2018年04月24日

ほんの少し前まで生息していた古代生物とは?

古代生物は絶滅したのか!?

マンモス (Mammoth) は哺乳綱長鼻目ゾウ科マンモス属 (Mammuthus) に属する太古の動物である。

現生の哺乳動物のゾウに体型が類似しているが、遺伝的には別系統だとされる。

マンモスは約400万年前から1万年前頃まで生息していたとされ、巨大な湾曲した牙が特徴的で長さが5メートル以上にもなり、行動範囲も広く古代の人類とも頻繁に遭遇していたことになる。

世界各地に生息していたが、現在は全種が絶滅しているというのが生物学者らの定説である。


プテラノドン(学名:Pteranodon)は、中生代白亜紀後期の約8000万年以前(中生代白亜紀)にアメリカ大陸を中心に生息していたとされる翼竜の一種である。

巨大な7,8メートルにもなる翼を持ち、空を自在に飛行した。

この種族も早くに絶滅した古代生物であるというのが定説であるが、これとて現在でも目撃事例があるというわけで、真実そうであるのかどうかは判らない。

ただこれらは、学者が発見できないだけなのかもしれないのだ。




REAL Woolly MAMMOTH sighting footage caught on tape! (Yakutsk city, Sakha Republic, Siberia 1943)










Mammoth caught on Camera










 

【都市伝説】 絶滅したはずの翼竜『プテラノドン』は生きていた?

 










beポンキッキーズ40th ソングス 「ほえろ!マンモスくん」


























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2018年03月22日

耳に残るオードリー・ヘプバーンの歌声

名曲「ムーン・リバー」を歌うシーン


『ティファニーで朝食を』は、トルーマン・カポーティの小説で1958年に発表された。

小説はニューヨークを舞台に、自由奔放に生きる女性主人公を描いたものだが、1961年にオードリー・ヘプバーン主演で映画化された。

このときの主題歌の「ムーン・リバー」(Moon River)は、ヘンリー・マンシーニによって作曲され、映画の中で主演のオードリー・ヘプバーンが歌った。

「ムーン・リバー」は同年のアカデミー歌曲賞を受賞し、さらにはグラミー賞で最優秀レコード賞、最優秀楽曲賞、最優秀編曲賞の3部門を続けて受賞した名曲である。

『ティファニーで朝食を』は当初マリリン・モンローが主演という計画だったといい、またオードリー・ヘプバーンが歌うシーンも編集ではカットされる予定であったともいう。

もしそのままの映画だったらとすると、随分とイメージの違う作品になっていたことであろう。




ムーン・リバーby オードリー・ヘップバーン

 








ムーンリバー【訳詞付き】/ アンディ ウィリアムス











LOUIS ARMSTRONG ~ Moon River ~

 









ムーンリバー 「ティファニーで朝食を」



























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2018年03月09日

東洋人は狭い空間が好きである?

表に出ろ!とは言えないよ!

香港アクション映画の「イップ・マン 序章」を観ていると、背後に 映っているセットの家具、調度品がとても素敵なのに気が付きます。

アクションはもちろんですが、場面に映し出されるそれらの骨董家具がとてもいいのです。

花と花瓶がマッチしていてついそこにも目が行きます。

中国家具や花瓶、照明器具などの趣味がとてもいいです。

アクション画面で花瓶や茶器が壊れるシーンには目を覆いたくなります。

映画では、仏山で道場破りをする荒くれ者のカム・サンチャウ(ルイス・ファン)がイップ・マン(ドニー・イェン)に挑み掛かる場面があります。

イップ・マンの詠春拳を端から女の拳と見下したカム・サンチャウが、イップ・マンに強引に挑戦してきます。

仏山の武道家の期待をかけられ、心ならずも決闘を受けたイップ・マンの戦いが見ものです。





イップ・マンVSカム・サンチャウ [日本語吹替版]

 







おい、大事な酒を割るなよ!

イップ・マン(葉問) は武道家リョン・ピック(イップ・チュン、イップ・マンの実子)と香港留学中に出会います。

ここで、老師リョン・ピックから詠春拳の進化を提唱されたときの場面です。

カンフーを競う場面設定としては、漢方薬を扱う狭い店内というのが見せ場としては面白いですね。

薬剤や酒壺といった壊れやすい物品が並ぶ店内で、所かまわずいきなり武術の手合わせをするのは危なっかしいようにも思えます。

いやむしろ、そうした手狭な空間で激しく遣り合うのが映像的には緊迫感があっていいのかも知れません。

若いイップ・マンと老師との出会いとしてはいい場面展開になっています。






イップ・マンVSリョン・ピック 誕生 日本語吹替版

 
























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2018年03月01日

イングリッド・バーグマンの鮮烈印象とは?

20世紀の女優イングリッド・バーグマン

イングリッド・バーグマン( Ingrid Bergman、1915年8月29日〜1982年8月29日)は、ヨーロッパとアメリカで活躍したスウェーデン出身の女優である。

出演した映画作品でアカデミー賞を3回、エミー賞を2回、トニー賞の演劇主演女優賞の受賞経験がある。

イングリッド・バーグマンが出演した映画作品はいくつもあるが、残念なことにこれまでに観たことのある作品は10本に満たない。



ジキル博士とハイド氏(1941年)
カサブランカ(1942年)
誰が為に鐘は鳴る(1943年)
ガス燈(1944年)
白い恐怖(1945年)

聖メリーの鐘(1945年)
サラトガ本線(1946年)
汚名(1946年)
凱旋門(1948年)
ジャンヌ・ダーク(1948年)
ストロンボリ 神の土地(1950年)
ヨーロッパ一九五一年(1952年)
われら女性(1952年)
イタリア旅行(1953年)
不安(1954年)
恋多き女(1956年)
追想(1956年)
無分別(1958年)
六番目の幸福(1958年)
さよならをもう一度(1961年)
訪れ(1964年)
黄色いロールスロイス(1965年)
サボテンの花(1969年)
春の雨の中を(1970年)
オリエント急行殺人事件(1974年)
秋のソナタ(1978年)
ゴルダと呼ばれた女(1982年、テレビドラマ)






 Casablanca (1942): Play it Sam, Play As Time Goes By. Ingrid Bergman, Humphrey Bogart, Sinatra sings

  








カサブランカ・最後の場面/ Casablanca Final

 









Ingrid Bergman - Anastasia / 追想 1956












Ingrid Bergman - Can't take my eyes off of you

 














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posted by モモちゃん at 08:21| 歴史発見 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月07日

西郷隆盛のもっとも正確な肖像画はこれだ!

西郷隆盛の写真はみな偽物なのか?


西郷隆盛(1828〜1877年)は、自分の肖像写真を生涯一枚も残さなかったということがいまや定説となっている。

一般に流布している彼の画像と言われるものは、まったくの別物か偽物がその場しのぎにあてがわれているのに過ぎないということになる。

西郷は終生写真機の前に立つことはなかったという。

結局のところ、遺影としての写真も一切家族にも残さなかったことになる。

西郷自身が、幕末に入ってきた西洋の写真技術そのものにまったく関心がなかったわけはないだろうし、彼ほどの人物が写真を撮られることを理由もなく嫌ったということも考えにくいところである。

ましてや俗説でいうように西郷自からが暗殺を恐れて写真を撮らなせなかったのだということになると、それこそ英傑らしからぬ臆病者としか思えぬ発想で笑える話となろう。

現実はもっと深刻な立場に西郷自身は置かれていたわけで、むしろ周囲の者が西郷の身を必死に庇い案じた結果であったのだ。

幕末維新の緊迫した政治情勢の中に西郷はその身を置き続けていただけに、幕府側とは敵対することもあり幾度か捕縛や暗殺計画にも遭遇してきていた。

そのため西郷の近辺には影武者が置かれたほどである。

西南戦争の発端も、結局のところ明治新政府の西郷暗殺の画策が発端となっている。

そのようなこともあって、むしろ周囲の警護する者たちが西郷の身を案じて顔写真を撮らせなかったという見方がここではより妥当な理由ということになるはずである。


現代では西郷の肖像写真がまったく現存しないことで、かえって彼の人相や姿が注目されてきている。

いまでもいろいろなところから西郷だという写真が持ち出されてくる。 

最近ようやく上野公園の立派な銅像なども、生前の西郷の姿を忠実には再現されてはいない事実も知られるようになって、ここでも合成されたイメージだけで作られたようにいわれだしている。

いまも昔も変わらず、西郷隆盛は民衆に人気があったのは確かである。

やはりそれは西郷隆盛の堂々とした風貌そのものが大いに関係しているのであろう。

そうした伝聞はあっても肝心の写真自体が残されていないのだから、ここはどうしようもないところである。

幕末から維新に掛けての激動の時代にあって、あの坂本竜馬や勝海舟、木戸孝允、高杉晋作らさえしっかりと肖像写真を残している。

遠い薩摩、九州の南端の鹿児島の地にそのような風潮がなかったかというと事実は違っていた。

当時の薩摩藩士の桐野利秋や永山弥一郎だけでなく、西南戦争前には名もない藩士でさえも自らの戦場での死を覚悟して写真を撮って家族への遺品にしている。

だのに西郷の写真だけはいまだに出てこないというのは、そこに何らかの意図が隠されているように思えてならないのであるが、それにしても残念なことには違いない。

その結果ということになるのだろうが、明治維新の悲劇的英雄という一面もあって、当時でさえそれに相応しい風貌がどこかで勝手に作られてしまい、西郷隆盛のイメージだけが先行してしまっていたのかも知れないのだ。


当然のことであるが、西郷隆盛が活躍した時代にはそれこそ数十万もの人々が直接彼の風貌や面相を目にしていたはずである。

西郷は行く先々で衆人の注目の的であったし、倒幕の進軍中もその姿を一目見ようと周辺の町や村から多くの人々が沿道に続々と集まってきた。

ところが肝心の肖像写真そのものが残されていなかったことで、次第に人々の記憶が失われいくと共に、西郷の人相そのものは風化し彼の死後それこそ勝手に変貌していったように思える。


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その最たるものがあの上野の銅像である。

幕末来日したイギリスの外交官(日本語通訳官)、アーネスト・サトウは1867年1月神戸で西郷隆盛と面会したとき、「(西郷は)黒ダイヤのように大きな目玉をしているが、しゃべるときの微笑には何とも言い知れぬ親しみがあった」と日誌にはっきりと書いている。

「黒ダイヤのように大きな目玉」という印象は相当強かったらしく、やはり多くの肖像画にもこれが共通した西郷の特徴となっている。

威風堂々とした体躯と黒ダイヤのように大きな目玉がその特徴となれば、少なくとも維新の英傑に相応しい風格が最初から揃っていたことになる。

しかしながら、それだけではあまりにも情報が少な過ぎる。

どんな過去の偉人であろうと肖像画や写真がなければ、断片的な情報でイメージは後からどんどん膨らませることが出来る。

そこから本物とは違ったイメージ画像が勝手に作られてしまうことになる。

こうなるとこれはまったくの創作ということになる。


その結果が、あの有名なエドアルド・キョッソーネのひどくモンタージュされた肖像画の独特の風貌であり、上野の銅像となってしまうわけである。

この肖像画では西郷の極端に目がデフォルメされて異常なまでに大きく描き込まれている。(1883年当時とされる)

どうみても目の大きさと顔の幅の比率が不釣合いで、通常の人の顔とはいえないものある。

窮屈な顔面に大きな双眸が窮屈そうにはめ込まれているに過ぎない。

西郷の目玉が大きかったにしても、外国人が描いたものだけに日本人から見るとどうしてもそうした違和感がある。 

私に言わせれば、極端な風刺画的デフォルメの仕方である。

しかもアーネスト・サトウのいう愛嬌があるとも思えない。



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銅版画家のキョッソーネ自身は、このとき西郷本人とはまったく面識がなかった上に彼の写真そのものが存在しなかったために、取りあえず弟の西郷従道と従兄弟の大山巌をモデルにして肖像をどうにかイメージ合成したというが、これには驚きである。

これだとただのモンタージュ画像ということになる。

同様に、銅像を作った高村光雲も西郷との面識はまったくないわけで、これまたキョッソーネが描いたその肖像画をもとにして顔の部分を製作したとされている。(1899年)

デフォルメイメージ画像の拡散である。


銅像の完成後、その除幕式に招かれた西郷未亡人のイトが銅像を見上げて「宿んし(主人)は、こげなおひとではなかっ!」と思わず叫んだという逸話さえ残されているわけだから、何をか云わんやである。


当方も西郷隆盛の風貌には少なからず関心がある。

まず「黒ダイヤのように大きな目玉」といわれると、私などはあの有名な博物学者の南方熊楠先生のくりくりした目玉をつい思い浮かべてしまう。

とにかく眼力がすごいのだ。

普通だと、黒ダイヤのように大きな目玉を持っている人物などすぐには思いつかない。


kumakusu1.jpg 



何よりもその黒々とした双眸には力があるからに違いあるまい。

しかしそうであれば相当に個性的な風貌であろう。

もしかしたら実際は西郷の「黒ダイヤのように大きな目玉」は、南方熊楠先生よりもずっと大きかったのかもしれない。

インターネット上を検索するとたくさんの西郷隆盛の肖像画と想定される画像が出てくるが、大抵の画像は西郷のイメージ画の延長線上にあるものだと思う。

それで今回は銅像の人相とは別の西郷隆盛の顔を求めて、独自にその手がかりをあれこれと探し求めてみることにした。

西郷の経歴を調べてみると、彼は安政5年(1858年)当時、上京して攘夷派の諸志士らと挙兵をはかったりして密かに活動していた時期がある。

すでにこのとき西郷隆盛は身の危険に晒されていた。

幕府方の捕吏によって厳しく行方が追跡されていたというが、そのとき西郷を探索捕縛するための人相覚なるものが市中に配布されていたという事実がある。

その貴重な写真画像が、昭和34年当時、世界文化社から刊行されていた「科学大観」という画報の1冊に掲載されていた。

これは、いわゆるモンタージュ作画されたお尋ね者の手配書といわれるものであった。

発見して役人に通報すれば、幾ばくかの報奨金が出た可能性もある。


tehai.jpg 



手配書には、はっきりと西郷吉之助と名前が書かれている。

西郷の似顔絵の隣には長州の高杉晋作や筑前の平野国臣の似顔絵が同じように並んでいる。

手配書とはいえその画像がいい加減なもののはずもなく、これは当時の西郷の人相や骨相をある程度正確に捉えている貴重な史料ではないかと思う。


このときの西郷の似顔絵を見ると、わざとらしく相対的に悪人面で描かれている。

手配書の似顔絵は実際にどれほど似ていたのだろうか?
 
一方の高杉晋作の場合は写真は残されているので、この手配書の人相との比較検証がどうにか可能である。

それなりにモンタージュ作画の出来栄えが分かるわけだ。

どの角度から捉えるかで雰囲気や相貌は変わるだろうが、高杉晋作の場合は手配書と写真を見比べてもそれほど似ているとはいえない。

実際この程度の人相書きで人物が特定できるかとなると、いささか心もとないところである。

高杉でさえこの程度であるから、西郷の場合にしても本当の人相とは程遠いのかもしれない。

しかし手配書の似顔絵といえども、その人物の印象を一瞬にして掴み取るような巧みな描写力があって侮りがたいのも事実である。

描写の中にその人物を彷彿とさせる雰囲気が出されていれば、何となく分かるものなのかも知れない。

ただ、それぞれに悪人面が強調されているところが、ここではかえっておかし味さえ感じさせるところである。


この手配書では西郷は、「黒ダイヤのように大きな目玉」の印象を想わせるような描かれ方はされてはいない。

どうみてもそれとは程遠い武骨な面相である。

その面相も骨相も一応東洋人的風貌としてのバランスが、違和感無くとれているのは確かである。

全体にデフォルメされたという感じではない。

ただ全体の骨相ということであれば、この点隣の高杉晋作の場合では何となくそれらしく巧みに描かれているようにも思える。

そうなるとこの手配書では、意外にも高杉の顔面の下半分の形はほぼ正確に捉えているのではないかと思う。

彼の目じりが上がっているか下がっているかは、見る側の目線の高さでも印象は大きく変わってくるであろう。

雰囲気は醸し出されている。

肝心の西郷の骨相はというと、全体にいささか角ばっている。

まずそこは長めの眉としっかり横に張った顎が描かれていて、従来のモンタージュや銅像とは明らかに違った印象を受ける。

ここがやはり重要であろう。

どう見ても描かれている3人の中では、西郷がもっともその顎が大きく張っていて特徴的に描かれている。

しかも顔面と目の大きさのバランスが取れている。

それでいて西郷の黒眼は特別大きかったということであろう。


ここで補足すると、西郷の腹心の武人で同じ薩摩藩士の永山弥一郎とは同郷人の中でも非常に骨相が似ていたということである。

骨相や体格、その雰囲気が似ていただけではなく、顔つきもそれなりに似ていたはずである。

そのことを周囲の者が一様に認めていた。

そのため永山はたびたび西郷の影武者を務めていたともいうが、それうなると逆に永山弥一郎に類似した人相を想定していくことがより本物の西郷の顔に近づくことになるのかもしれない。

永山弥一郎の肖像写真は現在も何点か残されているので、ある程度その人相や骨相は一応ここでも確認できる。(下の2枚の写真)


naga2.jpg naga.jpg



やはり永山も、その特徴として確かに男らしい角張った骨相をしている。

写真で見た永山の顎のラインと手配書の西郷の顎の張り具合は、たしかに雰囲気がよく似ていると思う。

手配書同様にそこには武骨さがしっかりと出ている。

そうであれば、この両者の骨相についての伝聞そのものの信憑性は非常に高いということになってくる。


永山は幕末各地で戦闘に加わり、その抜群の軍功と勇猛さとで知られていたが、最後は西郷と共に西南戦争で三番大隊指揮長として華々しく散った薩摩の武人である。

それでいて武人らしく服装や身だしなみに洒落をみせるところは、西郷や盟友の桐野利秋(中村半次郎)とも共通するところである。

こうした当時の武人としての姿勢からいえることは、人と対峙するときは常に姿勢や服装に最大限の注意をはらっていたということであろう。

西郷にあっても同様であって、どこまでも礼儀正しい人物と捉えなくてはなるまい。

あえてここで言うならば、本当の西郷隆盛は銅像のような浴衣姿などでは外出はしなかったということになる。


桐野は戦死したときその身にフランス製の香水を帯びていたといわれるし、永山も火中に自ら身を投じてその最後も己の屍を晒さなかった。

武骨さの中に洗練されたダンディズムを持っていたというのは、本当にラストサムライの気概を感じさせる部分でもある。

特に薩摩でも武辺の者として知られていた永山は、それでいて女性や子供らにも親しまれ絶大な人気があったというところなど、その人柄までが西郷と酷似しているからなお更おもしろいところである。

余談であるが、永山の顎や額の形は、どこかしら往年の洋画俳優のチャールズ・ブロンソンをも髣髴とさせる。

写真を観るとそのような雰囲気が漂っている。


buro_convert_20130529122641.jpg 



ということで実際の西郷の風貌も、おそらくは永山同様にブロンソンの骨太な風貌にも酷似していたように想像されてくる。



ここで再度、永山弥一郎や手配書の人相書の骨相をそれぞれ比較してみると、西郷の人相そのものは、キョッソーネのモンタージュ肖像画や銅像とはまったく違った風貌だったと考えるべきだと思う。

こうなるとやはりキョッソーネのモンタージュ肖像画の信ぴょう性はきわめて低いとしか言えない。

今回、当方もモンタージュの手法を使って、手配書の人相書きに手を加えてみた。

維新後の断髪した西郷と高杉の顔を描いてみたが、その結果はどうであろうか。

断髪してしまうと随分と人相や風貌が変わってしまうのだが、骨相だけは簡単には変えられないところがここでは最大のポイントである。


tehai2.jpg 


西郷隆盛の場合は骨相を覆う顔の筋肉も引き締まっていて、これまでの肖像画とは違った武骨ないかつい風貌をより印象づけているように思える。

そうであれば、西郷の風貌はキョッソーネのモンタージュ肖像画や銅像のような、いささかぷっくりした面貌そのものはやはり似つかわしくないということになってくる。


ここらは当方の目論見どおりというか、西郷の骨相を考慮するだけでも、そこにはいままでのイメージとはまったく違った西郷隆盛の風貌が新たに浮かび上がってくる。

これは従来の肖像画や銅像に対して、別な観点からさらに検討を加えるべきポイントではないかと思う次第である。

民間に西郷隆盛の写真はあるのであれば、すでに発見されて特定されていてもおかしくはないところである。

国会図書館や政府機関にも肖像写真は保管されてはいないのであろうか。

一説によると西郷は、明治天皇から肖像写真を求められていたということであったが、結局写真は提出されないままに終わってしまったのだという。

これはむしろ逆に本物の肖像写真は天皇の下に届けられていて、いまでも宮内庁書陵部に密かに保管されたままになっているのではないかと当方は思っている。

唯一現存するとすれば、宮内庁書陵部だけである。

今世紀にそれが明らかになるかどうかは分からない。

いつの日か西郷隆盛の真影写真が、日の目をみることを切に願っている。




















































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2017年11月16日

ラムサール条約登録湿原とはどのようなものか?

