という認識に立てば、神籠石列石そのものが決して後世7世紀の構造物であるはずもなく、さらには朝鮮式山城と特定してしまうことがいかに早計であるかが理解されてくるはずである。


古代には古代人の当然の理屈があるということである。


それがいかに単純であり、無意味なことであったとしても現代人が笑うことは出来ないのである。   















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posted by モモちゃん at 09:40| 歴史の盲点 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月02日

歴史的事件には毒殺が関わっている

夫の酒に毒 別居妻を殺人未遂容疑で逮捕 宇都宮

産経新聞 12月1日

夫を毒殺疑い、67歳女逮捕=直前に結婚、遺体から「青酸」―他にも不審死・京都:2014年11月19日




似たような毒による中毒死や自然毒を使った事件というのがある。

随分昔のことであるが、山菜と間違えてトリカブトの葉を味噌汁の具にして一家が中毒死するという事件があった。

近年にも東京の中華料理店の店主が、送られてきたトリカブト入り「葛餅」を食って中毒死するという事件があったし、保険金目的に妻をトリカブトで毒殺したとか、昨年京都では結婚直後に夫に青酸カリを飲ませていたというような忌まわしい事件もあった。

青酸毒は人体の呼吸中枢を麻痺させるらしい。

青酸毒を盛られれば速やかに窒息死することになる。

自然界の毒物として知られるトリカブトという植物の根は、加工されて「附子」として漢方薬の処方や毒矢にも使われる。

アルカロイド系(アコニチン)の猛毒が含まれるだけに当然取扱には注意がいるわけである。

自然界にはこうした猛毒が存在する。

テレビかなんぞのサスペンス物か推理ドラマを彷彿させる毒殺事件ではあるが、これもテレビドラマの「警部コロンボ」を見ていたら、河豚毒(テトロドトキシン)をワインに混入させている場面があり、これもひそかに毒殺を謀ったものであった。

自然界にある毒物を使っての殺人は有史以前から随分あったわけで、中国では古来よりもっぱら鴆毒が使われた。

前漢時代、高祖(前漢の創始者・在位前202‐前195)の妻である呂后が、高祖と威婦人との間にできた趙王を殺すのに鴆毒が使われたという。

霊帝(在位167‐189)の后である何皇后が、帝の愛妾を鴆毒を使って殺させた。

鴆毒は中国の歴史書にも度々登場する有名な毒物であるが、日本人にはあまり知られてはいないようだ。

鴆毒自体は投与されると微量であっても命を落とすのだという。

通常鴆毒といえば暗殺に使われるわけで、その際には鴆酒として登場する。

鴆酒の作り方はしごく簡単である。

これは毒鳥といわれる鴆という鳥の羽を酒に浸して数回掻き回すだけで簡単に出来上がるという。

これを飲んだ者は、当初黄疸のように体が黄色くなるということからみれば、まず肝機能が冒され、さらに五臓六腑のすべてが爛れて終には死に至るとされる。

服毒すれば確実に多臓器が機能しなくなる。

何でも鴆にはそれほどの猛毒があるということで古来から恐れられていた。

古い記録では『養老律令』(757年(天平宝字元年)に記述があることからみれば、日本にも大陸から持ち込まれた可能性は極めて高いと思われる。

事例としては『太平記』に、足利直義が恒良親王に鴆毒を薬と偽って飲ませ暗殺したとある。

おそらく戦国時代まで使われていたであろう形跡がある。


これだけ有名な毒物であるのだが、この鴆という毒鳥の実態は古代よりその存在が曖昧であったのだ。

鴆という固有名詞や漢字があるのだから実際に生息していたのであろうが、どんな鳥なのか残念ながら小生は見たことはない。

中国の『三才図絵』や『本草綱目』あたりにその絵図は紹介されていると思うが、何でも広東省や江西省に生息しているキジ科の鳥で、形は鷹に似ていて首の長さは七〜八寸、くちばしは赤く首は黒いということである。

肉にも猛毒があるといい、その食性は蛇を好物にしていて、獲物の蛇が石垣の間などに逃げ込むと、それを引き出すのに石垣に糞を引っ掛けて石を砕くという。

本当にそのような鳥が生息しているのか疑問であろう。

蛇食い鳥の一種であろうか、そう聞くだけで何とも恐ろしげな怪鳥にみえてくるではないか。

実は鴆という鳥は中国の古い史書や文献には随所に登場するが、本当に実在していたのか疑問視されてきた毒鳥なのである。



それまでこの恐ろしい毒鳥は人々に忌み嫌われ、見つかり次第殺されてきたということで、中国大陸では相当早い時期に絶滅したとされていたわけである。

今でいう絶滅種であり、貴重動物ということになる。

おいおい、毒鳥が貴重な絶滅種とは何だということになってくる。

そうなると、いよいよ架空の鳥だろうということになってくる。

ところが、羽に毒がある鳥は架空の生き物ではなく20世紀末になってニューギニアの森林地帯で偶然発見されのだ。

それも権威ある科学誌「サイエンス」に大きく取り上げられた(写真参照)。



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つまりこうした事例が出てきたことによって、古代中国大陸にこの種の鴆なる毒鳥が実在していたことの信憑性は一気に高まったというわけである。

歴史上の毒薬として再認識されるに至ったわけである。


歴史上有名な暗殺目的の毒薬ということでは、「ボルジア家の毒薬」というのが西洋ではことのほか高名である。

確かそういう題名の西洋映画が随分前にあった。

チェーザレ・ボルジアが登場し、彼が手にする毒薬は確か「カンタレラ」という名前であった。

名前から察するに恐らくカンタレルスが含まれているハンミョウという昆虫毒が使われていたか、もしくは猛毒の砒素が主成分だったのかもしれない。

とにかく、この毒薬が権勢欲の渦巻くルネッサンス時代の暗黒の世界で度々暗殺に使われた。

自然界の昆虫毒といえばまずハンミョウであるが、これは江戸時代薬種商が薬剤として扱っていて砒石(ヒ素を含む)などと同様に劇薬として販売先をいちいち確認していた。(これらは漢方薬としてもっぱら水腫の治療に使われていた)

当時、本当にハンミョウの毒などを使って夫の毒殺をたくらむ女房もいたらしく、そうした逸話も残っているし、巷では密かに財産を狙っての毒殺事件も少なくなかったようである。

一例をあげると、江戸時代に書かれた『道徳塗説』に出てくる話がそれにあてまるようだ。


下谷の源助店の長助という独り者は、ある日深川八幡の富籤を一枚買った。

現代の自治宝くじと思ってもらえばいい。これがなんと一等百両に当たった。

百両がどれほどの価値があったか気になるところであるが、当時1両あれば家族4人が1ヶ月間裕福に暮らせるだけの貨幣価値があった。

現代で言うなら1両が4,50万円ほどなのかもしれない。

いや2,30万もあれば田舎なら結構やっていけるかなとなる。

これが百両であるから、現代なら数千万の貨幣価値は十分あったことになる。

当時であれば、一般庶民が絶対に目にすることのできない金額である。

ということで、生まれてはじめて百両もの大金を手にした長助は飛び上がって喜んだ。

長助は百両のうちまず二十両をしきたりどうり神社に奉納した。

二日目、六十両を町役の大家に預けて、やっとどうにか落ち着くことができた。

三日目、残りの二十両を持って出掛け、仲間内の借銭、義理もすませた。そしてこの日浅草まで足をのばして、日ごろ口にしたこともないような御馳走を鱈腹食って長屋に帰ってきた。

残りの三両を神棚に上げてその晩はぐっすり眠ったのであるが、夜中にいきなり叩き起こされた。

「百両、そっくり出してもらおうか」と、押し入った三人の賊に長助は短刀を突きつけられたのである。

実はこれこれしかじか、残りの三両は神棚に、と長助は震えながら答えた。

たったの三両ときいて賊たちは拍子抜けしたが、土間近くに置かれていた祝い札の付いた上等の角樽が目に入った。

三両を仲良く山分けしたあとで賊たちは祝杯を上げることにし、その酒を残らず飲み干してしまった。 

翌朝、大騒ぎになった。

長助の長屋近くの路上で風体人相のよくない男達が、三人冷たくなって転がっていたからである。

間もなく長助は助け出された。

そして肝心の角樽の酒が毒入りであったことも判明した。

この角樽は源助店の大家からの到来物であった。

この結果調べが進み、長助から預かった六十両を着服しようとくわだてた大家のたくらみと知れたわけである。

直ちに大家は補縛され入牢、長助は町内預かりとなったという。



一般庶民でもこんな具合であったから、大名家や古代の王宮では毒殺を恐れて常時お毒味役が傍に控えていたらしい。

これもキムタク主演の時代劇があった。

それでもときには巧妙な方法で毒殺される危険性はあった。
ローマ皇帝ネロが暗殺した異母兄弟のブリタニクスの場合などがその好例である。



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豪華な食事の席でブリタニクスが好きなスープが出された。

傍に控えていた毒味役の奴隷が試食した後に、その湯気の立つスープ状の飲物をブリタニクスに差し出すと(猫舌の彼は)まだ熱かったので、顔をしかめて再び奴隷の手に戻した。

この一瞬に素早く毒物が混入されたのである。

少し間を置いてそのスープ皿はブリタニクスに渡されて、彼はそのまま口にした。

しばらくしてから、ブリタニクスは食事中にいきなり持病の癲癇発作に紛らわしい倒れ方をしてその場で悶死したという。

ネロは、素知らぬ顔でそれを傍観していたのである。

日ごろから用心深く対応している者でも一瞬の隙を衝かれれば、ブリタニクスのようにあっけなく命を落とすことになる。


フランスのブルボン王朝の祖となったアンリ四世は毒殺を恐れて、いつも自分でセーヌ川に水を汲みに行き自炊で卵をゆでていたという。

王様が自炊するとは何事か。


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というのはアンリ四世は毒殺未遂事件も含めて生涯に十七回も暗殺の危険にさらされたというから、安易に毒味役を置くなどという悠長なことはしておられなかったのである。

とにかく身の安全を考えると、まず自分が口にする食べ物の安全性を充分に確かめなくてはならず、細心の注意を払いながら自前で不慣れな調理もやっていたということである。


こうみてくると、まず食いしん坊やグルメ嗜好の美食家は王座に長く座り続けることは無理というものである。

権力者は、そうした権力の座にながく居続けることは実に大変なことである。

あの有名な英雄ナポレオンもセント・ヘレナ島で、最後は毒殺されてあえ無く終わったのである。

有名なイギリスの科学雑誌『ネイチ ャー』に発表されたところによると、残されていたナポレオンの頭髪には常人の十三倍の砒素が含まれていたことが確認されたということであった。

だが、20世紀後半になって次々と新説が現れて最近の歴史学者の研究によると、ナポレオン毒殺はそれまでの定説とは異なり政治的なものではなく、意外にもナポレオンの人妻との不倫が背後に絡んでいたという異説も出てきて、ここらは最後まで英雄的?であったというわけだ。──



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昔から中国では猛毒の砒素を医療分野で使って、難病の白血病の治療を行っていた。

これに注目したアメリカの癌センターが砒素をベースにした薬剤を急性前骨髄性白血病に投与したところ非常な好成績を上げたということで、現在米国では白血病の治療薬として承認されている。

これと繋がるのかどうか分からないが学生時代、症候概論担当の教授(医学博士)から、微量の砒素の投与は小児期の虚弱体質を改善し免疫力を強化する働きがあるということを聞いたことがある。

やはりトリカブト,ハンミョウ同様、毒も使いようということであろうか。


























denden














ラベル:トウゴマ毒殺
posted by モモちゃん at 14:24| 歴史の盲点 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月14日

すべからく科学技術は国防に資する

科学は人類を幸福にするためにあるわけではない




美術全集を見ていたら、風刺画家のドーミエの作品に「科学者の 妄想」というのがあった。
それには累々と横たわる死体を眺めて、 にやりとほくそ笑んでいる科学者らしき一人の男の姿が描かれていた。


科学者が大量殺戮を夢想しているという、ドーミエらしい洞察の本当の背景は知る由もないが、当時も戦争の手段として近代的な兵器開発が彼らの手によって進められていたことは疑いようのない事実であったろう。


最先端科学の需要の多くが軍事産業であることは現代の世界的コ ンセンサスであろうと思うし、かっての日本もその例外ではなかった。
明治時代にドイツ医学が幅を利かしたのも当時の政府が軍陣医科学の早急な導入を目指したがためであった。


当然、この当たりを勘案すれば伝統的皇漢医学では当時の富国強兵の施策には馴染まないのは誰の目にも明らかであったろう。
いまのような平和な状況にあれば、国民一般の東洋医学指向は多少強くなるであろうことは頷けるところである。


今後は国内治安が急速に悪化すればたちどころに軍陣医科学が幅を利かすであろう。


まあそれはそれで妥当なことであろうと思うが、 これまで医学をも含めて科学技術は決して個人のものではなくて、 常に国家機関のコントロールがなされるものであった。


要するに「すべからく科学技術は国防に資する」という軍国主義的大義名分が幅をきかせていたわけである。


太平洋戦争中の細菌部隊や化学兵器部隊の存在が明らかになってくるに従って、多くの第一線の科学者らがそうした作業に強制的に関係を持たされていたことがわかる。


科学には確かに真理追究のロマンがある。 
今世紀初頭ドイツの科学者の中には宇宙に向けてロケットを打ち上げる夢をもって地道な研究を続けていた学者グループがあった。


これに目を付けたナチス・ ドイツは、新兵器に転用できる科学技術としてロケット研究を高く評価した。


そして瞬く間に無人爆撃機、さらにはV2号ロケットへと作り替 えていったわけである。
ヒットラーの期待に応えて、完成したV2号ロケットは次々とロンドン市内に打ち込まれ英国市民を震え上がらせた。


このロケットには画期的な姿勢制御装置(ジャイロ)がすでに搭載されていた。


ドイツ敗戦時、連合国側のアメリカとソ連の軍隊はこのV2号ロ ケット施設を競って接収した。
ここで工場設備はもとより、開発や製造に従事した科学者や技術者6千人を拘束しそれぞれの国に移送したのである。


大戦後判明したことであるが、当時のドイツの科学技術水準は他国を大きく引き離していたわけで、皮肉にもその後の米ソの宇宙競争を支えたものは、まさにヒットラーの遺産ともいうべきこれらの先端科学技術であった。


同じように日本軍の細菌兵器データはアメリカ国防省が戦後すべてを掌握した。
当然のことながら、科学技術というのは開発過程において莫大な時間と経費がかかる。


それらの資金を得るためには、補助金や研究開発をバックアップしてくれるスポンサーが必要になる。


欧米にはそうした背景が伝統的にあったから、王侯貴族のもとでの詐欺まがいの錬金術でさえ盛んに行われた。


イタリア・ルネッサンス時代の巨匠といえば、「モナリザ」の作者であるレオナルド・ダ・ヴィンチが有名であるが、彼は優れた芸術家であるだけでなく、建築、 自然科学、解剖学、天文学、機械工学、さらに地理学や数学まで幅 広い分野にわたって卓越した才能を発揮した。 reo


ダ・ヴィンチは二万ページに及ぶ研究ノートを書き残したが(三分の 二は散逸した)、その中ではすでに自動車や自転車、飛行機、ヘリ コプター、ボールベアリング、変速機、歯車といったものを考え出していたことでも知られる天才的科学者でもある。


しかしその彼でさえも自分を王侯に売り込み、有力なスポンサー を得るためには手段を選ばなかった。


ミラノ公、ロドビエ・スフォ ルツァにあてた手紙には、大量殺戮兵器の設計を示唆しながら、「兵器の大家、設計者と自負する人のものはありきたりである。私はいろいろな兵器が作れるから一度会っていただきたい」と、殺人兵器の開発に貢献できることに言及して巧みな就職活動をやっている。


事実彼の残した設計図の中には、馬車に回転する刃を装備して走りながら敵兵を切り倒すものや三段式連射砲、無数の大砲を装備した戦車などもある。


さらには水を入れた巨大なフラスコをレンズにして 太陽光線を集め、一度に多数の敵兵を焼き殺す光線兵器のアイデアも詳細に記録している。


その驚くべき発想には、皮肉にも近代の殺戮兵器をも彷彿とさせるほどの空恐ろしさが伴うものであった。

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20世紀アメリカの原爆開発(マ ンハッタン計画)にしても二十億ドルの莫大な経費と十三万人もの科学技術者が短期間に投入されたわけである。
 

莫大な経費の掛かる不毛の兵器開発は結局この原爆というものに集約されるわけであるが、核実験が国際世論からいかに非難されようと、国防というスタンスが現実に存続する以上今後もどこかで強行されるはずである。


かってアメリカのネバダ州で初めて核実験が成功したとき、あのオッペンハイマー博士はわが手を見つめて「これで私も死神になった」と呟いたという。


科学者は常に死神の最も近くに立っていることを肝に銘ずるべきであろうし、常にそうした道義的責任を持つべきである。
古代の宗教儀式では、神に差し出す生け贄として時には人の命が奪われることがあった。
 

これは豊饒という人間の飽くなき欲求のうちに、さ さやかな生け贄が用意されたわけであるが、これを野蛮というべきか否かは問題ではない。


人間の営みのうちに、必然的に犠牲者があることは事実であるし、 科学という恩恵のうちにも人類は大変なリスクを背負っている。



人々が科学に対して過剰な希望と幻想を託すことは、本当は怖いことでもあるのだ。



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    ラベル:軍事大国
    posted by モモちゃん at 09:52| 歴史の盲点 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2015年02月05日

    日本の巨石文化遺産は破壊された

    日本のストーンサークルの謎を解く!?

    神籠石って、本当に朝鮮式山城なの?
    何故、破壊されていったの?


    東洋医学史研究会
    宇田明男




    ●神籠石列石とは一体何か?
    福岡県久留米市の東方にある高良山高良大社には有名な古代の神籠石がある。


    高良山の南側の約1,500メートルにわたり約1,300個の列石が確認されているが、もとは北側にも同様に列石があったと推定されている。


    一部にしか残されていないということは、後世破壊されるような状況が出ていたということである。


    破壊されたというより、そこから列石が次々と持ち去られ石材として転用されたということである。


    古代の重要な遺物が何故に破壊されたのであろうか?

    神籠石・福岡県久留米市 神籠石は、福岡県みやま市瀬高町の女山にも同様の大規模な列石が残されている。


    神籠石といわれる1m内外のほぼ長方形の石材は、隣の高田町の竹飯の山から切り出され女山の上まで運び上げられたものである。


    これらの石材は山の中腹を列石状に取り巻く形で3キロほど整然と並べられており、その規模は九州最大で、これまで列石750個が確認されている。


    離れた場所より、大きな石材が人力で延々と運ばれて、このような大規模な列石群が構築された理由とは一体何であろうか。


    そしてその背後にある構築に至るエネルギーとは一体どこから生じたのであろうか?


    神籠石列石の起源については、定説では白村江(663年)の戦い以降、大和王権によって急遽構築された防衛目的の山城といわれている。


    唐新羅連合軍に大敗した倭国が大慌てで構築したものとされているようだが、そのような取って付けた様な辻褄あわせの定説にたいしてはどうしても腑に落ちない部分がある。


    当時の北部九州全体が切迫した臨戦態勢状態にありながら、短期間にこれだけ大規模に、それも石材を1つづつ丁寧に加工してまでして延々と列石を並べたというのはまずもって不可解というべきだろう。


    いまにも屈強な敵兵が大挙して攻めてくるという緊迫した状況下にあって、軍事基地の要所とされるその山城の工事現場において悠長に切石を1つづつ加工し形を整える余裕があったというのであろうか?


    いやむしろおかしいのは、迎え撃つ側が最初からそうした草木の生い茂る山中がその主戦場となるとして決めてかかっていること自体まったくもって不可解というべきであろう。


    それこそ防戦一方ということで、始めから貧弱な山城に逃げ込んでの篭城戦をまともに考えていたのかということになる。


    そのような想定が定説として大っぴらに通用すること自体、大いに笑える話ではないか。




    それだけではない。北部九州各地に点在する神籠石が、列石1段1列という単純な構造では戦闘用の防塁だとしても、これ自体余りにも貧弱で簡略過ぎて話にならない。


    それでいて各切石の接合面もぴったりと合うように調整施工されている丁寧さが、どうしても気になって仕方がない。


    列石の上部に固めた土を板状に重ねてすっかり土中に埋めて込んでしまう土塁の基礎構造物であれば、個々の切石の形をあれほど丁寧に加工する必要はなかったのではないか。


    そのように考えると、当初から外部に露出したままの列石そのものが本来の神籠石の姿ではなかったのではないかと推測されてくるわけである。



    列石の規模を水平方向に長く延長していく、それも数キロから数百メートルにもわたって山腹を大掛かりに取り巻くといった列石の形状は、いわゆる実戦的な朝鮮式山城の構造とは本質的に異なるのではないだろうか。


    防塁や城砦にしては、列石の横方向の規模が余りにも長過ぎる。
    自ら防戦ラインを山腹全体にまで平面的に延ばしてしまってどうするのだということだ。


    防戦目的の防塁なら、もっと上方向に石組みを積み上げて城壁そのものを構築すべきだろう。


    神籠石列石というように、その構造自体は平面的に切石が帯状(横方向)に並べられたものであって、積み重ねられた石垣が主体の立体的な城砦構造物ではないということにより注目すべきであろう。
    神籠石・福岡県久留米市
     もっとも、単純に強固な防塁壁、城砦とはいえないところが、いまだに神籠石列石の評価を惑わす理由になっていることは否めないところである。


    形だけの防塁列石だといえば、一応そのようにもみえる。


    何らかの仕切り石、境界線ともとれる単純な構造なのだ。


    このあたりを考えていくと、九州の神籠石の機能目的は別のところにあったのかも知れないし、その構築時期についても定説よりはるかに古く、その時期は弥生時代まで遡るのではないかとも考えられる。


    もっと厳密にいえば、神籠石列石そのものは大和政権下ではなく、古代九州王朝が独自の風水によって構築したものであり、それも軍事的な一種の防衛ラインを想定した祭祀性の強い構造物ではなかったかと当方は想定している。




    ●古代風水術の影響を考える
    古代中国から伝わった風水自体は人工的構造物を適切に配置して、王城や居住地の地気、龍脈の流れを整える古代の高度な土木技術とされる。


    多分に道教的影響があるのであるが、特徴的なことはこの風水術では短期間の突貫工事的発想はまったく通用しないことである。


    王朝の命運をも左右するということで、風水術を実際に実施するには相当期間の準備作業が必要とさ、厳密かつ精緻な作業工程があった。
    現代人には理解できないであろうが、古代の風水術は国事に直結した重要事項であった。


    かって秦の始皇帝の時代、万里の長城を構築する際に誤って防衛ライン上の重要な大地の龍脈を破壊したため処刑された将軍がいたほどである。



    大地には地脈ともいうべき龍脈が走っていて、その流れを調整することによって磐石の王都防衛ラインを構築することが出来ると信じられていた。


    古代中国の歴代の王都建設には、すべてこの風水術が施されていた。
    大陸側と交流を持つ当時の為政者がそうした風水をまったく知らなかったとはいえまい。


    むしろ大陸文化の影響下にあった古代九州王朝は逸早くそれを見習ったということなのだ。


    風水術の発想からみれば、九州の神籠石列石群は重要な王宮などを守る防衛施設であった可能性が浮かび上がってくる。


    それらがすべて軍事的な王都防衛ラインと考えると、神籠石列石の本来の規模は現在残されているものの3,4倍以上はあったのではないかとも考えられる。


    白村江の戦い以降、大和王権によって急遽構築された防衛目的の山城といわれている神籠石列石は、その時点を機にしてまったく逆の軍事的理由によって破壊転用され始めたとも考えられるのである。


    つまり神籠石列石の転用によって構築されたのが後の朝鮮式山城というわけである。


    朝鮮式山城の切石が神籠石列石の転用であれば、混同されても致し方ないというところであろうか。




    ●神籠石列石は誰が構築したのか?
    風水術自体は壮大な古代の都市計画の根幹を支える軍事的な兵法として活用されたものであるが、為政者による古代の重要な方術として捉えることが出来る。


    実際にそれを実施するにも強大な権力がなくてはならないはずである。
    九州の地においてそれが出来る軍事的統率力を持っていたのは渡来系の物部氏である。


    神籠石と物部氏に何らかの関連性があるとすれば、軍事的構築物という意味合いがより強くなってくる。


    物部氏族は古代の北部九州において、その発祥の足跡をはっきりと残している。


    北部九州の各地にその伝承遺跡がいくつも残されていることからみても、その当時強大な勢力圏を持っていたことが浮かび上がってくる。


    物部氏族と神籠石列石との関連性は、ここで実際に九州の神籠石列石の所在地点と古代の物部氏族の根拠地とを重ねて比較検証すれば明白となる。


    (地図上のは神籠石の所在地・は新しい山城の所在地、1から16の各番号は古代物部氏族の根拠地を示す)

    神籠石・福岡県久留米市
    1.物部郷
    2.物部布都神社
    3.物部若宮神
    4.筑紫聞物部
    5.二田物部
    6.二田物部
    7.物部社
    8.馬見物部
    9.物部山国社
    10.物部首古志売等
    11.物部首猪手売
    12.物部婢売
    13.物部宿奈売
    14.物部田中神
    15.物部阿志賀野神
    16.磯上物部神







    神籠石の所在地と物部氏族の分布状況は、地図上で見る通りその位置関係が見事に合致している。


    物部氏族は古代において軍事とその祭祀部門全般を司っており、常にその中心に位置していた大きな氏族集団であった。


    ここでも古代の物部氏族と神籠石との関連性は、呪術や祭祀を通してより濃厚なものとなってくる。



    むしろ物部氏族特有の軍事と祭祀性を背景にして神籠石列石が構築された可能性が高くなってくる。


    列石そのものは、古代のは軍事上の防衛ラインであり、風水術による構造物であったということである。


    そうであったから列石構造物は後世、次第に破壊されていったのである。




    ●神籠石列石は何故破壊されたのか
    何故、重要な軍事的構造物である神籠石列石は 壊されていったのであろうか。


    列石が造られた理由と同様に、ここでは破壊されていった理由も解き明かされなくては意味は無いであろう。


    その理由は単純である。
    後世、神籠石自体は、いわゆる「軍事的な防御機能」が次第に失われていってしまったであろうことは否定できない。


    軍事的にも必要で無くなったのである。
    単純な構造からいえば、始めからその「軍事的な防御機能」が希薄過ぎたとみるべきかも知れない。


    これは軍事的、祭祀的な本来の機能目的が変化したことが背景にあるのではないか。


    結果的にはある時期になって、神籠石列石は無用の長物となってしまったということである。


    言い換えれば、付随していたであろうその祭祀性そのものの変遷によって、神籠石の本来の防御機能が失われるような事態が後世に出来したということである。




    現代のわれわれが、神籠石本来の機能目的が一体何なのかという重要な部分が不明なのと同様に、古代においても神籠石列石は過去の遺物とみなされるようになってしまったということではないか


    まず第一に、これだけ大規模な一連の列石構造物構築に関する経緯そのものが、肝心の記紀や史書に直接触れられていないのは不可解というべきだろう。


    ここらは、銅鐸信仰と同様である。
    それこそ神籠石列石は、後世の大和王権によって一部は山城構築に転用されるか破壊された可能性が高い。


    もとより征圧した王権の防衛ライン(風水構造物)を保存維持する意味などないわけである。



    神籠石列石は、次々と破壊され土木資材として転用されていった。


    こうした後世の破壊や石材の転用がなかったら、神籠石列石は現存するものをはるかに超える大規模なものであった可能性も当然出てくるはずである。


    それでなくても、後世神籠石は寺社建立や戦国時代の築城、河川の治水や土木工事用の石材としてさかんに持ち出され破壊が進んでいった。


    もはやどこからみても軍事的に有用なものとは考えられなくなってしまっていたわけだ。


    穿った見方をすれば、最初から軍事に活用できるような機能性をもった堅牢な構造物という認識を、後世の為政者はまったく持ち得なかった。
    ただ、山中に点在する物部氏族の祭祀用の過去の巨石構造物でしかなかったのだ。


    20世紀の戦後でさえ埋蔵文化財保護法制定以前は、開発に伴うこれらの神籠石列石の破壊行為や転用を止める手立てがなかったのは事実である。(地元郷土史家談)


    神籠石列石そのものは、本来の姿どころか、そのほんの一部分が遺されているとしか言いようがない。


    ましてや神籠石列石が防戦上の構造物などとは、現代でさえも考えにくいところである。




    ●神籠石のさらなる祭祀性を問う
    神籠石列石は、古代の呪術が信奉されていた時代の遺物であろうことは、容易に察しがつくところである。


    それは列石自体は古代のハードウェアであって、古代の呪術はソフトウェアという考え方である。


    どちらか一方が欠落すると、まったくその機能目的が成立しないというのが工学的な捉え方ということになる。


    肝心の古代のソフトウェアが分からなければ、どこまでいっても神籠石列石はただの石材でしかない。


    だからここでは、神籠石列石を構築して運用した主体がどこの誰であるのかをまず問うべきだと考える。


    その主役はもちろん古代北部九州の豪族、物部氏族であることは確かであろう。


    古代より物部氏が軍事の棟梁として、軍神を祭っていた。
    もとより城砦の構築、武具(もののぐ)の調達、武人(もののふ)の練兵や戦時の指揮も司った。


    古代九州でさえも、いくつもの戦国時代を経てきている。


    神籠石列石を考える上でも、そうした認識がどうやら欠落しているようである。


    しかもここから先は文化人類学的考察を加味していくと、さらに面白い展開が出てくることになる。


    古代の戦においても常に呪術は付きものであった。
    戦には、戦のための呪術があって、出陣の際の儀式として祭祀も行われた。


    これは後世の戦国時代であろうと、先の大戦の出陣式とて兵士らの戦意高揚の手立は同様である。


    戦地に赴く覚悟と戦意、大和魂の注入が必須なのである。


    まず兵士の頭数と武具とがすべて揃ったとしても、すぐに戦士として一撃必殺の戦闘力が備わるわけではない。


    「もののふ」には肝心の「もののけ(武の気)」が体に憑かなければ本物の戦士にはならないのである。


    勇敢に戦う戦意が、まず必要なのだ。もとより、腑抜けには戦は出来ないということだ。


    こうした呪術や古代のシャーマニズムを背景として考えていかないと、単純にはこの古代遺跡の謎は解けてはこない。


    戦時には、武人(もものふ)の体に武の気(鬼神)が憑くのである。


    武の気が憑いているから、武人には敵対する相手を怯むこと無く殺傷するという戦意や勇猛さが戦闘力として備わるわけである。


    この辺りの感覚は平和ボケのいまの現代人には分からないであろう。
    平常心の人間にはやたら人は殺せないし、いきなり戦闘開始状態にはなれないのである。


    どこかで頭のスイッチが切り替えられなくてはならないのである。


    異常なアドレナリン充満の状態か、平常心を失うか、狂気のもとでなければ命の遣り取りを強いられる戦場には臨めないであろう。


    今風にいえば軍事的、宗教的イニシエーションで洗脳されるか、専門の徹底した軍事教練が必要ということである。



    現代の紛争地域の戦闘では、戦闘員に麻薬などの薬物も使われている。




    ●普遍的な古代呪術の背景を問う
    「戦闘中は、兵隊はみな気違いになるとですよ。そげんならんと人は殺せんですよ」
    と、軍隊で壮絶な白兵戦の経験のある老人から何度も聞かされたことがある。



    多くのお年寄りと接する職業柄そうした戦時中の話を度々聞くのであるが、まさに鬼気迫る実体験ばかりである。


    戦闘中は、兵士はまさしく鬼と化していたということである。


    ここで逆の展開としていえることは、奮い立った武人も一旦その武の気(もののけ)が落ちてしまえば戦意はたちまち消え失せてしまうわけである。


    古代においてそうした軍事に付随したシャーマニズム、呪術があったことは否定できない。


    もののけを体に取り付かせたり、取り除いたりする戦時のシャーマニズムが古代世界には存在していたわけだ。


    取りも直さずそれは、戦士も特定の神域に入れば、ものの気が落ちるという呪術も当たり前の事として信じられていた古代の一時期があったということである。


    そうした祭祀性が背景にあったからこそ、呪術による大規模な神籠石列石が構築されたのだ。


    むしろこうした祭祀性がなかったのであれば、大規模に列石が構築される理由もなかったのではないか。


    神籠石の列石で囲まれた領域は、そうしたおぞましいものの気を落とす特殊な防衛ラインとしての神域なのである。


    一旦神域に踏み込めば、武人の体に憑いていたものの気が落ちてしまうという呪術特有の単純すぎる普遍的な考え方である。


    それこそ古代の風水的、祭祀的防衛ラインそのものなのだ。


    同じように古代中国では、「兵害を免れる」として、五月五日に五色の糸を肘に結ぶと「兵の鬼気(ものの気)を避ける」という道教的呪術があったことが知られている。


    攻め込んでくる敵兵には死神が憑いていて鬼気(ものの気)を帯びていると考えられた。


    そのようなとき身を守る呪術があれば敵には殺傷されることはないと信じられていた。


    兵禍を避けるには、前もって決まった時に決まったことを呪術として手順通りにやっておくことが必要とされていた。


    これが古代に通用した普遍的な呪術であり、古代の方術の基本的考え方なのだ。


    これを古代の原始的な「呪能」信仰というのである。
    これを現代人が笑うことは出来まい。


    人間はその時代に応じて、普遍的に信じ込んでいる部分があるわけであって、誰もがそうした一見騙しにも似た事象にさえ単純に惑わされてしまうのである。


    つまりこうした呪術が効力を発揮した時代の遺物という認識に立てば、神籠石列石そのものが決して後世7世紀の構造物であるはずもなく、さらには朝鮮式山城と特定してしまうことがいかに早計であるかが理解されてくるはずである。


    古代には古代人の当然の理屈があるということである。


    それがいかに単純であり、無意味なことであったとしても現代人が笑うことは出来ないのである。   























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      2014年12月24日

      家康・信長・光秀の野望・本能寺の変論考目次

      「九州の田舎から戦国・本能寺の変を考える」

      ここからいよいよ佳境に迫る!?



      戦国時代に引き起こされた本能寺の変は、まさに突発的な大事件であった。

      その首謀者である明智光秀についてもこれまで数多くの説が立てられ論じられてきたが、九州から遠く離れた京の都において展開されたこの事件の本質と謎について新たな挑戦を試みてみた。

      光秀の狙いはどこにあったのか?

      本能寺の変は、信長の覇権をめぐって九州の豪商の思惑が少なからず絡んでいた。

      それが、この事件とどう繋がっていたのか?

      このとき信長は、盟友家康の暗殺を本当に企んでいたのか?







      本能寺の変を真横から考える(1)

      何故に光秀の戦略は潰えたのか (2)

      信長は家康の暗殺を企んでいたのか(3)

      イエズス会宣教師が絶賛した織田信長の所業とは(4)

      何故光秀は信長に反逆したのか(5)

      明智光秀の謀反の真相とは(6)

      徳川家康は謀反の光秀主従をどう評価したのか(7)


      光秀の戦略と大きな誤算とは何か(8)


      細川家の対処から見えてくるものとは何か(9)










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        2014年12月17日

        意外な浦島太郎伝説の背景

        浦島太郎外伝


        浦島太郎伝説の原型はひろく海洋民族の文化圏にみられる伝承なのですが、これにはいくつか外伝があります。


        いじめられていたカメを助けた「うらしまたろう」は、その助けたカメに連れられて竜宮城に招かれます。

        竜宮城には表門と裏門とがあったのですが、「うらしまたろう」はこのときどちらから入城したのかご存知でしょうか?

        そうです、「うらしまたろう」はたしかに表門から入城したのです。


        最初、「うらしまたろう」は裏門から入城しようとしたのですが、入ろうとしたら門の扉がいきなり閉じてしまったのです。

        そこで仕方なく「うらしまたろう」はあらためて表門へと回ったのです。

        表門にはいかつい顔の門番がいて、「うらしまたろう」の顔を見るとにやりと笑って小さな声で一言いいました。

        「うらしまったろう?」

        そうです、「うらしまたろう」は、「裏閉まったろう?」と門番に言われてしまったのです。

        この第一声がそのまま後世に伝わって、「うらしまたろう」といわれるようになったのです。

        これはたしかな情報です。





        よみきかせ にほんむかしばなし 第1話

         



















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            2014年10月13日

            歴史発見シリーズ・隠蔽改竄の裏にあるもの(4)

            インデックス(3)

          • 2013/07/17:副鼻腔炎・蓄膿症・花粉症・アレルギー性鼻炎・鼻づまり解消法健康情報
          • 2013/07/17:早漏・ED・中折れに負けるな!気落ちするな!手立てはあるぞ健康情報
          • 2013/07/17:脱毛が気になる、薄毛が気になるならすぐに対応すべきです健康情報
          • 2013/07/16:辛い便秘を改善する方法とは健康情報
          • 2013/07/16:あがり症や赤面症を治す方法の紹介:心のケアとは健康情報
          • 2013/07/14:散歩道の花々動植物
          • 2013/07/13:壇流クッキング:カエルの煮込みビジネスチャンス
          • 2013/07/13:今年は早く梅雨が明けました風景写真
          • 2013/07/12:脊柱を美しく保つには:猫背矯正のアプローチ手技治療
          • 2013/07/12:犬猫が傍に居る生活:アルバム癒しの写真画像
          • 2013/07/11:猫がリラックスするとき癒しの写真画像
          • 2013/07/11:むち打ち症:猫背O脚骨盤矯正 福岡県久留米市の整骨院健康情報
          • 2013/07/10:散歩で見つけた季節折々の花 植物画像動植物
          • 2013/07/09:経絡と気の流れを通電治療で確認してみました東洋医学
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              posted by モモちゃん at 10:22| 歴史の盲点 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする