2017年05月14日

美人は一応シュミレーション加工が可能です!

最新のデジタルで美人はどう造られるのか?


いま懐かしい80年代の歌謡曲が若い世代にもブームなんだそうです。

そうなると80年代のファッションなんかも復活しそうな感じですね。

いま思えば80年代は綺麗な女性が多かったように思います。(?)

当時の巷での評価でいうと、その筆頭が歌手のあべ静江さんでした。

確かに男性には人気がありました。



コーヒーショップで あべ静江 









あべ静江さん みずいろの手紙


 




先般、パーフェクトな体形や顔のメイクで美人モデルに作り上げる手法が動画で紹介されていました。

これは凄いです。男性必見です。
二次元のデジタルだとここまで可能なんです。



Body Evolution - Model Before and After










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タグ:あべ静江
posted by モモちゃん at 17:59| 歴史発見 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月03日

古来女性も使っていた日本のフンドシとは?

褌(ふんどし)の数え方

新太郎は出港予定の前日に姉から風呂敷包みを受け取ると、あらためて別れの挨拶をした。

姉とは半年以上会えなくなるわけで、一抹の寂しさがあったが新太郎は終始笑顔を崩さなかった。

新太郎は帝国大学附属工業専門部を卒業すると、すぐに給料のいい商船会社に就職することを決断した。

先輩の勧めもあったが、もとより自ら望んで大型船の機関部でエンジンの保守管理に従事する仕事に就いたのだ。

海外航路を運航する船に乗り込むわけだから、一端航海に出れば何ヶ月間も陸地には上がれないこともある。

ましてや日本に帰って来るとなると、予定があったとしてもそれこそ何時のことになるかははっきりとは分からない。

新太郎が乗船する大型船は商船であり、大量の物資や貨物を港から港へと輸送する。

そのエンジンの操作はもとより機関部全体の保守管理をするわけであるから、若い新太郎には最初から遣り甲斐のある仕事のように思えたのだ。

両親は若くして他界していたので彼の身内といえば、3歳上の姉だけであった。

新太郎が商船会社に就職したことに姉は驚きはしたが、格別反対はしなかった。

男は思い通りに生きた方がいいと常々口にしていただけに、新太郎の意思を尊重してくれたのである。

新太郎は、希望通りに外国航路を巡る大型船に配属され乗船することが入社直後に決まったのであるが、その日のうちに姉の下を訪ねていった。

このときの新太郎には、特別に姉に頼みたい要件があったのだ。

「姉さん、ふんどしば縫ってもらえんやろか?」

「そりゃあよかばってん、何丁いるとね?」

「百丁縫って欲しかとよ」と、申し訳なさそうな顔で新太郎はそう言った。

「まあ!百丁もね!」

姉は、百丁という数を聴いて一瞬驚いた表情で新太郎の顔を見つめた。

「どうして百丁もいるとね?」

「俺は自分でふんどしば洗濯するとは面倒たい。三日おきに新かふんどしに取り替えていくけん、どげんしてん一航海に百丁はいるとたい」、と新太郎は言った。

姉は新太郎の言葉に笑いながらどうにか納得すると、期日までにふんどしを百丁仕上げると新太郎に言った。

そして、新太郎が船に乗り込む前日までにその百丁のふんどしをどうにか仕上げてくれたのであった。

新太郎は受け取ったその百丁のふんどしと身の回り品を携えて、翌日の早朝に始めての航海に出る大型船に乗船したのだった。

船の機関部の仕事は面白かった。

エンジンの保守管理は油だらけになることも少なくなかったが、新太郎はすべてにおいて作業手順の飲み込みが速く先輩達からも可愛がられた。

船内の生活にもすぐ慣れたし、専属の調理人がつくる毎日の料理も洋風で新しいもの好きの新太郎を喜ばせた。

日本で陸の仕事に就いていたとしてもこれほどの経験は出来まいと思った。

新太郎の乗った船の航路は世界の七つの海にまで広がっていて、世界中の大きな港を経由して各航路を回っていった。


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見る物、聴く物どれもこれもが目新しく、若い新太郎は世界各地で青春を謳歌していったというわけである。

そしてこの間、新太郎の百丁のふんどしは予定通りに2,3日おきに取り替えられていった。

使い捨てのふんどしは次々と船上から海面へと投げ捨てられた。

ふんどしはその都度海風に大きく煽られ吹き飛ばされながら海の藻屑となって新太郎の視野から消えていった。

その後も新たな航海の度に新太郎の百丁のふんどしは、毎回姉が縫い続けてくれた。

新太郎は20代にして外国航路の機関長に出世していた。

それでも姉の手で縫われるふんどしが千丁を超えた辺りから、新太郎は陸にそろそろ上がろうと思うようになった。

新太郎は三十をいくつか過ぎたころに、その商船会社を惜しまれつつ退社した。

いまでも新太郎はときどき夢に見ることがあるのであるが、それは夥しい白い晒木綿のふんどしが世界中の海の中を漂っている様子なのである。

それは夢でありながら、妙にリアルで生々しい情景なのである。


「爺ちゃんは何でパンツば履かんとね?」と、孫から聴かれると、新太郎は大抵きまって「爺ちゃんは色のついたパンツは好かんとたい」と応えるのであった。





















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posted by モモちゃん at 09:40| 歴史発見 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月01日

「ロビンソン・クルーソー」原書初版本を探しています?!

もしかしたらお宝発見!

イギリスの小説家ダニエル・デフォーの小説「ロビンソン・クルーソー」は、日本でもよく知られた作品です。

また意外なことですが、もっとも長い題名の付いた小説ということでも知られています。

原題は、そのままだと「The Life and Strange Surprizing Adventures of Robinson Crusoe, of York, Mariner: Who lived Eight and Twenty Years, all alone in an un‐inhabited Island on the Coast of America, near the Mouth of the Great River of Oroonoque; Having been cast on Shore by Shipwreck, wherein all the Men perished but himself. With An Account how he was at last as strangely deliver’d by Pyrates」ということになります。

この小説「ロビンソン・クルーソー」は、1719年にロンドンで刊行されているのですが、当時大変なベストセラーになりその後も次々と版を重ねました。

原題をみると、" The Life and Strange Surprizing Adventures of Robinson Crusoe, of York, Mariner: " 
 「ヨークの船乗り、ロビンソン・クルーソーの生涯と驚くべき不可思議な冒険の数々」というタイトルで始まっています。

さらに続けて、" Who lived Eight and Twenty Years, all alone in an un‐inhabited Island on the Coast of America, near the Mouth of the Great River of Oroonoque;
「彼は28年間も孤独なまま過ごしたのは、南アメリカ沿岸の大河オリノコの河口付近にある無人島であった:

Having been cast on Shore by Shipwreck, wherein all the Men perished but himself. With An Account how he was at last as strangely deliver’d by Pyrates."
船が難破して岸辺に打ち上げられ、彼以外の者はすべて犠牲となってしまった。その最後において、奇しくも海賊船にどのようにして救出されたかを記したものである。」と書かれています。

これに続いて「彼の(本人)自筆による」(Written by Himself)とあって、まるで主人公のロビンソン・クルーソー自身が記述したかのように表現されています。

まるでノンフヘション作品と言わんばかりの触れ込み方です。

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少年時代、この「ロビンソン・クルーソー」と「十五少年漂流記」の二冊は愛読書でした。

主人公の無人島での生活と冒険を、わくわくしながら読んだ記憶があります。


「ロビンソン・クルーソー」には、もう一つ特別な思い出があります。

実は伯父の一人が意外なことに、この「ロビンソン・クルーソー」の原書、それも貴重な初版本を持っていたのです。

ただし、80年ぐらい以前の戦前の話です。

もしいまそれが手元にあるとすれば、とてつもないお宝本ということになります。

世界中の図書館や大学当たりが欲しがる数少ない稀少本として、おそらく数億円の価値はあるのではないかと思われます。

生前、伯父はその「ロビンソン・クルーソー」の本の入手の経緯について話してくれました。

それによると伯父が旧制中学の生徒であったとき、実家の近くに当時逗留していたある人物と出会い、家族ぐるみで付き合ううちにとても懇意になったそうです。

たしかその方の名前も聞いていたのですが、残念なことに失念してしまいました。

その方は学者のような風貌で、何でもかっての日露戦争当時ロシア側との交渉での通訳を務められていたという経歴があったといいます。

その方がその土地を離れる際に、伯父にその貴重な「ロビンソン・クルーソー」の原書を手渡してくれたというのです。

初版本だから大事にするといいと言われたということでしたが、戦争の混乱もあってその後の原書の行くへは不明だということでした。

この話を聞いて40年近く経ちますが、いまでも時折この話を思い出します。

伯父が育った家に行くと、決まったように従兄たちに声を掛けます。

屋根裏か押し入れで、古めかしか英語の本ば見かけたりはせんね?もしも出てきたら、もの凄かお宝になるとばい」、と。

ここだけの話ですが、ここらの事情を詳しく聞き知っているのは、実は私だけなのです。












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posted by モモちゃん at 08:24| 歴史発見 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月21日

秋は雷山千如寺にまで足を延ばしてみました

秋の千如寺・五百羅漢像を訪ねる



福岡県糸島市雷山にある千如寺大悲王院に行ってきました。

ここは成務天皇(第13代天皇(在位:成務天皇元年1月5日 - 同60年6月11日)の時代ということなので、古代の4世紀辺りにまで想定できる歴史があるということになります。

この時代の九州は、歴史教科書には記載されてはいない「九州王朝」が支配していた時代ということになりますので、成務天皇の事跡そのものは後世の日本書紀などの正史に詳しい記録はありません。

その縁起はというと、成務天皇の四十八年、雷山の地主神である雷大権現の招きで渡来した天竺の霊鷲山(りょうじゅせん)の僧清賀上人によってこの地に開創されたと伝えられています。

霊鷲山とはインドのビハール州にある山で、別名では耆闍崛山、鷲峰山、霊頭山、鷲頭山、鷲台としても知られていますが、1903年(明治36年)1月14日朝、大谷光瑞が率いる第1次大谷探検隊が朝日に照らされたこの山を仏典上の霊鷲山と同一と確定したことで有名な聖地です。

霊鷲山は、かって釈迦が無量寿経や法華経を説いた仏教の霊山ということになります。

その所縁の地からインド人の清賀上人が仏教と共に古代日本に渡来してきたということですから、ここでも従来の学会の定説や歴史観がひっくり返ってしまいます。

その後、千如寺は聖武天皇の時代には勅願道場となり、国司により七堂伽藍が建立されたということです。

仏教が盛んであった鎌倉時代には、この地には三百もの坊舎があったといわれます。



参詣する人たちが次々とバスで訪れていました。




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千如寺は立派な樹齢400年といわれる楓の大木があることでも近隣に知られています。






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中庭に大きな楓があります。






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伽藍の裏は傍まで山が迫っていて、その斜面を覆うように石像が並んでいました。





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杉の大木の間に羅漢像が整然と並べられています。





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やはりこれだけ羅漢像があると壮観です。






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タグ:仏教伝来
posted by モモちゃん at 11:56| 歴史発見 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月03日

極秘任務中消えた伊号潜水艦を発見!

忘れ去られた伊52潜水艦

戦前、日本海軍は世界最高水準の潜水艦製造技術を保有していました。

また、圧縮空気で推進器を稼働させる魚雷も当時世界最高水準レベルの革新的技術でした。

若い時、その軍需工場で働いていた技術者だったという方に話を伺ったことがあります。

そこにはほとんど知られていない驚きの歴史がありました。




日本軍の極秘潜水艦伊401

 






発見!伊52潜水艦   ドイツ派遣潜水艦の最終艦

 














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posted by モモちゃん at 08:30| 歴史発見 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月24日

ヒットラーが未来の人類に託してくれたもの!?

受け継がれたヒットラーの遺産とは何か?

科学発展の道筋には確かに人類の求める続けてやまない真理追究のロマンがある。 

そこにはまさしく科学の平和利用という理想がある。

20世紀初頭ドイツの科学者の中には、宇宙に向けてロケットを打ち上げる夢をもって地道な研究を続けていた学者グループがあった。

これに目を付けたナチス・ ドイツは、新兵器に転用できる科学技術として彼らのロケット研究を高く評価した。

そしてナチスの手によってそこから瞬く間に無人爆撃機、さらにはV2号ロケットへと改良していった。

ヒットラーの期待に応えて、完成したV2号ロケットは次々と英国のロンドン市内に打ち込まれ市民を震え上がらせた。

V2号ロケット攻撃で数千人の犠牲者が出たのだ。

V2 rockets from Penemünde to London









このロケットには、飛行中の姿勢を制御する画期的な姿勢制御装置(ジャイロ)がすでに搭載されていた。

ドイツ敗戦時、連合国側のアメリカとソ連の軍隊はこのV2号ロケット施設を競って接収した。

戦勝国側はナチスドイツ軍の脅威的な新兵器技術をすべて鹵獲物として接収したのである。

ここでは工場設備だけではなく、ロケット開発や製造に従事した科学者や技術者6千人を拘束しそれぞれの国に移送した。

大戦後判明したことであるが、当時のドイツの科学技術水準は他国を大きく引き離していたわけで、皮肉にもその後の米ソの宇宙競争を支えたものは、まさにヒットラーの遺産ともいうべきこれらのロケットを主体とする軍事先端科学技術であった。

ヒットラーの遺産はいまや強大な軍事システムとして存続し続けている。

それが脅威の巡航ミサイルシステムである。

アジア太平洋地域で戦争があるとすれば、開戦と同時に最先端兵器であるこの巡航ミサイルが最初に飛び交うことになる。

全天候型のGPSによってコントロールされる巡航ミサイルは、50メートルほどの低空で飛行し続け適格に標的をピンポイント攻撃することが可能である。

コンピューター画面の地形図に攻撃標的の座標ポイントをクリックするだけで事足りる。

すでに中国も「北斗 (衛星測位システム)」を4年前に実用化し、巡航ミサイルシステムもアジア太平洋地域に配備している。(2012)




衝撃映像「ロシア潜水艦がシリア沖から初めての巡航ミサイル攻撃」 Russian Caspian Sea fleet launches cruise missiles against ISIS sites in Syria

  







シリア空爆、米艦船から発射される巡航ミサイル US, Arab allies launch air strikes on IS jihadists in Syria

 








中国の長距離巡航ミサイルの第一波攻撃で日本は壊滅する

 






これらのシステムは運用する国はそれぞれ違っていても、ヒットラーから受け継いだ同じ巡航ミサイルであるからほとんど区別がつかないほどに似通っている。

ヒットラーから受け継いだ遺産としての巡航ミサイルには、皮肉にもまったく同じ血脈が流れていることを如実に物語っているのである。












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2016年08月14日

古代生物マンモスは1万年前に絶滅しました!?

古代生物は生存している!?

マンモス (Mammoth) は哺乳綱長鼻目ゾウ科マンモス属 (Mammuthus) に属する太古の動物である。

現生の哺乳動物のゾウに体型が類似しているが、遺伝的には別系統だとされる。

約400万年前から1万年前頃まで生息していたとされ、巨大な湾曲した牙が特徴的で長さが5メートル以上にもなり、行動範囲も広く古代の人類とも頻繁に遭遇していたことになる。

世界各地に生息していたが、現在は全種が絶滅しているというのが生物学者らの定説である。


プテラノドン(学名:Pteranodon)は、中生代白亜紀後期の約8000万年以前(中生代白亜紀)にアメリカ大陸を中心に生息していたとされる翼竜の一種である。

巨大な7,8メートルにもなる翼を持ち、空を自在に飛行した。

この種族も早くに絶滅した古代生物とされたとするのが定説であるが、これとて現在でも目撃事例があるわけで、真実そうであるのか疑わしいところである。

ただこれらは、学者が発見できないだけなのかもしれないのだ。




REAL Woolly MAMMOTH sighting footage caught on tape! (Yakutsk city, Sakha Republic, Siberia 1943)










Mammoth caught on Camera










【プテラノドン!?】米国上空を飛ぶ翼竜が撮影される!リアルジュラシック・ワールド【世界の不思議大図鑑】UFO UMA 未確認 ALIENS 恐怖 イルミナティ フリーメイソン

 








【都市伝説】 絶滅したはずの翼竜『プテラノドン』は生きていた?

 










beポンキッキーズ40th ソングス 「ほえろ!マンモスくん」













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posted by モモちゃん at 05:50| 歴史発見 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月01日

男ならパーおじさんの名前ぐらい覚えておけ!

パー爺さん驚異の長寿伝説の真相とは

長寿者というと意外にもイギリスにその記録がある。

そのなかで 第一に上げられるのはトーマス・カーン(一三一八〜一五八八)という人物がまず筆頭であろう。

問題なのは次に上げる長寿者のトーマス・パーである。

この人物についてはいろいろな書物に散見するので、ご存知の方は多いのではあるまいか。

いわゆる、酒のラベルになっているあのオールド・パーおじさんのことである。


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パーおじさんは百歳のとき三人目の妻と死別したのであるが、老いても精力絶倫であったのが災いしてか、百二歳のときに村の娘を強姦して逮捕されてしまうという不祥事を引き起こしてしまった。

高齢者でありながら、まったくもってけしからぬ話である。

別の情報によると少し話は違っていて、年齢も105歳のときにキャサリン・ミルトンという若い女性を孕ませてしまったことで逮捕されたのだという。

若いキャサリン・ミルトンは近隣の村々でも知らぬ者が居ないほどの評判の美人であったから、この事件はよりスキャンダラスな展開になった。

ことが事だけに最初から秘密裏にもみ消せるような事態ではなくて、しかもこれには高齢のパーおじさんが関わっていて、その相手が村人たちが注目する美人であったということもあって結果的には相当な大事件になってしまったのである。

実際にこのときの裁判記録が残されているのかも知れないが、二人の年の差が開き過ぎていることもあって、両者に恋愛が絡んでいたとは考えられず当時も事件性が一段と強調されてしまったようである。

結果的にはパーおじさんには教会から厳しい懲罰が下されたのである。

理由はどうあれパーおじさんは、このとき確かに女性問題が原因で投獄されたのである。

あえてここでパーおじさんを弁護するならば、彼は年齢に関わらず高齢であっても若々しい精神と肉体とをずっと維持し続けていたに違いないわけで、それだけの魅力的な風貌をも兼ね備えた男性でもあったといえるのではないだろうか。


劣悪な獄中にあってもパーおじさんはすこぶる健康であった。

この罪で彼は十八年間獄中にあったが百二十歳で出獄した後、百二十二歳で再婚して子をもうけた。

パーおじさんの行動はまるで青年のようであるし、こうなると人間離れした生命力である。


パーおじさんが世間から注目を浴びだしたのは、国王チャールズ1世に謁見したことからである。

ついには彼の存在が国王の耳にまで達したのである。

会見の際、国王チャールズ1世がパーおじさんに対し、他の者にくらべて何か特別に変わったことを成したことがあるかどうか尋ねたところ、パーおじさんはかって自分は女性問題で教会から懲罰を受け、課された贖罪を18年を掛けて成し遂げた最も年老いた人間だと苦笑しながら答えてみせた。

これはまさにイギリス風のユーモアでもって、見事に答弁しているではないか。

さすがに国王もこれには驚いて感嘆の声を上げた。

この事実が世間に広まると、パーおじさんはロンドンで一躍有名人となり国民的人気者となった。

記録によるとパーおじさんは、百三十四歳当時まで性的能力が十分にあったというが、その後チャールズ1世の宮廷に招かれた一六三五年に一五二歳で死んでしまった。

農村での農夫としての生活が本来身体にあっていたらしいのだが、急に宮廷生活を強いられたことが彼の命を縮めてしまったということである。

彼の年齢そのものは当時の農地の賃貸契約書などで確認できるものであって、記録から見ても長寿者そのものに間違いはないとされている。



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彼の墓はロンドンのウェストミンスター寺院内にあって、シェークスピアなどの有名な詩人や文人と一緒に埋葬されているということである。

ちゃんとした墓碑銘もそこには残されている。


THO: PARR OF YE COUNTY OF SALLOP. BORNE
IN AD: 1483. HE LIVED IN YE REIGNES OF TEN
PRINCES VIZ: K.ED.4. K.ED.5. K.RICH.3.
K.HEN.7. K.HEN.8. K.EDW.6. Q.MA. Q.ELIZ
K.JA. & K. CHARLES. AGED 152 YEARES.
& WAS BURYED HERE NOVEMB. 15. 1635.

「サラップ州のトーマス・パーは1483年に生まれた。エドワード4世、エドワード5世、リチャード3世、ヘンリー7世、ヘンリー8世、エドワード6世、メアリー1世、エリザベス1世、ジェイムズ1世、チャールズ1世の10代にわたる治世を生き、1635年11月15日ここに埋葬された。」と記録されているという。


このような例外を上げていると、一体全体人間の寿命とは何なのだといいたくなる。

平均寿命にも達しないうちに成人病や癌で倒れていく人があるかと思うと、他方でこのような驚異的な長命の事例もあるわけである。

人間と生活環境、職業や嗜好をベースにした詳細な平均余命のデーターは、当の厚生労働省ではなくて生命保険会社のコンピュータの中に蓄積されているという。

実はこれが最も重要な企業機密とされているのだが、これも意外な話ではあろう。


















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タグ:墓碑銘
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2016年03月05日

よく舞い踊る民族だったかっての日本人

さあ、景気よく、歌って踊って!


子供のころ親に連れて行ってもらった映画館で、勝新太郎の歌う「河内音頭」というのを始めて聞いた覚えがある。

その場面だけが、いまでも鮮烈に記憶に残っている。

何ともいえない独特のリズムが印象に残った。

昔の日本人は、よく歌いそして踊っていたような気がする。




河内音頭 勝新太郎 .











東京音頭の踊り方











チャンチキおけさ











座頭市 タップダンス Zatoichi Japanese tap dance

 














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    タグ:音頭
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    2015年11月28日

    九州王朝にインド仏教伝来という伝承あり

    五百羅漢像を訪ねる



    福岡県糸島市雷山にある千如寺大悲王院に行ってきました。

    ここは成務天皇(第13代天皇(在位:成務天皇元年1月5日 - 同60年6月11日)の時代ということで、古代の4世紀辺りに想定できる歴史があるということになります。

    この時代の九州は歴史教科書には記載されない「九州王朝」が支配していた時代ということになりますので、成務天皇の事跡そのものは日本書紀などの正史に詳しい記録はありません。

    その縁起はというと、成務天皇の四十八年、雷山の地主神である雷大権現の招きで渡来した天竺の霊鷲山(りょうじゅせん)の僧清賀上人によって開創されたと伝えられています。

    霊鷲山とはインドのビハール州にある山で、別名では耆闍崛山、鷲峰山、霊頭山、鷲頭山、鷲台としても知られていますが、1903年(明治36年)1月14日朝、大谷光瑞が率いる第1次大谷探検隊が朝日に照らされたこの山を仏典上の霊鷲山と同一と確定したことで有名です。

    ここはかって釈迦が無量寿経や法華経を説いた霊山ということになります。

    その所縁のある地からインド人の清賀上人が仏教と共に古代日本に渡来してきたということですから、ここでも従来の定説や歴史観がひっくり返ってしまいます。

    その後、千如寺は聖武天皇の時代には勅願道場となり、国司により七堂伽藍が建立されたということです。

    鎌倉時代には三百もの坊舎があったといわれます。



    参詣する人たちが次々とバスで訪れていました。




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    千如寺は立派な樹齢400年といわれる楓の大木があることでも近隣に知られています。






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    中庭に大きな楓があります。






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    伽藍の裏は山が迫っていて、そこには五百羅漢像がありました。





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    杉の大木の間に羅漢像が整然と並べられています。





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    やはりこれだけ羅漢像があると壮観です。






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      2015年11月03日

      うきは市の国指定重要文化財訪問記

      山奥の文化財訪問記


      福岡県に住んでいて、「うきは市の平川邸」の存在はつい最近まで知りませんでした。

      近くといっても意外と山深いところにあるということもあって、これまで訪れる機会がありませんでしたが、今回短時間でしたが建物の外観を見学することができました。





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      うきは市の郊外というよりは、狭い山道を登っていきます。


      「うきは市の平川邸」は三百余年前の古民家の建築物であって、平成の時代になって国指定重要文化財になったということです。







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      文化財に指定された平成19年3月から6月にかけて、かやぶき屋根の全面掛け替えが行われました。





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      内部を見学するには事前に住人の方へ予約が必要ということでしたので、今回は急きょ訪れたこともあって残念ながら建物の外観だけを確認するだけにとどめました。






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      かやぶき屋根の型が「クド」に似ていることから、「くど造り」と呼ばれている建物の内部は主家と土間の2棟をコの字型につなぎ、さらに納屋まで続くのが特徴で、分棟型を発展させた型になっているとのことでした。





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      古風な建物には風格があります。

      どこか懐かしい感じがして、まるで時代劇の世界に入り込んだような雰囲気がそこここに広がっています。






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      小さなくぐり戸がありました。

      とてもいい感じです。





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      奥のほうに別の住居があるようでしたが、夕暮れ時で挨拶もせずにそのまま失礼してしまいました。




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      建物のわきには一群のコスモスが咲いていました。






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      本当にタイムスリップした雰囲気です。





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      道路側からみたかやぶき屋根です。

      この間、10分にも満たない訪問時間でした。残念。
























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        2015年06月22日

        西郷隆盛の写真「黒ダイヤのように大きな目玉」とは

        西郷隆盛の写真はどこにあるのか?


        西郷隆盛(1828〜1877年)は、自分の肖像写真を生涯一枚も残さなかったという。

        一般に流布している彼の画像と言われるものは、まったくの別物か偽物があてがわれているということになる。

        西郷は終生写真機の前に立つことはなかった。

        幕末に入ってきた西洋の写真技術そのものにまったく関心がなかったわけはないだろうし、西郷ほどの人物が写真を撮られることを理由もなく嫌ったということも考えにくいところである。

        ましてや俗説でいうように西郷自からが暗殺を恐れて写真を撮らなせなかったのだとなると、それこそ英傑らしからぬ発想で笑える話となろう。

        現実はもっと深刻な立場に西郷は置かれていた。

        終始緊迫した政治情勢の中に西郷はその身を置き続けていただけに、幕府側とは敵対することもあり幾度か暗殺計画にも遭遇してきていた。

        そのため西郷の影武者が置かれたほどである。

        西南戦争の発端も、結局のところ明治新政府の西郷暗殺の画策が発端となっている。

        そのようなこともあって、むしろ周囲の警護する者たちが西郷の身を案じて写真を撮らせなかったという見方がここではより妥当な理由ということになるはずである。


        現代では西郷の肖像写真がまったく現存しないことで、かえって彼の人相や姿が注目されてきているようだ。

        最近ようやく上野公園の立派な銅像なども、生前の西郷の姿を忠実には再現されてはいない事実も知られるようになって、ここでもそれがいい加減な伝聞や合成されたイメージで作られたようにいわれだしている。

        いまも昔も変わらず、西郷隆盛は民衆には人気があったのは確かである。

        やはりそれは西郷隆盛の風貌そのものが大いに関係しているのであろう。

        ところが肝心の写真が残されていないのだ。

        幕末から維新に掛けての激動の時代にあって、あの坂本竜馬や勝海舟、木戸孝允、高杉晋作らさえ肖像写真を残している。

        遠い薩摩、鹿児島の地にそのような風潮がなかったかというと事実は違っていた。

        当時の薩摩藩士の桐野利秋や永山弥一郎だけでなく、西南戦争前には名もない藩士でさえも自らの死を覚悟して写真を撮っている。

        だのに西郷の写真だけはいまだに出てこないのは、そこに何らかの意図が隠されているように思えるのだが、それにしても残念なことには違いない。

        その結果ということになるのだろうが、明治維新の悲劇的英雄という一面もあって、当時でさえそれに相応しい風貌がどこかで勝手に作られてしまい、西郷隆盛のイメージだけが先行してしまっていたのかも知れないのだ。


        当然のことであるが、西郷隆盛が活躍した時代にはそれこそ数十万もの人々が直接彼の風貌や面相を目にしていたはずである。

        西郷は行く先々で衆人の注目の的であったし、進軍中もその姿を一目見ようと周辺の町や村から多くの人々が沿道に続々と集まってきた。

        ところが肝心の肖像写真そのものが残されていなかったことで、次第に人々の記憶が失われいくと共に、西郷の人相そのものは風化し彼の死後それこそ勝手に変貌していったように思える。


        saigou03_convert_20130529085133.jpg


        幕末来日したイギリスの外交官(日本語通訳官)、アーネスト・サトウは1867年1月神戸で西郷隆盛と面会したとき、「(西郷は)黒ダイヤのように大きな目玉をしているが、しゃべるときの微笑には何とも言い知れぬ親しみがあった」と日誌にはっきりと書いている。

        「黒ダイヤのように大きな目玉」という印象は相当強かったらしく、やはり多くの肖像画にもこれが共通した西郷の特徴となっている。

        威風堂々とした体躯と黒ダイヤのように大きな目玉がその特徴となれば、少なくとも維新の英傑に相応しい風格が最初から揃っていたことになる。

        しかしながら、それだけではあまりにも情報が少な過ぎる。

        どんな過去の偉人であろうと肖像写真がなければ、断片的な情報でイメージは後からどんどん膨らませることが出来る。

        本物とは違ったイメージ画像が勝手に作られてしまうことになる。


        その結果が、あの有名なエドアルド・キョッソーネのモンタージュされた肖像画の独特の風貌であり、上野の銅像となってしまうわけである。

        この肖像画では西郷の極端に目がデフォルメされて異常に大きく描き込まれている。
        どうみても目の大きさと顔の幅の比率が不釣合いである。(1883年当時)



        saigou_convert_20130529085605.jpg 



        銅版画家のキョッソーネ自身は、このとき西郷本人とはまったく面識がなかった上に彼の写真そのものが存在しなかったために、取りあえず弟の西郷従道と従兄弟の大山巌をモデルにして肖像をどうにかイメージして合成したというが、これには驚きである。

        ただのモンタージュ画像なのだ。

        同様に、銅像を作った高村光雲も西郷との面識はないわけで、これまたキョッソーネが描いたその肖像画をもとにして顔の部分を製作したとされている。(1899年)

        イメージ画像の拡散である。

        銅像の完成後、その除幕式に招かれた西郷未亡人のイトが銅像を見上げて「宿んし(主人)は、こげなおひとではなかっ」と叫んだという逸話さえ残されているわけだから、何をか云わんやである。

        当方も西郷隆盛の風貌には少なからず関心がある。

        まず「黒ダイヤのように大きな目玉」といわれると、私などはあの有名な博物学者の南方熊楠先生のくりくりした目玉をつい思い浮かべてしまう。

        普通だと、黒ダイヤのように大きな目玉を持っている人物などすぐには思いつかない。


        kumakusu1.jpg 


        何よりもその黒々とした双眸には力があるからに違いあるまい。

        しかしそうであれば相当に個性的な風貌であろう。

        もしかしたら実際は西郷の「黒ダイヤのように大きな目玉」は、南方熊楠先生よりもずっと大きかったのかもしれない。

        インターネット上を検索するとたくさんの西郷隆盛の肖像画と想定される画像が出てくるが、大抵の画像は西郷のイメージ画の延長線上にあるものだと思う。

        それで今回は銅像の人相とは別の西郷隆盛の顔を求めて、独自にその手がかりをあれこれと探し求めてみることにした。

        西郷の経歴を調べてみると、彼は安政5年(1858年)当時、上京して攘夷派の諸志士らと挙兵をはかったりして密かに活動していた時期がある。

        すでにこのとき西郷隆盛は身の危険に晒されていた。

        幕府方の捕吏によって厳しく行方が追跡されていたというが、そのとき西郷を探索捕縛するための人相覚なるものが市中に配布されていたという事実がある。

        その貴重な写真画像が、昭和34年当時、世界文化社から刊行されていた「科学大観」という画報の1冊に掲載されていた。

        これは、いわゆるモンタージュ作画されたお尋ね者の手配書といわれるものであった。

        発見して役人に通報すれば、幾ばくかの報奨金が出た可能性もある。


        tehai.jpg


        手配書には、はっきりと西郷吉之助と名前が書かれている。

        西郷の似顔絵の隣には長州の高杉晋作や筑前の平野国臣の似顔絵が同じように並んでいる。

        手配書とはいえ、その画像がいい加減なもののはずもなく、これは当時の西郷の人相や骨相をある程度正確に捉えている貴重な史料ではないかと思う。


        このときの西郷の似顔絵を見ると、わざとらしく相対的に悪人面で描かれている。
         
        一方の高杉晋作の場合は写真は残されているので、この手配書の人相との比較検証が出来る。

        それなりにモンタージュ作画の出来栄えが分かるわけだ。

        どの角度から捉えるかで雰囲気や相貌は変わるだろうが、高杉晋作の場合は手配書と写真を見比べてもそれほど似ているとはいえない。

        実際この程度の人相書きで人物が特定できるかとなると、いささか心もとないところである。

        高杉でさえこの程度であるから、西郷の場合にしても本当の人相とは程遠いのかもしれない。

        しかし手配書の似顔絵といえども、その人物の印象を一瞬にして掴み取るような巧みな描写力があって侮りがたいのも事実である。

        描写の中にその人物を彷彿とさせる雰囲気が出されていれば、何となく分かるものなのかも知れない。

        ただ、それぞれに悪人面が強調されているところが、ここではかえっておかし味さえ感じさせるところである。


        この手配書では西郷は、「黒ダイヤのように大きな目玉」の印象を強調したようには描かれてはいない。

        どうみてもそれとは程遠い武骨な面相である。

        ただ全体の骨相ということであれば、この点隣の高杉晋作の場合では何となくそれらしく描かれているようにも思える。

        そうなるとこの手配書では、高杉の顔面の下半分の形はほぼ正確に捉えているのではないかと思う。

        彼の目じりが上がっているか下がっているかは、見る側の目線の高さでも印象は大きく変わってくるであろう。

        西郷の骨相はというと、全体にいささか角ばっている。

        まずそこは長めの眉としっかり横に張った顎が描かれていて、従来のモンタージュや銅像とは明らかに違った印象を受ける。

        ここが重要であろう。

        どう見ても描かれている3人の中では、西郷がもっともその顎が大きく張っていて特徴的に描かれている。


        ここで補足すると、西郷の腹心の武人で同じ薩摩藩士の永山弥一郎とは同郷人の中でも非常に骨相が似ていたということである。

        そのことを周囲の者が一様に認めていたわけである。

        そのため永山はたびたび西郷の影武者を務めていたともいうが、それうなると逆に永山弥一郎に類似した人相を想定していくことがより本物の西郷の顔に近づくことになるのかもしれない。

        永山弥一郎の肖像写真は現在も何点か残されているので、その人相や骨相は一応ここでも確認できる。(下の2枚の写真)


        naga2.jpg naga.jpg



        やはり永山も、その特徴として確かに男らしい角張った骨相をしている。

        写真で見た永山の顎のラインと手配書の西郷の顎の張り具合は、たしかによく似ていると思う。

        手配書同様にそこには武骨さがしっかりと出ている。

        そうであれば、この両者の骨相についての伝聞そのものの信憑性は非常に高いということになってくる。


        永山は幕末各地で戦闘に加わり、その抜群の軍功と勇猛さとで知られていたが、最後は西郷と共に西南戦争で三番大隊指揮長として華々しく散った薩摩の武人である。

        それでいて服装や身だしなみに洒落をみせるところは、西郷や盟友の桐野利秋(中村半次郎)とも共通するところである。

        こうした武人としての姿勢からいえることは、人と対峙するときは常に姿勢や服装に最大限の注意をはらっていたということであろう。

        西郷にあっても同様であって、どこまでも礼儀正しい人物と捉えなくてはなるまい。

        あえてここで言うならば、本当の西郷隆盛は銅像のような浴衣姿などでは外出はしなかったということになる。


        桐野は戦死したときその身にフランス製の香水を帯びていたといわれるし、永山も火中に自ら身を投じてその最後も己の屍を晒さなかった。

        武骨さの中に洗練されたダンディズムを持っていたというのは、本当にラストサムライの気概を感じさせる部分でもある。

        武辺の者として知られていた永山は、それでいて女性や子供らにも親しまれ絶大な人気があったというところなど、その人柄までが西郷と酷似しているからなお更おもしろい。

        余談であるが、永山の顎や額の形は、どこかしら往年のチャールズ・ブロンソンをも髣髴とさせる。


        buro_convert_20130529122641.jpg


        だから実際の西郷の風貌も、おそらくは永山同様にブロンソンの風貌に酷似していたように想像されてくる。


        ここで再度、永山弥一郎や手配書の人相書の骨相をそれぞれ比較してみると、西郷の人相そのものは、キョッソーネのモンタージュ肖像画や銅像とはまったく違った風貌だったと考えるべきだと思う。

        こうなるとやはりキョッソーネのモンタージュ肖像画の信ぴょう性はきわめて低いとしか言えない。

        今回、当方もモンタージュの手法を使って、手配書の人相書きに手を加えてみた。

        維新後の断髪した西郷と高杉の顔を描いてみたが、その結果はどうであろうか。

        断髪してしまうと随分と人相や風貌が変わってしまうのだが、骨相だけは簡単には変えられないところがここでは最大のポイントである。


        tehai2.jpg 


        西郷隆盛の場合は骨相を覆う顔の筋肉も引き締まっていて、これまでの肖像画とは違った武骨な風貌を印象づけているように思える。

        そうであれば、西郷の風貌はキョッソーネのモンタージュ肖像画や銅像のぷっくりした面貌そのものはやはり似つかわしくないということになってくる。

        これは当方の目論見どおりというか、西郷の骨相を考慮するだけでも、そこにはいままでのイメージとは違う西郷隆盛の風貌が新たに浮かび上がってくる。

        これは従来の肖像画や銅像に対して、別な観点からさらに検討を加えるべきポイントではないかと思う次第である。


        民間に西郷隆盛の写真はあるのであれば、すでに発見されて特定されていてもおかしくはないところである。

        国会図書館や政府機関にも保管されてはいないのであろうか。

        一説によると西郷は、明治天皇から肖像写真を求められたが、結局写真は提出されないままに終わってしまったという。

        これはむしろ逆に本物の肖像写真は天皇の下に届けられていて、いまでも宮内庁書陵部に密かに保管されたままになっているのではないかと当方は思っている。

        今世紀にそれが明らかになるかどうかは分からない。

        いつの日か西郷隆盛の真影写真が、日の目をみることを切に願っている。




























        denden















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          タグ:西郷隆盛
          posted by モモちゃん at 16:58| 歴史発見 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

          2015年05月14日

          中毒死した古代の女王卑弥呼


          女王卑弥呼、神仙丹薬服すも延命長寿叶わず終に倭国王城にて没す



          30年ほど以前佐賀県の吉野ヶ里遺跡の発見されたが、当時(1986年)そのときの反響は大きかった。

          古代のロマンを求めて、現地を訪れた人は短期間で百万人を突破した。
           
          邪馬台国との関連性、大陸との交流あるいは古代中国の徐福渡来との関係が指摘され、 内外の学者を交えての熱気溢れるシンポジウムも連日くりひろげられた記憶がある。

          古代史ブームに一気に火が付いたというべきものであった。
          。(下の写真は、みやま市瀬高町観光案内)


          himiko.jpg


          ここではそうした考古学的論説ではなくて、別の観点から話を進めてみたい。

          この吉野ヶ里遺跡の墳丘墓から出土した弥生中期のカメ棺内から水銀朱が出てきたが、 これは中国の皇帝や王属が黄金以上に珍重していた不老不死の仙薬(丹薬)であることが判明して新聞でも大きく報道された。

          それまではカメ棺内の装飾用の染料ぐらいに考えている向きもあって、物の見方が変 わるとすべての評価が変わるもので、まさに抱腹絶倒ものであった。

          丹薬といえば、実際に古代中国の王侯貴族は長寿を願って、こうした有毒の水銀朱を主成分にした丸薬をたびたび飲んでいた。

          不老不死を願っていたのは、何も秦の始皇帝だけではなかったのである。

          邪馬台国より吉野ヶ里の方が時代がやや遡るのであるが、すでに弥生中期には中国のこうした神仙思想(道教の一種)というものが北部九州に伝播していたことは驚きであった。


          古代中国では、正統な治療医学の体系とは別系統の神仙思想に基づく不老不死を目的とする、こうした道教系の神仙術が王侯貴族のあいだで幅をきかしていた。

          「魏志倭人伝」によると西暦二三九年に邪馬台国の卑弥呼の使者が魏の明帝に朝献したとき、金印・銅鏡と共に真珠(水銀朱)鉛丹各々五十斤を下賜されている。

          金丹、丹薬は王侯達が千金を積んで求めたものであるが、多分に卑弥呼はそうした仙薬、丹薬の類を魏王におねだりしたのではないかと思うわけである。

          もちろん朝貢に対する返礼の品だったのかも知れない。

          ただ当時は、神仙思想に繋がる丹薬にはそれだけの無視しがたい魅力があって王侯貴族のあいだにはその効能が広く信じられていた。

          中国の馬王堆漢墓から見つかった婦人のミイラからも、水銀朱や鉛丹の成分である砒素、水銀、鉛が検出されているが、この婦人が当時の皇帝の従姉妹にあたる高貴な身分であったことを考えるとその理由が頷ける。

          卑弥呼がいわゆる鬼道という祭祀的の強い統治形態を摂っていたということは、大陸のそうした原始的道教の影響が色濃くあったことが窺えるところである。

          しかもである、卑弥呼がこの仙薬を不老不死の霊薬と信じて常習的に服用していたとなるとそれこそ大変である。

          卑弥呼は、間違いなくこの丹薬による中毒で命を落としたということになってくる。

          少なくともその可能性は非常に高いといえるであろう。

          さしずめ「女王卑弥呼、神仙丹薬服すも延命長寿叶わず終に倭国王城にて没す」というところである。

          中国の史書では「梁書諸夷伝」・倭に「正始中(二四〇〜二四八)、卑弥呼没す」と記述されている。

          卑弥呼が水銀朱を入手したのが二三九年か二四〇年(使者が持ち帰るのに相当の日数がかかるので、その点を考慮する必要がある)とすると、死んだのが二四〇年から二四八年の間のいつかであるが、その死因ついては何も記録されていない。

          gon4.jpg


          卑弥呼が亡くなったのは、恐らく二四七年か二四八年、そのあたりではないかと私は考える。

          北部九州に邪馬台国があったのではないかということで、ここでは卑弥呼の存在にも一段と関心が集まるわけだが、薬物中毒で命を亡くしたというと一辺に興ざめであろう。

          それこそ美人薄命にも繋がらないわけで、当然ここでは反論が出てきてもおかしくないところである。


          しかしながら、当時の歴史的背景を見ていくとあながち間違った見方ではないことが分かってくる。

          こうした古代中国の文化に根付いた神仙思想は、数百年どころか千年単位で継承されていたといえるであろう。

          それらの丹薬の多くは辰砂、丹砂といった水銀を含む鉱物から作られるため延命効果があるなどというより、逆に有害な含有物の服用によって古代中国では夥しい中毒死を引き起こしている。

          本来丹薬といわれるものは容易には入手出来ないこともあって、その被害者のほとんどが王侯貴族の支配階層に限られていたことも特徴的である。

          そうした中毒死の危険性があったにもかかわらず、神仙思想や丹薬を作る煉丹術は後世になっても一向に衰えず、王侯や高貴な身分の貴族らは己の延命長寿を願って競うように高価な丹薬を入手しようとした。

          すでに「史記」(扁鵲倉公列伝)にもその中毒の症例が記述されているし、晋の哀帝は丹薬による中毒で二五歳で命を落としている。

          それこそ同様の死亡事故が続発していて、重大な歴史的事件としても史書にも逐一記録されている。

          王侯の中には熱心なあまり、霊薬の専門研究機関や役職(仙人博士官)といったものまで設置して効能実験や複雑な調剤をやらせていたという。

          実験というだけに実際に罪人に服薬させて安全性や効能をテストするのであるから、中途半端なものではなかった。

          中には専門職の医師までがその誘惑に負けて自ら服用しまい、丹薬の中毒症状に苦しむということさえあった。

          これはなにも古代の王侯貴族に限られたことではなくて、唐代になっても歴代皇帝の多くが煉丹術に関心を持っていたようで、この方術で作られた丹薬を服用したために廃人、もしくは悲惨な中毒死を遂げている。

          名君の誉れ高い第二代皇帝の太宗が延年薬にあたって命を落としたのをはじめ,三代高宗、十一代憲宗、十二代穆宗、十五代武宗、十六代宣宗など、唐の歴代皇帝二十二人のうち、六人までがこの丹薬服用で中毒死したという。

          たとえばそのなかの1人、十一代の憲宗は金丹を飲んで次第に中毒症状が現れだして異常な行動をとるようになった。

          丹薬中毒(重金属中毒)特有の症状でもあるが、急に気短になり分別がなくなると側近の官吏に理由もなく腹を立てるようになり、つぎつぎと獄舎に繋いでしまった。

          そして、結局は周囲から手に負えない狂人と恐れられて、820年に側近の部下に暗殺されてしまったのである。

          これも結果的には一つの中毒死事件といえなくもないではないか。

          これだけおぞましい中毒事例が続いたにもかかわらず、何故に唐王朝では未然にこれが防げなかったのか?

          当然これにはこれで理由がある。

          唐王朝内部では多くの権力闘争が渦巻いていたし、そうした政争の裏では官僚や宦官の台頭がすすんでいった。

          巧みに古来の道教思想を利用して、丹薬による皇帝の廃人化が密かに企てられていたわけである。

          それこそ王が馬鹿なら扱いやすいが、少し気の利く王であれば不老長寿に関心をもたせてうまく丹薬の誘惑へと誘い込むという手立てである。

          それで脳神経を適度にマヒさせて、後はよきに計らえの状態にもっていくというわけだ。

          運悪く服用する丹薬(毒薬)の加減を間違えられると、軽い中毒どころか大事な命まで奪われてしまうことになりかねない。

          一方、西洋にも同様の事例があって、暴君ネロも不老不死薬や精力剤を漁っていたことから一種の薬物中毒だった可能性がある。

          事実あのネロの悪行もこうした中毒によって、脳神経が侵されたためとする学説があるくらいである。


          nero.jpg


          面白いことに 西洋では、古代中国のように王侯が不老不死の霊薬を捜すというより、毒を中和する解毒剤が古代ギリシア・ローマ時代より熱心に求められたという。

          というのは当時は各地に大小の王侯が割拠し対立していただけに、毒による暗殺事件が頻発するという背景があったからである。

          不死薬と解毒剤──王侯が求めて止まない薬物ということでは共通する部分もあるのだが、その熱心さのあまり当代一の毒物学者になってしまった王様もいた。

          古代ギリシアのアレキサンドリア時代にボストン(黒海の南岸にあった)の国王であったミトリダテス・エウパトル六世である。

          彼は表向きは植物学(特に毒草)に造詣が深く、バビロニアやスキチアの有能な医師団を招き密かに王室研究機関を設け自ら毒物学の研究に没頭した。

          彼は各地からありとあらゆる有毒物質を集めるとともに、その毒性を調べるために死刑囚はもとより、奴隷や将兵で非情な人体実験を行ったという。

          その結果、ミトリダテス大王は万能解毒剤「ミトリダチオン」を西暦60年前後についに完成させたという。

          彼自身は毒殺されるのを極度に恐れ普段から毒物に対する耐性を高める努力をしており、それと同時にこのミトリダチオンを常用していた。

          ところがである、西暦63年にローマのボンベイウスの軍隊に攻め込まれついに落城という時、妻子共々服毒自殺を計ったのであるが、肝心のミトリダテス王だけは不覚にも毒が効かないという予想外の事態に陥った。

          ミトリダテス王の体は、すでに毒に対する耐性が見事にできあがっていたのである。

          彼の命運は結局どうなったか。

          一説によるとローマ軍にさんざんに斬れて殺害されたといい、また側近の奴隷に短剣で心臓を突かせてどうにか絶命したともいう。

          どちらにしてもミトリダテス王は毒では死ななかったわけだから、これは本望というべきであろうか。

          解毒剤ミトリダチオンの処方は大王の遺物の中から発見され、ポンペイウスによって戦利品としてローマに持ち帰られた。

          この処方は文法家レネウスによってすべて解読され、さらにラテン語に翻訳されたということであるが、 何とその解毒剤は五十四種の成分から構成されており、これを見たローマの学者も舌を巻いたという。


          さてさて古代の薬物中毒ということで話が多少ずれてしまったが、「魏志倭人伝」に「女王死するや、大いに塚を作る。径百余歩、殉葬者奴婢百余人」とあるのだが、この卑弥呼の墳墓はいまだ発見されてはいない。

          邪馬台国はもちろんのこと卑弥呼の墓がどこにあるのかが古代史最大の謎なのだが、今回はとりあえず卑弥呼の死因についての謎解きをやってみたというわけである。








          denden














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          タグ:卑弥呼
          posted by モモちゃん at 09:37| 歴史発見 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

          2015年04月20日

          戦国日本の対外戦略はどう練られたのか

          いま削除したいキリスト教関連文化遺産とは何か(92)

          学校では教えられない九州歴史発見シリーズ
          いまさら歴史認識がどうした?

          スペインによるルソン島の植民地化がもたらしたもの
          ルソン遠征が画策された背景
          遠征は南蛮の情報戦によって見事に阻止された

          東洋医学史研究会
          宇田明男



          ●スペイン勢力を警戒した江戸幕府

          前述したようにスペインは1565年になると、いわゆるポルトガル・スペイン間で結ばれていたサラゴサ協定(1529年)の境界線(日本)を越境してフィリピンにも侵入を開始した。

          スペインはアジア地域に進出すると、いち早くマニラの富に目をつけ1570年(元亀元年)にマルティン・デ・ゴイティ率いる遠征隊を送り込み、武力によってこれを一気に占領した。

          このときスペイン本国から大砲や小銃で武装した300人の精鋭の軍隊を送り込みマニラ周辺の集落を焼き討ちし瞬く間にルソン島を占拠するとともに、1571年にはマゼランのフィリピン群島の発見を理由にしてフィリピンの領有を宣言したのだった。

          その後フィリピンのマニラでは、イエズス会員アントニオ・セデーニョの指揮によって都市の要塞化がすすめられ、「イントラムロス」と呼ばれるマニラの城壁内地域が整備されるとともに、原住民はキリスト教に強制的に改宗させられていった。

          これ以降マニラを中心にメキシコ(ヌエバ・エスパーニャ)の支配下となったルソン島は、スペインの対中国交易の最前線として機能しメキシコと中国を中継するガレオン貿易の拠点となった。

          ちなみに、フィリピンという名称は当時のスペイン皇太子フェリペにちなんだ島名として名付けられたものである。

          さらに中国沿岸部のマカオに進出すると、1557年以降は実質的植民地と変わりはない状況下に置かれた。


          日本との関係では、天正十二年(1584)六月、ルソンからのスペイン艦船が九州の平戸に入港すると、ことを契機として日本とスペイン領フィリピンとの間で交易が始まった。

          実際には、すでに16世紀後半には多くの日本人や中国人の商人はルソン方面にも渡って盛んに交易を行っており、海賊である倭寇もこの海域まで侵出して活動の場としていた。

          すでに3000人規模の日本人戦闘員がルソン周辺海域で活動していたとされる。

          渡航した当時の日本人は集団で傭兵となることも少なくなく、激しい戦闘を日常的に繰り返していた。

          そうした背景もあって、ルソン方面の状況はスペインの植民地政策も含めて多くの情報が日本にも早くに伝わっていた。

          地理的にも有利な九州の諸大名がルソンでも年々拡大する交易事業に強い関心を持ち、スペイン艦船渡来の翌年天正十三年(1585)、平戸領主の松浦鎮信がルソンに最初に船を派遣し交易を介してスペイン統治下の現地情報の収集をも行っていた。

          天正十四年(1586)には、隣接する長崎の大村純忠もキリシタン大名として長崎からマニラに向かって交易船を出している。

          これ以降は、ほぼ連年にわたって日本の交易船がマニラに入港して商取引が行われるようになる。

          同時期、国内統一を果たした秀吉は、アジア地域の情報がもたらされると共に海外への進出を画策し始める。


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          まず、朝鮮に入貢を命じこれに従わなければ武力で討つと脅し、これを対馬の宗義調に折衝させた。

          同様にルソン(マニラ)や高山国(台湾)にも直接の交易を促す使者を出した。

          豊臣秀吉のルソン遠征を窺わせたこともあって、1592年(文禄元年)以降はスペインも日本の国内情勢を警戒するようになる。

          多方面の情報からルソンの軍事的規模が、それほど大きいものではないことに日本側は気付いていたのである。

          この間キリシタン排除の動き強まるに従って、秀吉に追随する形で九州の旧キリシタン大名の間でもルソン遠征が懸案されるようになる。

          スペインが進出してきた当初よりルソン方面に対峙する九州の諸大名は、そうしたキリスト教国の動きを油断なく見据えていただけでなく、武力によってルソン島のスペイン支配を排除すべく動いていた。

          当初は強力な水軍を持つ九州の平戸領主松浦鎮信が積極的に動いた。

          逸早く松浦鎮信がルソンに船を出したのもそのための情報収集であって、スペインとの交易の裏では密かに反スペインの動きをみせていた。

          松浦氏は、ルソン島のマニラを拠点に植民地支配を行うスペイン人に対して反感を持つマレー系原住民の首長らとも接触して、彼らの反乱計画に加担し日本製鉄砲の調達などを企て軍事支援を行っていたのだ。

          意外にもそうした日本側の情報は、平戸が長崎にも近いこともあって細大漏らさずスペイン側の耳にも入ってきていた。

          それはイエズス会の日本教会のネットワークを介してマカオ経由、あるいは琉球王朝経由、従来より交流のある倭寇経由でも十分入手できた機密情報であった。

          それによって1588年当時松浦鎮信が密かに支援していたルソン島原住民による反乱をスペイン勢力は事前にその制圧に成功した。

          明らかに内部情報が漏えいしていた証拠であり、このことにより松浦鎮信の当初の目論見は阻止されてしまったのである。

          この間に秀吉は朝鮮半島に出兵したこともあって、徳川に政権が移るまでルソン遠征は中断した形となった。

          だが対キリシタン、対スペイン勢力に対抗する具体的な戦略自体は、この間日本の為政者の下では間断なく練られていたのである。


          江戸幕府はまず手始めに台湾遠征の計画を画策した。

          1608年(慶長十三年)、家康は日本に漂着した台湾のアミ族の者と駿河城で直接引見している。

          翌年の1609年(慶長十四年)、九州の大名有馬晴純は家康の名により、台湾へ朝貢を促すため渡海したが、その交渉は成功せずに追い返されてしまっていた。

          幕府は台湾の高砂族との関係を改善して明国や東南アジアとの交易の際の中継地化を強く望んだわけだが、いまだにそれは果たせないままであった。

          この幕府の動きにもっとも敏感に危機感を持って反応したのは、生糸の転売で大きな利益を上げていた当のポルトガル商人らであり、その背後で経済的繋がりを持つイエズス会であった。

          もしもこの日本の台湾遠征計画が成功すれば、彼らは日本での生糸の独占的市場を失い莫大な経済的損失を被ることになるわけで、こうした日本(幕府)と中国(明)との直接の交易の動きに対しては以前より是が非でも妨害阻止するように教会上層部から特別に指示が出されていた。

          南蛮貿易での生糸貿易の利権が失われるということは、結果的にはその仲介手数料で支えられているイエズス会の宣教事業も経済的に破綻してしまうのである。

          それは次の書簡を見れば明白である。

          1610年2月17日付けリスボン発、ポルトガル国王のインディア副王宛書簡「モンスーン文書と日本: 十七世紀ポルトガル公文書集」p173ー175 : 高瀬弘一郎著「台湾を獲得して中国貿易を行おうとする日本国王の意図を、策を用いて妨害するよう命令」(1610年、文書13)より引用。

          「現在日本全土を統治している国王(=徳川秀忠)は、彼らが高砂と呼ぶフォルモザという島に遠征する準備をしている、と。其処は泉州の沿岸の近くである。彼の意図は、それ〔フォルモザ島〕を獲得して其処とシナとの間の貿易を手に入れることである。(中略)日本人たちにそれ〔狙い〕を遂げることなど出来ない旨の偽装工作をすることによって、それが成就しないよう尽力することを依頼する。」引用終わり

          その直後の元和2年(1616年)、中国明との直接貿易を狙って13隻の船団に4千余の兵を出した長崎代官村山等安の台湾遠征さえもイエズス会側が巧妙に妨害工作したことで、このときの台湾遠征も明との交渉も失敗に終わった。

          村山等安の台湾遠征も、琉球王朝経由で事前にイエズス会側に情報が漏れていたのである。


          日本人4万5千人の犠牲者、天草島原の大乱勃発


          当然彼らは、常にこうした日本側の動きには敏感に対応していたわけで、そうした南蛮商人やイエズス会勢力側から何らかの妨害工作があることを当時の日本の為政者が感知していたかどうかは興味深いところではないだろうか。

          江戸幕府の下でもルソン島のスペイン艦隊やスペイン軍の動向を監視していただけでなく、密かにルソン遠征が画策されていた。

          ここにきて島原藩藩主の松倉重政 ・勝家親子や薩摩藩藩主の島津家久らがルソン遠征を狙い秘密裏に準備を進めていた。

          松倉勝家は自ら幕府にルソン遠征を進言したことでも知られるが、これは領内の多くのキリシタン信徒らに衝撃を与えることとなる。

          島原藩の新たな築城もそのことと無関係ではなかった。

          遠征が現実のものとなれば、交易の拠点であった島原がルソン遠征の前線基地となるのである。

          それこそ当の松倉勝家が、ルソン侵攻の先陣を幕府に願い出ていたことは当然のことである。

          もとよりこれに対抗するルソン島のスペイン勢力は、松倉勝家のルソン遠征を事前に阻止すべくここでも何らかの対抗策を用意していたことは間違いあるまい。

          それが松倉勝家の領国で騒擾、もしくは大規模な反乱を起こすことであった。

          ここで島原領内、もしくは半島全域で面倒な反乱を起こせば、こうした反スペインの動きであるルソン遠征を阻止し、結果的には計画そのものを中断させることが出来ると踏んだのではないか。

          この地で以前より練兵してきていたキリシタン信徒の傭兵部隊を動かせば、それが十分可能であると見たはずである。

          そうした反乱の火種そのものは、彼らによって事前に用意されてきていたということになる。

          彼らは勃発の機会を虎視眈々と狙っていたのだ。

          徳川幕府によるキリシタン弾圧が本格化しつつあるとき、イエズス会内部の書簡にははっきりと日本国内の内乱を期待する記述が示されているものがある。

          1618年10月16日付け日本発、ヴィエイラの総長あて書簡がそれである。

          「神はこのキリスト教会を救う方法を無数にご存知である。中でも最も容易な方法は暴君の生命を奪うことである。そうすれば日本中が内乱になり、領主たちは皆天下人になるのを望むであろう。この野心のとりこになった者は、われわれの存在を許したり、キリスト教会に左程反対しなくなったりするであろう」

          平和大国日本の歴史認識自体は、明治以降のいびつなお抱え役人の学説を踏襲してきているに過ぎないということである。

          地元九州には独自の歴史認識がある。

          天草島原の大乱を従来からの西洋史観でみれば単純に領主松倉家の苛政に苦しむ単なる農民一揆ということで片付けられようが、ここではキリスト教国スペインやポルトガルとの為政者側の政略的企てともいうべきしたたかな戦略が背後にあったか否かも考えておく必要があろう。

          ここにきてさらに驚きの展開が明かされる。




          この稿削除されなければ続く。



          参考資料:
          「近代資本主義の成立と 奴隷貿易―――― A 教皇文書と新大陸での実態の吟味 カトリック教会は奴隷貿易を容認したのではないのか」 西山俊彦 2003 カトリック社会問題研究所 『福音と社会』 211
          「近代資本主義の成立と奴隷貿易―――― B 教皇文書と新大陸での実態の吟味(2) キリスト教化は奴隷化の方便ではなかったか」 西山 俊彦著 2004 カトリック社会問題研究所 『福音と社会』 第 212 号
          読売新聞:2004年8月7日〜9月18日号・「九州こだわり歴史考・棄教の果て」
          「歴史研究」 新人物往来社 ・特集:島原の乱の謎 第322号 1988年
          「完訳フロイス日本史」(中公文庫) ルイス フロイス (著) 松田 毅一 (翻訳) 川崎 桃太 (翻訳) 全12巻
           1 織田信長篇T「将軍義輝の最期および自由都市堺」(中公文庫,2000年1月)
           2 織田信長編U「信長とフロイス」(中公文庫,2000年2月)
           3 織田信長篇V「安土城と本能寺の変」(中公文庫,2000年3月)
           4 豊臣秀吉篇T「秀吉の天下統一と高山右近の追放」(中公文庫,2000年4月)
           5 豊臣秀吉篇U「暴君秀吉の野望」(中公文庫,2000年5月)
           6 大友宗麟篇T「ザビエルの来日と初期の布教活動」(中公文庫,2000年6月)
           7 大友宗麟篇U「宗麟の改宗と島津侵攻」(中公文庫,2000年7月)
           8 大友宗麟篇V「宗麟の死と嫡子吉統の背教」(中公文庫,2000年8月)
           9 大村純忠・有馬晴信篇T「島原・五島・天草・長崎布教の苦難」(中公文庫,2000年9月)
          10 大村純忠・有馬晴信篇U「大村・竜造寺の戦いと有馬晴信の改宗」(中公文庫,2000年10月)
          11 大村純忠・有馬晴信篇V「黒田官兵衛の改宗と少年使節の帰国」(中公文庫,2000年11月)
          12 大村純忠・有馬晴信篇W「キリシタン弾圧と信仰の決意」(中公文庫,2000年12月)

          「村山当安に関するヨーロッパの史料」アルバレス・タラドゥリース(著) 佐久間正(訳)
          「キリシタンの世紀―ザビエル渡日から「鎖国」まで」高瀬 弘一郎 (著)  岩波書店 1993
          「福者フランシスコ・モラーレスO.P.書簡・報告」ホセ・デルガード・ガルシーア編注、佐久間正訳キリシタン文化研究会、1972年
          「キリシタン時代の貿易と外交」 著者: 高瀬弘一郎
          「看羊録―朝鮮儒者の日本抑留記」 (東洋文庫 440)姜 (著)  朴 鐘鳴 (翻訳)
          「村山等安とその末裔」(自費出版)村山トシ (著) 1993
          「 日本切支丹宗門史」レオン・パジェス著  クリセル神父校閲 吉田小五郎訳 岩波文庫 昭和13年
          「細川藩史料による天草・島原の乱」戸田敏夫(著) 新人物往来社 1988
          「イエズス会による対日軍事力行使をめぐる諸問題」 高橋裕史 2006
          「坂口安吾全集 03」筑摩書房 1999号
          「日本及び中国におけるイエズス会の布教方策 −ヴァリニャーノの「適応主義」をめぐって− 55 アジア・キリスト教・多元性」 現代キリスト教思想研究会 第3 号 2005 狹間芳樹著
          「近世日本潜伏キリシタンの信仰共同体と生活共同体」 大橋幸泰著


















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            posted by モモちゃん at 08:36| 歴史発見 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

            2015年04月17日

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            posted by モモちゃん at 10:06| 歴史発見 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする