2017年09月18日

江戸幕府の最高機密が海外に漏れていた!?

お江戸の秘密諜報員とは?


江戸時代の眼科の泰斗として知られた土生玄碩は安芸国吉田の眼科医の家に生まれ、鍼を使った白内障治療の新しい術式を考案した人物である。

大阪で蘭方を学びさらに江戸に出てからは眼科の名医として知られ、ついには将軍の侍医として法眼の位に叙せられていた。

ところが文政十二年(1829)丑年十二月十三日、この土生玄碩と子息の玄昌父子両人がシーボルト事件に連座し、改易となる事件が起こった。
その経緯を記した当時の記録には次のようにある。


「先達、オランダ人江戸逗留中、伜玄昌義、対話として罷り越し候処、外科シイボルト 義、眼科療治法の秘薬所持致す旨承り、其方へ申聞け、右は眼科第一の妙薬と相聞こえ、 且つは疑わしくも存じ、其方義旅宿へ罷り越し、シイボルトへ対話、効能をも試し候処、 実に希代の薬験之有り感伏致し、万人の助けに成らる可き義に付き、伝授受取り度く、夜 中忍びにて度々罷り越し、オランダ人と懇意を結び候へども、容易には伝授致すまじく、 カピタンへ相願い然る可き哉と然りてカピタンの歓び候品遣し度く言い含め、その教えに 任せ、何の思慮も無旨○御召御紋の羽織を差し遣わし、薬法伝授の義取り計らひ呉れ候様 相願ひ候処、シイボルト義も右体の品望みの趣申し聞け候に付、其後時服御紋附御帷子差 し遣わし候処、薬法伝授致し呉れ候間、謝礼として猶又御紋服遣わし候段、たとえ私欲に かかわる義には之無く、弁へざる義に候とも、御国禁を背き候段、不届きの至りに候、之 に依り改易仰せ付けられる者也。」(『藤岡屋日記』)


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この事件が起こる丁度十年前、文政六年(1823年)7月3日、シーボルトは長崎出島 のオランダ商館付医師としてバタビアを経由して初めて日本に来航し、ここを拠点にして医師として精力的に活動を開始していた。

やがて彼は長崎の地に鳴滝塾を設立し向学心に燃える優秀な塾生を集め西洋医学を教授したので あるが、これは当時としては実に画期的な事業であった。

それまでの閉鎖的な医学教育とは比較にならないオープンな外科手術法の伝授に、多くの塾生達は目を見張った。



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その中には、高野長英、二宮敬作、伊東玄朴、小関三英、伊藤圭介らがおり、最新の西洋医学を講義された。

シーボルトは多くの塾生を教えながら、一方で広範な「日本学」の研究を精力的に進めていた。

塾生達がオランダ語を習得し始めると、シーボルトは次々とオランダ語による研究リポ ートを提出させると共に、これによってあらゆる分野の日本文化の資料や標本を収集することが可能となった。

鳴滝塾の事を聞きつけて全国各地から蘭学を学ぼうとする俊英が数多く集まってきたから、 こうした人材には事欠かなかった。

シーボルトは西洋の薬物情報を記載したテキストを作成すると、それを塾生の一人である高良斉に日本語に翻訳させると、文政年八年(1825)には『薬品応手録』として大阪で出版した。

シーボルトは日本国内の医学の現状に強い関心があり、特に鍼灸術をはじめ本草学に精通した医師達と積極的に交流したが、こうした西洋の薬物情報関連の出版物は当時の蘭方医達に少なからず影響を与えた。

しかもこの『薬品応手録』という医学書は、実に意外な情報を秘めていたのであった。

こ こでいう意外な情報とは冒頭で紹介した当時の眼科医、土生玄碩にとって、という意味おいてである。

この医書の内容からいけば医学書というより薬物書というべきであるが、当時の入手し 易い外国産薬物の効能や用法の解説はもちろんのこと、特に実用度を高める意味で日本産 の薬物を主体にして編集されていることが大きな特徴であった。


このなかにはジキタリスやベラドンナといった薬草についての解説があった。

当初『薬品応手録』は鳴滝塾でテキストとして使われ、シーボルトの江戸参付のとき各 地で交流した医師たちにも贈られた。

もちろんこの画期的内容の医書自体は、眼科医・土生玄碩の手にも渡っていたはずなのであるが、この当たりの行き違いやねじれた経緯がもとで、シーボルト事件がスキャンダラスナなものに変貌 していった。


長崎からの江戸参府は五年ごとに行われ、文政年九年商館長スチュレルに随員としてシーボルトもこのときのオランダ使節団に参加した。

シーボルトは各地の宿泊所で多くの蘭学者や本草学者らと学術交流を行ったのであるが、 江戸ではこの土生玄碩当人とも会見している。

玄碩はこのときシーボルトの眼科手術の講義を聞き自分の術式を彼に詳しく説明したところ 高い評価を得たのである。

事実、シーボルトは玄碩の画期的術式には驚いているのである。

さらに後日、シーボルトは薬剤によって瞳孔を開かせる実験を玄碩に見せたのであるが、今度は逆に玄碩の方が驚嘆してしまった。

この開瞳用の薬剤さえ手元にあれば、玄碩の行う眼科手術は格段にやり易くなるはずであった。
ところが玄碩が再三にわたってシーボルトに問いただしたのだが、どうしたことかすぐには薬剤の処方を教えてもらえなかった。


玄碩は非常なあせりを覚えたらしい。

度々シー ボルトの元を訪れてウナギの蒲焼、駅路の鈴、さらには春画といったものまで贈るという具合に、あらゆる手立てを尽くして必死になって聞き出そうとするがまったく埒があかない。

実はこの薬剤についてはすでに前述の『薬品応手録』に記載されていたのである。

それがベラドンナ(莨とう・中南欧産の多年草であり日本名はハシリドコロともいう)であり、開瞳薬の主成分となるものであった。

ここで何故にシーボルトがすんなりと処方を教えなかったのか理由はいろいろと考えられようが、微妙な部分だけに第三者には理由は分からない。

シーボルト自身は学生時代に幾度となく決闘をした経験もある無骨な一面を持った人物であり、性格的には高慢で自意識が強い上に、無遠慮なところや目的を追行するにも相手構わず強引なところがあったという。

一方の玄碩も若いときは放蕩三昧な遊び人であって、争いも多く医者仲間から「ホラ貝玄碩」と嘲られたこともあるような強い個性を持った人物である。

このような交換条件を伴ったある種の取引ともなれば、当然両者ともそれなりに構える部分はあったろうと思う。

意地と意地とのぶつかり合いといった、相当な駆け引きと険悪なやり取りもそこではあったのではないか。

お節介なことではあるが、ここで交渉がうまくいかなかった理由を思いつくままにいくつか上げてみよう。


1.開瞳薬は眼科治療には不可欠の貴重な薬剤であったから、シーボルトは始めから教授 に対して何らかの見返り(交換条件)を要求するつもりであった。

事実有用な医学情報と引き換えに、それまでにもシーボルトは珍しい物品を医師たちから度々受け取っていた。

2.ベラドンナはすでに『薬品応手録』に記載されている薬物である。それに全く気付かぬ玄碩の不勉 強さと情報に対する安易な態度が、シーボルトを不快にさせたのかも知れない。

3.日本一の眼科の名医、流行医者、将軍の侍医、法眼の位ということで、シーボルトに対しても高慢な 態度を取った。この背景には玄碩のシーボルトへ対するライバル意識がどこかにあったのではないか。

4.玄碩は目薬の売薬で莫大な利益を上げて巨富を蓄え、さらにこれを高利貸している人物であったから、医者とはいえシーボルトには金銭に執着した胡散臭い人物に見えたかも知れない。

5.気性が激しいだけに、両者とも単に気が合わなかった。


どれが該当するか私には断定できないが、結果的には玄碩は大きな代償を払わされることになる。

とうとう玄碩は薬剤名を聞き出すのに、将軍より拝領の三つ葉葵の紋服を国禁を犯してシ ーボルトに贈ってしまうのである。



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文政十一年(1828年)9月17日、バタビア仕立てのオランダ船、コネリウス・ハウト マン号は長崎で猛烈な暴風雨に遭遇し稲佐海岸に乗り上難破した。

シーボルトは任期満ちてこの船で帰国する予定であり、日本における大量の学術資料を 船に積み込んでいたが、役人による被害調査を兼ねた積荷検査でご禁制の日本地図が船内から偶然発見されたのである。

このとき出てきた地図類はあの伊能忠敬が測量作図した高精度の『日本輿地全図』の写しであった。

日本全土がほぼ正確に計測され作図された地図として江戸城紅葉山文庫(歴代将軍の霊廟と機密文書・図書の収納庫)に秘蔵されていたものであり、結果的には当時の日本の最高機密情報がシーボルトによってまさに国外に持ち出されようとしていたことになる。

それらの地図の中には間宮林蔵による北方の樺太の地形情報も含まれており、当時これらは日本が唯一正確な測量を行っていたものであった。


もとより幕府が管理している秘蔵の地図であるからには、当然外部持ち出しは制限されていたと思われるのであるが、実際にはそれほど厳重ではなかったように思える。

そもそも紅葉山文庫を所管する書物奉行の高橋作左衛門景保が、江戸参府の際江戸城を訪れたシーボルトを密かに文庫内に案内してこれらの地図を見せたことが、地図の持ち出し漏洩のきっかけであった。

シーボルトは地図の内容とその精度に驚くと共に、高橋景保に対して巧みに交換条件を持ち出してこれらの測量図の写しを譲り受けたのであった。

この辺りの経緯として、「私は城番の家来を買収して将軍の御殿のよい見取り図を手に入れることに成功した」とシーボルトは自慢げに書き残している。

後日伊能図を持ち帰ったシーボルトは、オランダでメルカトル図法に修正した「日本人の原図および天文観測に基づいての日本国図」として、したたかにもこれを刊行している。


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さらにこの事件で幕府役人を驚かせたことは、シーボルト宅の捜索で土生玄碩が贈ったとされる持ち出しご禁制の葵紋の羽織が出てきたことであった。

(徳川家の家紋である葵の紋は歴代の将軍によって紋様が微妙に違っている。

当時の第十一代将軍家斉(いえなり:在位1787-1837)の紋章は、下の通り13葉のものである。)

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発覚に至るまでに何らかの事前探索や密告があったのかもしれないが、 これがシーボルト事件の発端であり、これによって土生玄碩・玄昌父子が改易となり座敷牢に拘禁されたわけである。


シーボルトは学術研究においては、その標本の入手、資料の収集については非常な好奇心としたたかさを持っていた。

各種の標本や禁制品の日本地図や最高機密の江戸城内の詳細な図面などを入手している事実を見ると、土生玄碩同様、目的貫徹に至るまでは並みのしたたかさではないことは明白である。

彼の一連の違法探索と情報収集活動そのものは外国人によるスパイ行為とみられても仕方のないものであったろう。

シーボルト事件によって鳴滝塾の優秀な塾生(23人)の多くが次々と連座して罰せられ獄死していった。

ご禁制の地図類を手渡した幕府天文方の役人高橋景保も捕らえられ同様の結末であった。

外交方の筆頭でもあった高橋は獄死(1829年3月20日急死)したが死体はそのまま塩漬けにされ、刑確定時に斬首という厳しいものであった。

ただ、シーボルトは結果的には国外に追放されたのであるが、この事件ですべてを失ったわけではなかった。

ここでもシーボルトはしたたかさを発揮して、追放時には没収されたはずの図面の写しをしっかりと隠し持って帰国した。(1829年12月30日長崎出港)


一方の土生玄碩がしたたかというのは、誇大な市中広告によって目薬販売を行い巨富を得た 事実からも容易に察せられるが、それよりもシーボルト事件で彼の領地や膨大な貸金がお上に没 収され、しかも入牢という事態に陥っても少しもへこたれはしなかったからである。

普通入牢すれば、その過酷な状況からいけば数カ月もしないうちに健康を損ない病死ということも考えられるのであるが、そこはしたたかな玄碩である。

このとき玄碩は、どこからともなく大金を融通してくる。

玄碩は事件発覚以前に、手回しよく金銀を二つの油樽にいれて深川に沈めておいたのだった。

この用意周到さと緊急時の肝の座った対応には、あきれるばかりである。

こうした潤沢な資金を使って、ころあいを見て各方面に巧妙な赦免工作を手配した。

もとより彼の名医としての実績は幕府も無視できず、やがて許されて無事出獄することが出来たのである。


その後、玄碩は現役復帰して87歳の長寿を得ただけでなく、日本の近代眼科学発展に貢献した医師として高く評価されるに至った。

意外な展開であるが、その功績により彼の頭蓋骨は現在東京大学医学部において学会の宝物として保存されているということである。

このように観ていくとシーボルトと土生玄碩とは医者というだけでなく、互いにどこかしら似ているのである。

もちろん、その目的貫徹にみせる並外れた強固な意志としたたかさという点で、見事なまでに。






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posted by モモちゃん at 05:10| 江戸時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月13日

江戸時代の酩酊殺人事件記録の核心に迫る?!

酔っぱらいの狼藉は大目に見よってか?

酩酊による判断能力減退を理由に殺人罪が軽減、沖縄地裁


11月22日、沖縄県那覇地裁は、家宅侵入および殺人罪の裁判で被告に対し、犯行時に「飲酒による酩酊で心神耗弱状態」であったことを理由に25年の求刑を14年に減刑した。

被告の設備工石下慶祐被告は昨年2月日に勤務先の飲み会の後、タクシーで自宅近くまで到着し、面識のない女性の住宅に侵入した挙句、室内にあったナイフで寝ていた女性を数回突き刺して殺害した。

翌日、母親への話では石下被告は犯行を記憶しておらず、「変な夢を見た。気付いたら部屋みたいな所にいて、何かくるまったものを、ナイフか包丁か分からないけど何かでプスプス刺した」などと話していた。

続きを読む: https://jp.sputniknews.com/japan/201611233039014/




玄関の戸を開ける気配がしたかとおもうと、すぐにどどっという何かが倒れるような大きな音がした。

行ってみると、ぐでんぐでんに酔っぱらった友人が三人、重なるようにしてぶっ倒れている。

大家に見つかるとうるさいので一人づづ玄関脇の自分の部屋に引きずっていったが、 その重いことといったらなかった。

しばらく並べて寝かせておいたところ三人とも気分が悪くなったらしく、交互に縁側の方へ這っていって嘔吐しはじめた。

翌朝は多少二日酔い気味ではあっても皆おもしろおかしく昨日のことを話しはじめ たが、どうしたことか飲み屋から出てから後の記憶がてんでないというのである。

しかもである、帰りの電車賃までもすっかり使い果たしてしまっていたのに、どうやってここまで辿り着いたのか不思議でならないという──。
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これは学生時代の他愛ない思い出の一場面であるが、酩酊が過ぎるとよくこのようなことがあるものである。

昔から浮世の憂さ晴らしということでは、酒は人間にとってなくてはならないものであった。

それだけに江戸時代など、時代背景や環境といったものに対して精神的不平や不満が鬱屈してくると、どうしても酒に走ることが多かったのではないかと思う。

特に昔は今と違ってこれといった娯楽も少なかったし、いわゆる封建制度の厳しい社会体制のもとでは多くの庶民が鬱屈した精神状態に置かれがちであった。

だからどうしても憂さ晴らしの飲酒量が多くなり、やがて体をこわす原因になったのである。

酔っているあいだは日頃の不満や不安から逃れられると、それこそ前後不覚になるまで呑み続けるということが多かった。

これが毎日のように続くとやがてアルコール依存症とか慢性アルコール中毒、肝臓・胃腸障害が出てくるようになるし、やがて精神にも異常をきたすようになる。


記録によると、正徳二年八月二十七日に次のような飲酒が絡んだ出来事があった。

互いに酒好きで仲のよい只介と彦六という二人の武士が犬山で刄傷事件を起こしたのである。

木曽川辺まで遊びに行ってしたたかに呑んでの帰り、ぶらぶらと街道を歩いているうちに酩酊している彦六がいきなり刀を抜いて只介の腕に切りつけた。

ところが只介も泥酔しているのでこれに気付かない。

そのまますたすた歩いていると腕から流れる血に驚き、「ややっ、汝はわれを切りたるか」と只介が叫んだ。

しかし泥酔のあまりこのこともふっつり忘れて、ぶらぶらと二人とも並んで歩いていってしまった。

そして今度は急に思い出したように只介がふらつきながら抜刀し彦六の顔面に切りつけ、切っ先が伸びて股までも切り削いだ。

彦六はそのまま路上にどおっと倒れたが、 只介もよろめきながらそのまま倒れ込むと鼾をかいて眠り込んでしまった。

しばらくして目を覚ました只介が、「──やれ彦六なんぞ臥したる、日も晩れなん、早く帰るべし」と言うと、彦六は草臥したまま起き上がれずに「汝は先へ帰るべし」 と言う。

それで只介はそのままふらふらと帰っていってしまった。

血まみれになった彦六の方は百姓に介抱され、駕籠で家まで運ばれたが疵がひどく二、三日後死亡した。

以上は尾張藩の御畳奉行の日記に記録されている事件であるが、これに類似した奇妙な事件がもう一つ元禄六年六月二九日の条にも出てくる。

「頃日、御納戸に中間三人伏し居りたり。夜半に一人の男、夢を見たりけん、ふと起きあがり、脇指を抜きて一人の男の首を切り落とし、また熟眠す。ややありて一人の男血腥きに目を覚まし、火を点しみるに、一人の男の首切り落とされ、湧血狼藉たり、大い に驚き、熟眠したる男をおこし、何が故ぞと責め問う。かの男も是をみて驚く。夢に汝 等我を切るゆえ、抜き合わせしと覚えて、その後は知らず、夢中に切り殺したるかと。終に籠(牢)に入る」、とある。

これらの事件は記録として残されているだけに、当時としても特異なものであったろう。

やはり泥酔しての刄傷事件といってもやはり尋常ではないし、睡眠中に夢と現実が混同してしまうなど、錯覚というより錯乱に近いものだし、不覚の最たるものである。

こうした事件の様相からして、多分に当時の人々が何かに抑圧されたり、鬱屈するといった過酷な状況下に置かれていたような気がするのである。

これらは所謂、発狂・精神異常とはいえないまでも、心身症、神経症といったものが背後にあるのかもしれない。

文政年間の『甲子夜話』(松浦静山)に、「人事の世に従て変ずるは勿論なり。疾病 もその時世によること一つなり。年若きものの陽症は発狂の如く、陰症は健忘労〓の如く、一種の疾あるを押しなめて、癇症とすること、近世の事なり」、とあるように精神の病をこの時代には心・気の乱れとして認識していたのである。

では癲狂・癇症とは何か。『病名彙解』(蘆川桂洲)には次のように書かれている。

癲狂・俗に云ふきちがいなり。癲と狂と少しく異なることあり。(医学)入門に云ふ、多く喜ぶを癲とし、多く怒るを狂とす。喜は心に属す。怒るは肝に属す。癇症・俗に云ふくつちがきなり、癲癇と連ねても云へり。大人のを癲と云ひ、小児のを癇と云へり。それ癇症は時に作り、時に止む。その癲狂の心を失して妄りに作り、久を経て癒えざる者と、もと一類にあらず」、と書かれている。

酒をたらふく呑んで前後不覚になったり、国会での証人喚問で都合よく健忘症になったりするものは、そうした範疇にもちろん入らない。


むかしから「酒は百薬の長」という。

その一方では、「酒は万病のもと」などともいうのである。

心して、召されよ。







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2017年09月12日

平賀源内風の昆虫観察日記紹介!?

屁ふり虫を観察する平賀源内 

今から三十数年以前の小学生のときのことであったが、朝礼での校長訓話の最中に突然バウンという物凄い轟音が講堂内に響きわたった。

その音の元は私の右横二、三メートルのところに立っていた若い女の先生であったが、すぐには一体何の音なのか分からなかった。

とにかく瞬時に音源が特定できるような音質ではなかったのだ。

後で思い出してみても、俄かにあの轟音は識別できるものではなかったとしか言い様がない。

そのときの女の先生のいくぶん紅潮して強張ったような表情を見て、やっとそれが何の音なのか気付いたという次第であった。

その轟音に驚いたまわりの生徒や先生たちに一瞬ざわめきがあったのだが、その余りの音の大きさに度胆を抜かれたのと、女の先生の気丈夫な憮然とした表情に周囲は気圧されて笑い声ひとつ立たなかった。

まさにその轟音の迫力そのものが、笑いを抑え込んだのであった。
軽やかな音であったなら、このときの状況はまったく違っていたであろうことは想像に難くない。

とにかく私自身、後にも先にもこれほどの豪快な放屁音は聞いたことがないということだけは事実である。

後日、昔話の「屁こき女房」を読んだとき、まさにこれだと体験的に捉えたのを覚えている。

こういう放屁の話題に関しては江戸時代の大博物学者の平賀原内先生が、心血を注いで書き上げた有名な『放屁論』が詳しい。

自由自在に放屁できる放屁男が出てくるその後編のさわりの一部を少し紹介しよう。

「漢にては放屁といひ、上方にては屁をこくといひ、関東にてはひるといひ、女中は都ておならといふ。
其語は異なれども、鳴ると臭きは同じことなり。
その音に三等あり。ブツと鳴るもの上品にして其形圓く、ブウと鳴るもの中品にして其形いびつなり。
スーとすかすもの下品にして細長くして少しひらたし。

是等は皆素人も常にひる所なり。
彼放屁男のごとく、奇奇妙妙に至りては、放ざる音なく、備らざる形なし。

抑いかなる故ぞと聞けば、彼ケ母常に芋を好みけるが、或る夜の夢に、火吹き竹を呑むとみて懐胎し、鳳屁元年へのえ鼬鼠の歳、春邉と梅匂ふ頃誕生せしが、成人に随ひて、段々功を屁ひり男、今江戸中の大評判、屁は身を助けるとは是ならん云々──。
」と、おかしな話が続く。 

A_PORT~1 


放屁の芸で世渡りができるとは愉快であるが、かって十九世紀末のフランスのパリの劇場(ムーラン・ルージュという)あたりで自由自在に屁を放ち、しかも音程も調節できてフランス国歌の「ラ・マルセエイズ」などを奏してやんやの喝采を浴びた男が実際にいたそうである。

なんだ馬鹿馬鹿しい、屁を題材にして下らぬ話を書きなぐってと思われる向きも恐らくあると思うが、たかが屁されど屁なのである。

屁ひとつで人生が変わってしまうこととてあるのである。
屁ひとつで不幸になる、あるいは幸運が舞い込む。

そういうこととて長い人の一生では突然出てくるはずである。
そうは思いませんか?

江戸時代の話で、一発の放屁が争い事の原因となったことが記録として残されている。
町名は書いてないが話が話だけにここではかりに、あさくさ(浅草)の近くにあった長屋としておく。

その長屋に独り者の男と夫婦ものが隣合わせに住んでいたのであるが、あるとき夫の留守中に女房が思わず大きな放屁をした。

薄い壁一枚、これを隣の独り者が聞いて、「女のくせに人間離れした放屁じゃねえか」といって嘲り笑った。

女房はこれに腹を立て血相変えて男の家に駆け込むと、「自分の家で屁をひるのが何がおかしい。余計なお世話だよ」とこれまた罵った。

二人が声高に争うのを近所の長屋の連中が集まって引き分けたので、このときはどうにか騒動はおさまった。 

ところがこの女房が銭湯に行っているあいだに夫が仕事から帰ってきたのであるが、七八歳の娘が「留守のあいだにおかしなことがあって、とてもまわりが騒がしかった」と口を滑らせてしまったのである。

「何があったんだ」と怪訝顔で父親が尋ねると、「隣のおじさんと母さんのあいだで言い争いがあったのだけど、父さんには絶対にいっちゃあ駄目といわれてるの」と娘がぺらぺらと喋ってしまったから大変である。

これを聞いて夫は、さては隣の男と女房は密かに通じておったなと思い込み心中おだやかでなく、近くの銭湯から帰ってきた女房をつかまえて激しい口論となった。

しまいには夫が出刃包丁を持ち出して、いきなり女房の頭に切り付けてしまった。

女房の悲鳴に近所の者たちが再び駆けつけて夫を取り押さえたが、このときの騒ぎで加勢にきていた隣の男までも巻き込まれて傷つけられてしまった。

公になりそうな事件であったが、訳知りの人が間に立って内々で済んだのであるが、これは放屁一発がとんだ事件に発展したという貴重な事例の記録なのである。(『耳袋』巻の七)


学名はゴミムシ科、ミイデラゴミムシというすごい昆虫がいるのをご存知だろうか。
あだ名は「屁ふり虫」とか「ヘッピリ虫、屁こき虫」とかいうやつである。

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子供のころこれでよく遊んだのであるが、実に愉快な昆虫であった。

掘り返された直後の畑や田圃にいるのだが、地中から茶褐色の2.5センチぐらいの大きさのぼてっとした体型の昆虫がもそもそ這い出てくる。

これを棒の先でちょっと押さえてやるとブッといって、勢いよくお尻から噴霧器みたいに白煙を吹き出す。

押さえる度にブッ、ブッといって放屁音とともに白煙が続けて出るのであるが、次第にその量が少なくなって終いには出なくなってしまう。つまりガス切れ状態になるわけだ。

犬や鶏の放屁音ならたまに聞くことはあるが、虫ケラとなると予想外の可笑しさが伴う。
小さくとも放屁音そのものには、違いないのだから。

この白煙はおそらく自己防衛のものと思われ、指の爪にかかると黄色くなるところからこれは成分に亜硫酸成分が含まれているのかも知れない。

強い酸とたんぱく質が反応するということで、これは化学でいうキサントプロテイン反応というやつではないかと思っていたのであるが、あとで調べたら当たらずとも遠からずであった。









このガスを噴出すメカニズムが本当に凄いのである。

ゴミムシノの体内には2つの隔離されたタンクがあり、1つには原料の過酸化水素とヒドロキノンを蓄えていて、これがもう一方のカタラーゼ酵素で囲まれた反応タンクに送り込まれると一気に酸化反応が引き起こされ勢いよくガスを噴出すという仕組みなのである。

この一瞬の化学反応で噴出されるガス自体は100度以上にもなり、まともに吹きかけられると皮膚に火傷による水泡ができるらしい。

白いガス状のものは、高温の水蒸気が含まれているのかもしれない。
ゴミムシ自身は、それこそ固いキチン質の装甲で包まれているので大丈夫なわけである。

まあ、子供の頃はこういう少し危ない昆虫を相手にして遊ぶのも大層愉快なものであった。

昆虫といえどもこうした防衛力を持っていれば、そう簡単に鳥などに補食されはしないであろう。

昔は屁のことを「転失気」や「失気」といったのであるが、漢方医学では屁のことを格調をもってそう呼んだ。
屁は、屁だろうがと私などは思う。

以前宮崎の友人が、「蛇が出た」というのを自分たちのところでは「へっが出た」というと言っていたのだが、逆に「屁が出た」は何と言うのか聞き忘れた。




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posted by モモちゃん at 13:56| 江戸時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月09日

古民家訪問で時代劇の世界に浸る!

古民家訪問でタイムスリップ

福岡県に住んでいて、「うきは市の平川邸」の存在はつい最近まで知りませんでした。

近くといっても意外と山深いところにあるということもあって、これまで訪れる機会がありませんでしたが、昨年短時間でしたが建物の外観を見学することができました。

今年7月の豪雨被害を被ったのかどうかが気がかりです。





RIMG2468


















うきは市の郊外というよりは、狭い山道を登っていきます。


「うきは市の平川邸」そのものは三百余年前の古民家の建築物であって、平成の時代になって国指定重要文化財になったということです。







RIMG2455




















文化財に指定された平成19年3月から6月にかけて、かやぶき屋根の全面掛け替えが行われました。






RIMG2456



















内部を見学するには事前に住人の方へ予約が必要ということでしたので、今回は急きょ訪れたこともあって残念ながら建物の外観だけを確認するだけにとどめました。

近くにはまったく人影がありませんでした。

何だかこの辺りだけ時間が止まっているような錯覚に陥ります。






RIMG2457



















すべてが古びた雰囲気です。

かやぶき屋根の型が「クド」に似ていることから、「くど造り」と呼ばれていますが、建物の内部は主家と土間の2棟をコの字型につなぎ、さらに納屋まで続くのが特徴で分棟型を発展させた型になっているとのことでした。





RIMG2458



















古風な建物だけに、どこからみても風格があります。

どこか懐かしい感じがして、一瞬まるで時代劇の世界に入り込んだような雰囲気がそこここに広がっています。






RIMG2459




















小さなくぐり戸がありました。

突然誰かが出てきそうな感じです。


とてもいい感じです。





RIMG2464



















奥のほうに別の住居があるようでしたが、夕暮れ時で挨拶もせずにそのまま失礼してしまいました。






RIMG2465



















建物のわきには一群のコスモスが咲いていました。






RIMG2466



















この場に佇んでいると、本当にタイムスリップしてしまった雰囲気です。







RIMG2467



















道路側からみたかやぶき屋根です。

この間、10分にも満たない訪問時間でした。残念。







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posted by モモちゃん at 07:24| 江戸時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月23日

江戸っ子の暮らし向きをちょいと拝見!

気ままでも厳しいお江戸での暮らし

江戸時代の一般庶民の暮らしはとても慎ましやかなものでした。

当時江戸には若い男性が多い割には市内には女性の数は少なく、思うように結婚できない若者が多かったのです。

家族を養うにはそれ相応の稼ぎが必要でしたから、経済力のない男は独身を通すしか手立てはなかったわけです。

大きく稼ぐこともなければ、大きな出費も出来ないというわけで巷では賭け事や飲酒で憂さ晴らしをしていたことになります。

娯楽といえば、仲間内での飲み会や芝居見物、相撲や見世物、寺社参り、花見といったところでしょうか。

一般庶民が出入りできるような飲み屋や食い物屋はそこここにありましたが、当時は栄養とか食事のバランスとかはまったく関心がもたれてはいなかったので、栄養失調や胃腸の疾患で苦しむ人が少なくありませんでした。

当然冷暖房設備もありませんでしたから、風邪や熱中症、急性胃腸炎(食中毒)、眼病や皮膚病などの感染症も頻発しました。

それでもまともに医者に掛かれる世帯も限られていました。

驚くことに、江戸時代の庶民の平均寿命は三十代後半でした。

当然子供たちも早くに独り立ちをせざるを得ませんでした。

高齢者がいなかったということではなく、これは衛生状態に問題があって、出産時の妊婦や新生児の死亡率が非常に高かったからです。






長屋のくらし








江戸の食事情









江戸の銭湯










モテた職業 TOP3










お江戸のお花見事情














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posted by モモちゃん at 17:31| 江戸時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月22日

家康が最後に掴んだ「膃肭臍」とは一体何だったのか?

秀吉と家康の健康管理術

戦国時代にあって、徳川家康ほど自己の健康管理に努めた武将はまれであった。

他の多くの武将は戦国の気風そのままに無骨一辺で、むしろ酒色に溺れて短命であった。

命を惜しむことが恥とされた時代でもあった。

それこそ長生きするために気配りをして努力をするというのは極めて少数派であったのだ。

そうした中で家康が着実に足元を固め天下を取ったわけであるが、そこには家康独自の健康管理と長生術とが重要な役割を果たした事実はあまり知られてはいない。

当時、家康は大変な読書家であり、自ら医学書や本草書(薬学)を読んで研究していたのである。

今回、その核心部分について紹介してみよう。

御存知のように、オットセイ(膃肭臍)は強精剤としての人気は現代でも相当に根強いものがある。

強精剤というと、スッポンエキス、ベンガル虎の一物、沖縄ハブの肝、赤マムシの肝、キングコブラの肝、鹿鞭を尻目に、まずはこのオットセイの一物というわけで、中国の有名な至宝三鞭丸、海馬三腎丸などにも処方されている。

そこで気になってくることであるが、わが国にこのオットセイの効能が伝わったのは一体何時のことであろうか。

時代を遡っていくと、まずは最初に戦国武将徳川家康(一五四二〜一六一六)に行き着くことになる。


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というのは家康は殊のほか本草学に熱心であり、中国朝鮮の医学書をいち早く入手して研究していた実績があるからである。

しかも当時としては珍しい薬草園までも作っており、家康の遺品には薬物や調剤道具が沢山残されていた。(駿府御分物御道具帳

『本草綱目』や『和剤局方』を独自に研究していたし、613年当時朝鮮で刊行された『東医宝鑑』にも逸早く目を通していた。

とにかく家康はこの分野においてはひどく研究熱心であった。

実はこれらの医書には、膃肭臍(オットセイ)の補腎薬としての効能や処方が薬物情報として書かれていた。

このことに家康は気付いたはずである。

史料を見ると家康が六九歳の時(1611年)に、蝦夷の松前藩主松前慶広に海狗腎(オットセイ)を捕獲し献上するように命じている事実があるが、時系列からいけば確かにこのときすでにこれらの医書からオットセイの薬効情報を掴んでいたということになる。

さらにいえば、家康は捕獲の命令を出す前に海狗腎(オットセイ)の実態をしっかりと特定していたということがいえるはずである。

ここが非常に重要である。

何故ならば、それまで日本では誰もこの海狗腎(膃肭臍)に注目などしていなかった。

存在さえもあやふやであったのだ。

家康より後は、にわかに海狗腎(オットセイ)の薬効が世間一般にも知られるようになり、江戸時代を通じて市中でも大いに強精剤としての人気が集まったという経緯があるのだ。

それも江戸庶民の川柳の題材にまで登場するくらいだから、市井の注目度は相当なものがあった。

 ・
始皇帝 おつとせいとは 気がつかず
 ・おつとせい 転ばぬ為の 薬の名
 ・松前の 矢で射た 腎薬
 ・効能で 女房よろこぶ 夫ト勢
 ・薬食いでも 後家はいましめ おっとせい


ここで腎薬(強精剤)とくれば、あの腎虚(萎縮腎説、老人性肺結核説がある)で倒れた戦国の覇者豊臣秀吉はどうであったろうか。

こうなるとこの腎薬オットセイの存在を天下人の秀吉が知り得たかどうかが気になるところである。



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この点についても早速あれこれと調べてみたというわけである。

ポルトガル宣教師として1563年来日したルイス・フロイスの著した『日本史』によれば、秀吉は大阪城内に参百人のお手付きの側女をおいていたというから、これが重要な傍証となる。

後年秀吉は延命を願って没薬(もつやく)を服していたが、これとて天下統一後の権勢とは裏腹に衰える体力の回復に、それこそやっきになっていた証拠でもある。

秀吉は地下人もしくは百姓の出ということもあって、民間医療の灸治療や温泉(有馬)の効能もよく知っていた。

親しかった前田利家とはお互い灸をし合ったという逸話は有名である。

その上、精力増強のために当時としては宣教師の薦めたこともあって、珍しく牛肉や生玉子を食らっていたし、一方で虎肉が良いと聞けば朝鮮出兵中の島津義弘らに塩漬けの虎肉を送るように厳命していたほどである。

これに答えて武将福島正則は虎を討ち取り、塩漬けにした虎肉を秀吉のもとへ送り届けている事実がある。

その後も秀吉の下へ続々と虎肉が送られてきた結果、もう送らずともよいとの伝令が出されたほどであった。

こうなると朝鮮出兵の目的には、意外とこれらの珍奇な薬物や大陸あたりの精力剤の入手が絡んだものだったかもしれないということになってくる。

晩年になると秀吉は足腰がふらつき、ついには城内でお洩らしまでするようになり、本人はもとより側近あたりの強壮剤捜しは避けられない事態となっていた。

この当時、いわゆる老人の失禁などは腎気(生命力)の衰えとみられたのである。
 
関白職を甥の秀次に譲る時、書状でもって「茶湯、鷹狩り、女狂いなど一切秀吉の道楽の真似るなかれ」と、厳しく生活態度を訓戒したほどの秀吉であり、もとよりかっての主君織田信長が呆れ返るほどの女好きであったからどう転んでも腎虚だけは避けようもなかった。

ここらは自業自得である。

本題の膃肭臍(膃肭臍・オットセイ)であるが、中国方面ではすでに八世紀前半には薬物情報として外部から入って来ていたらしい。(『和漢薬』百九十六号・三浦三郎)

意外なことにオットセイに強壮効果があるとの医薬情報自体は、アラビア半島の中東方面から海か陸のシルクロードを通じてはやくに中国方面に伝播してきていた。

となると時代的には鎌倉時代に伝わっていた『和剤局方』からの情報か、さらには中国で直接宋医学を学んだ医師の田代三喜あたりから腎薬オットセイなるものの薬効は確実に日本にも伝わっていた可能性はあることになる。

勿論、情報通の秀吉自身こうした珍奇薬への特別な関心ははじめから側近のお伽衆や医師達へ向けられたことは十分考えられるところである。

側に仕えた筆頭侍医の施薬院全宗や侍医に近い立場にあった曲直瀬道三(中国に留学して李朱医学を学んだ田代三喜の弟子)、海外の薬種も手広く扱っていた堺の小西家からもそれらの情報は入っていたかもしれない。

しかも秀吉は天下統一後は健康面であれこれと不安を抱えていたから、当時の最高水準の医師団を傍近くに置いていた。

そうした中、当時の名医として名高い竹田定加や半井瑞桂らの番医はもとより多くの名医の治療を直接受けたことで、たぶん海狗腎(オットセイ)情報も彼の耳に端に入っていたことも考えられる。

しかし薬物情報と現物の入手とはまったく別次元のものであるということをここでは考慮しておかなくてはなるまい。

ここで重要なことは、海狗腎(オットセイ)なるものがこの時代はっきりと海獣の「オットセイ」だと特定されていたかどうかが非常に疑わしいのだ。

疑わしくもあり、実に曖昧なのだ。

強壮剤としての薬効があるという海狗腎(膃肭臍)とはどんな生き物なのか、意外なことに当時の医療に携わる薬師・医師らはもとより巷の日本人の誰もがその実態を知らなかったのである。

海にいる大きな海獣、あるいは海魚というレベルの認識であれば、海豹やトド、あるいは鮫や鱶も該当するやも知れず、それこそ誰も「オットセイ」なるものを特定することができなかった。

それこそ当時は現物と医薬文献との間でその情報が一致しない事例はいくらでもあったのである。

学者はその名称や存在自体は知っていても肝心の現物そのものは実際には見ていないこともあった。

当時でも動植物のいわゆる生薬(しょうやく)というものを特定する作業はもちろんのこと、その生薬としての効能の善し悪しを見定める選品作業というものは専門的な知識と経験が必要であっただけに、それこそ一夕一朝に解決できる問題ではなかったのだ。

事実、当時最新の中国(明)の薬物書として刊行されたことで有名な『本草綱目』でさえ、そこに描かれている膃肭臍(オットセイ)の図録は巨大な怪魚そのものなのである。

当然ここからオッセイにつながるような情報は得られなかったはずである。

ということは、『本草綱目』の編著者である李時珍でさえもが実際のオットセイを見たことはなかったということになる。

加工された「海狗腎」は目にしたかもしれないが、膃肭臍の全体像はどこまでも怪魚であったということになる。

怪魚と「海狗腎」とでは絶対にふたつは結びつかない。

当時の『本草綱目』が膃肭臍をどのように表示していたのか国会図書館のアーカイブでようやく探し出してきたのでご覧あれ。

これで『本草綱目』に紹介されている膃肭臍がいわゆるオットセイなるものに見えるかという点を確認していただきた。

オットセイに鱗があるのかということである。



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ここで厳密にいえば、生前秀吉はこの『本草綱目』に描かれた「膃肭臍」なるものの絵姿さえもを目にはしていないし、それは叶わなかったのだ。

というのは『本草綱目』が明の李時珍の手によって完成したのが1578年当時であるが、日本に『本草綱目』が実際に輸入されたのは、江戸幕府が開かれたずっと後年のことであった。

しかも当時でさえ『本草綱目』は、容易に国外に持ち出されるような部類の書籍ではなかった。

第一、この時代明国は日本との直接の交易を断っていた。

そうした状況下にあって1607年にようやく長崎で林羅山が『本草綱目』を入手して、始めて家康に献上したわけであるから当時でもなかなか入手できない貴重かつ高価な稀覯本であったことになる。

ここではじめて家康が権力者として「膃肭臍」なるものに最も早く注目したという明確な経緯が判明してくるということになる。 
 
さらに留意しておかなくてはならないことは、たとえ貴重な文献が入手できたとしても薬用としての「オットセイ」の特定作業と実際にそれの捕獲に繋がらなくては意味はないことになる。

結局現物を入手するにも膃肭臍(オットセイ)という海獣の特定ができて初めてそれが可能となる。

これが実現したのは権力者としての家康の絶大な権力が発揮されたからであり、そこには卓越した彼の情報収集力がものを言ったといえる。

幸いなことに、家康にはそうした海外情報を齎してくれる有能な人材がブレーンとして身近に存在していた。

彼の元には明から渡来してきた医師団がいたことはすでに拙論でも紹介したところである。

さらにウイリアム・アダムスやヤン・ヨーステンのような海外情報に通じた西洋人さえもがいた。

家康は自ら彼らに問いただし、特定作業に繋がる情報を得たことであろう。

そうなるとここは偶然などということではなく家康にとっては必然的な流れがあったわけで、すべては入手するべくして確実に己の手で掴み取ったということになるのではないか。

ここらが家康の本来の凄さであり、その実力に見合った強運というべきところである。

要するに、家康のもとにはオットセイを特定できる人間がいたということである。

ここから「膃肭臍」とオットセイとが特定され、ふたつが見事につながることになる。

オットセイは哺乳類食肉目アシカ科の海獣であって、北太平洋のアラスカ周辺や千島列島付近にまで生息しており、特に冬季には本州中部当たりまで回遊するという生態でもあるから、当時の日本人にとってまったく未知の動物というわけではなかった。

オットセイは繁殖期になるとより強い遺伝子を残すために、強い一匹のオスが多くのメスを独占し、大きなハーレムを形成する動物ということからみれば、誰が観てもその強壮性そのものは理にかなっていよう。

しかもそれが権力者が欲しがる最高の補腎薬とは、家康自身が気付くまでは日本人の誰一人として気付く者はいなかったのである。

ここに家康の本当の凄さがある。

というわけで天下人秀吉のもとではオットセイの実体そのものはすこぶる曖昧なままで、捨て置かれていたということになる。

それこそ国内の既存の本草書にいくらかそれらしき記載はある。

だが肝心のオットセイなるもののはっきりした特定はいまだ出来ておらず、いくばくかの情報の片鱗はあったとしても結局秀吉の時代では海狗腎そのものの入手は不可能だったということになる。

たとえ海狗腎なるものに天下人秀吉が強い憧れを抱いた補腎薬であったとしても、さすがにオットセイの特定がされるだけの確かな情報が彼のもとでは揃わなかったということになる。

結局のところ秀吉は海狗腎の入手に間に合わず63歳で逝去、家康はオットセイ入手に間合い見事にセーフ、75歳までしたたかに延命し天下を掌握したということになる。

しかもこの間に家康は生涯子供を18人ももうけたのである。

あの世では、秀吉が地団太踏んで悔しがったことであろう。

まあそれでも秀吉自身は、当時の名医曲名瀬道三自身も晩年愛用していたという人参入りの理中丸や補中益気湯ぐらいなら、精力回復を願ってせっせと服用していたのかもしれない。

本稿では、精力剤の効果を吹聴しているのではない。
むしろこうした薬物に頼ってしまうのは逆効果であろう。

強精剤はやたら弱った体をむち打つものである。

これによって精力が一時的に増してもこれは直ちに延命に繋がるものではない。

限りある命を精力増強に振り向けるわけで、肝心の生命力そのものが損なわれることもある。

この辺りも家康は賢く対応していたということがいえよう。








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2017年07月03日

日本文化とどこか癒合しているカフェとは

日本文化としてのペットカフェ

ネコカフェとかウサギカフェが、人気を集めだしたのはいつのころからだろうか?

いまや日本だけではなくて、海外でも似たような店舗が出現してきているようである。

ペットカフェは海外からの観光客にも人気である。

ペットカフェはただのカフェでもなく、といって動物園でもない。

動物を眺めて終わるということでもない。

強いて言うならば、ペットショップの延長線上にいくらか重なるのかもしれない。

もともと癒し効果のあるネコやウサギ、フクロウといった小動物が選ばれて、そうした業態が出現してきたのだとも言えそうである。





【ふくろうラッシュ】フクロウカフェを4カ所まわってきたった☆








下北沢のうさぎカフェおひさまへ行ってきた









Cafe lapins a TOKYO - Rabbit Cafe うさぎカフェ










うさぎとカフェ.mpg











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2017年06月29日

遠藤周作原作の映画[沈黙]の背景とは

宗教を題材にした映画『沈黙』とは

ハリウッド映画『沈黙』は、現代の日本でどう受け入れられたのだろうか。

原作は遠藤周作の小説であり、出演者も日本人が多数出ている。

原作小説は世界的にも高い評価を得たとされる。

映画そのものは宗教を題材にしたとても重い作品であり、過酷な拷問に苦しむキリシタン信徒の姿も描かれるわけだから、観る側も相当な覚悟がいるであろう。

映画作品にしろ、歴史小説にしろフィクションであるから、そこには独自の演出や誇張もあるであろうし、もっとも重要であるところの宗教教義に至ってはどこまで理解が及ぶものなのか分からない。


この作品の原作小説は1966年に発表された直後、小説として評価されたにも関わらず、当時のカトリック教会に否定され、鹿児島、長崎では長い期間にわたって発禁本扱いにされていた事実がある。

この作品の時代設定は、島原の大乱が終わった直後の長崎が舞台である。

未曽有の島原の大乱とキリシタンとの関係をここでは一体どう評価するというのか。

あの3万7千人もの犠牲者を出した大乱の直前ではなく、終息してしまったところから物語の幕が上がるということは、日本人としてはいささ違和感を覚えるところである。

時代背景から言えば、いわゆる日本のキリシタン迫害の過渡期、もしくはそのもっとも過酷な時期からは焦点が外れているともいえなくもない。

むしろ時代設定がそこにわざわざ絞り込まれていることで、キリシタン弾圧の過酷さだけがより強調されてくるのは確かである。

そこがこの映画の一つの狙いなのかもしれないが、そこには何かが都合よく見落とされている感じがする。

結果的事象の前には、その発生事由としての原因そのものがあるはずなのだ。

それは宗教的迫害が生まれた理由の明確化が、少なくともそこには厳然と示されていなくてはならないであろうということである。

それでなくては、そこに至るまでのキリスト教伝来以降の歴史的経緯として捉えておかなくてはならない時代背景はもちろんのこと、そこから生じたいくつもの宗教がらみの事件の重要な部分が欠落してしまっていることになる。

それが示されなければ、当時のキリシタン宗徒が何故に為政者からあれほどに忌み嫌われ排斥されていったのかの歴史的流れが曖昧なままで表には出てはこない。

いうなればこの映画作品は、まさしく五幕物の最期を飾る悲劇作品というべきものであろう。

実際には、今回ここでは開幕公演されてはない一幕から四幕が存在しているのである。

しかもそれらがすべて悲劇的展開となっているのだが、多くの日本人は残念ながらそのことには関心を持たないであろう。


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ラベル:宗教映画
posted by モモちゃん at 09:53| 江戸時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月07日

地元に名園を残してくれた殿様・佐賀県武雄市

殿様自慢のお庭

佐賀県武雄市の御船山楽園に出かけてみました。

20万本のつつじが御船山の断崖下に咲き誇っていると聞いたからです。

久留米つつじに平戸つつじが群生していて、景色はいいです。






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入り口部分です。

入場料は大人700円とあります。

武雄領主が江戸時代に造園した庭園だそうです。






RIMG2900

















庭園の真ん中辺りに池がありました。

対岸に藤棚が見えました。






RIMG2906

















山のがけ下にたくさんのつつじがありました。





RIMG2908

















崖下の谷には一面につつじが植えられていました。





RIMG2912

















花見台から見た平戸つつじです。

満開の時期には少しずれたかもしれません。

行基が彫った釈迦像や羅漢像が安置された洞窟もありました。







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園内では藤も満開でした。






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園内では花の香りはあまり感じませんでしたが、途中にあった茶店からは美味しそうなメープルシロップの香りが漂ってきました。

それは、こんがりと焼かれた旨そうな饅頭の匂いでありました。
















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posted by モモちゃん at 09:32| 江戸時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月06日

歴史に所縁あるナンジャモンジャの木とは?

ナンジャモンジャとは何じゃろか?


いまが見ごろということで、ナンジャモンジャの花を探して佐賀県神崎町まで出かけました。

通常はナンジャモンジャと呼ばれる植物はヒトツバタゴのことだそうですが、対馬に多数群生しているとか聞いたことがあります。

「ナンジャモンジャ」と名付けられる植物の樹種は、ヒトツバタゴのほか、ニレ、イヌザクラ、ボダイジュなど様々な種類があって、元々は占いや神事に利用されていたものということで、神社や寺によく植えられています。

2,3本では見栄えがありませんが、4,50本ともなると見応えがあるのではないかと思い、今回出かけて行きました。

佐賀県神崎町の大円寺というお寺のナンジャモンジャが有名ということでした。






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たしかにたくさんナンジャモンジャが植樹されていました。

ナンジャモンジャまとまった状態で50本前後あるように思われます。

木の高さは4,5メートルほどで、花は満開に近い状態でした。

間近でナンジャモンジャの花を観賞したのは始めてです。







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真っ白い花で香りはほとんどありませんが、沢山の数が咲き誇っているだけにそこら一体に何やら微妙な芳しさが漂っているような感じがします。






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花びらは細くて丸みがあります。







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白くて繊細な感じです。






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ラベル:佐賀県神崎町
posted by モモちゃん at 06:00| 江戸時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月27日

貧乏人には飲めなかったから高貴薬なのだ!

庶民には無縁の高貴薬とは?

約30年前に観たテレビの番組で中国の漢方薬が紹介されていたのだが、そのなかで天然の二十年ものの薬用人参が展示販売されているところが映しだされていた。


この一本の立派な人参の販売価格が、なんと当時70万円だといっていた。

現在であれば、優に5倍にはなっているだろう。


一瞬唖然としたが天然資源が枯渇している現状を考えれば、その稀少価値は計り知れないとも感じた。


人参といえば朝鮮人参が有名であるが、江戸時代の吉宗の代になって初めて国産化さ れたといい、それまではすべて大陸からの輸入品に頼っていたのである。



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たとえば正倉院御物のなかに人参は含まれていたし、後に光明皇后の施薬院のためにそこから五十斤(三十キログラム)もの人参が流用されたというが、すべてとてつもなく貴重な渡来薬物であった。


時代劇にも人参は高貴薬としてよく登場する。


親の病気に薬代が嵩み娘が泣く泣く身売りするという、よくある話がそれである。


当時、それほど人参は高かったかどうか、どうしても当時の事情が知りたくなって図書館に行って調べてみた。


江戸時代の天保七年に人参一斤(六百グラム〕銀三十八貫という高値があったというが、大抵は一斤が銀十六貫辺りが平均的相場だったらしい。


当時の専門技術者であった京都の大工の日当が銀三匁(江戸は五匁)、これで銀十六貫を割ると五三三三日分に当たる計算である。

平成元年三月二十四日の銀の相場でこれを計算してみたところ、大工の日当は三百十八円、人参六百グラムは百六十九万七千八百九十四円にあたる。



現在平成27年11月26日の銀の相場ではどうか。

銀が倍以上に値上がりしていて、大工の日当は720円になる。(江戸だと1200円相当)。





ほかの物価と換算した場合は、江戸時代は現在より銀の価値が二〜三倍になるのでさらに人参の薬価そのものは高くなる。


たとえば通説に従って一両を現代の三万円と換算すると、大工の日当は千五百円、人参一斤は八百万という感覚であろうか。


とにかく現在の経済感覚で単純に計算したところで正確な数値が出てきはしないが、 それでもこの驚くべき価格には現代人でもおおよそ察しが付くというものである。


物価が上がるのは需要と供給に関係があることぐらい、経済オンチの私にも分かる。


円安だと、今も昔も舶来品は当然高くなる。


それに当時の人参は供給量が特に少ない薬物ときている。


だがこの高値には、もう一つ理由があるようである。


寛文・延宝(一六六一〜一六八〇)の頃、数原通玄という良医、朝鮮人参の効能を考へ──衆人の命を助くる事限り知らず。──これより大効ある事をいよいよ知る」と、 『近代世事談』にあるとおり、この時代人参の薬効に人気が集まったらしい。


昔から人参湯は起死回生の薬として知られていた。


この薬湯は漢方の医学書『金匱要略』に登場するし、『傷寒論』には理中丸として出てくる。 

いまでいう特別な新薬というわけではなかった。


しかしながら、通常処方される人参湯には三両(十二匁)、つまり四十五グラム(現代では十五日分)の人参が必要となるが、とても一般庶民が買える薬ではない。


円に換算するとこれだけで六十万以上もする高貴薬である。


天文(一五三二〜一五五四)の頃の名医永田徳本は薬一服十八文以上取らなかった。


患者が二代将軍秀忠のときも治療代は十八文だけしか取らなかったというが、これは例外中の例外であろう。


江戸時代医家,売薬で巨富を成すものが多かったのは、各種の史料をみれば分かることであるが、ここには高貴薬の人参が絡んでいる。


安政度で診察料が銀十五匁から三十匁(約一万五千円)、往診料は初度に二十二匁五分、その後は一度毎に十五匁ということで、こうした医療費とは別に一里内外は三十匁、二里は六十匁、二里半は二両、三里以上は五両(約十五万円)、おまけに二里以上は駕籠の往来であれば、 さらに往診療として駕籠賃、弁当代は病家が出すというものであった。


薬代はというと、七日分が銀三十匁、三日分が十五匁であるが、宵越しの金など持たない庶民はそう簡単に医者に掛かれなかったのである。


そうなると自然と鍼灸療法ということになる。灸は京阪とも二十四文(約144円相当) ですえられた。


按摩代は子供の按摩の揉み代、上下揉んで二十四文。大人の按摩は上下揉みは四十八文であったのだ。

現代でいえば、お手軽クイック整体というところである。


もちろんこれが相場であるから、世間にはこれより高い料金を取った者もいたであろうし、割り引いた場合もあったろう。

これを酒の価格と比較すると実感としてよく分かる。

安政の時代では、上酒一升が三百四十文から四百文(約二千四百円)のあいだであったという。『守貞漫稿』

ただし当時には、今のように酒に割高な税金は掛けられてはいなかった。











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ラベル:薬用植物
posted by モモちゃん at 16:51| 江戸時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月23日

大江戸の雰囲気を味合う「鬼平犯科帳」シリーズ

旨そうな「五鉄」の軍鶏鍋が喰いたい

ようやく池波正太郎の「鬼平犯科帳」全24巻(文春文庫)を読破することが出来ました。

これまでにも「鬼平犯科帳」は読んだことはありましたし、機会があれば「オール読物」に連載されている作品も何篇かその都度読んでいました。

今回はあらたまって全巻を片っ端から読み進めて見たというわけです。

30年以上以前の若い時に読んだ鬼平シリーズと比較すれば随分と違った感じがするもので、そこここに漂う独特の江戸の風情というものを今一度しっかりと味わったような気がしました。




粋人








吉右衛門

 







鬼平犯科帳 第1部 第19話   多岐川裕美(むかしの男)









鬼平より味わい深い言葉 1 「侍の心」

 








鬼平より味わい深い言葉 2 「異星より降った生き物」

 








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ラベル:時代小説
posted by モモちゃん at 07:00| 江戸時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月16日

江戸の街中には魑魅魍魎の類が疾駆していた!?

創作物語「憑依(つく)」

平助が銭湯から戻ったときのことであった。

家の角を曲がったとき薄暗い門口辺りに人影があった。

近付いてみるといかにもみすぼらしい格好の老人であった。

老人は平助の姿を認めると足早に近付き笑顔を浮かべてみせた。

「これは旦那、おかえりなさいませ」
老人は軽く会釈するとそういった。

そのように親しげに挨拶されても平助にはまったくその老人には見覚えがなかった。

「はて、どちら様でしょうか?」

平助は怪訝そうな表情のまま、老人の顔をしげしげと覗き込んだ。
年恰好は六十歳前後であろうか。

白髪ではあったが、顔の色艶はよかった。
どんぐり眼で眉は薄く、鼻にはやや赤みがあった。

どこにでも居るような年寄りの顔であって、特に印象に残るような顔ではなかった。
身なりはいかにも着古した感じで、薄黒く汚れていくつもの綻びが目に付いた。
まったくのぼろ着そのものであった。

「あっしは、天神町の方からまいりやした」

「はて?天神町といっても、あいにく知り合いはありませんが」と平助がいうと、老人はいきなり平助の手を取った。

「いやお忘れになったのも無理はございません。旦那には三十年ほど前にお会いしたきりで、あっしももっと若かった」

老人はそういうと、涙ぐんだ目で平助を見つめた。

「あっしがこの通りで行き倒れているとき、旦那はあっしに銭を恵んでくださった」

「ちょいと待ってくださいよ。三十年も以前だったら私もただの餓鬼ですよ。それにそんな昔の記憶とてありゃしない。そりゃあ誰かの間違いですよ」

「いや確かに旦那でした。あっしの記憶に間違いありやせん。そのときから旦那とは浅からぬご縁がるものと思っておりやす」

可笑しな話である。30年前の平助の顔を思い出したとしても、いまの顔とをここで比較しようにも到底無理な話ではないか。

老人の言う事は平助にはどうにも合点のいかないものであった。

「三十年前だったらきっと人違いですよ。もしかしたらその親切なお人は近所のどこぞの旦那だったかもしれない」

平助はこれ以上老人とかかわる気がしなかったから、話を切り上げてそそくさと木戸から家の中へ入った。

家に入ると同時に、飼っている柴犬の太郎が木戸口に向かって激しく吼えた。
愛犬の太郎が人に向かってこのように吠えるのは珍しいことであった。



平助が居間で煙草を燻らせていると、何やら勝手口の方に来客があったのか人声がする。

気になって台所の方を覗いてみると、何とそこに先ほどの老人が上がり框に腰掛けているではないか。

しかも老人は平助の女房の目の前で握り飯を食っている。

「ああ、旦那。おかみさんにご厄介になっておりやす」と、老人は平助の姿を目にすると機嫌のいい声を上げた。

「お光、これはどういうことだ?」
女房のお光はきょとんとした表情で平助の方を見上げた。

「お前さんの知り合いだとかで。こちらひどく腹を空かしていなさるようなので、いま握り飯をさしあげたのだけど」

「いや知り合いでもなんでもない。先ほど門口に突っ立っていなさっただけだ」

平助はそういいながら、灯りの下でしげしげと老人の顔を覗き込んだ。

「どこの何方だか手前はまったくおまえ様には心当たりがないので、申し訳ないがここは帰っておくれでないか」

平助は老人に対して少し語気を荒くしてそういった。

老人は困ったような顔で平助を見上げて頷いてみせたが、一向に腰をあげようとはしない。

平助は無言のまま老人に近付くと、脇からぐっと手を差し入れ抱え上げるようにして立ち上がらせた。
老人にしては意外と重みがあった。

その重みは老人の体重そのものなのか、平助の力に意識的に抵抗しているのかは判然としなかった。

それでもようやく老人の体を勝手口の外に押し出した。
平助は憮然とした表情で戻ってきた。

「あの爺さん一体何者だろうね。夜分に人の家に入り込んで来て、またく迷惑なことだ」

夜なかに何度か太郎の吠える声が聞こえたようだったが、平助はそのまま気にせずに眠ってしまった。


翌朝平助が家の外に出てみると、昨日の老人が昨日同様に門口の前に突っ立っていた。

「一体うちに何の用ですかい。理由もなくしつこく付きまとうと自身番に届けますよ」
平助は表情をこわばらせてきつくそう言い放った。

自身番は、町奉行の監督下にあって町内に設けられている警備のための詰め所であり、自身番屋とも呼ばれていた。

町内の家主や雇い人が交代で詰めていて、時たま市中見周りの役人も顔を出すのである。

老人は平助に向かって軽く会釈をしながら、へらへらと笑いながら悪びれた様子も見せずに前の通りを往ったり来たりしていた。

目の前の怪しげな老人は一晩中家の前に佇んでいたのかと思うと、平助にはこれは尋常ではないという不安感が一気にわいてきた。

まるで宿なしの浮浪者同然であり、どうみても薄気味悪いとしか言いようがなかった。

平助は家人に不審な老人が門口辺りを徘徊していることを自身番に届けておくように言いつけると、その日は用事があって上本町まで出かけていった。

家から出てしばらくすると誰かに付けられているような気がして、平助が思わず振り返ると例の老人が見え隠れしながら後をつけて来ていた。

いよいよこれは怪しい。

平助は後を付けてくる老人をまいてやろうと早足に通りの角を曲がると、細い路地に入って一気に掛け抜けた。

路地を二三度曲がって大通りに出て後ろを見ると老人の姿はなかった。
平助は老人をうまくまいたと思った。

平助は用事を済ませて帰路に就いたが、怪しい老人の姿はどこにもなかった。
平助がひょいと大通りから横道に曲がった時であった。

横合いから黒い影が飛び出してきて、平助はそのままぶつかりそうになった。
「ああっ!」
平助は思わず声をあげた。

「旦那、いまお帰りですかい」
平助の目の前には、ぼろ着姿でにたにた笑うあの老人が立っていた。

平助は老人を無言で睨みつけて押しのけるとそのまま歩き続けた。

老人が後を執拗に付いてくる足音が平助には聞こえた。
「いい加減にしろ!」

平助はそう叫びざま振り返ると、老人の胸倉を掴んで思いっきり付き飛ばした。
平助は重い手ごたえを感じた。

老人はころころと地面を転がると、身軽にすっくと起き上がると再び平助の前に立ちはだかった。

このときの身のこなしの素早さはとても老人の動きとは思えなかった。

平助はこのときいままでにない恐怖を覚えた。
平助は老人に掴みかかると、その体を力一杯振り回すようにして投げ飛ばした。

老人の体はまたしても地面を横にころころと転がった。
「もう付きまとうな!」

そう叫びながら、さらに平助は路上の木切れや小石を掴むと老人に向かって投げつけた。
平助はそれほど必死であった。

その瞬間であった、地面に転がっていた老人は起き上がりかけたかと思うといきなり動物のように四足で逃げ出した。

平助にはその後ろ姿が犬のようにも狸のようにも見えた。

逃げながらその顔は平助の方を見ていた。
それはほんの一瞬のことであったが、もはや老人の顔は笑ってはいなかった。。

老人はそのまま狭い路地に走り込んで姿を消してしまった。

平助はその場にしゃがみこんだ姿勢であったが、心の臓が煽って呼吸するのに息苦しいほどであった。

平助はあれ以上老人がしつこく迫ってきていたら、あの後どういう行動に出ていたか自分でもわからないと思った。
それほどにこのときの平助は無我夢中で混乱していた。

平助は少し落ち着くと自分が夢でも見ていたのかと思わず頬をつねってみた。

その気味の悪い老人との遭遇から一か月ほど経った頃、女房のお光があの老人を隣町で偶然見かけたと言ってきた。

詳しく聞くと隣町の有馬屋という大店に入って行くところを見たという。

「有馬屋というとあの縮緬問屋の大店だろう?」

「そうですよ。でもねおかしいことに、あれほどみすぼらしい風体なのに誰も店に出入りするのを咎めないんだから。皆知らんぷりなんですよ」

「あの爺さんが店に出入りしてたって?」

「はい、少し離れて見ていたのだけど誰もお爺さんのことに気付いていないみたでしたよ。もしかしたら店の者にはあのお爺さんの姿が見えていなかったのかもしれない」

「見えていないって、そりゃあ妙な話だな。現に俺たちにはあの薄汚い爺さんの姿がちゃんと目に見えていたし、必死になって追い払ったりもしたわけだし」

そう話しながら、平助はあの薄汚い不気味な老人が自分のところからどうやら離れていってくれたことを心のどこかで安堵していた。

それからまた一か月経過したとき、思いがけない出来事が起こった。


夫婦で話していた隣町の大店有馬屋が数日前に潰れたというのである。

詳しいことは分からなかったが、すでに店は閉じてしまっていると女房のお光は平助に話した。

「あれだけの構えの大店だったのに、本当に一夜にして潰れたそうですよ」

「そろそろまた不景気風が吹き始めたのかもしれないぜ。それとも例の疫病神みたいな爺さんの仕業かも知れねえ」

このとき平助は、疫病神という言葉が自分の口から出たことにはっとした。

「違えねえ、あの爺さんは確かに疫病神だ。疫病神だか貧乏神だか知らねえが俺の家にとり憑こうとしていたんだよ」

「貧乏神が目に見えたってこと?」

「そうさ、人目に見えない貧乏神がどうしたわけか俺たち夫婦には見えたってことだ」

「うちの太郎にも貧乏神は見えてましたよ。しっかり吠えていたもの」

平助が愛犬の太郎の方に目をやると、太郎は嬉しそうに平助の傍に走り寄って来た。










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posted by モモちゃん at 08:33| 江戸時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月11日

大江戸に救急医療体制はあったのか?

お江戸の籔井は有名人!

藪医者(藪井竹庵)、あるいは、やぶくすしという言葉は、相当に古くからあったようである。

『広辞苑』によると野巫医(加持祈祷の呪いで病気を治療する者をいう)からできたとしているから、それなりに歴史的伝統があることになる。

ずいぶんと以前に「医道三訓」なるものを何かの本で読んだ。
医、非仁愛之士、不可託。医、非聡明達理、不可任。医、非廉潔淳良、不可信。」

そこには医療に求められるであろう切実なる理想が込められていることが、ひしひしと伝わってくる訓戒である。

それこそ江戸時代までは医者になるのに国家試験も免許制度もなく、資格自体に特別な条件は要らなかったのであるから、その医術の質を問うほうがおかしいくらいの時代背景があった。

多少専門的知識や技術は必要であったであろうが、要は周囲の者が医療技術者として認めるかどうかということであって、その他の専門技術者と同様の認識であったのだ。

それでも医術というからには武術並みに免許皆伝ぐらいあったであろうと思うのだが、それすらもいらなかったのである。

まさに役者、芸者、易者の同類であったわけである。

当然、巷には良医、名医などは数少なかった。

早い話、中には読み書きがまともにできない藪医がごろごろいたのである。

ものの本によると、「元禄以来は太平の御代となり、医者の真似する者が、何時の間にやら頭を丸めて、長羽織、見る内に駕籠乗物にとび上がり昼夜いそがしげに走り回り、 子孫虱のわく如くに分散して国々の果、村々に医者のなき所なし・・・」とある。

これが明治の始めまで続いたのであるから、実に藪医という言葉が現実に生きていた時代であったというべきである。

そのように見てくると当時流行った川柳に出てくる藪医の描写が、まんざら誇張されたものではなかったことがよく分かる。

ここでそれを少し紹介してみたい。

たとえば新米の藪医もはじめは「薬屋に毛のはえた奴あたま剃り」などと茶化されたりするのだが、 そのうちに「半殺しにして余人へと藪医言い」とか、「藪医者は一人治すと二人死に」 とか町中で悪口をいわれるようになる。

やがては「竹庵はまたも四五人後家を出し」とか噂されるし、いよいよにエスカレートしてくると、「殺すもの上手の女郎下手の医者」などと嫌なことも言われだす。 

医者が往来を歩いていると、「八幡よりもっと怖いは医者の藪」と陰口をたたかれたり、終いには「人の命の惜し気なく藪医盛り」ときついことを耳にするようになる。

往診に行っても、「やぶ医の入った家に殺気立ち」とか、「ひと思案ござると藪医のこわいこと」などと言われ、これでは面目まるつぶれである。

その一方で昔からの権威、格式を鼻にくくりつけたような医家の名家といわれるところもあった。

旁もって療治灸治のため、医骨の仁を相尋ね候といえども藪薬師は間々見え来るが、 和気・丹波の典薬、かってもって逢ひがたく候」──『庭訓往来』、とあるとおりこれらの将軍家の典薬頭の格式は高く、江戸時代ともなるとその子孫の半井家は千五百石、今大路家は二千石もの家禄があった。

ここらは相当に羽振りが良かった。

それに対して市井の町医者の方も負けてはおらず、宣伝も行きわたって大いに市井に名を上げるものがいた。

土生玄碩は目薬の売薬で巨富を得て有名であり、ついには将軍家の侍医まで出世した。

有名な杉田玄白も『解体新書』の出版で大成功を収めたから、収入では土生玄碩に負けてはいなかった。

文政年間、京都の医師のなかで最も収入が多いと自負した新宮凉庭は、大阪鴻池家からの療治謝礼だけで年間の生活費が充分に足り、他に二千五百両(約二億円)もの年収があったと弟子に自慢気に話したという記録がある。

原南陽という医師は落ちぶれて江戸に出て小石川あたりの裏店を借りて按摩や鍼を業としていたが、やがて己の才覚で水戸公に五百石で召しかかえられたという。

これは当時としては破格の抜擢であり、人がうらやむ出世であった。

とはいえ、開業が自由なだけ同業同士の過当競争もあって、すべての町医者が裕福というわけではなかった。

落ちぶれたままの境涯の者も少なくなかった。

たとえば元禄御畳奉行(尾張藩士)の日記に、「頃日、いせ町伝馬町下る丁、町いしや(医者 )若山玄昌女、弐拾参歳、父の脇指を腹へ突立て、未だ死なざる内に両親見つけ、押し留む。書置および歌あり。父の貧を悲しみてのこと也。云々(正徳元・五・五)」とある。

これを見ると良医であろうと藪医であろうと世渡りするにも、それ相応の算術の才覚がものをいった。

駕籠代の上前を取る流行医者」というように、昔は往診の際に共回りをぞろぞろ連れて行き、駕籠代や弁当代を患家から頭数分もらっていた。

藪医といわれようと、当時はこれくらいの図々しさが必要だったのである。   

当然のことであるが、現代のような国民皆保険の制度などない時代であったから一般庶民や貧乏人は質の高い医療など受けられる余裕はなかった。

江戸時代の平均寿命は30歳前後であった。

衛生事情はもとより、栄養状態が悪く出産時の母子の死亡率が高かったし、疫病が流行って命を落とすことも少なくなかったからである。

流行り病といわれた感染症には一般庶民は無力であった。


九十歳以上の長寿を保った葛飾北斎などは、当時はきっと人間離れした化け物と見られたはずである。















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ラベル:流行り病
posted by モモちゃん at 12:36| 江戸時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月09日

<ローマ法王>高山右近を「模範者」と持ち上げる!

決死の覚悟であった高山右近と村山等安

学校では絶対教えられない九州歴史発見シリーズ
いまさら歴史認識がどうした?


逃れようのない命運の下、
誇り高き同志のキリシタン高山右近と村山等安との最後の別れ


東洋医学史研究会
宇田明男


<ローマ法王>高山右近を「模範」と称賛

毎日新聞 2017/2/9    

【ローマ福島良典】フランシスコ・ローマ法王は8日、江戸幕府のキリスト教禁教令で国外に追放されて殉教し、カトリックの崇敬対象「福者」になったキリシタン大名の高山右近(1552年ごろ〜1615年)を「模範」とたたえた。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170209-00000095-mai-int




●キリシタン高山右近との別れ

戦国の武将で摂津高槻城主であったキリシタン大名高山右近をご存知であろうか。

右近は秀吉の支配下で大名の座を捨てた後しばらくは小西行長に庇護されて小豆島や肥後などに隠れ住んでいたが、天正16年(1588年)に加賀の前田利家に招かれそこで1万5千石の扶持を受けていた。

この間は、右近の周囲は平穏であるかに見えていた。

徳川時代になると全国的にも幕府によるキリシタン弾圧の動きが顕在化しつつあったが、この時も高山右近は加賀前田家の客人として遇されており、そこでは一介の武将として留まっていた。

しかしながら、徳川幕府はかってのキリシタン大名であった高山右近のことを忘れてはいなかった。

国内のキリシタンの動向に目を光らせていた幕府は、その弾圧の矛先を彼にも向けてきた。

それは徳川と豊臣との間で高まりつつあった戦乱の気配とともに、国内のキリシタン勢力が次第に豊臣方に近づきつつあったからである。

徳川幕府は、高山右近らのキリシタン勢力が豊臣方に加担して一斉蜂起することを最も恐れていた。

幕府の手前、そのまま前田家に留まっておれない状況にかねてより苦慮していた右近は、幕府の禁教令を受けてついに意を決して一つの行動を起こした。

人々の引きとめる中加賀を自ら退去すると、他の追放されるキリシタン信徒や修道女300人余りの列に加わったのだった。

京都を経由して一族とも合流し、彼らと共に遠く九州の長崎の地までそのまま移送されていった。

高山右近ら一行は慶長19年(1614年)の4月20日に長崎に到着し、その後の幕府の処置が伝えられるまで市内の教会に全員収容されることとなった。



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右近が長崎に移送されてきたとき、長崎代官としてまた同じキリシタン信徒として村山等安は複雑な想いで収容先のトドス・オス・サントス教会(現在の長崎・春徳寺)に駆けつけてきた。

右近は家族とともに追放された内藤如安(元丹波守護代)らとも合流したあと、長崎からマニラに送られる船に乗ることになっていたが、このとき村山等安は経済的援助だけでなく渡航に必要な2隻の船を彼らに提供した。

ただこのとき等安は独自の台湾遠征計画を練っていた時期であり、その船団編成の準備のため不本意ながら右近一行に対しては老朽船しか用意できなかった。

秀吉の下で大名の地位にあった右近は、長崎の等安とも以前から茶道を通じて交流があった。

しかも右近が長崎まで伴ってきた妻はジェスタという洗礼名であったが、これは等安の妻の洗礼名とまったく同じであっこともあって二人の武人は同志として肝胆相照らす仲でもあった。

戦国時代にあって高山右近は人一倍猜疑心の強い織田信長や豊臣秀吉の下でも信任を得ていただけでなく、武将として多くの大名からも絶大な信頼を寄せられていた稀有な人物であった。

当時、右近の説得によってキリシタンになった武将も少なくなかった。

当初幕府は右近の処刑も考えていたが、それによる国内のキリシタン勢力の反発を危惧して最終的には国外追放の方針に傾いたという経緯があった。

慶長19年(1614年)9月24日、ついに長崎の高山右近らに対して国外追放の命令が幕府より下された。

その直後に、(陰暦9月10日という)最後の別れの挨拶に村山等安の屋敷を訪れた右近は、そこで彼の盟友で茶友でもあった豊前藩主の細川忠興への礼状として「日本訣別の書簡」をしたためるとそれを等安に事づけたという逸話がある。

出航を待つこのつかの間に等安と右近とは、そのとき共に何を語らったであろうか。

今回の右近らの国外追放には、等安の次男の長崎教区神父の仲安フランシスコ・アントニオ・村山も含まれていた。



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すでにこのとき、ある事件を契機にして長崎代官村山等安の身辺にも幕府の厳しい監視の目が張り巡らされていた。

彼とてもうどうにも後戻りはできない状況に置かれていた。

次第にキリシタン迫害が苛烈化する状況にあって、二人はここで始めて心に秘めていた国内での迫り来る騒乱の懸念について互いに触れたはずである。

等安も高山右近ももはや豊臣方と徳川方の衝突が避けられないことと、さらにはそこにキリシタン勢力を巻き込んだ大乱勃発の危険性とをはっきりと認識していた。

二人は、次第に追い詰められていく多くのキリシタン同胞の行末を案じていた。

そうした中、右近が追放された直後の慶長19年(1614年)10月2日、ついに豊臣家では旧恩ある大名や浪人に檄を飛ばし、徳川方との戦争準備に着手した。

これは予想されていた展開であった。

それまでにも徳川と対立を深めていた大坂方から、密かに金沢の右近の元へは参戦の誘いの使者が度々訪れていた。

キリシタン大名として高名であった高山右近がここで豊臣方の加勢として味方して立てば、全国のキリシタン宗徒が彼の元へ参集することは明らかであった。

大坂方は右近を陣営に引き入れようと画策していた。

だが右近はそのような形で彼のキリシタンとしての立場が利用され、多くの犠牲を伴う大乱に加担させられることを極度に嫌っていた。

ここで右近が動けばより大きな大乱を招き、結果的には多くのキリシタン信徒や彼を慕う遺臣らを戦乱に誘い込むことになるとして、まずそれを回避しなくてはならないと考えていた。

もとより右近は、キリシタン宗徒が犠牲になる騒擾や戦乱を望んではいなかったし、何ら野望も抱いてはいなかった。

そのようなこともあって、右近はこの時を選んで自らこうした幕府の海外追放を選択し潔く受け入れていたのだった。

右近も等安も、もはや戦国の武将としての自分本位の功名心はまったく持ち合わせてはいなかった。

彼らの前にはそうした野心とは無関係に、命を賭して守らなくてはならない弱者としての多くのキリシタン同胞が周囲にいたのである。

そしていまようやく高山右近は、幕府監視の下にマニラ行きの船に乗船することとなる。

かって高山右近がキリシタン大名として奴隷貿易に直接関与したかどうかは不明であるが、このとき彼ら一族が長崎の港から奴隷船とまったく同じ航路を通ってマニラへ渡航することになったのは事実である。

彼ら一行はキリシタンとしての自由の地を求めていたのであろうが、奴隷と同じように遠く祖国を離れていかざるを得なかったことは何とも言えず皮肉な展開ではあったであろう。

右近との最後の別れに際して、このとき村山等安は己の驚くべき胸中を打ち明けてみせた。

等安は、このときマニラに追放される船から神父たちを密かに小舟で連れ戻すという大胆かつ危険きまわりない行動に出るのである。












削除されなければこの稿続く








参考資料:
読売新聞:2004年8月7日〜9月18日号・「九州こだわり歴史考・棄教の果て」
「サント・ドミンゴ会の修道師の記録による村山一家」(アルバレス・タラドーリス編注・佐久間正訳)
「完訳フロイス日本史」(中公文庫) ルイス フロイス (著) 松田 毅一 (翻訳) 川崎 桃太 (翻訳) 全12巻
 1 織田信長篇T「将軍義輝の最期および自由都市堺」(中公文庫,2000年1月)
 2 織田信長編U「信長とフロイス」(中公文庫,2000年2月)
 3 織田信長篇V「安土城と本能寺の変」(中公文庫,2000年3月)
 4 豊臣秀吉篇T「秀吉の天下統一と高山右近の追放」(中公文庫,2000年4月)
 5 豊臣秀吉篇U「暴君秀吉の野望」(中公文庫,2000年5月)
 6 大友宗麟篇T「ザビエルの来日と初期の布教活動」(中公文庫,2000年6月)
 7 大友宗麟篇U「宗麟の改宗と島津侵攻」(中公文庫,2000年7月)
 8 大友宗麟篇V「宗麟の死と嫡子吉統の背教」(中公文庫,2000年8月)
 9 大村純忠・有馬晴信篇T「島原・五島・天草・長崎布教の苦難」(中公文庫,2000年9月)
10 大村純忠・有馬晴信篇U「大村・竜造寺の戦いと有馬晴信の改宗」(中公文庫,2000年10月)
11 大村純忠・有馬晴信篇V「黒田官兵衛の改宗と少年使節の帰国」(中公文庫,2000年11月)
12 大村純忠・有馬晴信篇W「キリシタン弾圧と信仰の決意」(中公文庫,2000年12月)

「村山当安に関するヨーロッパの史料」アルバレス・タラドゥリース(著) 佐久間正(訳)
「キリシタンの世紀」 高瀬弘一郎 岩波書店 1993
「堺」日本歴史新書・商人の進出と都市の自由 豊田武著 至文堂 1957
「キリシタン時代の貿易と外交」 著者: 高瀬弘一郎
「看羊録―朝鮮儒者の日本抑留記」 (東洋文庫 440)姜 (著)  朴 鐘鳴 (翻訳)
「村山等安とその末裔」(自費出版)村山トシ (著) 1993
「近代資本主義の成立と 奴隷貿易―――― A 教皇文書と新大陸での実態の吟味 カトリック教会は奴隷貿易を容認したのではないのか」 西山俊彦 2003 カトリック社会問題研究所 『福音と社会』 211
「近代資本主義の成立と奴隷貿易―――― B 教皇文書と新大陸での実態の吟味(2) キリスト教化は奴隷化の方便ではなかったか」 西山 俊彦著 2004 カトリック社会問題研究所 『福音と社会』 第 212 号
「キリシタンの世紀―ザビエル渡日から「鎖国」まで」高瀬 弘一郎 (著)  岩波書店 1993
「不干斎ハビアン―神も仏も棄てた宗教者」釈 徹宗著 新潮社 2009
「日本切支丹宗門史 」〔著〕レオン・パジェス 訳吉田小五郎 岩波書店
教区司祭荒木トマスに関する未刊書翰について(岸英司名誉教授追悼記念号) 五野井隆史 サピエンチア : 英知大学論叢 41, A25-A40, 2007 聖トマス大学
















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posted by モモちゃん at 22:06| 江戸時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする