2017年04月01日

次第に失われていく方言という地方文化

方言には何故だか癒し効果がある?

標準語の世界で育った人には、地方出身者の喋る方言の微妙なニュアンスというものはやはり分からないだろうと思う。

同時に地方出身者も数年間都会で生活すると、使い慣れていた地元の方言の聞こえ方が次第に変わって来るのがわかる。

それは生まれ育った土地の方言に親しみを持つのと同時に、ときたま帰省した時などには新たに身に着いた都会の言語感覚が働いて、今までとは違った別のフィルターを通して方言を聴いているような感覚に陥る。

そのときは、意外にも自分が使って来た方言がひどく田舎っぽく聞こえてしまうのだ。

まるで自分が始めから都会人であったかのように、その耳であらためて地方の方言を聴いているような妙な感覚を覚えるのである。






ココリコミラクルタイプ/奥様は地方出身者










ココリコミラクルタイプ/方言バトル(屋台戦争)

 








方言合コン

 








ココリコミラクルタイプ キャバクラ嬢の素顔








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ラベル:地方出身
posted by モモちゃん at 09:07| 伝承記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月25日

古来の浦島太郎伝説とディベートは相性がいい

昔話には裏がある?

いじめられていたカメを助けた「うらしまたろう」は、その助けたカメに連れられて竜宮城に招かれます。

竜宮城には表門と裏門とがあったのですが、「うらしまたろう」はこのときどちらから入城したのかご存知でしょうか?

そうです、「うらしまたろう」は表門から入城したのです。


最初、「うらしまたろう」は裏門から入城しようとしたのですが、入ろうとしたら門の扉がいきなり閉じてしまったのです。

そこで「うらしまたろう」はあらためて表門へと回ったのです。

表門には門番がいて、「うらしまたろう」の顔を見るとにやりと笑って小さな声で一言いいました。

「うらしまったろう?」

そうです、「うらしまたろう」は、「裏閉まったろう?」と門番に言われてしまったのです。





気分は浦島太郎、「海亀カメラ」で見るグレートバリアリーフ 'Turtle cam' highlights threat to Australia's Great Barrier Reef








浦島太郎編

 







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ラベル:昔話
posted by モモちゃん at 15:28| 伝承記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月05日

大阪弁やと話がよけえ面白おますさかい

地方限定:大阪弁バージョン



あるとき一人の老人が通り雨にあい人家の軒下で雨宿りしとると、その傾きか けた粗末な家の中から女のすすり泣く声が聞こえてきたちうわけや。

覗いてみると、母親がボウズの枕元でうずくまるようにして泣いとるではおまへんか。 老人は思わず声を掛けたちうわけや。

外からの突然の声に女は驚いて泣きはらした顔を上げたちうわけや。老人は静かに語りかけ たちうわけや。
優しそうな老人の言葉に母親は気を許して事の次第を話はじめたちうわけや。

母親の話によると、ボウズの病状が一昨日より急に悪くなり、診てもろた医者は もう手の施しようがないと言って帰ってしもたちう。

ボウズの意識は無く命はいくばくもない様子で、もう死を待つばかりだと言って母親は泣き崩れたちうわけや。

老人は気の毒に思い、オノレは医術の心得がある、このまんま見過ごすにはどうしても心残りやから、オノレにボウズの脈をとらせてはもらえまいかと言うわ。

老人は一通り子の脈を診ると、母親に父親の所在を尋ねたちうわけや。この子の父親は既に 亡く、本日この時まで母一人子一人で暮らしてきたちう。

老人はその答えに頷くと次のように言ったちうわけや。

やはりこの子の命は絶えそうであるちうわけや。そもそもの原因はこの子が母親の陰の気だ けを受けて育てられ、父親の陽の気に包まれなかったことによるちうわけや。そのため体内の 陰陽の調和がとれなくなりよったのや。一刻の猶予もない

 ほんで老人は母親に起死回生の妙法を教えたちうわけや。母親は、ボウズの命が助かるかもし れへんと知って、老人の言うとおりに村中にある若衆宿へ直ちに掛けていったちうわけや。

ほんでは、元気盛りの若者が幾人も泊り込んで共同生活しており、そう広くもな い部屋の中は若者たちの熱気で溢れかえっとった。

母親はその部屋に駆け込むと、若者たちが遊んでいた将棋の駒をひったくるよう にして掴み取ると、すぐさま家にとって返したちうわけや。

その将棋の駒を土瓶で煎じてボウズに飲ませたトコ、生死を彷徨っとったボウズは 奇蹟的回復をみたさかいあったちうわけや。──

ここに登場する老人こそ、朝鮮医学の集大成ともいうべき医学書『東医宝鑑』を17世紀初頭に編纂した名医許俊その人やった。許俊ちう人物は家庭的には決 して恵まれた環境で育ったわけではなかったちうわけや。

なんちうか、ようみなはんいわはるとこの妾腹の子であり、苦学して医を志したさかいあるちうわけや。逸話にもそうした許俊 自身の幼少時の境涯が反映されとるのかも知れへん。

なんや馬鹿馬鹿しい、荒唐無稽の作り話ではおまへんかと思われる向きもあろうわ。


実 はこれによく似た名医の話が、後漢時代に活躍した華佗の伝の中にもあるのや。

東陽県の陳叔山の一歳の男の子が下痢が止まらなくなり、次第に衰弱していった ことがあったちうわけや。


方々手を尽くしたがどうしても病状が良くならへんので父親が心配して、名医として名の聞こえた華佗のもとを遠路訪ねてきたちうわけや。

華佗は一通り病状と経過を聞くと、父親に向かってねちっこく説明し始めたちうわけや。

その子の母親は次の子をすでに妊娠しとるはずや。そのために母乳中に本来含 まれとるはずの母親の陽の気が、おなかの胎児を養うのにようけが吸収されてしまい、その母乳はボウズを養うには不十分な冷たい陰の気に偏ってしまっとるのや。
やからその子がいまのまんま陰の気が充満した冷たい母乳を飲んでいる限り、この病 は回復せんやろう
」と、明解な病理、病機を示したちう。





中国には「名医、棺を返す」と言うような名言があるらしいちうわけや。


これは名医ちう ものは死人さえも生き返らせるのだ、といったニュアンスのものかと思うが、扁鵲 がそうであろうし、唐時代の孫思邈(五八一〜六八二)の伝にも、これにぴったり 当てはまるような話が残されとる。





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孫思邈はある日、往診の帰りに棺を担いでいく行列と遭遇したちうわけや。よく見るとその 棺の底からはぽとぽと血が滴って落ちとるではおまへんか。


不審に思った孫思邈は行 列に泣きながら付いていく老婆に、いつ亡くなりよったのかを尋ねたちうわけや。
 
孫思邈が医者であることが分かると、老婆は一人娘が難産で二晩苦しんで出産で きんと数時間前に死んでしもたとええ、泣きながらどうか生き返らせてくれと懇 願したちうわけや。

棺の蓋を開けさせると、中の若い婦人はすでに血の気が退いて顔色は蝋のようで あったちうわけや。脈をとってみると、かすかに触れてくるではおまへんか。  


孫思邈はまだ望みがあると思い、素早く鍼を取り出し経穴を定めて打ったちうわけや。
しばらくすると妊婦の気が動き、顔に血の気がさし生気が蘇ってきたちうわけや。

脈が強くなるとともに、産気づき棺の中から「オギャア、オギャア」ちう産声 が聞こえ赤ん坊が生まれたさかいあるちうわけや。この成り行きには、周りの人々も驚き大歓声 を上げたちうわけや。
何と名医孫思邈は鍼一本で母子二人の命を救ったさかいあるちうわけや。

このように孫思邈は名医としての誉れ高く、今でも中国では仁術を身をもって示した医者として尊敬を集めとる。














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    ラベル:名医伝
    posted by モモちゃん at 20:03| 伝承記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2014年02月19日

    名医伝・中国朝鮮・名古屋弁バージョン

    特設・名医伝 名古屋弁バージョン

    あるとき一人の老人が通り雨にあい人家の軒下で雨宿りしていると、その傾きかけただだくさな家の中から女のすすり泣く声が聞こえてきよーた。

    覗いてみると、母親が子供の枕元でうずくまるようにして泣いているではねぇきゃ。
    老人は思わず声を掛けやーた。 
    外からの突然の声に女は驚いて泣きはらした顔を上げやーた。
    老人は静かに語りかけやーた。優しそうな老人の言葉に、母親は気を許して事の次第を話はじめやーた。

    母親の話によると、子供の病状が一昨日より急に悪くなり、診てもらった医者はみゃあ手の施しょうがねぇと言って帰ってしまったという。
    子供の意識は無く命はいくばくもねぇ様子で、みゃあ死を待つた〜けりだと言って母親は泣き崩れやーた。

    老人は気の毒に思い、自分は医術の心得がある、このまま見過ごすにはどうしても心残りだで、自分に子供の脈をとらせてはもらえまいかと言う。

    老人は一通り子の脈を診ると、母親に父親の所在を尋ねやーた。
    この子の父親は既に亡く、いままで母一人子一人で暮らしてきたという。

    老人はその答えに頷くと次のように言ったがゃ。
    「やはりこの子の命は絶えそうであゃあ。そもそもの原因はこの子が母親の陰の気だけを受けて育てえる、父親の陽の気に包まれなかったことによゃあ。そのため体内の陰陽の調和がとれのうなったのだ。一刻の猶予もねぇ」

     そこで老人は母親に起死回生の妙法を教えやーた。
    母親は、子供の命が助かるかもしれねぇと知って、老人の言うとおりに村中にある若衆宿へ直ちに掛けていったがゃ。 
    そこでは、元気盛りの若者が幾人も泊り込んで共同生活しており、そう広くもない部屋の中は若者たちの熱気で溢れかえっていやーた。

    母親はその部屋に駆け込むと、若者たちが遊んでいた将棋の駒をひったくるようにして掴み取ると、すぐさま家にとって返しやーた。
     
    その将棋の駒を土瓶で煎じて子供に飲ませたところ、生死を彷徨っていた子供は奇蹟的回復をみたのであったがゃ。──

    ここに登場こく老人こそ、朝鮮医学の集大成ともいうべき医学書『東医宝鑑』を17世紀初頭に編纂した名医許俊その人であったがゃ。許俊という人物は家庭的には決して恵まれた環境で育った〜けではなかったがゃ。
     
    いわゆる妾腹の子であり、苦学して医を志したのであゃあ。逸話にもそうした許俊自身の幼少時の境涯が反映されているのかも知れねぇ。

     なんだた〜けた〜けしい、荒唐無稽の作り話ではねぇかと思われる向きもあろう。
    実はこれによく似た名医の話が、後漢時代に活躍した華佗の伝の中にもあるのだ。

     東陽県の陳叔山の一歳の男の子が下痢が止まらのうなり、次第に衰弱していったことがあったがゃ。
    方々手を尽くしたがどうしても病状が良くならねぇので父親が心配して、名医とし名の聞こえた華佗のもとを遠路訪ねてきよーた。

     華佗は一通り病状と経過を聞くと、父親に向かって詳しく説明し始めやーた。
    「その子の母親は次の子をすでに妊娠しているはずだ。そのために母乳中に本来含まれているはずの母親の陽の気が、おなかの胎児を養うのに多くが吸収されてしまい、その母乳は子供を養うには不十分な冷たい陰の気に偏ってしまっているのだ。
    だでその子がいまのまま陰の気が充満した冷たい母乳を飲んでいる限り、この病は回復せんだろう」と、明解な病理、病機を示したという。

     中国には「名医、棺を返す」と言うような名言があるらしい。
    こりゃ名医というものは死人さえも生き返らせるのだ、といったニュアンスのものかと思うが、扁鵲がそうであろうし、唐時代の孫思邈(五八一〜六八二)の伝にも、これにぴったり当てはまるような話が残されていゃあ。

     孫思邈はある日、往診の帰りに棺を担いでいく行列と遭遇しやーた。
    よくみゃーとその棺の底からはぽとぽと血が滴って落ちているではねぇきゃ。
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    不審に思った孫思邈は行列に泣きながら付いていく老婆に、いつ亡くなったのかを尋ねやーた。 
    孫思邈が医者であることが分かると、老婆は一人娘が難産で二晩苦しんで出産できずに数時間前に死んでしまったといかん、泣きながらどうか生き返らせてくれと懇願しやーた。

     棺の蓋を開けさせると、中の若い婦人はすでに血の気が退いて顔色は蝋のようであったがゃ。
    脈をとってみると、かすかに触れてくるではねぇきゃ。

     孫思邈はまだ望みがあると思い、素ちゃっと鍼を取り出し経穴を定めて打ったがゃ。
    しばらくこくと妊婦の気が動き、顔に血の気がさし生気が蘇ってきよーた。

     脈が強くなるとともに、産気づき棺の中から「オギャア、オギャア」という産声が聞こえ赤ん坊が生まれたのであゃあ。この成り行きには、周りの人々も驚き大歓声を上げやーた。
    何と名医孫思邈は鍼一本で母子二人の命を救ったのであゃあ。

    このように孫思邈は名医としての誉れ高く、今でも中国では仁術を身をもって示した医者として尊敬を集めていゃあ。










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      posted by モモちゃん at 22:14| Comment(0) | 伝承記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

      名医伝・ホジュン・華佗・孫思邈・栃木弁バージョン

      特設・栃木弁バージョン

      あっとき一人の老人が通り雨にあい人家の軒下で雨宿りしてんべと、その傾きか けた粗末な家の中から女のすすり泣く声が聞こえてきたべ。  
      覗いてみっと、母親がガキの枕元でうずくまるようにして泣いてんべぇじゃなかんべか。
      老人は思わず声を掛けたべ。  
      外からの突然の声に女は驚いて泣きはらした顔を上げたべ。老人は静かに語りかけ たべ。
      優しそうな老人の言葉に、母親は気を許して事の次第を話はじめたべ。

       母親の話によっと、ガキの病状が一昨日より急に悪くなり、診てもらった医者は もう手の施しようがねぇと言って帰っちまったというべ。ガキの意識は無く命はいくばくもねぇ様子で、もう死を待つばかりだと言って母親は泣き崩れたべ。

       老人は気の毒に思い、自分は医術の心得がある、このまま見過ごすにはどうして も心残りだべから、自分にガキの脈をとらせてはもらえまいかと言うべ。  
      老人は一通り子の脈を診っと、母親に父親の所在を尋ねたべ。
      この子の父親は既に 亡く、いままで母一人子一人で暮らしてきたというべ。

       老人はその答えに頷くと次のように言ったべ。
      「やはりこの子の命は絶えそうだべ。そもそもの原因はこの子が母親の陰の気だ けを受けて育てられ、父親の陽の気に包まれなかったことによんべぇ。そのため体内の 陰陽の調和がとれなくなったのだべ。一刻の猶予もねぇ」

       ほいで老人は母親に起死回生の妙法を教えたべ。
      母親は、ガキの命が助かっかもし れねぇと知って、老人の言うとおりに村中にある若衆宿へ直ちに掛けていったべ。  
      ほいでは、元気盛りの若者が幾人も泊り込んで共同生活しており、そう広くもな い部屋の中は若者らの熱気で溢れかえっていたべ。

       母親はその部屋に駆け込むと、若者らが遊んでいた将棋の駒をひったくるよう にして掴み取っと、すぐさま家にとって返したべ。
       その将棋の駒を土瓶で煎じてガキに飲ませたところ、生死を彷徨っていたガキは 奇蹟的回復をみたんであったべ。──

       ここに登場する老人こそ、朝鮮医学の集大成ともいうべき医学書『東医宝鑑』を 17世紀初頭に編纂した名医許俊その人であったべ。許俊という人物は家庭的には決 して恵まれた環境で育ったわけではなかったべ。
       
      いわゆる妾腹の子であり、苦学して医を志したんであんべぇ。逸話にもそうした許俊 自身の幼少時の境涯が反映されてんべぇのかも知れねぇ。

       なんだ馬鹿馬鹿しい、荒唐無稽の作り話じゃなかんべかと思われる向きもあろうべ。
      実 はこれによく似た名医の話が、後漢時代に活躍した華佗の伝の中にもあるのだべ。

       東陽県の陳叔山の一歳の男の子が下痢が止まらなくなり、次第に衰弱していった ことがあったべ。
      方々手を尽くしたがどうしても病状が良くなんねぇので父親が心配して、名医とし 名の聞こえた華佗のもとを遠路訪ねてきたべ。

       華佗は一通り病状と経過を聞くと、父親に向かってわかんねからゆうけど説明し始めたべ。
      「その子の母親は次の子をすでに妊娠してんべはずだべ。そのために母乳中に本来含 まれてんべぇはずの母親の陽の気が、おなかの胎児を養うのに多くが吸収されてしま い、その母乳はガキを養うには不十分な冷たい陰の気に偏ってしまってんべぇのだべ。

      だべからその子がいまのまま陰の気が充満した冷たい母乳を飲んでいる限り、この病 は回復しねぇべだべなぁ」と、明解な病理、病機を示したというべ。
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       中国には「名医、棺を返す」と言うような名言があるらしいべ。
      これは名医という ものは死人さえも生き返らせるのだ、といったニュアンスのものかと思うが、扁鵲 がそうだべなぁし、唐時代の孫思邈(五八一〜六八二)の伝にも、これにぴったり 当てはまるような話が残されてんべぇ。

      孫思邈はある日、往診の帰りに棺を担いでいく行列と遭遇したべ。
      よく見っとその 棺の底からはぽとぽと血が滴って落ちてんべぇじゃなかんべか。
      不審に思った孫思邈は行 列に泣きながら付いていく老婆に、いつ亡くなったのかを尋ねたべ。孫思邈

      孫思邈が医者であることが分かっと、老婆は一人娘が難産で二晩苦しんで出産できずに数時間前に死んぢまったといい、泣きながらどうか生き返らせてくれと懇 願したべ。

       棺の蓋を開けさせっと、中の若い婦人はすでに血の気が退いて顔色は蝋のようで あったべ。脈をとってみっと、かすかに触れてくるじゃなかんべか。
      孫思邈はまだ望みがあっと思い、素早く鍼を取り出し経穴を定めて打ったべ。
      しば らくすっと妊婦の気が動き、顔に血の気がさし生気が蘇ってきたべ。  
      脈が強くなっとともに、産気づき棺の中から「オギャア、オギャア」という産声 が聞こえ赤ん坊が生まれたんであんべぇ。

      この成り行きには、周りの人々も驚き大歓声 を上げたべ。
      何と名医孫思邈は鍼一本で母子二人の命を救ったんであんべぇ。

      このように孫思邈は名医としての誉れ高く、今でも中国では仁術を身をもって示した医者として尊敬を集めてんべぇ。










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        中国名医伝:筑後弁バージョン

        特設・筑後弁バージョン

        あるとき一人の老人が通り雨におうて人家の軒下で雨宿ばしとると、そんよちゃりしかけとるひゅうなか家の中から女のすすり泣く声が聞こえてきたげなたい。

        なかば覗いてみっと、母親が子供の枕元でうずくまるごとして泣きよるじゃなかね。老人は思わず声ば掛けたげな。
        外から突然声のしたけん女は驚いて泣きはらしとった顔ば上げた。
        老人は静かに語りかけたげな。優しかごたる老人の言葉に、母親は気ば許して事の次第を話はじめたげなたい。

        母親の話によっと、子供の病状が一昨日より急に悪うなって、診てもろっとた医者はもう手の施しようがなかち言うて帰ってしもうたげなたい。
        子供の意識は無く命はいくばくもなかごたる様子で、もう死を待つばかちゆうて母親は泣き崩れたげな。

        老人は気の毒に思うて、オリは医術の心得のあるとばってん、こんまま見過ごすとはどげんしてん心残りじゃけん、オリに子供の脈ばとらせてはもらえんじゃろかち言うたげな。

        老人は一通り子の脈ば診ると、母親に父親の所在ば尋ねたげな。こん子の父親は既に亡く、いままで母一人子一人で暮らしてきたげなたい。

        老人はその答えに頷くと次のごと言うたげな。「やっぱしこん子の命は絶えそうばい。そもそもの原因はこん子が母親の陰の気ばっかし受けて育てられ、父親の陽の気に包まれんやったとがいかんたい。
        そしけん体内の陰陽の調和のとれんごとなったとばい。一刻の猶予もなか」

        そこで老人は母親に起死回生の妙法を教えたげな。母親は、子供の命が助かるかもしれんち知って、老人の言うたごと村中にある若衆宿へ直に掛けていったげな。

        そこでは、元気盛りの若者が幾人も泊り込んで共同生活ばしとって、そげん広くもなか部屋の中は若者たちの熱気で溢れかえっとったげな。

        母親はその部屋さん駆け込むと、若者たちが遊んどった将棋ん駒ばひったくるごとして掴み取ると、すぐさま家にとって返したげな。

        そん将棋の駒ば土瓶で煎じて子供に飲ませたところ、生死を彷徨っとった子供は奇蹟的回復をみたげなたい。──

        ここに登場する老人こそ、朝鮮医学の集大成ちいわれとる医学書『東医宝鑑』ば17世紀初頭に編纂した名医許浚その人じゃったげなたい。そん許浚ちいう人物は家庭的には決して恵まれた環境で育ったわけじゃなかたげな。

        いわゆる妾腹の子であり、苦学して医ば志したげな。逸話にもそげんか許浚自身の幼少時の境涯が反映されているのかも知れんたいね。

        なんか馬鹿馬鹿しか、荒唐無稽の作り話じゃなかかと思われる向きもあるやろう。
        実はこれによう似とる名医の話が、後漢時代に活躍した華佗の伝の中にもあるとたい。

        東陽県の陳叔山の一歳の男の子が下痢が止まらんごとなり、次第に衰弱していったこつのあったげな。

        方々手を尽くしたばってんどげんしてん病状が良くならんけん父親が心配して、名医として名の聞こえた華佗のもとば遠路訪ねてきたげなたい。

        華佗は一通り病状と経過ば聞くげっと、父親に向かって詳しか説明ば始めたげな。「そん子の母親は次の子ばすでに妊娠しとるはずばい。そしけん母乳中に本来含まれとるはずの母親の陽の気が、はらん胎児ば養うとにばっか吸収されてしもうて、そん母乳は子供ば養うとには不十分な冷たか陰の気に偏ってしもうとるとたい。

        そしけんそん子がいまんごつ陰の気が充満した冷たか母乳を飲みよる限り、こん病は回復せんじゃろう」と、明解な病理、病機ば示したげなたい。
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        中国には「名医、棺を返す」ち言うごたる名言のあるげなたい。これは名医ちゅうもんは死人さえも生き返らせるちゅうごたるニュアンスのものかと思うばってん、扁鵲がそげんやろうし、唐時代の孫思邈(五八一〜六八二)の伝にも、これにぴったっと当てはまるごたる話が残されとるとばい。

        孫思邈はある日、往診の帰りに棺ば担いでいきよる行列と遭遇したげな。
        ようと見るとその棺の底からはぽとぽと血が滴って落ちとるじゃなかね。不審に思うた孫思邈は行列に泣きながら付いていきよる老婆に、いつ亡くなったつか尋ねたげな。

        孫思邈が医者ちゅうこつが分かると、老婆は一人娘が難産で二晩苦しんで出産でけんで数時間前に死んでしもうたちゆうて、泣きながらどげんかして生き返らせてくれと懇願したげなたい。

        棺の蓋ば開けさすっと、中の若か婦人はもう血の気の退いて顔色は蝋のごたったげな。脈ばとってみると、ちょこっと触れてくるじゃなかね。

        孫思邈はまだ望みがあると思うて、素早く鍼ば取り出し経穴を定めて打ったげな。しばらくすると妊婦の気が動き、顔に血の気がさし生気が蘇ってきたげなたい。

        脈が強くなるとともに、産気づき棺の中から「オギャア、オギャア」ちゆう産声が聞こえ赤ん坊が生まれたげな。

        こん成り行きには、周りの人々も驚き大歓声ば上げたげなたい。何と名医孫思邈は鍼一本で母子二人の命ば救ったっばい。

        こげん孫思邈は名医としての誉れ高く、今でん中国では仁術ば身をもって示した医者として尊敬ば集めとるとたい。










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