初冬のタデ原湿原を訪れる

大分県九重の長者原の中にはラムサール条約登録湿原であるタデ原湿原があり、環境省長者原ビジターセンターを起点に約1.3kmの長者原自然研究路(遊歩道)が整備されています。

ここは阿蘇くじゅう国立公園内にあって、九重連山の登山口として広く知られています。

どの季節に訪れても美しい風景が広がっています。





RIMG2432



















秋が訪れると一面にススキの穂が風に揺れています。







RIMG2433




















初冬に再度湿原を訪れてみました。

ここは一面の雪に覆われることもあります。







RIMG1301





















見渡す限り枯れたススキの原が広がっています。

茫漠としたススキの原を眺めていると、福永武彦の小説「風のかたみ」の冒頭部分を彷彿とさせます。








RIMG1303




















タデ原湿原内は木道を歩いて見学ができますが、湿原に降りることは禁止されています。







RIMG1293




















湿原一帯には多様な植物が分布しています。

ここはそうした自然が保護されている一帯です。








RIMG1304




















九重の登山口までも木道が延々と続いています。

右端の方に硫黄山の白い噴煙(蒸気)が立ち上っているのが見えます。










RIMG1309






















前方に見える山は面白い山容をしています。

手前は指山1449M。

後ろに並んでいるのが三俣山1745Mです。








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posted by モモちゃん at 08:31| 歴史発見 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月27日

都市爆撃の戦災概況図ってご存知ですか?

わが町久留米市南部の百年!

忘れられた無差別攻撃による「都市戦災概況図」を見る




郷土史ということで、今回はわが町の歴史を古地図の探索によって追跡してみた。


これまで機会あるごとに集めてきた古老の証言も、町並みの発展の経過もすべてがこれらの古地図に集約されていた。


今回、地方都市の片隅でありながら、古地図の中にわが町域をどうにか補足することが出来た裏には意外な歴史の流れと新たな発見とがあった。
pazu






地図そのものは遥か彼方の上空から地上を視たところの鳥瞰図である。


平面的な広がりのある単純な図形としてみることもできるし、想像を広げて起伏のある立体的空間をそこに自在に組み立ててみることもできる。


古地図にしても確かな地勢の記録として、あるいは過去のタイムカプセルに密封されていた遺物さながらに、時空を越えて目の前に過去の異空間が展開することは、視る者に言いしれぬ感慨をもたらすに違いあるまい。


それが自分が長年居住する地域ともなれば、それこそまた格別の興味も湧いてこようというものである。


とはいえ、大都市の中心部というわけでもない片田舎であれば、そうした歴史文化の蓄積や確かな記録というものはそうた易く出てくるものではない。


筑後一円あるいは久留米を中心に同じテーマで考えれば、古代史を含めてそれ相応の歴史的流れや事跡を紹介することは可能であるが、足元の一つの校区に絞って見るとなるとそれこそ思うようにはいかない。とにかく歴史的色合いが少ない新興地域なのである。m1




私がこの地(福岡県久留米市南部)に移り住んだのは40年ほど前であった。


当時と比べて最近の世帯数の増加傾向はそれほど顕著ではないが、町としての様相は随分と変わってきた。


特に周辺地域の開発が活発化してきていることもあって、道路事情も緩慢ではあるが以前よりは改善されてきている。


現在の久留米市南部の地域図をみるとその変化がはっきりと分かる。(地図1参照・平成15年現在)


十数年前、わが町をまさに俯瞰した航空写真が一面に載った不動産広告が新聞に折り込まれてきたことがあった。


これまで地図でしか視ることのできなかった町域を一望の下に見渡したこの写真が、あらためてわが町の百年の歴史をタイムスリップして振り返ってみるきっかけとなった。


ここ久留米市南部域には特別な歴史的遺物というものはほとんど何もない。



しかも数十年前まで田圃が広がっていたいたような地域であればなおのこと、古い地図上で探しまわっても、町名はおろか何の痕跡も残ってはいないというのが普通ではないであろうか。


昭和30年代以降、地方の土地開発が進み始めた頃は山や田圃が掘り返されおびただしい遺跡が出てきたのだが、当時は文化財保護法などは整備されていなかったこともあってそれらの歴史的遺産は次々と破壊されていった。


当時そうした凄まじい状況を見て子供心にもそれはひどく異常なことのように思えたのを記憶している。


しかも周辺の固有の歴史的伝承地名も新しい地名に変えられ、いわゆる昔の面影というようなセンチメンタルな過去の遺物は次第に忘れ去られた。


わが町にしてもそれは同様であるわけだが、数少ない伝承遺物の祠を探しにいったところすでにそこにはマンションが建っていたこともあった。


そうした状況もあって、過去の地図でわが町の姿をどこまで遡ってたどることが出来るのだろうかという素朴な疑問がふと湧き上がってきたのである。


そして、早速手がかりになるような古い地図はないかと心当たりを探しまわってみたのであるが、意外にも予想していた以上にいろいろな地図資料が出てきたのである。


それこそ古地図というものは第一級の史料である。久留米の市街中心部ならば江戸時代の久留米城を中心に古地図がいくつか残っているのであるが、やはり予想通り当時の地図ではわが町域を確認することは出来なかった。


当時のわが町周辺は久留米の市中図には含まれてはいなかったし、その元となる伝統ある町名などといった確かな痕跡は何もなかった。


ただ町域全体が久留米藩の家老内藤家の土地であったというお年寄りからの伝聞しか得られなかった。


南部の牟田山という地名も、むかし牟田左衛門という古キツネが棲んでいたということで、それ以外には明確な地名記録はないということである。


そこで江戸時代の古地図はここで諦めて、明治以降のものを中心にあれこれ探してみることにした。


明治時代の地図作成について紹介すると、当初は内務省と陸軍省がそれぞれ独自の官製の地図を作成し始めていたのであるが、当時すでに内務省はイギリス式の測量と作図法を、陸軍省はドイツ式をそれぞれに導入していた。


興味深いことに国内地図の作成が別々の政府機関で進められていたわけであるが、当時の富国強兵策の元に明治11年になって国内地図の作成はすべて陸軍省に統括整備されることとなった。


ここにきて明治政府は正確な国内地図を完成させるべく、ドイツに技術将校を留学させて帰国後にこの任に当たらせた経緯があった。


この時点で詳細な国内地図は、いわゆる軍事機密的要素を一気に高めたわけである。


わが南校区は後でも触れるのであるが、明治後期より軍都として発展してきた久留米市の市街にも近く軍事上の要衝となる重要な施設が次々と整備されてきた歴史があった。


そのこともあって、市内校区周辺地域では多くの官製地図が作成されていたことが判明したのである。



右の地図2は明治33年(1900)に大日本帝国陸地測量部によって測量されて、翌年製版された本格的な久留米周辺の地図である。m2


これによるとわが町の位置はもとより当時の町域の様子がよく分かる。


細い村道が東西に伸びているだけで町並みや民家はほとんど見られない。


一面の原野と田圃が広がっている。


以前当地在住の九十歳のお年よりに尋ねたとき、ここらは昔は一面の松林であったという情報を得ていたが、地図上でもその確認が取れたことになる。


地名として、先に上げた牟田山とか八軒屋、十二軒屋、江戸屋敷、上津、国分、藤光といった旧来の地名がそれぞれ確認できる。


この地図はいわゆる官製(陸軍)のものであるが、当時どうしてこれだけ正確な地図が久留米市街以外の地域まで広範囲に作成されたのか不思議に思われたのであるが、後にの地に陸軍の練兵場が設置されたと聞いて納得した。


というのは多分に地図というものが、当時軍事的に利用されることを前提にして全国的に作成されていたと考えられるからである。


少なくとも、このような地図は一般人の眼に触れることはなかったはずである。



 たとえば、同時期に民間で発行された久留米周辺部の地図と精度を比較してみれば、その差は歴然としている。


地図3「久留米付近明細図」(明治35年発行)にしても、それまでの略図的表現からようやく近代的地図の体裁が少しづつ整ってきたというところではないだろうか。m3


これら二点の地図を比較してみると、100年前の南部地区の原型がどうにか浮かび上がってくる。


100年前の明治30年代当時のわが町域は、ほとんど民家もなく雑木林か荒れ地という状態であったことがはっきりこれらの地図で確認できるわけである。


この時期、北部九州の軍事的基盤は着々と整備拡張されつつあった。


同時期久留米でも明治30年(1987)に第二十四旅団司令部が置かれ、歩兵第四十八連隊が福岡より久留米市南部の国分村(現国分町)に移駐してきている。


その当時に作成されたらしい地図「国分町全図」を見ると、司令部は現在の国道3号線沿いの久留米市諏訪野町辺りにあり、兵器部、火薬庫がそのすぐ南側に隣接していたことが分る。


その後さらに明治40年(1907)には第十八師団が設置され、久留米はいよいよ北部九州の軍都としての態勢を備えていった。



やはり、このような地方都市の詳細な地図が計画的に作成された理由もここらにあったのではないかと推察するわけである。


明治40年代当時、わが南町地区には騎兵第二十二連隊、軽重兵十八大隊、野砲兵二十四連隊、山砲兵第三大隊が置かれ、広い練兵場を前にその兵舎や関連施設がいくつも連なっていたことを示す地図も出てきた。

(地図4参照・大日本帝国陸地測量部・明治末作図)m4


練兵場の西側の鹿児島本線荒木駅から軍事物資や戦車、その他の重火器が運ばれた。


さらに昭和三年になると、久留米・吉井間に鉄道(久大線)が開通し、陸上輸送の体勢も整ってきている。


直接確認はしていないのだが、現久大線の南久留米駅には戦車を鉄道列車に積み下ろしするための戦車台がいまも残っているということである。


発行年代の不明瞭な古地図でも、鉄道路の有無や施設部分の増設の様子によっておおよその年代が推定できる。


これらの地図によると、練兵場施設周辺や道路沿いに民家が徐々に増えてきているのが分かる。


市中心部周辺からの人や物資の流れがさかんになり、練兵場周辺で次第に関連資材の生産や経済的な活動が生じてきたことを反映しているようである。


戦前の町並みを画いた地域図を見ると、市中心部より練兵場に延びた道沿いに旅館や軍刀を扱う専門店も次々と出てきている。


まさに門前市を成すといった状況がうかがえる。


北部九州の広い範囲から徴兵された兵士は、この久留米の練兵場において厳しい訓練が行われ後、戦時中は外地へと各部隊が続々と出征していった。
(地図5参照・大日本帝国陸地測量部・明治44年測量、大正2年発行)m5



この場所は多くの将兵の足跡が残されていた練兵の地であって、明治、大正、昭和と施設の拡張が続き、戦前まで帝国陸軍の重要拠点として存在し続けていたわけである。


久留米の歩兵第四十八連隊の兵士は主に久留米を中心に福岡県南部と佐賀県から召集され、1936年4月に満州に派遣された。


同連隊は東京(トンキン)城を中心に隊務に就いた後、終戦の年1945年3月には台湾方面に転戦していた。


出征時には、各連隊地から徒歩で久留米駅まで行軍し、そこから列車で長崎佐世保港に向かったという。


 おそらくそのようにして出征していった全体の兵員数は延べ数十万人にも及ぶのではないだろうか。


実際にここに召集され訓練を受けたという人に幾度も遭遇したことがある。


当時の厳しい訓練の様子や立ち並ぶ兵舎の位置関係や家族面会時の思い出などうかがったことがある。


入隊練兵中の兵士らに遠方から面談に来る家族もあって、練兵場上の北側には当時何軒もの旅館や料亭が出現していたようである。
(地図6参照・大日本帝国陸地測量部・昭和3年以降の発行)minami


練兵場の敷地内の東西に兵舎などの施設が立ち並び、それらの建物の南側に広大な練兵場が広がっていたことなどが当時の地図で確認できる。


 兵舎と道路の間には、高い土手があって外部からは覗えないようになっていたことや、広い練兵場の南端には松の木があって、訓練でよくそこまで全力で走らされたということであった。


昭和16年に発行された久留米商工史付録の「大日本職業別明細図・久留米市」(東京交通社)では市中心部の商店名などは詳細に書かれているが、軍関係の施設については一切省かれている。
(地図7参照・久留米市編入当時の国分町全図)tizu3


市南部に施設が集中していたこともあって、道路施設だけが簡略的に画かれているだけである。


地図の編集内容を見ていくだけでも、この当時次第に戦時色が強くなってきていることが感じ取れる。




昭和20年6月18日に久留米市にも近い県南部の大牟田市が爆撃された際、米軍爆撃機が撃墜された。


その1月後、その巨大なジュラルミン製の残骸がこの練兵場に運び込まれ、国民の戦意高揚ということもありその大展覧会が華々しく開かれ多くの市民が見物に訪れたという。


そうした市民の中には、ジュラルミンに覆われた米軍機の堅牢な防弾構造を知って驚き、今更ながらに敵国の物量の凄さを知った人も少なくなかったという。



しかも米軍は、この昭和20年の7月末と8月初めにかけて久留米空襲を予告するビラを相当数撒いており、市民の危機感は高まっていた。


当時、米軍のビラを拾ったら、そのまま警察に届けることになっていたらしい。
(写真(右):B24爆撃機、(左):P38戦闘機


その予告通り、展覧会から間もない8月11日10時20分、終戦の間際、久留米市はB29、B24爆撃機80機、艦載機P26、 P38 約50機の襲来による集中的都市爆撃で多大な戦災被害を受けた。


総重量500トンにも及ぶ多数の大型焼夷弾と爆弾によって、死者214人、重軽傷者160人、罹災者数2万人、消失家屋4千5百戸余の甚大な爆撃被災を受け、久留米市中心部の都市機能はほとんど壊滅状態となった。



当時のアメリカ軍は、日本家屋の大半が木材と紙で出来ていることから、住民もろとも広範囲に家屋を一気に焼き払う目的でM69集合焼夷弾と呼ばれる引火性油脂を主成分とする焼夷弾という新式の爆弾を開発した。


それは六角形の鉄の円筒にゼラチン状の油脂成分を充填したものを束ねた構造で、通称ナパーム焼夷弾とも呼ばれたものである。


米軍は都市攻撃の効果をさらに高めるために、このナパーム弾38発〜48発を一束にまとめて220ポンド〜最大750ポンドの大型焼夷弾を標準化した。


日本本土爆撃においてB29はこれを1機に最大40個を搭載して連日のように飛来し、都市部を集中的に攻撃した。
(右の写真は米軍が撒いたビラ)


大型焼夷弾は投下後、地上約300mの空中で時限装置が作動し自動的に本体が分解してナパーム弾が分散しながら広い範囲に落下する。


着弾時に中身の油脂は四方に飛散し、猛烈な勢いで燃え広がり火災を発生させる。



もとより建物が密集した市街地の建物と市民のすべてを無差別に焼き払う、いわゆる非人道的殺戮焼却爆弾であった。


この爆撃によって一夜にして久留米市の中心部は破壊焼失し、それまでの町並みはまったくの焼け野原となってしまった。


そのため戦後復興後市内中心部の道路は、地図を見ると戦前のそれとはまったく異なった路線となって現在に至っていることが分かる。


市中支部を流れる現在の池町川は、昭和21年の戦災復興都市計画で川幅が約2倍に広げられ、位置も少し南側に移されている。


米軍機による西鉄筑紫駅・国鉄久留米荒木駅への機銃掃射(宇佐市平和資料館映像)





戦後半世紀経って、このときの戦災によって消失した町並みの詳細な地域図が有志によって復元作成された。


撃墜爆撃機展覧会の会場ともなった南部の軍施設や練兵場一帯は、中心部から2キロ以上離れていることもあってこのときの爆撃の被害にはあっていない。



ただし弾薬庫や発電設備だけがピンポイントで攻撃されていた。



練兵場などの軍施設がほとんど無キズであったということは意外である。


米軍の攻撃の目標はこれらの軍事施設ではなく、むしろ市街中心部の無差別の民間人攻撃であり、これは明らかに市民の戦意喪失を狙ったものといえる。


 当時、市内に居住していて当日の爆撃に遭遇し、奇跡的に助かった女性の体験談を伺ったことがある。


その方は、警報サイレンと同時に屋外に走り出て近くの防空壕に一旦非難しようとしたが、周囲から避難してくる人が多く、自分が妊娠中で大きなお腹をしていたこともあってその防空壕に入らずにそののまま逃げたということであった。


後で分かったことであるが、その防空壕には爆弾が直撃し避難していた人たちはみな亡くなったということであった。


戦後復員された方々も、鉄道が寸断されていて移動には相当難渋されたということで、佐賀県鳥栖から久留米まで借りた自転車で走ってやっと家に辿り着くという状態だったという。


久留米市内は焼け野原で荒廃し、かっての面影もない酷い状態が一面広がっていたという。




戦争直後は練兵場の多くの建物施設が引揚者の住宅や開墾農地に転用されたということであったが、60年以上経過した現在ではその面影はほとんど残ってはいない。


元軍属や引揚た人々が多数入植してこの一帯は農地として開墾され、練兵場施設跡にも民家が少しづつ建ち始めたわけである。


そうした経緯から見れば、ここはまったく戦後の新しい町域なのである。


ただ広い面積を占める学校関係の施設と市営住宅や団地が、道路沿いに並んでいるところをみるとこれが当時の建物の区画跡かなと思える程度である。


練兵場の跡地がそのままの枠組みとなって、いまの町域が戦後発展してきたことは戦前のこれらの地図を視れば容易に分かるというわけである。


百年の間にこれだけの変貌を遂げて出来上がった町並みと町域ということで考えると感慨深いものがある。


久留米という一地方都市の片隅を占めるに過ぎないわれらの校区も、このように観てくるとそれなりの独自の歴史があるということである。


それこそ地図で視る郷土の歴史としては、ここの校区の事例は格好の教材になるのかもしれない。
(下の図は久留米市戦災概況図)



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平成14年11月5日、当方の住所地の表示も全面的に変更整理されて「久留米市南町」から「久留米市南」となった。 



「参考文献・資料」
1.地図1 「南町地区住居表示の実施に伴う町界町名変更(案)久留米市 平成14年
2.地図2・大日本帝国陸地測量部 明治33年発行
3.地図3・「久留米付近明細図」金文堂 明治35年発行
4.地図4・大日本帝国陸地測量部 明治末作図
5.地図5・大日本帝国陸地測量部 大正2年発行
6.地図6・大日本帝国陸地測量部 昭和3年発行
7.地図7・「国分町全図」 作図時期不明
8.「南町地域における新住居表示の実施について」 久留米市 平成14年
9.全国戦災都市別被害状況表 (昭和54年3月内閣総理大臣官房管理室による日本戦災遺族会への委託調査『全国戦災史実調査報告書』
10.第二時大戦に於けるアメリカ陸軍航空軍戦闘日誌(対本土作戦のみ)1945年 6月〜8月
11.「大本営発表」「軍管区司令部発表」昭和16年12月〜昭和20年8月
12.鳥飼行博研究室Torikai Lab Network 日本本土空襲 U.S. Bombing 1944-45
13.全国主要都市戦災概況図


















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ラベル:都市計画
posted by モモちゃん at 08:24| 歴史発見 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月22日

太鼓の音での暑気払いはいかがですか?

ドドンと太鼓の音で魔を払う

日本の太鼓にはいろいろな種類があって、それこそ伝統な各種催事などでも機会あるごとに演奏されています。

身近にはお祭りの太鼓や陣太鼓などはよく耳にします。

古代より太鼓は祭祀や戦いの場で使われていました。

真言宗のお寺での読経の際に太鼓が叩かれているのを観たことがありますし、現代ではプロの太鼓演奏集団もたくさんあります。

町内でも今月末には夏祭りがありますので、集会場で太鼓の稽古が毎日あっています。




両国 にぎわい祭り 太鼓打ち分け2015.5.3










尾鷲寄せ太鼓?








リアル太鼓の達人2 - 石見神楽(松原神楽社中)










天鼓雷音 平成23年4月











和太鼓演奏 / 空 Sora









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posted by モモちゃん at 18:46| 歴史発見 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月08日

もう一人のピアノの詩人だったキャバレロ

ピアノのキャバレロといえば

カーメン・キャバレロ(Carmen Cavallaro, 1913年5月6日 - 1989年10月12日)というアメリカのピアニストをご存知であろうか?

特に有名な演奏は、1956年の映画作品『愛情物語』の中の「トゥー・ラブ・アゲイン」であるが、これは耳慣れたショパンの名曲『夜想曲第2番』をアレンジしたもので映画と同時に大ヒットした。

カーメン・キャバレロは、当初クラシックの演奏家を目指していたが、途中でポピュラー音楽に転向した。

彼の演奏の基礎はクラシックであっただけに、クラシックからポピュラー・ミュージックまで幅広いレパートリーを自在に弾きこなした。

その演奏は豪快かつ繊細で、独特の装飾音符をちりばめた華麗な「キャバレロ・タッチ」が人気を集めた。





愛情物語 :カーメン・キャバレロ / To Love Again :Carmen Cavallaro










CARMEN CAVALLARO - MANHATTAN  











Carmen Cavallaro - 慕情











YOU´RE MY EVERYTHING Carmen Cavallaro











CARMEN CAVALLARO - HAY HUMO EN TUS OJOS - SMOKE IN YOUR EYES










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ラベル:ムード音楽
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2017年05月31日

世界最古の楽器といえば打楽器です!

ダラブッカの演奏を集めてみました

ダラブッカは、タブラ、ドゥンベク、ダラブッケともいい、膜鳴楽器に分類される打楽器です。

通常はベリーダンスの伴奏としてアラブ音楽やトルコ音楽でよく使われます。

ダラブッカの伝統的な演奏スタイルは、ベリーダンスの伴奏として発展してきただけにダンサーが踊りやすいように、メリハリの利いた簡潔で力強いフレーズが多く使われます。

通常のベリーダンスの伴奏では、伝統的なエジプトスタイルの2拍子系、4拍子系のものが最もよく演奏されます。




Mother of Pearl Sadaf Darbuka - Our Best Solo










New Generation Darbuka & Sombaty Darbuka - Online Darbuka Shop









Raquy and Osama Farouk. Darbuka.avi










Raquy and 10 Year Old Darbuka Prodigy Sercan

 








Darbuka Ritim-Solo

 













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ラベル:アラブ音楽
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2017年05月14日

美人は一応シュミレーション加工が可能です!

最新のデジタルで美人はどう造られるのか?


いま懐かしい80年代の歌謡曲が若い世代にもブームなんだそうです。

そうなると80年代のファッションなんかも復活しそうな感じですね。

いま思えば80年代は綺麗な女性が多かったように思います。(?)

当時の巷での評価でいうと、その筆頭が歌手のあべ静江さんでした。

確かに男性には人気がありました。



コーヒーショップで あべ静江 









あべ静江さん みずいろの手紙


 




先般、パーフェクトな体形や顔のメイクで美人モデルに作り上げる手法が動画で紹介されていました。

これは凄いです。男性必見です。
二次元のデジタルだとここまで可能なんです。



Body Evolution - Model Before and After










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2017年05月03日

古来女性も使っていた日本のフンドシとは?

褌(ふんどし)の数え方

新太郎は出港予定の前日に姉から風呂敷包みを受け取ると、あらためて別れの挨拶をした。

姉とは半年以上会えなくなるわけで、一抹の寂しさがあったが新太郎は終始笑顔を崩さなかった。

新太郎は帝国大学附属工業専門部を卒業すると、すぐに給料のいい商船会社に就職することを決断した。

先輩の勧めもあったが、もとより自ら望んで大型船の機関部でエンジンの保守管理に従事する仕事に就いたのだ。

海外航路を運航する船に乗り込むわけだから、一端航海に出れば何ヶ月間も陸地には上がれないこともある。

ましてや日本に帰って来るとなると、予定があったとしてもそれこそ何時のことになるかははっきりとは分からない。

新太郎が乗船する大型船は商船であり、大量の物資や貨物を港から港へと輸送する。

そのエンジンの操作はもとより機関部全体の保守管理をするわけであるから、若い新太郎には最初から遣り甲斐のある仕事のように思えたのだ。

両親は若くして他界していたので彼の身内といえば、3歳上の姉だけであった。

新太郎が商船会社に就職したことに姉は驚きはしたが、格別反対はしなかった。

男は思い通りに生きた方がいいと常々口にしていただけに、新太郎の意思を尊重してくれたのである。

新太郎は、希望通りに外国航路を巡る大型船に配属され乗船することが入社直後に決まったのであるが、その日のうちに姉の下を訪ねていった。

このときの新太郎には、特別に姉に頼みたい要件があったのだ。

「姉さん、ふんどしば縫ってもらえんやろか?」

「そりゃあよかばってん、何丁いるとね?」

「百丁縫って欲しかとよ」と、申し訳なさそうな顔で新太郎はそう言った。

「まあ!百丁もね!」

姉は、百丁という数を聴いて一瞬驚いた表情で新太郎の顔を見つめた。

「どうして百丁もいるとね?」

「俺は自分でふんどしば洗濯するとは面倒たい。三日おきに新かふんどしに取り替えていくけん、どげんしてん一航海に百丁はいるとたい」、と新太郎は言った。

姉は新太郎の言葉に笑いながらどうにか納得すると、期日までにふんどしを百丁仕上げると新太郎に言った。

そして、新太郎が船に乗り込む前日までにその百丁のふんどしをどうにか仕上げてくれたのであった。

新太郎は受け取ったその百丁のふんどしと身の回り品を携えて、翌日の早朝に始めての航海に出る大型船に乗船したのだった。

船の機関部の仕事は面白かった。

エンジンの保守管理は油だらけになることも少なくなかったが、新太郎はすべてにおいて作業手順の飲み込みが速く先輩達からも可愛がられた。

船内の生活にもすぐ慣れたし、専属の調理人がつくる毎日の料理も洋風で新しいもの好きの新太郎を喜ばせた。

日本で陸の仕事に就いていたとしてもこれほどの経験は出来まいと思った。

新太郎の乗った船の航路は世界の七つの海にまで広がっていて、世界中の大きな港を経由して各航路を回っていった。


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見る物、聴く物どれもこれもが目新しく、若い新太郎は世界各地で青春を謳歌していったというわけである。

そしてこの間、新太郎の百丁のふんどしは予定通りに2,3日おきに取り替えられていった。

使い捨てのふんどしは次々と船上から海面へと投げ捨てられた。

ふんどしはその都度海風に大きく煽られ吹き飛ばされながら海の藻屑となって新太郎の視野から消えていった。

その後も新たな航海の度に新太郎の百丁のふんどしは、毎回姉が縫い続けてくれた。

新太郎は20代にして外国航路の機関長に出世していた。

それでも姉の手で縫われるふんどしが千丁を超えた辺りから、新太郎は陸にそろそろ上がろうと思うようになった。

新太郎は三十をいくつか過ぎたころに、その商船会社を惜しまれつつ退社した。

いまでも新太郎はときどき夢に見ることがあるのであるが、それは夥しい白い晒木綿のふんどしが世界中の海の中を漂っている様子なのである。

それは夢でありながら、妙にリアルで生々しい情景なのである。


「爺ちゃんは何でパンツば履かんとね?」と、孫から聴かれると、新太郎は大抵きまって「爺ちゃんは色のついたパンツは好かんとたい」と応えるのであった。





















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posted by モモちゃん at 09:40| 歴史発見 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月01日

「ロビンソン・クルーソー」原書初版本を探しています?!

もしかしたらお宝発見!

イギリスの小説家ダニエル・デフォーの小説「ロビンソン・クルーソー」は、日本でもよく知られた作品です。

また意外なことですが、もっとも長い題名の付いた小説ということでも知られています。

原題は、そのままだと「The Life and Strange Surprizing Adventures of Robinson Crusoe, of York, Mariner: Who lived Eight and Twenty Years, all alone in an un‐inhabited Island on the Coast of America, near the Mouth of the Great River of Oroonoque; Having been cast on Shore by Shipwreck, wherein all the Men perished but himself. With An Account how he was at last as strangely deliver’d by Pyrates」ということになります。

この小説「ロビンソン・クルーソー」は、1719年にロンドンで刊行されているのですが、当時大変なベストセラーになりその後も次々と版を重ねました。

原題をみると、" The Life and Strange Surprizing Adventures of Robinson Crusoe, of York, Mariner: " 
 「ヨークの船乗り、ロビンソン・クルーソーの生涯と驚くべき不可思議な冒険の数々」というタイトルで始まっています。

さらに続けて、" Who lived Eight and Twenty Years, all alone in an un‐inhabited Island on the Coast of America, near the Mouth of the Great River of Oroonoque;
「彼は28年間も孤独なまま過ごしたのは、南アメリカ沿岸の大河オリノコの河口付近にある無人島であった:

Having been cast on Shore by Shipwreck, wherein all the Men perished but himself. With An Account how he was at last as strangely deliver’d by Pyrates."
船が難破して岸辺に打ち上げられ、彼以外の者はすべて犠牲となってしまった。その最後において、奇しくも海賊船にどのようにして救出されたかを記したものである。」と書かれています。

これに続いて「彼の(本人)自筆による」(Written by Himself)とあって、まるで主人公のロビンソン・クルーソー自身が記述したかのように表現されています。

まるでノンフヘション作品と言わんばかりの触れ込み方です。

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少年時代、この「ロビンソン・クルーソー」と「十五少年漂流記」の二冊は愛読書でした。

主人公の無人島での生活と冒険を、わくわくしながら読んだ記憶があります。


「ロビンソン・クルーソー」には、もう一つ特別な思い出があります。

実は伯父の一人が意外なことに、この「ロビンソン・クルーソー」の原書、それも貴重な初版本を持っていたのです。

ただし、80年ぐらい以前の戦前の話です。

もしいまそれが手元にあるとすれば、とてつもないお宝本ということになります。

世界中の図書館や大学当たりが欲しがる数少ない稀少本として、おそらく数億円の価値はあるのではないかと思われます。

生前、伯父はその「ロビンソン・クルーソー」の本の入手の経緯について話してくれました。

それによると伯父が旧制中学の生徒であったとき、実家の近くに当時逗留していたある人物と出会い、家族ぐるみで付き合ううちにとても懇意になったそうです。

たしかその方の名前も聞いていたのですが、残念なことに失念してしまいました。

その方は学者のような風貌で、何でもかっての日露戦争当時ロシア側との交渉での通訳を務められていたという経歴があったといいます。

その方がその土地を離れる際に、伯父にその貴重な「ロビンソン・クルーソー」の原書を手渡してくれたというのです。

初版本だから大事にするといいと言われたということでしたが、戦争の混乱もあってその後の原書の行くへは不明だということでした。

この話を聞いて40年近く経ちますが、いまでも時折この話を思い出します。

伯父が育った家に行くと、決まったように従兄たちに声を掛けます。

屋根裏か押し入れで、古めかしか英語の本ば見かけたりはせんね?もしも出てきたら、もの凄かお宝になるとばい」、と。

ここだけの話ですが、ここらの事情を詳しく聞き知っているのは、実は私だけなのです。












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posted by モモちゃん at 08:24| 歴史発見 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月21日

秋は雷山千如寺にまで足を延ばしてみました

秋の千如寺・五百羅漢像を訪ねる



福岡県糸島市雷山にある千如寺大悲王院に行ってきました。

ここは成務天皇(第13代天皇(在位:成務天皇元年1月5日 - 同60年6月11日)の時代ということなので、古代の4世紀辺りにまで想定できる歴史があるということになります。

この時代の九州は、歴史教科書には記載されてはいない「九州王朝」が支配していた時代ということになりますので、成務天皇の事跡そのものは後世の日本書紀などの正史に詳しい記録はありません。

その縁起はというと、成務天皇の四十八年、雷山の地主神である雷大権現の招きで渡来した天竺の霊鷲山(りょうじゅせん)の僧清賀上人によってこの地に開創されたと伝えられています。

霊鷲山とはインドのビハール州にある山で、別名では耆闍崛山、鷲峰山、霊頭山、鷲頭山、鷲台としても知られていますが、1903年(明治36年)1月14日朝、大谷光瑞が率いる第1次大谷探検隊が朝日に照らされたこの山を仏典上の霊鷲山と同一と確定したことで有名な聖地です。

霊鷲山は、かって釈迦が無量寿経や法華経を説いた仏教の霊山ということになります。

その所縁の地からインド人の清賀上人が仏教と共に古代日本に渡来してきたということですから、ここでも従来の学会の定説や歴史観がひっくり返ってしまいます。

その後、千如寺は聖武天皇の時代には勅願道場となり、国司により七堂伽藍が建立されたということです。

仏教が盛んであった鎌倉時代には、この地には三百もの坊舎があったといわれます。



参詣する人たちが次々とバスで訪れていました。




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千如寺は立派な樹齢400年といわれる楓の大木があることでも近隣に知られています。






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中庭に大きな楓があります。






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伽藍の裏は傍まで山が迫っていて、その斜面を覆うように石像が並んでいました。





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杉の大木の間に羅漢像が整然と並べられています。





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やはりこれだけ羅漢像があると壮観です。






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ラベル:仏教伝来
posted by モモちゃん at 11:56| 歴史発見 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月03日

極秘任務中消えた伊号潜水艦を発見!

忘れ去られた伊52潜水艦

戦前、日本海軍は世界最高水準の潜水艦製造技術を保有していました。

また、圧縮空気で推進器を稼働させる魚雷も当時世界最高水準レベルの革新的技術でした。

若い時、その軍需工場で働いていた技術者だったという方に話を伺ったことがあります。

そこにはほとんど知られていない驚きの歴史がありました。




日本軍の極秘潜水艦伊401

 






発見!伊52潜水艦   ドイツ派遣潜水艦の最終艦

 














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posted by モモちゃん at 08:30| 歴史発見 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする