2015年12月02日

歴史的事件には毒殺が関わっている

夫の酒に毒 別居妻を殺人未遂容疑で逮捕 宇都宮

産経新聞 12月1日

夫を毒殺疑い、67歳女逮捕=直前に結婚、遺体から「青酸」―他にも不審死・京都:2014年11月19日




似たような毒による中毒死や自然毒を使った事件というのがある。

随分昔のことであるが、山菜と間違えてトリカブトの葉を味噌汁の具にして一家が中毒死するという事件があった。

近年にも東京の中華料理店の店主が、送られてきたトリカブト入り「葛餅」を食って中毒死するという事件があったし、保険金目的に妻をトリカブトで毒殺したとか、昨年京都では結婚直後に夫に青酸カリを飲ませていたというような忌まわしい事件もあった。

青酸毒は人体の呼吸中枢を麻痺させるらしい。

青酸毒を盛られれば速やかに窒息死することになる。

自然界の毒物として知られるトリカブトという植物の根は、加工されて「附子」として漢方薬の処方や毒矢にも使われる。

アルカロイド系(アコニチン)の猛毒が含まれるだけに当然取扱には注意がいるわけである。

自然界にはこうした猛毒が存在する。

テレビかなんぞのサスペンス物か推理ドラマを彷彿させる毒殺事件ではあるが、これもテレビドラマの「警部コロンボ」を見ていたら、河豚毒(テトロドトキシン)をワインに混入させている場面があり、これもひそかに毒殺を謀ったものであった。

自然界にある毒物を使っての殺人は有史以前から随分あったわけで、中国では古来よりもっぱら鴆毒が使われた。

前漢時代、高祖(前漢の創始者・在位前202‐前195)の妻である呂后が、高祖と威婦人との間にできた趙王を殺すのに鴆毒が使われたという。

霊帝(在位167‐189)の后である何皇后が、帝の愛妾を鴆毒を使って殺させた。

鴆毒は中国の歴史書にも度々登場する有名な毒物であるが、日本人にはあまり知られてはいないようだ。

鴆毒自体は投与されると微量であっても命を落とすのだという。

通常鴆毒といえば暗殺に使われるわけで、その際には鴆酒として登場する。

鴆酒の作り方はしごく簡単である。

これは毒鳥といわれる鴆という鳥の羽を酒に浸して数回掻き回すだけで簡単に出来上がるという。

これを飲んだ者は、当初黄疸のように体が黄色くなるということからみれば、まず肝機能が冒され、さらに五臓六腑のすべてが爛れて終には死に至るとされる。

服毒すれば確実に多臓器が機能しなくなる。

何でも鴆にはそれほどの猛毒があるということで古来から恐れられていた。

古い記録では『養老律令』(757年(天平宝字元年)に記述があることからみれば、日本にも大陸から持ち込まれた可能性は極めて高いと思われる。

事例としては『太平記』に、足利直義が恒良親王に鴆毒を薬と偽って飲ませ暗殺したとある。

おそらく戦国時代まで使われていたであろう形跡がある。


これだけ有名な毒物であるのだが、この鴆という毒鳥の実態は古代よりその存在が曖昧であったのだ。

鴆という固有名詞や漢字があるのだから実際に生息していたのであろうが、どんな鳥なのか残念ながら小生は見たことはない。

中国の『三才図絵』や『本草綱目』あたりにその絵図は紹介されていると思うが、何でも広東省や江西省に生息しているキジ科の鳥で、形は鷹に似ていて首の長さは七〜八寸、くちばしは赤く首は黒いということである。

肉にも猛毒があるといい、その食性は蛇を好物にしていて、獲物の蛇が石垣の間などに逃げ込むと、それを引き出すのに石垣に糞を引っ掛けて石を砕くという。

本当にそのような鳥が生息しているのか疑問であろう。

蛇食い鳥の一種であろうか、そう聞くだけで何とも恐ろしげな怪鳥にみえてくるではないか。

実は鴆という鳥は中国の古い史書や文献には随所に登場するが、本当に実在していたのか疑問視されてきた毒鳥なのである。



それまでこの恐ろしい毒鳥は人々に忌み嫌われ、見つかり次第殺されてきたということで、中国大陸では相当早い時期に絶滅したとされていたわけである。

今でいう絶滅種であり、貴重動物ということになる。

おいおい、毒鳥が貴重な絶滅種とは何だということになってくる。

そうなると、いよいよ架空の鳥だろうということになってくる。

ところが、羽に毒がある鳥は架空の生き物ではなく20世紀末になってニューギニアの森林地帯で偶然発見されのだ。

それも権威ある科学誌「サイエンス」に大きく取り上げられた(写真参照)。



tin.jpg




つまりこうした事例が出てきたことによって、古代中国大陸にこの種の鴆なる毒鳥が実在していたことの信憑性は一気に高まったというわけである。

歴史上の毒薬として再認識されるに至ったわけである。


歴史上有名な暗殺目的の毒薬ということでは、「ボルジア家の毒薬」というのが西洋ではことのほか高名である。

確かそういう題名の西洋映画が随分前にあった。

チェーザレ・ボルジアが登場し、彼が手にする毒薬は確か「カンタレラ」という名前であった。

名前から察するに恐らくカンタレルスが含まれているハンミョウという昆虫毒が使われていたか、もしくは猛毒の砒素が主成分だったのかもしれない。

とにかく、この毒薬が権勢欲の渦巻くルネッサンス時代の暗黒の世界で度々暗殺に使われた。

自然界の昆虫毒といえばまずハンミョウであるが、これは江戸時代薬種商が薬剤として扱っていて砒石(ヒ素を含む)などと同様に劇薬として販売先をいちいち確認していた。(これらは漢方薬としてもっぱら水腫の治療に使われていた)

当時、本当にハンミョウの毒などを使って夫の毒殺をたくらむ女房もいたらしく、そうした逸話も残っているし、巷では密かに財産を狙っての毒殺事件も少なくなかったようである。

一例をあげると、江戸時代に書かれた『道徳塗説』に出てくる話がそれにあてまるようだ。


下谷の源助店の長助という独り者は、ある日深川八幡の富籤を一枚買った。

現代の自治宝くじと思ってもらえばいい。これがなんと一等百両に当たった。

百両がどれほどの価値があったか気になるところであるが、当時1両あれば家族4人が1ヶ月間裕福に暮らせるだけの貨幣価値があった。

現代で言うなら1両が4,50万円ほどなのかもしれない。

いや2,30万もあれば田舎なら結構やっていけるかなとなる。

これが百両であるから、現代なら数千万の貨幣価値は十分あったことになる。

当時であれば、一般庶民が絶対に目にすることのできない金額である。

ということで、生まれてはじめて百両もの大金を手にした長助は飛び上がって喜んだ。

長助は百両のうちまず二十両をしきたりどうり神社に奉納した。

二日目、六十両を町役の大家に預けて、やっとどうにか落ち着くことができた。

三日目、残りの二十両を持って出掛け、仲間内の借銭、義理もすませた。そしてこの日浅草まで足をのばして、日ごろ口にしたこともないような御馳走を鱈腹食って長屋に帰ってきた。

残りの三両を神棚に上げてその晩はぐっすり眠ったのであるが、夜中にいきなり叩き起こされた。

「百両、そっくり出してもらおうか」と、押し入った三人の賊に長助は短刀を突きつけられたのである。

実はこれこれしかじか、残りの三両は神棚に、と長助は震えながら答えた。

たったの三両ときいて賊たちは拍子抜けしたが、土間近くに置かれていた祝い札の付いた上等の角樽が目に入った。

三両を仲良く山分けしたあとで賊たちは祝杯を上げることにし、その酒を残らず飲み干してしまった。 

翌朝、大騒ぎになった。

長助の長屋近くの路上で風体人相のよくない男達が、三人冷たくなって転がっていたからである。

間もなく長助は助け出された。

そして肝心の角樽の酒が毒入りであったことも判明した。

この角樽は源助店の大家からの到来物であった。

この結果調べが進み、長助から預かった六十両を着服しようとくわだてた大家のたくらみと知れたわけである。

直ちに大家は補縛され入牢、長助は町内預かりとなったという。



一般庶民でもこんな具合であったから、大名家や古代の王宮では毒殺を恐れて常時お毒味役が傍に控えていたらしい。

これもキムタク主演の時代劇があった。

それでもときには巧妙な方法で毒殺される危険性はあった。
ローマ皇帝ネロが暗殺した異母兄弟のブリタニクスの場合などがその好例である。



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豪華な食事の席でブリタニクスが好きなスープが出された。

傍に控えていた毒味役の奴隷が試食した後に、その湯気の立つスープ状の飲物をブリタニクスに差し出すと(猫舌の彼は)まだ熱かったので、顔をしかめて再び奴隷の手に戻した。

この一瞬に素早く毒物が混入されたのである。

少し間を置いてそのスープ皿はブリタニクスに渡されて、彼はそのまま口にした。

しばらくしてから、ブリタニクスは食事中にいきなり持病の癲癇発作に紛らわしい倒れ方をしてその場で悶死したという。

ネロは、素知らぬ顔でそれを傍観していたのである。

日ごろから用心深く対応している者でも一瞬の隙を衝かれれば、ブリタニクスのようにあっけなく命を落とすことになる。


フランスのブルボン王朝の祖となったアンリ四世は毒殺を恐れて、いつも自分でセーヌ川に水を汲みに行き自炊で卵をゆでていたという。

王様が自炊するとは何事か。


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というのはアンリ四世は毒殺未遂事件も含めて生涯に十七回も暗殺の危険にさらされたというから、安易に毒味役を置くなどという悠長なことはしておられなかったのである。

とにかく身の安全を考えると、まず自分が口にする食べ物の安全性を充分に確かめなくてはならず、細心の注意を払いながら自前で不慣れな調理もやっていたということである。


こうみてくると、まず食いしん坊やグルメ嗜好の美食家は王座に長く座り続けることは無理というものである。

権力者は、そうした権力の座にながく居続けることは実に大変なことである。

あの有名な英雄ナポレオンもセント・ヘレナ島で、最後は毒殺されてあえ無く終わったのである。

有名なイギリスの科学雑誌『ネイチ ャー』に発表されたところによると、残されていたナポレオンの頭髪には常人の十三倍の砒素が含まれていたことが確認されたということであった。

だが、20世紀後半になって次々と新説が現れて最近の歴史学者の研究によると、ナポレオン毒殺はそれまでの定説とは異なり政治的なものではなく、意外にもナポレオンの人妻との不倫が背後に絡んでいたという異説も出てきて、ここらは最後まで英雄的?であったというわけだ。──



napo.jpg



昔から中国では猛毒の砒素を医療分野で使って、難病の白血病の治療を行っていた。

これに注目したアメリカの癌センターが砒素をベースにした薬剤を急性前骨髄性白血病に投与したところ非常な好成績を上げたということで、現在米国では白血病の治療薬として承認されている。

これと繋がるのかどうか分からないが学生時代、症候概論担当の教授(医学博士)から、微量の砒素の投与は小児期の虚弱体質を改善し免疫力を強化する働きがあるということを聞いたことがある。

やはりトリカブト,ハンミョウ同様、毒も使いようということであろうか。


























denden














ラベル:トウゴマ毒殺
posted by モモちゃん at 14:24| 歴史の盲点 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月14日

すべからく科学技術は国防に資する

科学は人類を幸福にするためにあるわけではない




美術全集を見ていたら、風刺画家のドーミエの作品に「科学者の 妄想」というのがあった。
それには累々と横たわる死体を眺めて、 にやりとほくそ笑んでいる科学者らしき一人の男の姿が描かれていた。


科学者が大量殺戮を夢想しているという、ドーミエらしい洞察の本当の背景は知る由もないが、当時も戦争の手段として近代的な兵器開発が彼らの手によって進められていたことは疑いようのない事実であったろう。


最先端科学の需要の多くが軍事産業であることは現代の世界的コ ンセンサスであろうと思うし、かっての日本もその例外ではなかった。
明治時代にドイツ医学が幅を利かしたのも当時の政府が軍陣医科学の早急な導入を目指したがためであった。


当然、この当たりを勘案すれば伝統的皇漢医学では当時の富国強兵の施策には馴染まないのは誰の目にも明らかであったろう。
いまのような平和な状況にあれば、国民一般の東洋医学指向は多少強くなるであろうことは頷けるところである。


今後は国内治安が急速に悪化すればたちどころに軍陣医科学が幅を利かすであろう。


まあそれはそれで妥当なことであろうと思うが、 これまで医学をも含めて科学技術は決して個人のものではなくて、 常に国家機関のコントロールがなされるものであった。


要するに「すべからく科学技術は国防に資する」という軍国主義的大義名分が幅をきかせていたわけである。


太平洋戦争中の細菌部隊や化学兵器部隊の存在が明らかになってくるに従って、多くの第一線の科学者らがそうした作業に強制的に関係を持たされていたことがわかる。


科学には確かに真理追究のロマンがある。 
今世紀初頭ドイツの科学者の中には宇宙に向けてロケットを打ち上げる夢をもって地道な研究を続けていた学者グループがあった。


これに目を付けたナチス・ ドイツは、新兵器に転用できる科学技術としてロケット研究を高く評価した。


そして瞬く間に無人爆撃機、さらにはV2号ロケットへと作り替 えていったわけである。
ヒットラーの期待に応えて、完成したV2号ロケットは次々とロンドン市内に打ち込まれ英国市民を震え上がらせた。


このロケットには画期的な姿勢制御装置(ジャイロ)がすでに搭載されていた。


ドイツ敗戦時、連合国側のアメリカとソ連の軍隊はこのV2号ロ ケット施設を競って接収した。
ここで工場設備はもとより、開発や製造に従事した科学者や技術者6千人を拘束しそれぞれの国に移送したのである。


大戦後判明したことであるが、当時のドイツの科学技術水準は他国を大きく引き離していたわけで、皮肉にもその後の米ソの宇宙競争を支えたものは、まさにヒットラーの遺産ともいうべきこれらの先端科学技術であった。


同じように日本軍の細菌兵器データはアメリカ国防省が戦後すべてを掌握した。
当然のことながら、科学技術というのは開発過程において莫大な時間と経費がかかる。


それらの資金を得るためには、補助金や研究開発をバックアップしてくれるスポンサーが必要になる。


欧米にはそうした背景が伝統的にあったから、王侯貴族のもとでの詐欺まがいの錬金術でさえ盛んに行われた。


イタリア・ルネッサンス時代の巨匠といえば、「モナリザ」の作者であるレオナルド・ダ・ヴィンチが有名であるが、彼は優れた芸術家であるだけでなく、建築、 自然科学、解剖学、天文学、機械工学、さらに地理学や数学まで幅 広い分野にわたって卓越した才能を発揮した。 reo


ダ・ヴィンチは二万ページに及ぶ研究ノートを書き残したが(三分の 二は散逸した)、その中ではすでに自動車や自転車、飛行機、ヘリ コプター、ボールベアリング、変速機、歯車といったものを考え出していたことでも知られる天才的科学者でもある。


しかしその彼でさえも自分を王侯に売り込み、有力なスポンサー を得るためには手段を選ばなかった。


ミラノ公、ロドビエ・スフォ ルツァにあてた手紙には、大量殺戮兵器の設計を示唆しながら、「兵器の大家、設計者と自負する人のものはありきたりである。私はいろいろな兵器が作れるから一度会っていただきたい」と、殺人兵器の開発に貢献できることに言及して巧みな就職活動をやっている。


事実彼の残した設計図の中には、馬車に回転する刃を装備して走りながら敵兵を切り倒すものや三段式連射砲、無数の大砲を装備した戦車などもある。


さらには水を入れた巨大なフラスコをレンズにして 太陽光線を集め、一度に多数の敵兵を焼き殺す光線兵器のアイデアも詳細に記録している。


その驚くべき発想には、皮肉にも近代の殺戮兵器をも彷彿とさせるほどの空恐ろしさが伴うものであった。

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20世紀アメリカの原爆開発(マ ンハッタン計画)にしても二十億ドルの莫大な経費と十三万人もの科学技術者が短期間に投入されたわけである。
 

莫大な経費の掛かる不毛の兵器開発は結局この原爆というものに集約されるわけであるが、核実験が国際世論からいかに非難されようと、国防というスタンスが現実に存続する以上今後もどこかで強行されるはずである。


かってアメリカのネバダ州で初めて核実験が成功したとき、あのオッペンハイマー博士はわが手を見つめて「これで私も死神になった」と呟いたという。


科学者は常に死神の最も近くに立っていることを肝に銘ずるべきであろうし、常にそうした道義的責任を持つべきである。
古代の宗教儀式では、神に差し出す生け贄として時には人の命が奪われることがあった。
 

これは豊饒という人間の飽くなき欲求のうちに、さ さやかな生け贄が用意されたわけであるが、これを野蛮というべきか否かは問題ではない。


人間の営みのうちに、必然的に犠牲者があることは事実であるし、 科学という恩恵のうちにも人類は大変なリスクを背負っている。



人々が科学に対して過剰な希望と幻想を託すことは、本当は怖いことでもあるのだ。



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    posted by モモちゃん at 09:52| 歴史の盲点 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2014年12月17日

    意外な浦島太郎伝説の背景

    浦島太郎外伝


    浦島太郎伝説の原型はひろく海洋民族の文化圏にみられる伝承なのですが、これにはいくつか外伝があります。


    いじめられていたカメを助けた「うらしまたろう」は、その助けたカメに連れられて竜宮城に招かれます。

    竜宮城には表門と裏門とがあったのですが、「うらしまたろう」はこのときどちらから入城したのかご存知でしょうか?

    そうです、「うらしまたろう」はたしかに表門から入城したのです。


    最初、「うらしまたろう」は裏門から入城しようとしたのですが、入ろうとしたら門の扉がいきなり閉じてしまったのです。

    そこで仕方なく「うらしまたろう」はあらためて表門へと回ったのです。

    表門にはいかつい顔の門番がいて、「うらしまたろう」の顔を見るとにやりと笑って小さな声で一言いいました。

    「うらしまったろう?」

    そうです、「うらしまたろう」は、「裏閉まったろう?」と門番に言われてしまったのです。

    この第一声がそのまま後世に伝わって、「うらしまたろう」といわれるようになったのです。

    これはたしかな情報です。





    よみきかせ にほんむかしばなし 第1話

     



















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        2014年10月08日

        アポロ11号は月に着陸などしていなかった

        アポロ月面着陸の真実とは・・・?

         





        【歴史ミステリー】アポロ11号は月に着陸していなかった!?

         





        アポロ捏造

         





        [アポロ 2013年版] 人類(人)は月へ行っていない!(BGMミュート ver. )

         




















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          posted by モモちゃん at 17:48| 歴史の盲点 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

          2014年10月02日

          火山噴火はなかった:消された戦国最大の地震災害史

          戦国の由布岳噴火の謎に迫る


          東洋医学史研究会
          宇田明男



          少年時代、父親の故郷(大分市)に行ったとき、海に沈んだ島の話を聞かされたことがあった。


          それはずっと昔、別府湾にあった瓜生島という大きな島が、地震と津波によって一夜にして海に沈没してしまったという伝説であった。


           これがずっと長い間記憶の片隅に残っていたのであるが、後にまとまった伝承記録などであらためて確認する機会があった。(写真は別府湾)



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          実は四十年ほど以前より水中考古学が日本でも注目されるようになって、海中や水中の伝承遺跡の発掘や科学的調査といったものが各地で実施されるようになった。


          過去の地震記録については、中世のイエズス会宣教師の報告書にも地震遭遇の記述があって、有名なルイス・フロイスの「日本史」にもたしかに散見するし、この九州豊後地方の地震についてもその伝聞を記録している。


          「府内に近く三千(歩)離れたところに、沖の浜と言われ多数の船の停泊港である大きな集落、または村落があり、…(中略)…或る夜突然何ら風にあおられぬのに、その地へ波が二度三度と(押し寄せ)、非常なざわめきと轟音をもって岸辺を洗い、町よりも七ブラサ以上の高さで(波が)打ち寄せた。…(中略)…そこで同じ勢いで打ち寄せた津波は、およそ千五百(歩)以上も陸地に浸水し、また引き返す津波はすべてを沖の浜の町とともに呑み込んでしまった。これらの界隈以外にいた人々だけが危険を免れた。それにしてもあの地獄のような深淵は、男も女も子供も雄牛も牝牛も家もその他いっさいのものをすべていっしょに奪い去り、陸地のその場には何もなかったかのようにあらゆるものが海に変わったように思われた。(「1596年(9月18日付、都発信)12月28日付、長崎発信、ルイス・フロイスの年報」補遺)とある。




          この時、1596年(文禄5年)は西日本を中心に地震が立て続けに発生していた。


          ・閏7月9日 - 伊予国で大地震、薬師寺の本堂や仁王門、鶴岡八幡宮が倒壊する。





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           ・閏7月12日 - 豊後国で大地震と大津波、瓜生島が海中に没する。(7月9日ともいう)


          ・7月12日から13日 - 畿内一円で大地震、伏見城や方広寺の大仏殿が倒壊するといった具合である。


          なお、この年は文禄5年10月27日(グレゴリオ暦1596年12月16日)に 慶長に改元した。


          水中考古学の研究の分野でも、大分豊後府内地方の瓜生島伝説が注目されだして、それに関連する「豊陽古事談」や「豊府紀聞」、「日本一鑑」といったいくつかの古文書も日の目をみるようになったわけである。


          驚いたことにその伝説の瓜生島の古地図もそれらの中に残されていることが分かった。これは本当に驚きであった。


          単なる古代の伝説と思っていたものが、島の存在が図上に明示された古地図まで出てきていよいよ現実味を帯びてきたのである。




          瓜生島が沈んだのは、いまよりちょうど四百年前の文禄5年(1596)閏7月9日、もしくは7月12日のことといわれる。


          瓜生島は府中(大分市)の西北三・三キロのところに あったといい、東西三・九キロ、南北二・三キロ、周囲十二キロの島で あったという。(参照・「豊陽古事談」瓜生島図)


          戸数は約千戸、島の中央に北裏町や南本町、沖ノ浜町があり、多くの 船が各地から出入りして活気があったという。


          島には恵比寿神社や威徳寺といった大きな寺社もあって、当時、湾の周囲から眺めれば海に浮かぶ風光明媚な島の風景が広がっていたのではいかと想像される。





          bep




































          この瓜生島が突然の大地震と、それに続く津波によって一夜にして海に没したというわけであるが、その被害者数は八百人前後と記録されている。


          島の住人の大多数が犠牲となったわけである。


          実は当方のご先祖様もこの大地震の被害をもろに被っていたという予想外の事実があった。


          当時当方の先祖は府内(大分市)の東方に位置する鶴崎の地に刀鍛冶として一族が住んでいた。


          元は京都の山城国の刀鍛冶(宇田国宗)であったが、室町幕府の内部抗争(観応の擾乱)が勃発した正平5年(1350年)当時、一族郎党共に九州の豊後に移ってきたのだった。


          現在も現地に国宗という地名と国宗天満神社だけが残っている。


          その後もこの地に刀鍛冶として定住していたが、1596年に発生したこの豊後の巨大地震と瓜生島沈没に遭遇してしまったことになる。


          先祖が住んでいた国宗村は大野川の西岸の土地であり、それも別府湾に注ぐ河口に近かったこともありこのとき相当な津波被害を受けたものと思われる。


          瓜生島が沈んだのは大地震による津波が原因ともいわれるだけに、このとき別府湾の海岸一体には大波が襲ったことであろう。


          この大地震があった後に鍛冶場の一部を大野郡に移転させたりもしたらしい。


          同時にこのとき由布岳や対岸の高崎山からの噴火があり、夥しい噴石が別府湾に降り注いだともいう。



          このことは正史に一切記録されていない。


          対岸の陸地でも地震の被害は甚大で、近くの鶴見岳が崩落して谷を埋めたことも記録されている。


          由布岳が火山活動を示したのは1万年以前のことだというが、由布岳周辺は火山特有の痕跡を多く残している。







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          それだけにこの地には数多くの温泉源もあるわけである。


          このとき山が二つに裂けたともいい、もしかしたらそれは山頂が2つある由布岳のことかも知れない。






          このような火山活動を伴った直下型の大地震と津波とが瓜生島周辺を直撃したということになるのだが、記録によるとこれと同時期に京都や近畿でも大地震が頻発している。


          こちらでは余震が数カ月間も続き、豊臣秀吉の居城であった伏見城でも建物が倒壊し六百余人、堺でも六百余人の圧死者が出ているから、西日本全体に及ぶ大災害の時期であったことになる。(写真は由布岳)


          当時の有名な話として、朝鮮出兵で石田三成らの讒言で秀吉の怒りを買って謹慎中の加藤清正がこのときいの一番に駆けつけ腰の抜けた秀吉を助け起こして大いに面目を施したということである。



          豊後の地震についても日本の地理に精通したフロイスの記録にもあるわけだから間違いではあるまい。


          古地図をみると瓜生島のすぐ北に、久米島という島があるが、この島も同じ地震によって前後して壊滅したといわれている。


          現在の別府湾の様子からは、想像しがたい巨大な自然災害に襲われたわけである。


          ところが瓜生島沈没の経緯は伝聞がいくつも錯綜していて、しかも明確な文献資料が乏しいこともあって、正確な歴史情報とはいえない部分もあるという。


          驚くべき天変地異だけに、当然周辺諸国や正史にも詳しい記録があってもいいと思うのであるが、地元以外にほとんど瓜生島沈没の伝聞が残されていないというのはむしろ不自然というべきかもしれない。


          災害直後に為政者による何らかの作為があったかもしれない。


          この事件前後の戦国の豊後地方は政治的にも混乱していたのは確かである。



          事実、それまでの領主であった大友家は秀吉によって咎められ、あっけなく潰されてしまう。




          由布岳噴火活動史の盲点とは



          由布岳の火山活動について気象庁の解説を見ると、地質学的な研究によってわかっている過去1万年の火山活動史でいうと由布岳は噴火活動の記録がないのだという。


          以下、気象庁サイトから引用・ 

          引用終わり・





          RIMG2000


































          つまり正史を見る限り、由布岳はいっさい火山活動をみせていないことになる。


          しかしながら冒頭で紹介したように、戦国時代の瓜生島沈没事件に関連する地元の文献史料には由布岳の噴火が記録されている。


          それがどの程度の規模なのかわわからないが、何らかの火山活動の兆候を見せたのは確かであろう。





          現在は湯布院周辺部は観光地化してしまっているが、5,60年前の湯布院はそこここに温泉が自然に吹き出ていた。


          現在と情景はまったく違っていた。



          私などは、湯布院の川から湯気があちこち立ち上る情景を見て子供心にも驚いたものである。


          温泉源を掘削して水位が下がって、いまではそうした情景は見られなくなったが明らかに火山地帯特有の風景が広がっていたのである。




          太古の昔、湯布院は大きな湖だったという伝説がある。


          湯布院盆地全体が湖だったとするといまの姿とはまったく違っていたということになる。



          0601012






























          気象庁の情報でも「由布岳では、約2,200年前に規模の大きな噴火活動が発生した。 」とあるが、これが盆地形成のきっかけだったとするとこれが明らかな火山活動の結果ということになる。






























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            posted by モモちゃん at 17:11| 歴史の盲点 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

            2014年05月08日

            タバコ撲滅といわれて久しいのですが

            最近の喫煙者ってどうなんでしょうね?

            毎日定量づつ、決まった本数で喫煙しながら各種発がん物質を体内に取り込んでいるという感覚はいくらか自覚されてはいるのでしょうが、何だか傍目に気の毒な感じもします。

            日本国内では絶対出てこない海外の禁煙キャンペーンの動画をこっそり紹介しますね。
            ちょっと怖いです。



            Smoking health harms







            Baby Love








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            ラベル:タバコ撲滅
            posted by モモちゃん at 18:26| 歴史の盲点 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

            2014年05月02日

            薬万能というのはやはり幻影なのか?こころ浮き浮き!

            2012第二回精神薬の薬害を考えるシンポジウム

             


            日本の薬漬け医療を斬る! 内海聡医師 船瀬俊介

             


            ガン医療を最初に告発した近藤誠医師(1996年)

             













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              ラベル:薬害
              posted by モモちゃん at 23:31| 歴史の盲点 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

              人類に付きまとうドラッグの悪夢:

              一般にはあまり知られていませんが、日本国内にも薬物が沢山出回っています。

              さすがに薬物だけによく効くようです。

              しかも学校でもこうした重要な情報は教えませんから、残念なことですが深刻化することはあっても今後も改善されることはないように思えます。

              まず大人が正確な情報(インテリジェンス)を持つことですね。



              ディスカバリーチャンネル 薬物が人体に及ぼす影響 #1





              ディスカバリーチャンネル 薬物が人体に及ぼす影響 #2





              ディスカバリーチャンネル 薬物が人体に及ぼす影響 #3














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                ラベル:ドラッグ中毒
                posted by モモちゃん at 10:09| 歴史の盲点 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

                2014年03月25日

                捏造史劇を熱烈協賛放映する公共放送って何?(2)

                歴史は、とにかく面白ければいい。

                歪曲だろうが捏造だろうが、下手なウソも100年間叫んでいれば、いずれそれが本物の歴史に見えてくるだろう。



                さくらじ#50 大人気!宮脇淳子講座、韓国に挑む!?



                朝鮮の国名の由来を中国人が暴露!韓国人の歴史的勘違い



                韓国ドラマ 太王四神記を歴史家が解説! Korean drama Tae Wang



                朝鮮半島の本当の歴史(The true history of Korea Peninsula)



                【宮脇淳子】昔から中国の属国だった韓国が絶対に隠したい嘘の














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                  posted by モモちゃん at 19:11| 歴史の盲点 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

                  2014年02月13日

                  歴史の裏には怖い毒殺事件が隠れている


                  まずはトリカブト・自然毒・鴆毒の話など


                  随分昔のことであるが、山菜と間違えてトリカブトの葉を味噌汁の具にして一家が中毒死するという事件があった。
                  近年にも東京の中華料理店の店主が、送られてきたトリカブト入り「葛餅」を食って中毒死するという事件があったし、保険金目的に妻をトリカブトで毒殺したというような忌まわしい事件もあった。

                  トリカブトという植物の根は、加工されて「附子」として漢方薬の処方や毒矢にも使われる。
                  アルカロイド系(アコニチン)の猛毒が含まれるだけに当然取扱には注意がいるわけである。

                  テレビかなんぞのサスペンス物か推理ドラマを彷彿させる毒殺事件ではあるが、これもテレビの「警部コロンボ」を見ていたら、河豚毒(テトロドトキシン)をワインに混入させている場面があり、ひそかに毒殺を謀ったものであった。

                  自然界にある毒物を使っての殺人は、有史以前から随分あったようで、中国では古来よりもっぱら鴆毒が使われた。
                  歴史書にも度々登場する有名な毒物である。
                  とにかく微量であっても命を落とすのだという。

                  鴆毒といえば暗殺用に使われるときは鴆酒として登場する。
                  これは毒鳥といわれる鴆という鳥の羽を酒に浸して数回掻き回すだけで簡単に出来上がるという。
                  これを飲んだ者は、たちどころにして絶命するらしい。
                  何でも鴆にはそれほどの猛毒があるということで古来から知られていた。

                  鴆という固有名詞や漢字があるのだから実際に生息していたのであろうが、どんな鳥なのか残念ながら小生は見たことはない。

                  中国の『三才図絵』や『本草綱目』あたりにその絵図は紹介されていると思うが、何でも広東省や江西省に生息しているキジ科の鳥で、形は鷹に似ていて首の長さは七〜八寸、くちばしは赤く首は黒いということである。

                  肉にも猛毒があるといい食性は蛇を好物にしていて、獲物の蛇が石垣の間などに逃げ込むと、それを引き出すのに石垣に糞を引っ掛けて石を砕くという。

                  蛇食い鳥の一種であろうか、そう聞くだけで何とも恐ろしげな怪鳥にみえてくるではないか。
                  実は鴆という鳥は中国の古い史書や文献には随所に登場するが、本当に実在していたのか疑問視されてきた毒鳥なのである。

                  この恐ろしい毒鳥は人々に忌み嫌われ、見つかり次第殺されてきたということで、中国大陸では相当早い時期に絶滅したとされていたわけである。
                  今でいう絶滅種であり、貴重動物ということになる。

                  ところが意外にも、羽に毒がある鳥は架空の生き物ではなく20世紀末になってニューギニアで偶然発見され、権威ある科学誌「サイエンス」に大きく取り上げられた事実がある(写真参照)。
                  tin.jpg

                  つまりこうした事例が出てきたことによって、古代中国大陸にこの種の鴆なる毒鳥が実在していたことの信憑性は一気に高まったというわけである。

                  暗殺目的の毒薬ということでは、「ボルジア家の毒薬」というのが西洋ではことのほか有名である。そういう題名の西洋映画が随分前にあった。
                  チェーザレ・ボルジアが登場し、彼が手にする毒薬は確か「カンタレラ」という名前であった。

                  名前から察するに恐らくカンタレルスが含まれているハンミョウという昆虫毒が使われていたか、もしくは猛毒の砒素が主成分だったのかもしれない。
                  とにかく、この毒薬が権勢欲の渦巻くルネッサンス時代の暗黒の世界で度々暗殺に使われた。

                  昆虫毒といえばハンミョウであるが、これは江戸時代薬種商が薬剤として扱っていて砒石などと同様に劇薬として販売先をいちいち確認していた。(漢方薬としてもっぱら水腫の治療に使われた)

                  当時、本当にハンミョウの毒などを使って夫の毒殺をたくらむ女房もいたらしく、そうした逸話も残っているし、巷では密かに財産を狙っての毒殺事件も少なくなかったようである。

                  『道徳塗説』に紹介されている江戸時代の話であるが、下谷の源助店の長助という独り者はある日深川八幡の富籤を一枚買った。
                  現代の自治宝くじと思ってもらえばいい。これがなんと一等百両に当たった。

                  百両がどれほどの価値があったか気になるところであるが、当時1両あれば家族4人が1ヶ月間裕福に暮らせるだけの貨幣価値があった。
                  現代で言うなら4,50万円ほどなのかもしれない。
                  いや2,30万もあれば田舎なら結構やっていけるかなとなる。

                  ということで、生まれてはじめて百両もの大金を手にした長助は飛び上がって喜んだ。
                  長助は百両のうちまず二十両をしきたりどうり神社に奉納した。
                  二日目、六十両を町役の大家に預けて、やっとどうにか落ち着くことができた。

                  三日目、残りの二十両を持って出掛け、仲間内の借銭、義理もすませた。そしてこの日浅草まで足をのばして、日ごろ口にしたこともないような御馳走を鱈腹食って長屋に帰ってきた。
                  残りの三両を神棚に上げて、その晩はぐっすり眠ったのであるが夜中にいきなり叩き起こされた。

                  「百両、そっくり出してもらおうか」と、押し入った三人の賊に長助は短刀を突きつけられたのである。
                  実はこれこれしかじか、残りの三両は神棚に、と長助は震えながら答えた。

                  たったの三両ときいて賊たちは拍子抜けしたが、土間近くに置かれていた祝い札の付いた上等の角樽をそのうち見つけた。

                  三両を仲良く山分けして、賊たちは祝杯を上げることにし、残らず飲み干してしまった。 
                  翌朝、大騒ぎになった。長助の長屋近くで風体人相のよくない男達が、三人冷たくなって転がっていたからである。
                  間もなく長助は助け出された。そして角樽の酒が毒入りであったことも判明した。

                  この角樽は源助店の大家からの到来物であった。
                  長助から預かった六十両を着服しようとくわだてた大家のたくらみと知れたわけである。
                  直ちに大家は補縛され入牢、長助は町内預かりとなったという。

                  一般庶民でもこんな具合であったから、大名家や古代の王宮では毒殺を恐れて常時お毒味役が傍に控えていたらしい。
                  それでもときには巧妙な方法で毒殺される危険性はあった。
                  ローマ皇帝ネロが暗殺した異母兄弟のブリタニクスの場合などがその好例である。
                  nero.jpg

                  豪華な食事の席でブリタニクスが好きなスープが出された。
                  傍に控えていた毒味役の奴隷が試食した後に、その湯気の立つスープ状の飲物をブリタニクスに差し出すと(猫舌の彼は)まだ熱かったので、顔をしかめて再び奴隷の手に戻した。

                  この一瞬に素早く毒物が混入されたのである。
                  少し間を置いてそのスープ皿はブリタニクスに渡されて、そのまま口にした。
                  しばらくしてから、ブリタニクスは食事中にいきなり持病の癲癇発作に紛らわしい倒れ方をしてその場で悶死したという。

                  日ごろから用心深く対応している者でも一瞬の隙を衝かれれば、ブリタニクスのようにあっけなく命を落とすことになる。

                  フランスのブルボン王朝の祖となったアンリ四世は毒殺を恐れて、いつも自分でセーヌ川に水を汲みに行き自炊で卵をゆでていたという。
                  anli4.jpg

                  というのはアンリ四世は毒殺未遂事件も含めて生涯に十七回も暗殺の危険にさらされたというから、安易に毒味役を置くなどという悠長なことはしておられなかったのである。
                  とにかく身の安全を考えると、まず自分が口にする食べ物の安全性を充分に確かめなくてはならず、細心の注意を払いながら自前で不慣れな調理もやっていたということである。


                  こうみてくると、まず食いしん坊やグルメ嗜好の美食家は王座に長く座り続けることは無理というものである。
                  権力の座にながく居続けることは実に大変なことである。
                  あの有名な英雄ナポレオンもセント・ヘレナ島で、最後は毒殺されてあえ無く終わったのである。

                  有名なイギリスの科学雑誌『ネイチ ャー』に発表されたところによると、残されていたナポレオンの頭髪には常人の十三倍の砒素が含まれていたことが確認されたということであったが、20世紀後半になって次々と新説が現れて最近の歴史学者の研究によると、ナポレオン毒殺はそれまでの定説とは異なり政治的なものではなく、意外にもナポレオンの人妻との不倫が背後に絡んでいたという異説も出てきてここらは最後まで英雄的?であったというわけだ。──
                  napo.jpg

                  昔から中国では猛毒の砒素を医療分野で使って白血病の治療を行っていた。
                  これに注目したアメリカの癌センターが砒素をベースにした薬剤を急性前骨髄性白血病に投与したところ非常な好成績を上げたということで、現在米国では白血病の治療薬として承認されている。

                  これと繋がるのかどうか分からないが学生時代、症候概論担当の教授(医学博士)から、微量の砒素の投与は小児期の虚弱体質を改善し免疫力を強化する働きがあるということを聞いたことがある。
                  やはりトリカブト,ハンミョウ同様、毒も使いようということであろうか。










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                    posted by モモちゃん at 12:28| Comment(0) | 歴史の盲点 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする